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花畑宗右衛門 乱刃録  作者: 花街ナズナ
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宗右衛門、患いて候 (2)

江戸は向両国むこうりょうごくに屋敷を構える四千六百石の大身旗本、大場家は放蕩者として有名であった先々代の当主、大場久寅おおば ひさとらの乱行が元で一時は減封、果ては改易の危機にまで瀕したが、そんな父に似ず良くも悪くも知恵の働いた息子、久宗ひさむねは老いて力の衰えた父をすぐさま当主の座から引き摺り下ろすと、まさしく八方に手を尽くした政治的対人工作……平たく言うところの接待や付け届け、贈賄などを、財を惜しまず巧みに繰り返し、ついには無役を脱して南町奉行の職を与えられることと相成った。

ただ、こうした手立ては当時の武家社会の慣習からすれば、ごく当たり前であったということを、御心置き願いたい。

今も昔も、立場は金で買えるのである。

が、不運にも任へ就く予定わずか八日前のこと。久宗はそれまでの過剰な心労からか突然昏倒して中気病みとなり、急ぎ後任を決めなくてはならなくなったのである。

とはいえ、これまでに掛けた多くの出費や苦労を考えれば、久宗は自分の手柄を他人になど手渡したくはなかった。少なくとも赤の他人などには。

そこで己が腹心たる奥田清兵衛おくだ せいべえに命じ、自分が当主の座を退く代わり、次の当主が自分に代わって奉行職へ任ぜられるように根回しをさせ、見事にこれを成功させるに至った。

されど一難去ってまた一難。それこそが人生なのか。久宗は病の床にありながらまだ気を休めることすらままならない。

問題となったのは、やはりというべきか後継者についてであった。

久宗には子が二人いた。揃って男子が。そしてそこが何よりの問題となる。

二十三年前に病没した前妻との間に生まれた長男、久長ひさながと、喪も明けぬうちに再婚した後妻との間に生まれた次男、宗直むねなお

長幼の序。前妻の子と後妻の子。こうした王道に沿えば、考えるまでもなく跡継ぎは長男の久長と決まっている。

ところが、家中は揉めに揉めた。

理由は皮肉にも、隠居の身に押しやったはずの久宗が父、久寅の介入。

当主の座を追われた恨み冷めやらぬ久寅は狡猾にも長男、久長を推挙するとともに、その後見を名乗り出たせいで家臣たちへ混乱を招くことになったのである。

久寅は生まれながらにして権力への固執が過ぎる性格であり、それゆえ本来ならとうの昔に息子の久宗へ家督を譲るべきところを、ずるずると六十の齢を越えるまで当主の座に留まり続けたがため、大場家の家臣団は久寅派と久宗派に割れ、その不自然な力関係が大場家に要らざる騒動のきっかけを生むこととなった。

長らく久寅に仕え、久長側に付く古参の家臣たち。

久寅の勝手気ままな振る舞いで、御家の財政が傾いたことに辟易して憤懣すら抱き、

当て付けの意味から宗直側に付く若手の家臣たち。

無論、久宗はかかる事態に次男の宗直を推すより手立てが無かったが、それがより、御家の家督争いを紛糾させる一因ともなった。

双方は、揃って互いの担ぐ次期当主の後ろ盾……つまりは久寅と久宗に対する陰口を囁き合い、その下卑た様はとても大身旗本の家中とは思えぬ醜悪さであったと、後に久宗の腹心、清右衛は語っている。

やれ、久長派は「先の奥方の喪も明けぬうち後妻を娶るような御仁が推すようでは、後妻の子たるを差し引いても、やはり家督を継ぐには相応しからず」とか。

やれ、宗直派は「遊興三昧で御家を傾けた先々代が推すようでは、いかに正室の長子といえども軽々には支持出来ぬ」とか。

何にしても、この一件における最大の被害者は長男の久長であろう。

祖父の久寅が要らぬ横槍を入れ、無理くりに自分の後見だなどと名乗り出なければ、

黙っていても家督は久長が継ぐことになっていた。

それを、家臣たちの不和を利用して騒動を巻き起こし、己が権勢を今一度と年甲斐も無く企んだ久寅のせいで、とんだとばっちりを被った格好である。

ただ、原因が久寅のみかといえばそうとも言い切れない。

確かに久寅は騒動の誘因ではあったが、それよりも前の段階で大場家には少なからず火種はくすぶっていた。

礼法格式を尊ぶ武士の家、それも四千石を超える大身旗本の当主ともあろうものが、前妻の喪も明けぬ間に後妻を娶ったことは言い訳のしようも無い事実であり、この点については父、久寅と比肩するほど久宗も家臣らの忠誠を得られずにいたのである。

そこについては大場家の家臣たちも冷静で、口では後ろ盾に居座る久寅、久宗親子へ関して罵詈讒謗し合ってはいたものの、腹の内では跡目にどちらがつけば自分に有利となるか、誰もが計算高く考えていた。

ここに限って言えば彼らも久寅、久宗親子のことをとやかく言えた義理は無い。

己が今後の行き先を思うに、久長と宗直の兄弟どちらに次期当主となってもらうのが損となり、得となるかを彼らは冷静に算段していたというのは、まったくもって歴代当主も当主なら、家臣らも家臣らであろうと言えよう。

ところで、そうした算段にも要素は必要になる。平易に言えば兄弟の性質的な差異。すなわち自分が家臣となった際、兄と弟のどちらがより自分を重用してくれるだろうかという、当人たちにとっては懸命の思慮だとは思うが、要するに胸勘定である。

だが彼らとて、そう気長に構えていられる立場ではなかった。

大場家はすでに以前、久寅の乱行が元で改易寸前の窮地まで陥った過去があり、幕府の心象も極めてよろしくない。

既の事で一度は見逃されたものの、久寅の乱行に続いて今度は跡目を巡って御家騒動の一歩手前。これが表沙汰になりでもすれば、今回ばかりは良くて大幅な減封、悪くすれば間違い無く改易、断絶、取り潰し。

当たり前のことだが、大場家にあってそのような事態を望む者など居るはずも無く、それぞれに自分の利害を踏まえつつも、出来るだけ早期に跡目争いが解決してくれることを切に願っていたというのもまた、皆の一致した存念であった。

さりながら、そうした人々の思惑に沿って物事が進むほど、世の中は甘くない。

特に、その点に関しては当事者でありながら何故か蚊帳の外に置かれたふたりの存在が大きかったと言える。

言わずもがな、久宗の子にして跡目争いの渦中で翻弄される兄弟、久長と宗直。

思えば周囲がもっと彼らふたりの心情を慮っていれば、かくも後味の悪い結末は回避出来ていたかもしれない。

いや、避け得なかったろうか。

どちらにせよ、そうなる素地はあったのだ。

成るべくして成った。そう考えるのが残された人間たちにとって一等都合の良い結論だろう。

よほどの悪趣味でもない限り、自身らの行いによってひとりの人間を完全に破壊してしまった事実というのは、受け止めるに容易くない。

もちろん平気の平左で自らを悪だと認められる変わり種も一部には存在するが。

いずれにせよ、結末は変わらない。というより変えられないというべきか。

短い時間ではあったが、傍にも楽しからざる様々なやり取りを経て、大場家が至った結末はこうである。

新たに当主の座に就いたのは久宗の次男、宗直。

ならば長子たる久長は?

その理由はかくの如し。

次期当主を定めんと家中の者が議論に議論を重ねていたある日、久宗の息子、久長はにわかに病の床に伏した。

幾人かの医者にも掛かったが、病名すら分からぬまま数日を経て、それでも幸いなるかな、ようやく床上げするに至った。のだが、

家中の誰もが……特に祖父、久寅と父、久宗。そして弟である宗直はその変わり様に愕然となったという。

この件に関し、詳しい記録は幕府への事情説明と嘆願に送られた書状の内容にのみ、いくつか散見できる。

そこから引用するに、久長が家督相続を放棄し、次男宗直へ跡目を継がせたいという旨を記した部分。そこを出来得る限り平易明解な文章に訳せば、「病を得て後、長子たる久長は長年に渡り培いし知と学の悉くを失いたり。忠義の家臣らの無念や筆舌に尽くし難きものあれど、何より御家大事なれば次子たる宗直に大場家の家督を継がせ賜いたく、御願い奉り候。恐惶謹言」と、実に表面上は慇懃な説明となっているが、真実を知る人間は極めて少数であるのも確かであり、この文面をまさしく額面通りに受け止めてよいものかどうかは少なからぬ議論が必要となろう。

ともあれ、次子の宗直が次期当主となり、久長が病を得たことだけは少なくとも真実と言ってよい。

さりとて真実には種類がある。大別すれば、

偽り無き正真の真実。または必要なるがゆえに作られた真実。このふたつ。

他人事ながら果たして大場家の真実とは、どちらの真実であったのだろうか。


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