戦いは唐突に訪れる
大きな骨、腐った体。不気味に光る眼。カタカタと笑う頭蓋骨。
それは、俗にゾンビと言われる魔物だった。だが、このゾンビは他とは違う。このゾンビは、普通のゾンビと違って体が大きいのだ。
目測にして5メートル。それは、ゾンビにすら慣れていない少年には、あまりにも衝撃の強い化け物だった。
「………………」
「カタカタ…」
二人は、まるで蛇に睨まれた蛙のごとく動かなかった。
否、動けなかった(、、、、、、)。
こちらをカタカタと不気味に笑いながら眺めてくるその存在。
それは、二人にとって恐怖しか産まなかった。
(怖い…………)
武守は、あまりの恐怖感に身をすくませていた。
今すぐにでもここから逃げ出したい。
だが、少年は動くことが出来なかった。
言うまでもなく、妹は涙目になっている。
彼女も逃げたいと思っているのだろう。
しかし、少年はそんな少女の顔すら見ることが出来なかった。
それほどに余裕がなかったのである。
見れば、少年の額には不自然な汗が一筋垂れていた。
本人はそれを拭うこともせず、それどころか瞬きすらしなかった。
場に訪れる嫌に静かな森の中。彼らはその不自然な静けさと、目の前にいる化け物に本能から訴えてくる激烈な恐怖感を感じていた。
別に特別な何かをしているわけじゃない。
奴がしているのはただこちらを見ているだけだ。
たったそれだけだというのに…………全く動くことができないのである。
(あり得ない…だろ…………)
少年の想像を遥かに越えたとんでもない威圧感。その存在は、少年をただそこに立っているだけしか出来なくするほどの恐怖を撒き散らしていたのだ。
怖いなんて一言で済むようなものじゃない。
一瞬でも奴から眼を離してはならないという感覚が少年を動けなくさせ、凄まじい気配に圧されて思わず気絶しそうになるのをなけなしの勇気と根性で何とか凌いでいるようなそんな感じだった。
いっそ気絶した方が楽だと頭で分かっていても、すぐ後ろにいる妹の存在がいるため理性と本能がギリギリ気絶することを拒絶している。
だがそれもいつまで持つか。
武守だってまだ子供だ。いくら修行をしているからといって、まだ魔物を倒した経験など無いし、どこまで魔物に自分の力が通用するかも知らない何処にでもいる普通の子供なのだ。だから怖い。
眼を見開き、歯はガチガチと鳴り響き、足は何とか震えない程度。腕には余計な力を入れすぎて白くなっているほど。
こんなに怖いと感じているのに、まだ気絶してないというのはある意味奇跡だった。しかし、いつかはそれも崩壊する。
ゾンビが腕を横に薙ぎ払うように振るった。
武守は恐怖に絡みとられて、それを見詰めることしか出来なかった。
一撃が二人に迫る。
「ぁ……」
一撃が武守の目の前をかすめて振るわれた。
薙ぎ払いの一撃を避けた訳じゃない。
単純に武守の腰が抜けて後ろに倒れただけだ。
だが、情けなくともそれが彼ら二人を救った。
しかし、次はない。
ゾンビに宿る魔力が強い意思を乗せてその落ち窪んだ赤い目が光を放った。
瞬間ゾンビの体が大袈裟に後ろめりに背中を曲がらせる。
まるで弓のように体をしならせて溜めを作っているかのようにだ。
武守は、それに気付いていたが、腰が抜けて立つことすら出来なかった。
隣を見れば妹が涙目で武守の体にしがみついている。
絶対絶命だった。
溜めが終わり、ゾンビが腕を勢いよく降り下ろす。
繰り出されたのは全体重を乗せた渾身のアームハンマー。
まともに食らえば、子供二人なんてペシャンコに潰れるだろう。
武守は、目を閉じた。
(もう……駄目だ)
武守は、すべてをあきらめた。
そんなときだった。
目の前が赤で染まったのは。
ズシャ!
余りにも生々しい音が近くで聞こえた。
武守は何が起こったのか分からなかった。
目を開けて音の出所を見る。
見えた現実は……
「あ……あああああ!?!?」
潰された左足が目前の化け物に食われているという残酷な現実だった。
この化け物は、どうやらわざと外して足を潰したらしい。
化け物に薄暗い笑みが見えた気がした。
武守は、激痛と苦悶が全身を駆け抜けて、それどころじゃ無くなった。
痛い。
不自然な足の感覚。膝から下が潰れているという現実感の無い事実に武守は、恐怖と激痛に駆られた。
死へのカウントダウン前の前座。
それは、この世界では何ら不思議ではない残酷で理不尽で狂気の遊戯。
強者が弱者に見せる最悪のひとつだ。