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花畑宗右衛門 乱刃録  作者: 花街ナズナ
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羅刹鬼、眼を醒ましおり候 (3)

上総屋への押し込み強盗が決行されてまもなくのこと。

何やら、直感的に悪い予感を得た鉄正は、自分を含めて残された手勢十六名とともに本所割下水の屋敷から逃亡していた。

この場合、普通なら身の安全を考えて水戸藩の下屋敷に逃げ込むのが定石なのだが、いざ向かってみると、水戸藩や水戸藩に所縁の屋敷、それどころか、あらゆる武家屋敷へと続く道中に、何故か漏れなく捕方らが陣を敷き、完全な封鎖状態となっていたのである。

町方の陣が水戸藩の屋敷だけを見張っているのなら逃げ道もあった。

古来、(窮鳥、懐に入らば、猟師も是を撃たず)の故事を引用し、武家同士が何かと庇い合う風潮は存在した。

武士は相身互い。侍たちにとって都合の良い建前はまこと、枚挙に暇が無い。

そのためどうしても逃げ切れぬとなっても、士分の身なら、とにかく武家屋敷であれば縁も所縁も無かろうとも助けを求め、匿ってもらうという事例は比較的、よくあることであった。

もっとも、実際には自分たちの身分的優位を実感するためや、単なる町方への嫌がらせであったり、もしくは現実に家同士の利害によっておこなわれる庇い立てであり、何にしても義侠心や侍の誇りなどという建前で動いていたわけではなかったが。

さておき、

理由はどうあれ、これでは満足に逃げることも叶わぬと痺れを切らし始めた世正番らだったが、この期に及んでも鉄正の思いは別のところにあった。

これだけの状態にあって、まだどうとでも逃げる算段はつけられると、根拠の無い確信をしていた鉄正は、町方らの包囲網などより、ただこのまま手も虚しく敗走するのが何より我慢がならなかったのである。

それゆえに何かを、何かしらの手土産をと、思い訪れたのが、

向両国、相生町。

鈴置紅卯の宅であった。

「こら、さっさと歩けっ!」

言われ、背中を押された紅卯は玄関先の板間へ倒れ込んだ。

「家人はこの女だけです。他は誰もいません」

「いや、どこに隠れているか分からん。ともかく探し続けろ!」

そう指示し、再び奥の間へと仲間を向かわせた鉄正は、じろりと床に転がった紅卯を睨んだ。

「必ず他にも協力しているやつがいるはずだ……こんな女ひとりというわけは無い」

独り言のように言いつつ、鉄正は視線を巡らし、今度は玄馬に目を向ける。

「……どこで繋がっているのか知らんが、やはり貴様が裏切り者だったか……」

「や、ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」

「この期に及んで言い訳は効かんぞ。貴様が上総屋に雇われた浪人とどこかで通じているのはもう分かっているんだ」

「……ですから、それとこれとを一緒にされても困るんですよ。俺はただ、上総屋の用心棒がどんなやつかを調べようと繋がっただけで……大体そうだとしたら何で一度目に上総屋を助けたのが花畑とかってやつで、二度目の襲撃を邪魔したのが用心棒なんです? もし俺が裏で何かしてるってんなら、一度目も二度目もあの用心棒が邪魔をしたはずじゃあないんですかい?」

玄馬は、自分の知る限りの情報を使い、どうにかうまく誤魔化そうと必死だった。

このままでは裏切り者として始末される。それをどうにか回避しようと。

ただ、玄馬にとって幸いしたのは鉄正たちがまだ上総屋の押し込みが失敗したことを知らないことであった。

厄介ではあるが、単なる勘だけで空き屋敷を出てきた世正番たちは、その辺りの事情を知らない。

加えて、英四朗との繋がりは知られてしまったが、宗右衛門との繋がりのほうはまだ知られていない。

だが因果なことに、そのまだ知られていない宗右衛門への意趣返しにと、宗右衛門が通っていることを知った世正番は、紅卯宅へ乗り込んできたのである。

「確かに……そこを考えると話が妙なところはある。が、疑わしいことには変わりが無いのだ」

「そんな……疑わしいなんて曖昧な理由で……」

「だから貴様に最後の機会をやろう」

「……は?」

何を言っているのかと玄馬が戸惑っていると、数人の仲間が倒れた紅卯を引き摺ってきた。

紅卯は寝ていたところを無理に連れてこられたのだが、これだけの状況にも関わらず怖がるどころか聞かぬ顔で、目につく世正番ひとりひとりを無言で睨みつけている。

そんな紅卯が玄馬の前に引き出されてきたのは、玄馬が当惑の声を上げてすぐのことだった。そして、

「これが最後の機会だ。この女を斬れ」

「!!」

聞いて瞬間、玄馬は困惑する。(何故そんなことを?)と。

すると、

「貴様、今まで加わった襲撃で、一度も刀を抜いていないらしいな」

「あ、そ……それは……」

「白は切れんぞ。貴様には商人どもの襲撃の際、必ず物見をつけていたからな」

「……」

この点に関しては逃げ場が無かった。まさか知らぬ間に見張られていたとは。

そうなると、どこまで知られているのかが分からなかったが、最低でも宗右衛門との繋がりまでは漏れていない。もし漏れていれば有無を言わさずもう殺されている。

「さあ、本当に潔白だというなら、あの忌々しい花畑とやらに関係していたこの女を斬れ。それが出来れば、今とりあえずは人を斬る度胸ぐらいはあると認め、貴様を信用してやろう」

無茶苦茶な理屈だった。しかし、絶対の理屈でもある。

断われば殺され、斬っても時間の問題で殺されるだろう。

実際には逃げ場など無い選択だった。

しばし、玄馬は自分のことを睨みつけてくる紅卯を見下ろし、立ち尽くす。

と、痺れを切らした鉄正が焚きつけてきた。

「……何をしている? さっさとこの女を斬れと言っておろうが。それともまさか、貴様この期に及んで怖気づいたなどと……」

そこへ、

「馬鹿を言ってもらっちゃあ困りますよ。こちとら、人斬りは始めてなんてわけじゃねえ。怖気なんぞで困ってるんじゃねえんだ……」

苦虫を噛み潰したような顔をして玄馬は言葉を割り込み、

「ならば、何故すぐに斬らぬ?」

「……悩んでんだよ……」

「……悩む?」

細かく問うてくる鉄正に苛立ちが頂点に達した。

その刹那、

「ええいっ! もう、どうでもなりやがれってんだっっ!!」

怒鳴り声を上げるや、玄馬は組んでいた腕を解くと即座に抜刀の姿勢へと入った。

転瞬、

その場に、ばっと大量の鮮血が舞う。

そしてその時にはもう玄馬の太刀は鞘に戻っていた。

鋭く振り抜いた玄馬の剣が、骨肉を斬り裂いた結果である。

ただし、

斬り裂いたのは紅卯ではなかった。

刀を抜く一瞬に玄馬はぐるりと身を捻り、前へいた紅卯の代わりとばかりに左右背後で見張っていた侍三人の胴を横薙ぎ一閃、斬り割ると、それぞれに低く呻いて崩れる侍たちには目もくれず、羽目板に身を寄り掛からせて尻餅をついている紅卯を強引に抱え上げる。

この時、玄馬は(軽っ!)と、驚きの声を胸中に響かせたが、少なくともこの紅卯の異常な軽さは、命懸けの博打に出た今となっては何より有り難いことであった。

「いいかい先生! とにかく静かに、大人しくしててくれっ!!」

決然と言うもので、何が起きたのやらと混乱する紅卯は無言でその指示に従う。

それを確認する間も惜しいと、玄馬は紅卯を左肩に担ぐや一気に玄関まで跳び駆けてゆき、閉じた板戸を蹴り開け、外に出ると脇目も振らずに一心不乱で両国橋のほうへ向かい走り出した。

すると背後から鉄正が明らかに取り乱した声で、

「玄馬、き……貴様、正気かっっ!!」

叫び掛けてきたが、もちろん玄馬は無視して両国橋に急ぐ。

三人は斬ったものの、鉄正と、残った者どもすべてとやり合えば間違い無く負ける。

大体、紅卯を担いで家から飛び出せたのも運が良かったとしか言えない。

恐らくは、さしもの鉄正もここにきて自分が心変わりを起こすとは考えていなかったせいでその隙を突けた。

なればこそ、大した手傷も負わずに逃げ出せたのだろう。

思って、玄馬は脂汗の滲んだ顔に苦笑いを浮かべる。

そう、何も無事に紅卯の宅を出られたわけではない。

自分を囲んでいた三人の屍が邪魔であったのに加え、突然のことで鉄正が露の間でも呆気に取られてくれたのが幸いし、玄関口に先回りをされることも、まともな一撃を喰うこともなかった。

が、さすがに手練れとあって、鉄正は反射的に剣を抜き放っていたのである。

その切っ先は玄馬の左脇腹を斬るに止まったが、大丈夫と言えるほど浅手でもない。

軽いといっても女ひとり。それを担いで走る体の重心が左足へ移るたび、斬られた左の脇腹が焼けるように痛んだ。

とはいえ止まれない。それどころか走る速度を落とすわけにもいかない。

自分は手負い。しかも女ひとり担いで走っている。

鉄正が本気で追ってくれば追いつかれるのは分かりきっていた。

さりながら、玄馬は初手である程度の距離を空けられれば逃げおおせると算段して、今の状況に至っている。

理由は立地。そこが何よりも重要。

向両国は当時、江戸でも指折りの繁華した土地であったため、深夜とはいえ表通りに出れば人通りも少なくない。さらに両国橋には橋番所もある。

かといって、番所に詰めている者の数や力などたかが知れているから、助けを求めてどうこうなるとも玄馬は思っていなかった。

いなかったが、期待したのは抑止力である。

人の目があるだけでも下手なことは出来なくなるし、何より宗右衛門や英四朗に繋ぎをつけるには、まず番所に転がり込むのが最善。

そう考えるからこそ、玄馬は激痛を押して両国橋を目指す。

願わくば、鉄正が追ってこないようにと。

もし追ってきていたとしても、追いつかれることだけは無いようにと。


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