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第四幕

 耳に届くのは断続的な金属音――――血臭を纏いながらも吹き抜ける春の涼風に、ヴォルフは癖の無い前髪を掻き揚げながら、よいしょ、とその場に腰を下ろす。


 命懸けの戦場とは思えぬ気の抜けた姿ではあったのだが……既にヴォルフの周囲には敵兵の姿はない……注釈を付けるのならば生きた、と追記するべきか。


 「おーい、金にならんから無駄に殺すなよー」


 両手を口元に当てやる気の感じられぬヴォルフの呼びかけの先、不動の山の如き……静かだが圧倒的な威圧感を漂わせているグレゴリオの姿がある。


 グレゴリオの周囲には巨大な猛獣に襲われた、としか思えぬ潰れた死骸……いや、残骸が撒き散らかり、此処で行われていた戦闘……虐殺が如何に凄惨を極めたモノであったのかは、最早戦意を完全に失いグレゴリオを遠巻きに見つめる傭兵たちの怯えた瞳が全てを物語っていた。


 彼らが背を向けて逃げ出さぬのは子羊が獰猛な肉食獣を前にして恐怖の為に動けぬのと同様に、視線を逸らせば殺される、と警鐘を鳴らす本能ゆえ……。


 とは云え、ヴォルフとグレゴリオの周囲には味方の姿は無く敵方の傭兵たちも数人程度……状況から見ても戦いの終局が近いのは間違いない。


 元々この程度の規模の戦闘は短時間で終わるのは常であり、ほぼ初手のぶつかり合いで勝敗は決まる……血気盛んな奴らは真っ先に切り込んでいき死んでいく……そんな連中が潰し合い、後は残った者たちがだらだらと戦域を広める消耗戦へと移行していく。


 この様な広い平原での戦闘で……まして統率が執れぬ傭兵同士の戦闘など直ぐに収拾が付かなくなる事は必然であり、現実既に集団戦の体を保てなくなった両軍は平原に広がる様に局地的な少数同士の戦闘に終始していた。


 「噂通り此方の負け戦だったな……流石大将、良い読みをしている」


 満足そうなヴォルフの姿に違和感を覚えるかも知れないが、雇われ兵である傭兵たちにとっては、忠義や忠節ではなく、金の為に雇い主を、雇われる側を選べる彼らには、必ずしも勝ち馬に乗る、と云う行為が己の利益に直結する訳ではないのだ。


 勝ち負けや戦功に関わらず戦死した傭兵には後金は支払われない……それが一般的な傭兵の雇用条件……その代わりに死んだ者たちが受け取る筈であった報酬の後金は生き残った者たちの間で頭割りで再分配される……つまり総じて生き残りが少ない負け戦の方がより大きな報酬を得られる計算になる。


 最も普通に考えてもそれでけ生き残る確率が低いのだから好んで負け戦に参加するなど本来は狂気の沙汰である事は間違いない……ないのだか……。


 どれ程腕に覚えがあろうとも人同士の殺し合いに絶対など有り得はしない……人間とは死ぬときは本当に呆気なく死ぬモノだ……当然ヴォルフがそんな当たり前の理屈を分からぬ訳はない……だが同時に知ってもいるのだ……そんな常識が通用するのがあくまでも人の範疇の中での話である事を。


 人の姿を纏った人外の化けモノをヴォルフは二人知っている。


 アルミシアとグレゴリオの殺し合いを……本気の戦闘を唯一人目撃していたヴォルフには、こんな温い戦場で自分たちが死ぬなど、驕りでもなく慢心ですらなく、有り得ぬ事だと知っている。


 「怖い怖い」


 と、何を思い出したのだろうか、ぶるっ、と身を震わせるヴォルフの背後で狼煙が上がる。


 それは事前に取り決められていた撤退の合図であった。


 





 

 「今夜の酒代だ、その首を置いて行けよ間抜け」


 嘲笑を崩さぬアルミシアが、まだ立ち上がれぬアルヴィンの下へと一歩、歩みを寄せた瞬間、蒼い瞳を遮る様に馬上から即座に下馬した護衛の騎士たちがアルミシアの進路を塞ぐ。


 「御子息、御下がり下さい」


 護衛の騎士たちの長であるアリバール・ルフトの声にもアルヴィンは動けない……意思とは無関係に震える足がまるで根が生えたかの如くアルヴィンをその場に縛り付けていた。


 原因は明らかである……今だ冷めぬ少女に抱く錯綜的な賛美と……同等の恐怖ゆえ。


 「待て!! 待つのだ娘、この方の命を奪っても報酬は出ぬぞ、時期に戦いは終わるゆえ大人しく退くのだ!!」


 緊張感を孕んだアリバールの静止は端から見れば滑稽に映ったであろう、武装した屈強な騎士が四名と対峙するのは少女ただ一人……この状況で明らかに騎士たちの方が緊張を……怯えているなどと……。


 「大将首に報酬が出ないなんて道理はないだろ?」


 「御子……この御仁はアウルス公ではない……子爵は今だ本陣におられる、人違いだ」


 叫ぶアリバールにふーん、とアルミシアは納得した様子を見せるが騎士たちが緊張を解く事はない。


 今だ周囲に張り詰める空気が、少女から発せられている尋常ではない殺気は微塵も変わらず……揺らぎすら見せていなかったからだ。


 「まあ……指揮官首でもいいや」


 一歩踏み出すアルミシアに騎士たちは一歩……下がる。


 騎士たちを前に妖しく潤む蒼い瞳は、アルミシアの表情は、官能的な色香さえ漂わせ……。


 今だ構えすら見せぬアルミシアに……だが騎士たちは静止する事すら出来ない。


 一刀で軍馬を屠った少女の剣の力量は騎士たちの心胆を寒からしめるに十分なモノではあったが、少女から放たれる気配がその手に持つ漆黒の刃が……帝国の騎士であった彼らに恐怖と共にその名を思い起させる。


 災禍の騎士の名を。


 帝国最後の将……決戦の地ルレイゼで討たれ、その首を十日十晩帝都の広場に晒された男の首を、姿は、今尚アリバールの脳裏に刻まれている……抱いた無念と……それを上回る安堵と共に……。


 彼の御仁は確実に死んでいる……。


 しかし身姿や性別すら異なる少女に……アリバールは、騎士たちは拭えぬ畏怖と共にその影を見る。


 「金を出す」


 騎士たちの背後からアルヴィンは叫んでいた。


 「見逃してくれるのならば言い値を払う……損得も分からぬ馬鹿でないならよく考えろ傭兵!!」


 半分は虚勢であったろう、しかし必死であった事だけは間違いない。


 「剣すら握らず己の命すら賭けず……無様に命乞いをする……お前ら見たいな貴族共が……お前の様な無能が指揮なぞするから無駄に兵が死ぬ……この間抜けめ」


 アルミシアの口元で深まる嘲笑が交渉の決裂を現す様に、また一歩その足を踏み出す。


 「俺は……俺は……こんな処で死んでいい男ではない……俺は……俺は……」


 明らかな狼狽を見せるアルヴィンにアリバールは覚悟を定める。


 目の前の少女に勝機を抱けぬ自分たちが守り切れるとは思えない……それでも、と。


 故国を失い……亡国の騎士として傭兵にすらなれず身をやつしていた自分たちがそれでも最後は騎士として死ねるのならば……それはそれで本懐である、と。


 「俺は……俺は世界を変える男だ――――!!」


 決死の覚悟を見せる騎士たちに応える様に動くアルミシアの手が瞬間、止まる。


 驚いた様に見開かれる蒼い瞳。


 ――――様……悲しまないで下さい……私が……私が世界を変えて見せます……貴方が夢見た世界は必ず私が――――。



 「ぷっ……あははははははははははははっ」


 直前までの空気が嘘の様に、本当に楽しそうに屈託なく笑う少女の声に、半ば自棄で本音を吐露したアルヴィンだけでなく今まさに殺し合いに発展しようとしていたアリバールたちも理解が追い付かず茫然と立ち尽くしている。


 「世界……って……あははははははっ……お前……くくっ……あはははっ」


 身を屈めてアルミシアは笑う……苦しそうに……だが本当に楽しそうに。


 「いいよ……分かった……くくっ……金の用意を忘れるなよ」


 瞳に涙を溜めて笑うアルミシアからは最早先程までの殺気も威圧感も感じられない。


 この時やっと自分たちが命を拾ったのだと理解したのだろう、アリバールや他の騎士は額に滲む汗を拭い……アルヴィンに至っては、ははっ、と情けな気な笑みを浮かべ脱力した様に両手を地に付けるのであった。

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