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花畑宗右衛門 乱刃録  作者: 花街ナズナ
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英四朗、罷り越しまして候 (7)

英四朗が懐から取り出した火打ち石で文机の上にあった灯明に火をつけ、室内を淡く照らし出した頃、

彦六はようやく落ち着きと声を取り戻していた。

「いやあ……素晴らしいものを見せていただきました。私は剣術はいたしませんが、いくつかの剣術道場に知り合いもおりまして、何度か見学をさせていただいたこともございますが……や、色宮先生ほどの技は目にしたことがございません。まさか剣をあそこまで素早く操ることが出来るものなのかと、最初は何が起きたのかすら分かりませんでした」

「そう褒められるとさすがに照れますね。実は夕闇の暗さで誤魔化していたところが大きいんですが、でもとにかく合格をいただけて良かったです」

「それはあそこまでの腕前を見せられたのでは、御雇いしないなど有り得ませんよ。まことに、さすが花畑様のお弟子様。これだけの方を市中に埋もれさせているとは、当世は目の利かぬ人の何と多いことでしょうか……」

この手放しの褒め言葉に、英四朗はこそばゆい思いであったが、言った本人の彦六は世辞など抜きに本気でそう思っていたのである。

世が世なら疑い無く栄達の道もあったはずが、神業だと言っても差し支えない技量を持っているにも関わらず、仕官の口さえ無く浪々の身とは。

この世の理不尽に怒りすら覚えた。が、

商人としての彦六は、だからこそこれだけの人を自分が雇えるという喜びもあって、何とも複雑な心境である。

そんなわけで、

商人たる彦六の意志が、まずは優先すべきことを済ませろと胸の中でささやくのを、真摯に実行し始めた。

「それで……早速にこのようなお話をするのも無粋で申し訳無いのですが、色宮様に用心棒をしていただくに当たり、如何ほどお礼を差し上げればよろしいかを決めたいと思いまして……」

「あ、言われればその通りですね。こうしたことは後になって無用な面倒が起きないように、きちんと決めておくべきでしょう」

言って、腕を組み考え込む英四朗の様子を見ながら、彦六は彦六でいくらが妥当かの算段をする。

当時、用心棒は主に博徒などが雇う例がほとんどで、商人が雇い入れることなど普通は考えられなかった。

大抵の騒動は同心や御用聞き……いわゆる岡っ引きなどに付け届けをすることで解決できたからというのが最大の理由だが、何事も例外があるのは御承知の通りである。

騒動に武家が絡んできた場合、町方(町奉行とその支配)には手の出しようが無い。

こういう場合はある程度までは泣き寝入りするか、相手の武家に高額の袖の下を渡すより解決の手立ては無いに等しかった。

泣き寝入りの場合は相手がどういった無法を働いてくるかで被害金額が変わってくるが、袖の下と同様、相手に分別が無かった場合は店を畳むことにすらなる。

その辺りの危険性を考慮すれば、侍を恐れない無頼の徒を用心棒に雇うやり方は、時として効果的な部分もあった。

ただ継続的にこうした人間を雇うことは店の評判にも関わるうえ、逆に雇った用心棒に足許を見られて身代を潰される可能性もあり、どちらにしても性質の悪い者に目を付けられることは相手の身分に関係無く、最後に待っているのは身の破滅だけというのが現実である。

だからこそ、こういった危険を回避するために商人は大名家や旗本などへ様々な配慮をし、敵対されないよう細心の注意を払っていた。

しかしどんなに注意をしても、前述したように相手が無分別ならもう手の施しようがない。

理屈や道理を持たない相手へまともに対抗する手段など存在しないのだ。

と、絶望的な話はこの辺りにし、用心棒に対する謝礼について話を戻そう。

すでに書いたが、用心棒は通常、博徒などの無法者に雇われるのが常であったため、定まった謝礼の相場というものが無い。それだけに商人などが雇う場合は稀だったのだろう。

さりとて今、彦六は現実に英四朗を雇う必要に迫られている。

だが、不幸中の幸いは彦六にもあった。それは、

雇おうとしている相手が英四朗だったということに他ならない。

「すいません。ちょっとお聞きしたいんですが」

「え、はい、何でございましょう?」

「そちらの……上総屋さんで働いてらっしゃる手代さん……いや、番頭さんの賃金は如何ほどで?」

「……は?」

「日割りだと如何ほどでしょう。百文から二百文かと思いますが?」

「そう……でございますね。手前のところの番頭ですと、日で割りましたなら賃金は一朱ほどになりますが……それが何か?」

「いえ、用心棒代をいくらと見積もるかの基準として聞いてみたんですよ。番頭さんで一日の賃金が一朱……失礼ながら、商人の方はもっと安く奉公させているものかと思ってましたが、結構な賃金をお出しになってるんですね。となると……」

言い止し、英四朗は唇を指でとんとんと叩きながら少し考え込むと、

ひとり、納得したように小さくうなずいて言った。

「日に二朱ではどうですか?」

この金額を聞き、彦六が驚いたのは当然だろう。

確かに用心棒の謝礼に相場は無いが、それでも相当に高い確率で命懸けになる仕事。

まず考えて普通なら一分から二分は要求しても不思議ではない。

それどころか、下手をすれば日に一両なども充分に有り得る。相場が無いというのはそういうものだ。

ところが英四朗の要求は二朱。

これも普通の職で得られる賃金から比べれば充分大金ではあるが、命と釣り合わせるにはあまりにも軽すぎる。だけに、彦六の驚きは大きかったのだ。

「……に、二朱……で、よろしいんですか?」

「番頭さんの賃金と同額でも貰い過ぎの感はあるんですが、いかんせん命懸けになる可能性もある仕事ですので、単純に倍といったところが妥当な線かと。あ、ちなみに二朱は見張り賃です。もし何者かに襲われた場合、ひとりにつき一両。こちらは正式な用心棒代として。ただし相手が手出しせず逃げた場合は請求しません。斬り伏せた時点でひとりにつき一両を課金するとお考え願います。加えて、もしも貴方が手傷を負った場合、これは用心棒としての務めを果たせなかったということで、以後は何人斬ろうと見張り賃の二朱以外要求いたしません。このような条件でいかがですか?」

当たり前のことながら、これほどの好条件を出されて断る手は無い。

本来ならここに値切る工程が加わるものなのだが、もしこれで手を打たずに値切り、用心棒を断られでもしたら目も当てられない。

結局、彦六は英四朗の出した条件を全面的に呑んで契約成立となった。

「……承知をいたしました……では、早速で申し訳ございませんが、今日からでもお勤めをお願い申し上げます……」

言うとひとつ頭を下げ、彦六は懐から与市(財布の意)を取り出すと、今日の賃金をと一朱金二枚を取り出して英四朗に渡そうとした。のだが、

「まだ結構です」

一言、はっきりとそう英四朗が言うのを聞いて、与市の中に手を突っ込んだまま彦六は、きょとんとして英四朗に視線を向ける。

「用心棒は斬り死にすればいくらいただいても無駄銭です。あの世まで金を持ってはいけません。そんな無駄を防ぐためにも、謝礼は後払いでお願いします」

この言葉に、彦六も至極納得した。

言う通り、もし死んで懐に金が入っていたら、それは自分と英四朗以外の誰かの手に渡るだけのこと。

最悪なのは奉行所が召し上げて、最終的に御上のものになるという流れもある。

考えれば何とも馬鹿馬鹿しい。

得心し、彦六は深くうなずいて与市を懐に戻した。

何とも言えず気分が良い。

商人としての彦六は、かなり前の段階で英四朗を掘り出し(者)だと感じていたが、予想以上である。

(これは大層な買い物ができた)と、嫌でも彦六の頬が緩む。

込み上げてくる笑いを英四朗には見せまいと、彦六は顔を伏せ、己が頬をひとしきりつねり上げた。

そして同時刻、

持ち出してきた行燈に火を灯して、暗い寝室でふたり暇を持て余し、宗右衛門がまた『梅は咲いたか』を唄ったりしていたが、

「山吹ゃ浮気ぃでぇ♪」

「……合いの手は入れないよ……」

「色ばっかりぃー、しょんがいぃーなぁー♪」

呆れつ聞いていた紅卯は、ふと微睡んだ際、不意に浮かんだ疑問を宗右衛門に問う。

興味は特にあるわけでもなかったが、宗右衛門のやかましい唄を止めるのには、話し掛けるのが一番だと思っての窮余の策である。

「……そういえば、宗右衛門さん……」

「なあにぃ? せんせえ」

「思ったんだが……あの彦六とかいう商人を助けるのに辻斬り三人を相手にしたようだが……あんた、その三人は一体どうしたんだ……?」

「どぉしたってぇ言ってもお、もう覚えてやないですけどもお?」

宗右衛門は答えたが、すでに紅卯は知らぬ間、布団にもたれて寝息を立てていた。

気付けば時は宵五つ。

外はすっかり夜の帳が下りている。


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