第三幕
見渡す限りの平原で東西に対峙する両軍の陣地から交互に銅鑼の音が響き渡る。
平原の東で陣を構えるのは『ロンブル』の街が存在するフェルトラント地方の領主軍……対して西に陣を敷くのはフェルトラントに隣接するトローニア地方を治め領主モリアーテ子爵が率いる軍勢であった。
大陸の西方諸国の一つ、ローズワルド王国に領地を有する両軍が今まさに激突しようとしていた――――と表現したのならばまさに血で血を洗う内戦を思い描くかも知れない……が、現実は必ずしもそうとは限らず……両軍合わせても三百にも満たぬその陣容や陣構えは今の時世を……世情を端的に現しているものであったと云えようか……。
「父上……これを……こんなモノが戦だというのですが……」
自陣からゾロゾロと戦場へと向かう兵士たちの姿を、様子を、馬上から窺っていた青年はやがて耐えきれなくなったのだろう、苦々しく口を開く。
領主軍などど呼べば聞こえは良いが、その実今青年の視界の先に映る兵士たちは家門の騎士たちどころが正規兵ですらない雇われ兵たち……装備や兵装は統一されていないだけでは無く正規兵と比べ明らかに見窄らしく、しかも敵味方を識別するために腕に赤い布を巻いただけの彼らの姿は軍属というよりも寧ろ野盗の類にしか見えない。
一応指揮官らしき騎士たちの姿は見られはしたが前線に展開する兵士たちのほぼ全てがこの日雇われた傭兵たちでは統率を執るのが精々であり、連携などといった戦術面はまるで機能しないであろう事は誰の目にも容易に想像出来た。
王都でも名門で知られる王立学院を主席で卒業した自分の初陣が恐らくは粗野で野蛮な正面からの潰し合いに終始するだろう事が何より青年、アルヴィン・ローウェル・フェルトラントには我慢がならない事であったのだ。
「まあそう苛立つな息子よ、初陣が遅れた其方には何より戦で勝利したと云う武功が必要なのだ……今後の為にも今は名を売っておくのだ」
まるで勝利が約束されているかの様な父親の含みのある物言いに、戦を前にして妙に落ち着きのある父親の態度にアルヴィンは気づいてしまう。
「まさか父上……モリアーテ公と既に内々に……」
驚くアルヴィンに父親であるラウルスは渋い表情を見せるが、それは負の感情からと云うよりはまるで息子の誕生日に渡す筈であった贈り物を事前に見られてしまった父親のソレに近い。
それを見たアルヴィンはああ……そう云う事か、と理解する。
元々父親であるラウルスとモリアーテとの仲は険悪と云う訳でも……いや、もっと言えば仲が悪い、とすらいえぬ間柄……そんな両者が何故年に数度この様な茶番を繰り広げているのかと云えば、それは一重に二つの領内に跨り広がる穀倉地帯の利権を巡ってに他ならない。
話し合いではなく武力衝突と云う形で互いに利権を回しているのには何かしらの理由があるのだろうが、まだ王都から戻って来て間もないアルヴィンにはその辺りの事情は分からない……しかし今回は自分の為に父親が根回しをしてモリアーテから戦の勝利を買ったのだろう事は間違いない。
つくづく下らない、とアルヴィンは思う。
数年後、自分は父親から家督を継いで領主となる……しかしこんな田舎の……地方の小領主で満足して一生を過ごす気などアルヴィンには毛頭無い。
やがては領主となり功績を立て、それを持って国政に……だが其処が目指す場所ではない、アルヴィンはその先すらも見据えている。
そんなアルヴィンから見ればちっぽけな利権に終始し、今の置かれた環境に満足している父親の姿はみじめで浅ましい、とすら感じてはいたが、それでも今はそんな父親の敷いた道を歩まねば先に踏み出せぬ事も同時に理解している。
全ては自分が家督を継いだ後、とアルヴィンは割り切る事でこの様な茶番に付き合わされる事にも、王都で学んだ軍学を活かし華々しく初陣を飾ると云う己の感情をも同時に抑制する。
「案ずるな、其方は適当に指揮をする真似をしていれば良い、頃合いを見て相手方が退くゆえ、それで終いだ」
葛藤するアルヴィンの姿を緊張と捉えたのだろう、ラウルスの言葉にアルヴィンは更なる忍耐を強いられる事となるが、無言で頷く事で何とか自尊心との折り合いを付ける事に成功する。
「父上……私はもう参ります、せめて前線の指揮を執っているという体裁は必要でしょうから」
アルヴィンの皮肉を額面通り受け取ったのだろう、アウルスは立派に成長して帰ってきた息子の姿を満足そうに、誇らしそうに眺め頷いている。
そんな父親の姿に内心の苛立ちを抑えながらアルヴィンは手綱を引き踵を返す。
「後の事はこの者たちに任せておる……傍を決して離れぬ様にな」
背後から届くアウルスの声……それが合図であったかの様にアルヴィンの下へと四騎の騎馬が付き従う様に馬体を寄せてくる。
寄せ集めの傭兵たちとは明らかに異なる気配……鍛え上げられた体躯、整えられた武装……武人とはお世辞にも云えぬアルヴィンにも彼らが只の傭兵ではない事は分かる。
これが父上が言っていた……。
アルヴィンの自虐的な評価ではなく、ラウルスが治めるフェルトラントの正規軍は弱兵として王国内では知られている……それゆえに大戦の折にも後方支援として事実上の戦力外の扱いを受けていたのは有名な話であり……悔しいが事実であった。
しかし今アルヴィンに付き従う男たちは弱兵と呼ぶには程遠い存在感を放ち……恐らくは正規兵でも騎士でもないであろう、彼らはアウルスの私兵であろう事は間違いない。
しかし高名な傭兵団や有力な貴族の私兵が好んでこんな金もない弱小の小領主に雇われる、或るは鞍替えするとは考え難い……となれば。
旧帝国の騎士か――――。
帝国の残党の中には身分と生命の保証を条件に諸国の領主たちの下に身を寄せる連中も少なく無いと聞く……恐らくはこの者たちも。
「まあ良い……」
カルヴィンは男たちを一度見回し、馬の腹を踵で蹴る。
見栄えのしない弱卒を連れ歩くより、精強な騎士たちを共周りに連れている方が周囲の印象が違う……今後の事を考えても悪い事ではないのだから。
カルヴィンが自陣を離れ、草原へと馬を走らせると程なくして直ぐに前線へと行き着く。
味方の陣営から前線までの距離が恐ろしく短い……しかしそれも当然であろう、第二陣も……後詰めの部隊もない単純な正面戦闘……そこには補給の概念も遊撃や陣形等と云った戦術的な概念が介在しない原始的な潰し合いであったのだから。
「無様に過ぎる……これでは学院で行われていた模擬戦の方が余程ましと言うものだ……」
アルヴィンの視界の先、多少の距離が離れていたとは云え、領主たちに雇われた傭兵たちが互いに殺し合い……剣戟の音が、断末魔の絶叫が、己を鼓舞する雄叫びが喧騒となって周囲の空気を震わせ木霊する。
しかしそれを眺めるアルヴィンの眼差しは、まるで劇中劇を鑑賞する観客が如く傍観者のソレであり――――。
蛮族共め……これでは指揮の必要など……。
己の理想と現実の差を目の当たりにし落胆を隠せぬアルヴィンの耳に
「見ーつけた」
と、風に乗り、場違いな楽し気な少女の声音が耳朶を擽る。
後日アルヴィンは記す――――それは運命の出逢いであったのだ、と。
地面を削る重量感を感じさせる異音……急速にその音はアルヴィンへと近づき――――。
「御子息!!」
突然力強い腕に引かれ、訳が分からず落馬したアルヴィンは強かに地面へと背中を打ち付けて息を詰まらせる。
何を、と非難の声を上げようとするが衝撃と痛みで声にならない。
一瞬男たちの叛意を疑ったアルヴィンであったが、恐らく即死であったのだろう、嘶きすら残さず己が騎乗していた軍馬が血飛沫を上げて倒れ行くのを目撃し自分が庇われたのだと知る。
「此処に居ますよ、と喧伝でもしていたのか……この間抜けめ」
嘲る様な少女の声が眼前から聞こえ……見上げる視界の先、愉悦を秘めた蒼い瞳がアルヴィンを見つめていた。
少女の手にする黒刀は染まる血で彩られ、嗤う姿は禍々しく――――狂相を纏う少女を前にアルヴィンは死の恐怖とは異なるナニかを……言い換えるならばそれは死に魅入られる、とでも言えば良いのか……。
だが間違い無くその時、その瞬間、アルヴィンは己に死を告げに現れた少女の姿を美しい、と感じていた。