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花畑宗右衛門 乱刃録  作者: 花街ナズナ
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羅刹鬼、眼を醒ましおり候 (2)

あれから、宗右衛門は英四朗に情報収集に廻ってくれるよう頼み、長く道場で待機を続けていた。

胸の中は期待と不安の半々であったが、宗右衛門は宗直が失敗するという状況が想像できず、結局は胸を期待で膨らませ、根気よく道場で英四朗の戻りと、知らせを待ち続けていた。

時刻は丑の刻、夜八つ半。

「遅くなりました先生」

しん、と静まり返った深夜の道場に、英四朗の声が響いたのはそんな真夜中だった。

「気にしなくてもいいですよ。それより、首尾はどうだったのかな?」

稽古場に腰を下ろし、淡い灯明の光を見つめる宗右衛門が問いを発する。

「細かいことは口頭ではお聞かせいただけませんでした。代わりに、刑部様から書状を預かってきました」

「ありがとう。では、拝見させてもらいましょう」

言って、手を差し出した宗右衛門に、英四朗は懐から取り出した書状をうやうやしく宗右衛門の手に乗せた。

と、すぐに宗右衛門は書状を開き、灯明の光に映し出される一文字一文字を、丹念に読んでゆく。

急ぎの知らせだったため、書状はさほど長いものではなかったが、その内容は充分に宗右衛門を満足させる内容であった。

「……最高ですよ英四朗さん。さすが宗直。見事、図に当てたようですね」

言いながら、宗右衛門の口元が大きく歪む。

だが、英四朗は調子を変えることなく、

「で、どういった内容でしょう?」

単刀直入な質問をした。

これを、宗右衛門は恍惚とした目を英四朗に向けて答える。

「至って簡素に書いてありますが、何がどうなったかは充分に分かりました。宗直もお手柄でしたが、関井さんは一番槍の活躍ですね。連続して二度も襲撃失敗した焦りが高じた連中を関井さんが焚きつけて、上総屋に押し込みを働かせるという計画、まんまと罠に嵌まってくれましたよ。南町の月番でなかったら最悪、火盗改(火付盗賊改方)のほうに話を持っていこうかとも考えていたと書いてありますが、連中からすれば不運でしたねえ……」

「では、南町のほうで連中の捕縛に成功したということですね」

「当然です。何せ、宗直は昔から目的のためなら一切手段を選ばないという子でしたから……本来は生きたまま捕縛することを最優先するところですが、どうせ連中は簡単に口を割るはずがないと、始めから生死を問わずと捕方(十手のほかに刺股や刃挽き刀といったもので武装した捕縛人)すべてに下知したそうです。それでも結果的には全員、生きたまま捕縛できたようですよ。ただし、いつまで息が持つかは別問題ですが……今頃そこいらの自身番や大番屋なんかは地獄絵図でしょうね。まあ、相手が相手ですから、同情なんて微塵もしませんが……」

いつもの温和な口調はどこへやら。この時の宗右衛門の声からは、底知れない冷酷さと残忍さが滲んでいた。

さて、

実はあまり知られていないが、当時の奉行所は犯罪者もしくは被疑者に対して拷問や責問せめどいなど、肉体的苦痛を伴う尋問をおこなうことは極めて少なかった。

これらの尋問はそのためだけにわざわざ老中の許可を必要とするなど、その手続きが煩雑であったのも一因だが、こうした方法で自白を引き出すのは取り調べをおこなう吟味方の役人にとって不名誉と思われていた点も大きい。

言葉によってだけでは自白を引き出せないのは、自身の吟味方としての能力不足だという認識が一般的であり、名誉を重んじる武家社会においては自然、こういった考えが進み、結果的に拷問や責問がおこなわれるのは稀な事例となったのである。

しかし、何事にも抜け道はあるものだ。

正式な取り調べをおこなう奉行所ならいざ知らず、逆に現場での対応をする番所などでは、上からの目が届かないことを利用した拷問が黙認されていた。

そのため、被疑者の立場からすると番所から奉行所へ移送されるまでは、生き地獄と喩えても言い過ぎではない。

それどころか、奉行所への移送以前に番所での拷問によって死亡する例もある。

ただし、報告としてはあくまで(拷問による死亡でなく、捕縛の際に負った傷によるもの)とされていたが。

「しかしやはりしぶといというか……なかなか潰しきれないですね。書状によると、捕らえた連中の人数は十二名。その中に鉄正はいなかったようで……となると、まだ首魁を含めて残り十六人……いや、勘定に入れるつもりではありませんが、この計画が成功したとなると、今度は関井さんが心配ですね……」

このことを思い、一転して宗右衛門の顔から笑みが消えた。

急の押し込みがこうも簡単に失敗したとなると、押し込みを焚き付けた当人である玄馬に、残った仲間たちから不審の目が向けられる流れは容易に想像できる。

そうなると、

「同じ水戸藩の者ならいざ知らず、関井さんは余所者……そして、今回の押し込みを嗾けた当人……嫌な予感しかしませんね……」

こういった暴力的な組織では、疑わしいというだけで即座に殺される例も珍しいことではない。

特に被害が大きかった場合は、不満や非難の対象となり、憂さ晴らしのための私刑にかけられる可能性は極めて高い。

そうして考えを巡らせているところへ、

「……ところで先生」

反転し、顔に不安の色を浮かべる宗右衛門に、恐れながらと英四朗が声を掛けた。

「口止めされていたのでお話ししていなかったのですが、実は押し込みへの待ち伏せと同時に、世正番が根城にしている空き屋敷へ押し入る計画だったんですが……」

「……!」

聞いた途端、

宗右衛門はすぐさますべてを察して英四朗を睨み据える。

確かにその二段構えなら連中を取り逃す可能性は低くなるのは確かだろう。

が、問題はやはり玄馬。

根城に踏み込まれれば、真っ先に疑いの目は玄馬に向かう。

そうでなくとも捕物の最中は場が混乱する。

間違って捕われるだけならいいが、万が一にも勢いで命を奪われたりしないとは言い切れない。

落胆し、宗右衛門は視線を落とした。

ところが、

「すみません……先生の憤りはお察しいたします。ですがそれどころでは……」

「……それどころでは……?」

「はい……それが、報告を受けていた屋敷へ捕方が踏み込んだところ、中はもぬけの殻だったそうで……」

瞬間、宗右衛門は愕然として絶句する。

胸騒ぎに息は詰まり、悪い予感だけがいつまでも頭の中を駆け巡った。


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