玄馬、矢庭に失礼をば致し候 (3)
「あ……すみません先生。まさか道場で寝ておられるとは思いませんで……」
「いいんですよ。しかし何か悪い予感がしたもので、道場で横になっていたのは正解でしたね。英四朗さんも、ここに来て随分と丸くなってくれたと思ってましたが、やはりそうそう癖というのは抜けませんか……まあ、血気盛んなだけなら別にいいんですけど、やたらに腰のを抜こうとするのは感心しませんよ? いつも言ってますが、命懸けの斬り合いなんていうものは、単なる暇潰しでやるようなことじゃありませんからね」
「……確かに、只今のは明らかに短慮が過ぎました。やはり私もまだまだ修行が足りないようで……」
苦しげに言い、稽古場の隅から起き出してきた人影に頭を下げる英四朗を見ながら、玄馬は何が起きたのやら、いまいち理解出来ずにいた。
しかし、玄馬が頭を悩ませているのを知ってか知らずか、人影はいつの間にか立ち上がり、すたすたとふたりのところまで歩いてくる。
説明の必要も無いと思うが、この人影はまさしく宗右衛門であった。
眠たげな顔を隠しもせず、しきりに体のあちこちを懐へと突っ込んだ右手でこすりながら、ふたりの横に腰を落とす。
「それにしても寒いですね……やはりこの時期に稽古場で寝るのは大儀です。下手をしたら凍死してたかも……」
「ならせめて布団を持ってきて寝てればよかったじゃないですか。なんでそんな薄着で寝たりするんです。凍死は言い過ぎだとしても、風邪くらいは引いてしまうでしょうに……もっとお体を大事にしてもらわないと弟子の私が困りますよ」
「そうは言ってもさ……布団で寝てたらさすがに英四朗さん気付くでしょ? それじゃ私が恰好よく登場する舞台が……」
「……自分が恰好つけたいがためだけに、そんなことやってたんですか……」
呆れる英四朗と、どこか不満そうな顔をする宗右衛門を見ながら、玄馬は少なからず混乱していた。
この道場のことは、実は訪れる前から話に聞いている。
近所の農民や町人といった人々からは竹光を下げた妙な侍として知られ、他の侍たちからは武士の面汚しだと唾棄される名ばかりの道場主にして『花畑』と徒名される素浪人。
そんな男の道場に連れてきた時点で玄馬は英四朗が何を考え、そして何者なのか興味が湧いたが、まさかその道場の主本人が登場してくるとは夢にも思っていなかった。
さて、そうした玄馬の心情も知らず、宗右衛門は一方的に話を切り出す。
「ところで今晩、上総屋さんを襲った四人の侍……貴方を含めれば五人ですが、一体どういったわけで上総屋さんを狙ったんでしょう。さほど日を置かずに二度目の襲撃となると、もはやただの辻斬りではなく完全に相手が上総屋さんだからという理由で襲ったとしか考えられませんが……」
「ちょ、ちょっと待てよ……何でおたく、上総屋が俺を含めて五人に襲われたなんてこと知ってんだ?」
「簡単ですよ。貴方と英四朗さんの話を聞いていたら、『五人掛かりで襲ってきた』と英四朗さんが言っていたのを聞いたんです。私、こう見えても地獄耳でしてね」
「……だが、それだけじゃあ英四朗さんを俺たちが襲ったのは分かっても、上総屋を襲ったことまでは分からないはずだろ。どうしてそこも知ってたんだよ」
「それも簡単。私が色宮さんに上総屋さんの用心棒になるよう指示をしたからです。用心棒なら一緒に行動します。そこで襲われたとなれば、まさか英四朗さんを狙ってということは無いでしょうから、狙われたのは上総屋さんだと考えるのが自然ですし道理でしょう」
一瞬、玄馬は絶句した。
予想外の伏兵の存在と、その行動を聞いて。
これだけのことをさも当然といった顔で言う宗右衛門に、玄馬は世間の噂がどれだけ当てにならないかを思い知らされた。
この宗右衛門という男、少なくとも世間で言われているような人物ではない。
思って、玄馬は心積もりを改め、宗右衛門と向き合って話し出した。
「……なるほど、理屈だな。しかしそこまで頭が回るなら、俺から聞かなくったって目星はついてんじゃねえのかい?」
「そんなものはただの当て推量でしかないでしょう。そういう不確かなものはいくら集めたって『そうかもしれない』で終わりです。私が知りたいのは事実だけ。その他のことに興味は無いんです」
斬り込んでくるような宗右衛門の問いに、さしもの玄馬も一旦、口を閉ざす。
宗右衛門の腹の中が分からない以上、下手なことを話せば色々と面倒になる。
要らざる危険を冒すのは愚の骨頂。
そこで玄馬は宗右衛門の出方を窺った。
「話すとまずいことですか?」
「……」
「話すことで、貴方かその他の人に危険が及ぶ可能性がある……と?」
「……さあて……」
はぐらかす玄馬の態度を見つつ、宗右衛門はしばし押し黙って何やら考え込む。
大した時間ではなかったが、その間に玄馬は胃がしくしく痛むのを存分に味わった。
結果、
ふっ、と勢いをつけた息をひとつつき、宗右衛門はごく平然とした顔で玄馬に言う。
「……まあ無理に聞こうと思いませんよ。お互い立場というものが違いますからね。そうまで聞かれたくないことだったのでしたら、もう忘れてください。私もこれ以上は聞きません」
この言葉に、玄馬は戦慄する。
恐らく……いや、ほぼ間違い無く宗右衛門は上総屋に関する件から手を引くつもりはないだろう。
それどころか、自分の弟子をその用心棒にしてまで探りを入れている。
絶対に引くわけがない。
だとすれば、
あえて危険を冒すべきかもしれない。
宗右衛門と英四朗。どちらも意味は違えど尋常ではない。
ならば賭ける価値はあるかもしれない。
思い、考え、悩み抜いた挙句、
口を開いた。
「……世正番って、聞いたことあるかい……?」
つぶやくように言ったのを聞き、宗右衛門は即座、
「知ってますよ」
何事も無いといった風でそういうと、すぐさま言葉を継ぎ、
「何せ、私たちが追っているのはその連中なんですからね」
言いながら、じっと玄馬の瞳を覗きこんだ。
それから、
玄馬は暁七つ半を過ぎた頃、大場道場を辞した。
その足で玄馬は本所割下水の、とある御家人屋敷に向かう。
本所割下水の近辺は禄高の低い旗本、御家人などの屋敷が密集している。
そんな屋敷の中のひとつに、玄馬は入っていった。
そこはすでに主を失った屋敷である。
この時代、困窮してどうにもならなくなり、武家の法度に触れて御家を取り潰される御家人や旗本も少なくなかった。
そういった武士たちの屋敷は没収され、通常は門を釘で打ちつけられたり、竹矢来を張って勝手に人が入れないようにしていたのだが、その程度で入れなくなるようならこの世に泥棒などというものは存在しない。
見回りなどもされてはいたが、そう頻繁でもなく、無宿者や盗賊、素浪人などが住みつくこともままあったのである。
特に一時的なねぐらとして利用するには都合が良いので、空屋敷はよく荒らされた。
そしてここにも、そんな空き屋敷のひとつを根城にする一団がいる。
釘で打ちつけたままのように偽装し、出入り自由にした裏口を潜った玄馬はこの時刻になるまでのいきさつを自分に都合良く歪曲し、伝えるべき事実のみは包み隠さずに話していた。
「……では貴様は仲間四人が斬り倒されたというのに、恥知らずにも我ひとり逃げて帰ってきたというのか……?」
玄馬と違い、明らかに仕官していると見られる侍たちの中で、ひときわ高圧的な風貌の侍がひとり、吐き捨てるが如く玄馬に言ったものだが、
「仰ることは分かりますよ。むざむざ生き恥を晒すより、敵わぬまでも立ち向かって斬り死にするのが武士の道だろうと、そういうことでしょう。ですがね、もし俺まで死んでしまってたら、こうして事情をお知らせに来ることも出来なかったわけです。名を捨てて実を取った。それだけのことですよ」
玄馬は気にもせず、自身の身の保全に腐心する。
「とにかくまともに考えてくださいな。一気に飛び掛かった四人さん、一瞬でお陀仏ですよ。それほどの手練れを上総屋が用心棒に雇ったなんてこと、この先を考えたらどうあってもお伝えしなけりゃまずいでしょう。また襲うにせよ、襲わないにせよ、まずは敵情ってのは知っておかないと。『敵を知り、己を知らば百戦、危うからず』なんてえ言うぐらいですからね」
「むう……」
「お仲間さん四人の不幸はお悔みいたしますよ。ですがその犠牲を無駄にしないのが第一でしょう。もし私がこの情報を持ってこなかったとしたら、対策無しで襲うんですから二の舞は火を見るより明らかだ。ここはひとつ、じっくりと手立てを考えて動くのが賢明だと愚考する次第なんですが……?」
玄馬の話に、侍もようやく得心したようで、
「確かに……貴様の不名誉は覆りはせんが、持ち帰った話は確かに一聴するに値するものがあった。次はなお慎重にせねばならんな……」
言うのを聞き、玄馬は(してやったり)と腹で思いつつ、侍に頭を下げて答えた。
「その通り。鉄正様、何より大事は世正番の務めですよ……」