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花畑宗右衛門 乱刃録  作者: 花街ナズナ
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玄馬、矢庭に失礼をば致し候 (2)

四人の侍を斬り倒して後、英四朗はすぐに彦六を横山町の上総屋まで送り届けたが、その間の彦六はどうにも落ち着かぬ思いであった。

それもそのはずで、自分たちを襲った侍たちのひとり……唯一、様子を見ているだけで最後まで手出しをしてこなかった玄馬を、何故か英四朗は連れ立って、しかも自身の後ろを歩かせていたからである。

如何に英四朗の腕が確かだと分かっていても、背後から突然に斬りつけられたらと、彦六の心中はとても穏やかではいられなかった。

実際、ふと背後を見た時、玄馬は月明りで光る眼を英四朗の背へ釘付けて、いつ隙が生じるやと、耽々として凶刃を振るう機会を窺っていたために、英四朗だけが頼りの彦六は気が気で無かったのも無理からぬ。

しかし、そんな心配も最後には杞憂で終わった。

店の前へ到着するまで結局、英四朗は一切の隙を見せず、背後にいた玄馬も横山町へ着いた時点ではもう完全に不意打ちをしようという気も失せていたらしい。

思えば、これも英四朗の策だったともいえる。

わざと相手に(隙があれば、いつでも来い)という姿勢を見せたまま、最後まで隙の欠片も見せなかった。

この時点でどの程度、玄馬に対抗心が残っていたかは不明であるが、少なくともこの(我慢比べ)を制した段階で、もはや玄馬には英四朗へ抵抗を試みようかという意思は無くなっていたと見ていいだろう。

それから、彦六は店に着いたところで英四朗に深々と頭を下げるや、懐中から与市を取り出して中から小判四枚と一朱金二枚を抜き出すと、「それでは、これはお約束の代金で……」と差し出し、これを英四朗が「確かに。頂戴いたします」と言って受け取ったのを見、ようやっと安堵の息をついて店の中へと姿を消した。

ゆえにこの先のことは彦六の知るところではない。

ここからは英四朗の独断による行動である。

思うところあり、彼は玄馬を大場道場まで連れてゆくことにした。

理由は様々あるのだが、その辺りの説明は後々、英四朗自身にしてもらおう。

そんなことで、またも英四朗は玄馬を後ろに置いて歩き始める。

横山町から隅田堤まではかなりの距離があるのだが、英四朗も玄馬も揃い健脚だったため、丑の刻、夜八つの間には道場まで辿り着いた。

「ここです。遠慮はいりませんから、どうぞ。と言っても、ここは私の宅ではないんですけどね」

言って、英四朗は開け放たれた門をくぐる。続いて玄馬も。

月明りに照らされた道場の庭は、日のある時とはまた違った風情で、まだ咲かぬ花の様子が、逆に侘びた趣を感じさせ、幽玄な空気が漂っていた。

だが、今はそんな風情に心酔している時ではない。

そこは英四朗も、付いてきた玄馬も同様の心境である。

裏には回らず、直接に道場の板戸を開けて中に入ると、板間で三十畳ほどの稽古場が真っ暗闇で静まり返っていた。

そんな稽古場を興味深そうに玄馬が闇にまだ慣れぬ目できょろきょろと見ていると、英四朗はその間に稽古場の各所に置かれた灯明台に火を灯している。

さらに隅のほうから何やら持ち出してくると、ほぼ稽古場の中央辺りで、

「さて、では積もる話と参りましょうか」

言うや英四朗はその場へ、どっかりと腰を下ろし、あぐらをかいて持ってきた物を床に並べていった。

見れば、酒瓶と茶碗がふたつ。

これには玄馬も嬉々として、揉み手をしながら近づいてゆく。

「おっ、気が利いてるねえ。女っ気が無いのがちと寂しいが、ま、知り合った同士で差し差されつってのも……おっと、勘繰りなさんなよ。刺すの刺さねえのといって、いきなり引っこ抜いて、ぶすりとかは勘弁だぜ?」

「……その気があれば、もうとっくにそうしてます。いいですから、ともかく座って下さい。道場で立ち話なんていうのは昼間にやることですよ」

「おたくはどうも話の調子が普通よか、微妙にずれる嫌いがあるみてえだなあ。調子が狂うとまでは言わねえが、こっちまで微妙に調子がずれちまう」

悪態ではないまでも、ちょっとした苦言を呈して、玄馬は英四朗の向かいに同じく、どっかと腰を据える。

すると、何も言わず英四朗は茶碗に酒瓶の中身を注ぐと、ひとつを玄馬のほうへ差し出し、もうひとつの茶碗を酒瓶の中身で満たした。

それを受け取り、玄馬は機嫌も良く茶碗を高く上げ、

「じゃあ遠慮無く、ごちになるぜ。おたくと俺の、奇妙な出会いに乾杯」

「乾杯」

言い合い、ふたり同時に、ぐっと茶碗の中身を吞み干す。

が、途端に、

「……なんだこりゃ?」

目を丸くして空けた茶碗を覗きながら言う玄馬に英四朗は一言、

「白湯です。ここは神聖なる道場ですよ。酒なんて置いてあるわけないでしょう」

さも、道理を説くように言った英四朗へ、玄馬は何とも形容し難い顔をして、

「おたく……冗談がきついのか、それとも本気なのか分からねえな……」

溜め息交じりにつぶやくと、もみあげの辺りをぽりぽりと掻いた。

ところが英四朗は至って真面目に返答する。

「本気ですよ。第一、五人掛かりで自分を襲ってきた人間と話をするのに、酒を酌み交わすほど私は豪胆じゃありません。私は底意があるから貴方をここに招いただけ。仲良くなるためでは少なくともないんです」

「堅っ苦しいねえ……それに繰り返すが、俺はおたくらには手出しをしちゃいねえ。見てただけ。完全に心を許してくれなんて無茶は言わねえけど、もうちっとくらいは穏やかな気持ちで接してくれたってよくねえか?」

「……だとしても、それは貴方が言えた立場ではないと思いますが?」

押し問答としては大人しい部類ものだったが、しばらくそんなやり取りをしたところで、玄馬は苦笑しつつ自分の頬を、ぱちんと叩き、

「……覚悟はしてたが、こりゃあ長くなるな。ま、いいさ。人と人とが分かり合う。簡単だったり難しかったり色々だ。一瞬で分かり合える時もあれば、何年も掛かる時もある。願わくば、おたくとはせめてひと晩で分かり合いたいもんだね」

そう言って姿勢を崩した。

長話は望むところと、態度で示した格好である。

それからのふたりの会話は、玄馬の予想通りひと晩を要することになるが、そのことを彼らは無論、まだ知らない。

「ところで英四朗さん。おたく二本差してはいるが、その様子からしてどうやら俺と同じく浪々の身と見えるが?」

「ええ、生まれた時からずっと浪人暮らしです。父も、祖父も、曾祖父も……もはや何代に渡って浪人暮らしか、とんと分かりませんが、未だに仕官もせずでこのように赤貧、洗うが如しの日々を気楽に生きておりますよ」

「赤貧洗うが如しの日々を気楽ときたか……しかしその様子を見るてえと、痩せ我慢で言ってるわけでもねえようだし……何かい? おたく、あの上総屋さんの用心棒以外にも何か、生計たっきの道があんのかい?」

言いつつ、玄馬は左の胸をちょいちょいと突いて見せた。ようするに金を得る手立てが何ぞあるのかということである。

「そうですね……ひと昔前のことはさておき、今は運良くここの道場で師範をやらせていただき、私ひとり食べるには困らぬ程度の心付を頂戴しています」

「へえ、そいつはうらやましい。俺もそれなりに腕にゃ覚えがあるつもりだったが、英四朗さん、おたくの手並みをひと目見て、情けねえが『負けた』と即座に悟った。なるほど、腕の差が稼ぎの差にも出るってことか……切ねえなあ……」

気落ちした(振り)をし、玄馬は天井を仰いで、ぴしゃりと己が額を叩いて見せた。

「ですが、私の見る限り玄馬さんもなかなかの腕と見ましたけどね。身を潜め、脇道から私に向けてきた剣気……思うに江戸でも百人を選り抜けば、そこに入れるくらいの実力はあると感じましたが……」

「嬉しいねえ。素直に嬉しいよ。強いお人に褒められるのはな。けど、おたくにゃあ敵わないって事実は変わらない。それだけで落ち込む理由は俺には充分さ」

そう笑って玄馬は答えた。

ところが、英四朗は真顔を崩さず、ぼそりと、

「……ただし、それは状況にもよるんじゃないですか?」

言ったのを聞き、ふと玄馬の顔に影が差す。

「所詮、強い弱いなどというのは使う得物と状況によって簡単に変わってしまいますからね。例えば関井さん、あの場で襲い掛かってきた四人、もし全員が手槍で私に向かってきていたらどうなっていたと思いますか?」

「ふむ……それはさすがにおたくでも無事じゃあ済まなかったんじゃねえかな」

「つまり、そういうことです」

「そういうこと……?」

険しさを滲ませた顔に疑問を映し、玄馬が問うと、おもむろに英四朗は空けた茶碗を音も立てずに板間へ置いて、話を続けた。

「結局、勝負というのは突き詰めてしまえば(先手勝ち)ということですよ。斬ることに比べ、突きは相対的に見て間合いが短くなる。すなわち斬るより突くほうが早く相手へ一撃を与えることができる。無論、両者の実力が同程度であると仮定して、ですが……しかし」

言葉を継ぎながら、英四朗は灯明の火に淡く照らされた己が左手をいたずらにはためかせる。

まるで、緊迫し出したこの場の空気そのものをからかうようにして。

「小柄は匕首に勝ち難く、匕首は脇差に勝ち難い。そうして、脇差は大刀、大刀は長巻、長巻は槍、槍は弓、弓は鉄砲……多分に状況も関わりますが、だとしても得物の強さには厳然とした差があるんです。それは絶望的な実力差すら覆すほどに……」

「おいおい……一体、何が言いてえんだ?」

「滑稽だということですよ。私自身も含めて、剣に拘る侍というものがね。おかげで勝たねばならぬ、生きねばならぬと思うと必然、こういう答えになってしまう……」

そこまで言って、一転、

英四朗の雰囲気が変わった。

柄に手こそ掛けてはいないが、全身から煙のように立ち上る殺気は、ほとんど目にも見えるほど強烈に、玄馬へ否が応でも戦う覚悟を強いてくる。

「勝負は常に先手勝ち……なら、相手より一瞬でも早ければいい。いえ、贅沢を言えば一瞬などではなく、もっと……もっと早く……斬れればそれでいい。それだけでもう、単純に強いということになるわけですから……」

「……だからおたく、居合を使うわけかい……」

見えざる切っ先でも突きつけられているような緊張感の中、玄馬もまた言葉を返す。

回りくどくはあったが、効果は抜群な英四朗の威圧にも屈せずに。

そう、突き詰めればそういうこと。

先に一太刀、浴びせた者が勝つ。

嫌というほど分かっている事実だけに、その緊迫の度たるや並大抵ではない。

双方ともに。

「……関井さん、貴方も恐らくは居合を使いますね。不躾ながら御流派は?」

無楽流むらくりゅうだよ。十年ばかり学んだ……」

「私は元々、我流の居合でした。が、今はこちらの先生に出逢いまして、真元流の居合を学んでおります」

「真元流……? 聞いたことが無え流派だな。それにおたく……色宮ってえくらいだから、一宮流いちみやりゅうかと思ってたよ……」

無意識、玄馬は洒落てみせたが、もちろんこの程度のことでひとたび決した場の空気が変わるわけも無し。

かといって玄馬も別にそのようなつもりで言ったわけでもない。

まさに無意識。

素が出たというだけの一言である。

「……居合抜刀術とは本来、座したまま如何に早く抜刀できるかが基礎にあります。今、双方とも完全に互いの間合いの中。もし……この状態でやり合ったら、どちらが勝つか……」

この言に、その場の空気は限界まで剣呑となった。と同時、

英四朗、玄馬、どちらの手も知らぬ間に刀の柄に掛かっている。

一触即発のただならぬ状況。

すでにふたりの剣には抜刀前にもかかわらず、剣気が走り始めていた。

だが、その時、

「……駄目ですよ英四朗さん。それに玄馬さんとかも……」

突然、稽古場の隅から聞こえてきた声にふたりが同時に視線を向ける。

と、そこにはふたりに背を向け、床板へ直に寝転んだ男の姿があった。

「短慮はいけません短慮は。それに、稽古場で斬り合いなんぞして血なんか流された日には、掃除が大変です……」


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