2話 魔眼覚醒
魔界から人間界へ降りると、僕らのような【ランク】を持った魔族は、魔王として行動する。
では、魔王とはいったい何をするのか?
この世界の生物には、例外なく【生命の泉】と言う核が存在し、それを収集する為に魔族も人間も争いを続けている。
要するに命の根源を収集するのだから、その際には殺し合いをするのだ。
魔王は自身のランクと同等の魔物を生みだして、自軍の戦力を整える。
Aランクの魔王は、強大な能力を持ったAランクの魔物を生みだせる代わりに、その際に消費される魔力が膨大になる。
反対にFランクだと、スライムやゴブリンのような、ランクの低い魔物を少ない魔力で量産する事が出来る。
この際に、魔王が有する【魔術】の特性を受け継いで魔物が生まれて来る。
こうして魔王が作り出した魔物は【使い魔】って言うんだ。
そういった制限の中、僕は魔界を離れて独立した訳だから、身近な人ほど心配させてしまった。
卒業から3日。
まだ根城にする拠点は決まってなく、前もって下見した洞窟や誰も住みつかなくなった城などを見て回っている。
だけど何故か、クレアと首席の座を競い合っていたAランクの魔王が僕の後を尾いてきていた。
いがみ合っていた訳ではないので、良きライバルって感じで僕は見ていた。
ちなみに彼女と拠点探しを共にする約束など交わしてはいない。
理由は不明だけど僕が放っておくのをいい事に、彼女は勝手に尾いてきてるだけなんだ。
「ところでレイミーさん。いつまで僕と一緒に行動するんですか?」
鬱蒼と草木が生い茂る森を無言で進んでいた。
ここまで会話らしい会話などしてこなかったけど、いい加減彼女の目的を探ってみたくなった。
突然僕に声を掛けられたからか、レイミーさんは「ひゃっ!」と言って驚いている。
「大丈夫?」
「あ、す、すみません。ネルテスタさんがどんな拠点を作るのか参考にしようかと思いまして」
魔王育成学校へ入学する際、真っ黒な分厚い本が支給される。
【魔導書】と呼ばれる、魔王にとって必須の魔道具。
クレアや他の高位魔族なんかは、特注で作ったものを持っていたりする。
だけどAランクで学年2位のレイミーさんが、支給された魔導書を使っているのは少し意外だった。
もしかしたら彼女も平民魔族の出なのかも。
その本を右の脇にしっかりと抱え、背中には大きめのリュックサックを背負っている。
小柄だからどちらが背負われているのか、パッと見では混乱してしまう。
クレアと比較するのは失礼だけど、レイミーさんの容姿は体つきも顔つきもかなり幼い。
栗色の髪はショートカットで短いから、学校では男の子と見間違えられたりしていたっけ。
彼女は、動きやすさを重視しているのか、かなり短めのショートパンツを身に着けている。
足元は膝下までのブーツ。
その上は張り艶のいい太ももが露出していて、そこだけが成長した女性だと主張しているようだ。
何て言う失礼な事は考えないでおこう。
それよりも。
僕の拠点を参考にするという事は、まだしばらくは共に過ごす腹積もりなんだね。
でも、AランクとFランクでは、拠点の規模に隔たりがあり過ぎて参考になるとは思えないんだよね。
だから僕は彼女の言葉を鵜呑みにはしていない。
少し距離を縮めて情報を引き出してみようか。
「そう。じゃあ良かったらネルって呼んで」
「あ、は、はいネルさん。わ、わたしはレイミーで構いませんので。敬称は不要ですよ」
「わかったよレイミー。だけど、その背中の大荷物、もしかして魔導書の中に収納できるって忘れちゃった?」
これは少し意地悪な言い方だったかもしれない。
「あっ、そ、そう言えばそうでしたね。ありがとうございます」
魔導書の使い方を習ったのはかれこれ3年前になるんだから、忘れてても仕方がないのかもしれない。
初歩中の初歩の知識だっただけに、レイミーは恥ずかしそうな顔で、リュックサックを下ろし魔導書を広げた。
「ぶ、ブック!」
そのまんま「ブック」と言う言葉が、この魔道具の起動句となる。
起動した魔導書の機能一覧から収納を選べば、指定の荷物が本の中に吸い込まれる仕組みだ。
「えっと、収納、収納は……」
「ほら、ここだよレイミー」
「あ、ありがとうございます」
本当にこの子はAランクなのだろうか。
そんな疑問が浮かんで来てしまうが、しかし彼女の能力は確かに育成学校の折り紙付きである。
「あまり魔術について聞くのはマナー違反かも知れないけど、確かレイミーの魔術って、属性系だったよね?」
「は、はい。そう言うネルさんは付与系でしたね」
魔術と言うのは、魔族に顕現する特殊能力の事を指す。
属性系は希少で、クレアも同系統の魔術を所持している。
そして、僕が持つ付与、それと強化、放出、操作、創造と系統は全部で6つに分類されている。
実を言うと僕は付与と操作の2系統の魔術を所持していて、とある条件を満たすと、両方の系統にもうひとつの要素が加わったユニーク魔術を使う事が出来る。
ただし今のところそれを知る者はいない。
普段は付与系の魔術しか使ってないので、それを隠す必要はない。
むしろ「あいつは付与系統の大した事ない魔術しか扱えない」と言う評価は都合が良かった。
だから僕自身も、その評価に見合う言動を演じなければならない。
「付与なんて一番扱いにくい魔術だね。レイミーのように属性系だったら僕ももう少しランクが上がったかも」
「ですけどネルさんは、学校の試験で本気を出してないような気がするのです」
驚いた。
おっちょこちょいな子かと思っていたけど、意外と観察眼に優れた一面も持ち合わせているようだ。
「なんで僕が本気を出していないと?」
「ん~。な、なんとなくです。ネルさんの魔力量はおおまかに見えていますし、その割に魔術の規模が小さすぎますから」
凄い察知能力と言える。
と言うか、これはセンスとか、勘とか、そんな類の感覚なのかもしれない。
だからこそ、レイミーは断言はしていないのだろう。
「仮に潜在魔力の量が豊富だからと言って、それがランクと直結する訳じゃないって事は知ってるよね?」
「はい。ですけど、ネルさんは……」
どうやらレイミー自身、その直感にはかなりの自信を寄せているようだ。
僕の言いたいことを先読みしながらも、それに対して反証を試みようとしている。
これ以上、僕の秘密を勘ぐられるのは厄介だ。
その先は言わせないでおこう。
「いいや。僕の実力はFランク相当だよ。潜在魔力が多かろうが少なかろうが、僕はあの程度の魔術しか扱えない。ランクに反映されるのは潜在魔力なんかじゃなく、常体魔力だからね」
魔力の保有量を、専門用語で潜在魔力と呼んでいる。
対して、実際に使用できる魔力量を常体魔力と言う。
「そうですか……疑ってしまいごめんなさい……」
「いや、気にしないで」
どうやら、この件についてこれ以上の追究は諦めてくれたようだ。
「でも、でも、わたしは納得していませんから」
なるほど。
レイミーが何を知りたくて、僕の後を尾いてきてるのかが、なんとなく浮き彫りになった気がする。
と言っても、レイミーが納得しようがしまいが、僕には関係が無い。
今の時点で、自分の秘密を明かす気にはならないし、疑われていたってどうってことないからね。
そんな事を刹那で思考しながら彼女の目を見つめる。
そもそも構ってあげる筋合いも無い。
僕から話しかけておいて自分勝手とは思ったけど、鋭く返されるレイミーの視線を切り、森の探索に戻る事にした。
踵を返したその瞬間、背中に感じるおぞましい程の魔力が膨れ上がる。
まるで冷気を直接当てられているかのような、刺さるような魔力だった。
「今ここで、わたしが力づくで確認してもいいですか?」
先程まで、おどおどしていたレイミーの雰囲気がガラッと変わる。
やっぱりそうか。
彼女はきっと僕の隠している秘密そのものに興味があるのかもしれない。
「やめてくれよレイミー。Aランクの力づくを僕なんかがまともに受けられる訳がないだろう?」
悔しいけど、彼女の戦闘行為を止める理由は無い。
そもそも、僕たち魔王は派閥以外の魔王、魔族とは慣れ合わない。
レイミーの属する派閥は分からないけど、少なくとも同じではない。
したがって、今ここで戦う事はなんら不自然な行為ではないのだ。
魔王同士、魔族同士であれ、生命の泉を賭けて戦う事もある。
「ですから、まともに受けられるように本気を出したらどうですか?」
レイミーはそう言うと、魔導書を開き、自身が保有しているであろう使い魔を召喚するべく、召喚句を唱え始めた。
「血盟により契約せし我が化身 ここに顕現し敵を滅せよ!」
まずい。
膨大な魔力の奔流が魔導書に吸い込まれていくのが感じられる。
その量から察するに、レイミーは本気で僕と戦うつもりだ。
たしか彼女は、属性持ちの翼竜種を数匹従えていたはず。
消費魔力から逆算しても、大型のドラゴンを召喚したのは間違いない。
「どうしますかネルさん? ネルさんも早く使い魔を召喚しないと、あと少しでわたしの竜が姿を現してしまいますよ?」
ゴオッ!! と言う一陣の風が周囲の木々を大きく揺らす。
レイミーを中心に拡がる魔力の振動だけで、僕の頬が切裂かれる。
一筋の線が引かれると、そこから口に血が垂れてきた。
「どうするも何も、Aランクの魔物と戦ったら僕の命は幾つあっても足りないからね」
「ではどうしますか?」
「こうするよ」
真剣な顔をしながら問い詰めるレイミー。
そんな彼女には悪いけど、Aランクの魔物って言うのは、召喚までに時間がかかるのが弱点だよね。
義理堅くそれを待っている程、僕は馬鹿じゃない。
「あっ、ちょっとネルさん! 逃げるなんて……」
真正面から戦おうとするその甘さは、レイミーがまだ魔王になったばかりなのを如実に表している。
まさか背走するなんて思いもしなかったのか、逃げるなんてずるい、と言いかけたのだろう。
だけどその言葉を言う前に、僕は自身の身体に魔術を使った。
身体能力を【拡張】する事によって並はずれた肉体を手に入れる。
一蹴りで樹上へと飛び上がりレイミーを振り返った。
苦虫を噛み潰したような顔でこちらを睨んでいたが、そこでようやく魔物の召喚が終わる。
「逃がしませんよ! ネルさんの【拡張】は一度見た事があります。そんな魔術でわたしの竜から逃げられるとは思いませんけどね!」
育成学校ではこの【拡張】魔術しか、使った事がない。
これは様々なものに拡張と言う概念を付与する能力で、今回は僕の身体能力を拡張すると言う概念を付与した。
木々の間を縫うように枝から枝へ素早く移動するが、その背後からはレイミーが猛追してきている。
もう一度チラッと背後を伺い、レイミーを背中に乗せた黒竜の速度を計る。
間違いない。
あれは、風を自在に操り空中戦で無類の強さを誇る【空竜】だ。
このままじゃたちまちのうちに追いつかれて、真っ向からの戦いを強いられる事になる。
ジリ貧になるのは目に見えてるね。
足場にしてる枝を蹴りあげたその直後、正確無比な風弾がそれを粉砕し続けている。
なんとか紙一重で僕の蹴り脚の方が早いけど、これじゃあ時間の問題かも。
次に飛び乗る枝を予測されでもしたら、体勢を崩して今度こそ真正面での戦いに持ち込まれるだろうね。
仕方がない。
出し惜しみして、こんな所で死ぬのなら、彼女のお望み通りで応えるとしよう。
直線的に飛行する空竜を背に、こちらは小回りが利くというのがただひとつの小さな利点だ。
こうなると、逃げの一手と言う動きではなくなる。
不規則に左右へ進路を変え、突進してくる空竜を紙一重で回避しながら、逆方向へと小刻みな移動を繰り返す。
そんな最中、僕は久々に右眼に眠る相棒へと語り掛けるのだった。
『予定より早くなっちゃったけど、ちょっと起きてくれないかメリエス』
僕の呼びかけに彼女はすぐさま反応してくれた。
右眼は徐々に熱を帯び、周囲を漂う魔力の源【魔素】を吸収していく。
『あら、どうしたのかしらネル? まさか予定外の事態にでも巻き込まれたの?』
穏やかな起き抜けの声で、メリエスは優しく語りかかてくれる。
『元クラスメイトに絡まれちゃってさ。ちょっとだけ協力してよ』
『あらあら。魔王って生き物は本当に戦うのが好きなのね。でも、そうね……ネルが言うのなら協力しない訳にはいかないわね』
『ありがとうメリエス』
こうして彼女の同意を得た途端。
普段の僕を知っている人にしたら、到底有り得ない程の魔力が噴き出される。
ともあれ、メリエスが覚醒した時点で、魔素の奔流が起きていたのだ。
それこそ有り得ない現象であり、そんな異常現象をレイミーはすかさず察知して凄まじい速さで僕の前へと飛んできた。
颯爽と空竜を駆っていたレイミーが急停止して、目の前で滞空している。
「な、何事ですか……ネルさん……右眼から、右眼から真っ黒な炎が噴き出してますよ!」
うん、その驚き僕も分かるよ。
初めてこれを鏡で見た時は腰を抜かしそうになったからね。
だから、あわよくばこれを見たレイミーが驚きで失神してくれたら楽だったんだけどね。
実際はそうはならなかったようだし、レイミーの目からは僕の期待と反比例するように爛々とした輝きが溢れだしてきている。
仕方がない。
魔眼メリエスの魔術を使うしかないか。
ただし、この眼が司る系統は付与と操作の両方。
これを見せた後で、レイミーのとある機能の一部を破壊させてもらうよ。
メリエスの『転位眼』はそう言う性質だからね。
この能力は飽くまでもメリエス単独のもの。
これとは別に、僕の性質と合わせた能力も持っているけど、それはまだ見せるわけにはいかない。
「見せてあげるよ僕の本気を。でも、後悔しないでね」
僕がそう言った瞬間、レイミーは空竜を操ろうと指示を出しかけた。
のだけど、声は言葉にはならず、嗚咽となって吐き出されるだけだった。
「あっ!! あぁぁぁぁっ!!!」
この能力は見つめるだけで事足りてしまうんだ。
逃げる動作も、攻撃する動作も間に合わない。
メリエスが視界に収め対象として認識した途端、レイミーは空竜と共に意識を失くして、草木の中へと墜落していった。
10/11(火)
※加筆しました。
空竜に追いかけられているネルの場面。少し安易な逃走劇だったので、空竜からの攻撃とネルの心理状態を書き加えました。