羅刹鬼、眼を醒ましおり候 (5)
犯罪を犯した者が侍などの士分にある人間の場合、原則として町方……北町や南町といった町奉行配下の者には、それをどうすることもできない。
というより、当時における治安機関の中には基本、直接に武士の罪を問うことのできるような役職はほぼ無かった。
だが、あくまでも(基本)である。
当然ながら例外は存在する。
それが火付盗賊改方と関東取締出役。
それぞれ俗に火盗改、関八州廻りと呼ばれる者たち。
火盗改は町人などに限らず、武士や僧侶であっても怪しいと思えば問答無用で捕縛することが出来るという、当時としては破格の権限を持っていた。
これは町奉行が文官なのに対し、火盗改が御先手組頭や持組頭といった武官が兼役するといった、特異な性質によるところが大きい。
現代風に言うなら、町奉行のような文官は警察。火盗改のような武官は軍人によって構成された治安部隊・武装警察といった違いだろうか。
が、それも江戸の町中に限られ、寺社や武家屋敷といった場所へは独断で踏み込むことはできず、わざわざ煩雑な手続きを経て許可を得なければならないという泣き所も持ち合わせていた。
しかし、勘定奉行配下である関八州廻りに至っては、これらをも可能となる。
より強力で広範な権限と管轄が、彼らには与えられていたのだ。
その管轄の広さは凄まじく、幕府の領地であろうが、旗本、大名の屋敷であろうが、神社仏閣であろうが、許可無く押し入って逮捕するほどの権限であった(本来、寺や神社は寺社奉行の管轄のため、本来ならば手出しは出来ない)。
それも、町方や火盗改が江戸府内のみを管轄地としていたのに対し、関八州廻りはもし相手が府外(江戸の外)まで逃げおおせたとしても、その呼び名の通り、関東八州(相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野の計八国の意)すべてという、広域に亘る管轄のおかげで、執拗な追跡を続行できた。
町方をあしらうことができても、火盗改を相手にしては逃げるより無く、そして何とか火盗改から逃れて府外に出られたとて、次は関八州廻りが追い迫ってくる。
ここまでの説明だけならば結局、咎人の逃げ場は無いようにも思えるかもしれない。
ところが、
この時代、なおもまだ江戸の咎人の逃げ道は用意されていた。
水戸藩(現在の茨城県の一部)と、川越藩(現在の埼玉県の一部)である。
この頃の水戸藩と川越藩は、どちらも親藩の御三家であり、水戸藩は水戸徳川家、川越藩は越前松平家が治める地であり、他の外様・譜代大名の領地とは、まさしく文字通りに格が違った。
親藩大名……つまり松平姓の大名藩や、当然ともいえるが、徳川御三家の領内だけは完全な管轄外……というよりも治外法権。他者が口を差し挟める余地など無い。
そのため、もし咎人がこうした土地へ逃げ込んでしまったなら、もうこれを追う手立ては実質、完全に失われる。
これも現代的に表現するなら国外逃亡、あるいは亡命のようなものと解釈されたい。
ゆえに、江戸で罪を犯した者はまず距離的な問題で水戸藩か川越藩を目指す。
そして大方は地理的な関係から、江戸により近い水戸藩へと逃亡した。
そう、誰もが。
だからこそ南町奉行、大場刑部は綿密に鉄正が率いる世正番らの逃走経路を封鎖することができた。
大場刑部……宗右衛門の弟でもある宗直は、宗右衛門が予想していた通り、捕らえた世正番らに対して、大番所を隠れ蓑にした凄惨な拷問を繰り返し、そのうちの幾人かから、ついに鉄正たちの今後の動きを聞き出すのに成功していたのである。
本来なら拷問自体、許可を取らねばならないのにも関わらず、宗直は無許可で、しかも公事方御定書の制定により、すでにおこなわれなくなった残虐な拷問を、現場の混乱を口実にし、用いさせた。
潰し責め(石で指を一本ずつ、潰してゆく)や、塩責め(刃物で斬り裂いた傷口に塩を擦りこむ)といった、およそ生かしておく気などさらさら無い違法な責め問いの甲斐もあり、鉄正たち世正番の残党がどこをどう逃げるつもりなのかを知ったうえで、動かせる限りの同心、与力たち、さらに彼らへ自分の懐から四百両を出して分配し、雇えるだけの岡っ引きと下っ引きを率いさせ、もはや町奉行配下と江戸町人を総動員して、水戸藩に限らず江戸中の武家屋敷への道を遮断。
そのうえで江戸を抜け出す際に通る町筋と街道にも複数の陣を敷き、確実に鉄正らを追い詰めていった。
無論、鉄正らの焦りは大きく、次々と逃げ場を失ってゆく逼迫感に、じわじわと精神の均衡を失っていき、そして、
最後には、
爆発する。
所詮、精神的には権威と力を笠に着て生きてきただけの小物でしかない鉄正は、これほどまでの窮地に陥ったことによって、ただでさえ理知的な思考など出来ないところに止めを刺され、半ば錯乱した考え……いや、それはすでに考えの体を成していなかった……単純に胸から湧き上がってくる手前勝手な思いに駆られ、ついにはその頭からすっかり逃亡の意思を捨ててしまった。
そうして、
最後に残ったのは、
恨み。
ひどく幼稚で、ひどく無思慮な答え。
とはいえ、
これだけの人員を割いてこられたのでは、どう足掻いたところで多勢に無勢。結果は火を見るよりも明らかである。
それゆえ、
矛先は自ずと決まった。
逃げる方途は無い。道はまるきり断たれている。
だとしても、何もせず追い詰められるのは我慢がならなかった。
誇りと呼ぶのも汚らわしい、単なる傲慢不遜を骨組みに仕上げられた下卑な自尊心を保つためだけに只今の現実から目を逸らし、それでいて自分たちでも嬲り殺しにできる程度の相手をと定めるや、心の内で矛先を向けたその場所へと破滅的な進撃を開始する。
大場道場。
そこへ逃げ込んだ玄馬も、女の分際で医者を名乗る身の程知らずを血祭りに上げる。
居合わせた人間がいたとしても、せいぜいが数人。それに自分の腕には自信もある。
とにかく斬り殺す。誰も彼もを。
先のことなど、もう思考しようとすらしない。
することもできなくなったのかもしれない。
そんな、
鉄正と世正番の生き残りたち。骨の髄まで狂気に染まった乱心者の一団は、
夜の闇に静まる隅田堤の下、丈の高い葦の茂みを掻き分け、少しずつ大場道場へと近づいていた。