第六話 「永田町=現実対応 9月6日―Day+5」
※ この物語はフィクションです。実在の人物・団体・国家などとは一切関係ありません。
また、本作は娯楽を唯一の目的としています。
――西暦201X年9月6日 日本列島 首都東京 永田町 国会議事堂
「おめでとう。鬼怒川君。」
「ありがとうございます。閣下。」
防衛省統合幕僚監部付の無任所武官である 鬼怒川洋介一等海佐は背筋を伸ばして軽く一礼した。
相手である内閣情報センター長 渡良瀬敬三はああそのまま、と軽く手で制した。
「高い代償を払ったが、これでようやく反撃が開始できる。」
「本当に、現場にはずいぶん待たせてしまいました。」
「70年以上も、な。」
渡良瀬の目に剣呑な光が宿った。
鬼怒川は、「きた」と思った。
この渡良瀬は、40代半ばで内閣情報センター長という要職にある「政治家」だ。
民自党に合流する以前は、今はなき改進党にいたのだが、その頃から比較的タカ派な政治家として知られている。
自衛官――いやいや軍人である鬼怒川からみればいささか空想じみたといえる程度に。
そんな彼を心配してか、現在の海辺首相は彼を徹底して現実に向き合わせる内閣情報センターの長に抜擢したのだが、鬼怒川のみるところ、彼はその剣呑さに磨きをかけたようだった。
「これで、我が国と米軍の、例の協定は発効することになるな。」
「はい。」
「か・・・いやマルニの所有に至る道は開かれた。予定は?」
「すでに準備は完了しつつあります。3日以内に初号弾の実験が可能となります。ですが――」
「わかっている。ガン・アセンブリ型の、しかもプルトニウム型の弾頭は技術的には邪道ということはよくわかっている。だが、諸外国に意思表明を行う意味ではこの一撃は歴史を変えるだろう。」
鬼怒川は、頷くにとどめた。
同時に苦々しくも思っている。
民主主義国家においては、国民は自身の頭脳水準以上の政治家は選べない。
少なくともそう見えるものは。
そう述べた厭世家がかつていた。
まったく至言であると鬼怒川は思う。
現在の状況にしたところで、国民が自ら選んだ道を歩いてきたための苦境であるに過ぎない。
冷戦終結後、依然として軍事的・政治的緊張状態が継続していたこの極東アジアにおいて、日本国は諸外国と一定の軍事バランスを保つ努力を自ら放棄した。
だからこそ、80年代まではおとなしくしていた近隣諸国がいらぬ野心を燃やすことになったのではないのか。
景気?
うん確かに大事だろう。
景気対策に注ぎ込まれた資金について否をいうつもりはない。しかし、どこぞのなんとかセンターとかポスター代とかに10兆円を注ぎ込む前に、文書のコピー代とかトイレットペーパー代を隊員持ちにさせる異常な状況とか、官舎の耐震化にさえ事欠くような予算で保守点検を行えとするような異常な状態にもう少し目を向ける必要はなかったのか。
まあ今いっても詮無いことだが、そんな「無関心」が日本本土を軍靴で踏みにじられるという屈辱を生んでいるのに、今度は反動とばかりにまったく逆の方向へ走るとは――
戦略原潜? 原子力正規空母? 弾道ミサイル? アホか。そんな金がどこにある。
現在の予算でやれ?
冗談じゃない。そんなことをしたら我々は「戦略兵器運用公団」になってしまう。
EUみたく周囲が何十年かことによると1000年単位で恩讐の彼方に殺しあいまくった結果の理解を交わしているならその選択もあり得るだろう。
だがわが国(「この国」などと他人行儀なことを言う連中が鬼怒川は嫌いだった)の周囲はまだ冷戦中なのだ。
予算を相応に上げる?
アホか。
国家を破産させる気か?日本はレーガンかブレジネフでも必要なほど世界中に出張っているわけではないじゃあないか。
国防予算50兆円とか笑い話以前に財務官僚が市ヶ谷に殴り込みに来るぞ。百人単位で。
ああだがまぁ、受けて立つのも面白いかもしれない。
確かに奴らは「怨敵」であるのだから。
そもそも文民統制と文民専制、いやいや文民による圧制を同一視しているような世の常識が問題なのである。
いや戦後思想の一環である強烈な反軍思想の行き過ぎが問題なのであって――
「こちらが見たところ、向こうはあわてて増援を送ろうとしているようだ。」
「――でしょうね。」
いかんいかん。思考が脱線していた。
鬼怒川はあわてて渡良瀬の言葉の方向に意識を向けた。
内閣情報センターは、国内の保安関連の諸組織の一部を分離しそれにかつての内閣衛星センターを統合して設立された組織だ。
つまり、国産偵察衛星である「情報収集衛星」を運用し、その情報を分析する立場にある。
そして日米安保条約にのっとり情報提供された各種衛星写真やレーダー画像もその分析対象であった。
彼らは規模こそ諸外国に劣るものの、その観察対象を絞りつつ日本人らしい変質狂的な職人芸をもって情報分析を行っていたのである。
組織の冗長系がほとんどなくシステム的に無理が重なっているところを現場の人間に無理をおしつけているあたり、旧日本軍からまったく進歩していないともいえるが、今の状況ではそれがうまく働いているようであった。
そしてそんな変人集団が分析したところ、中国本土においてはいわゆる瀋陽軍区(東北軍区)と南京軍区の部隊が大々的に動きつつあり、また東海艦隊と北海艦隊の母港では赤外線反応が活発化しつつある。
米軍参戦前に日本本土へ増援を送り込むつもりらしい。
素直に引き上げればいいものだが、せっかく日帝を押し込んだにもかかわらず撤退するのはメンツが許さないらしい。
このあたり鬼怒川には理解し難いが、そういうものなのだと彼は納得することにしている。
語り得ぬことについては沈黙すべしと古の哲人もいっているではないか。
いや、国民感情かもしれぬな。
と、鬼怒川は思った。
わが国において、隣国の核保有要求がドミノ式に我が国の「核共同所有(N-シェアリング)」論を呼んだように、かの中国においても世論というやつは手の付けられない怪物であるらしい。
まぁ確かに、あれだけあることないこと吹き込まれていてその相手に一撃を加えられたのなら熱狂するのは当然か。
だが、何をするにも相手があることを、あの世界の中心を自称する連中は忘れているようだ。
とどのつまり、連中は「世界の中心に従うのは当然」と思っている。
だからこそこれだけ安易に武力の行使に及ぶことを求めたのだし、その内容だって「蛮族征伐」、3000年前とまったく変わっていない。
だから簡単に征服地で好き勝手できるのだ。
おかげで――こっちも対応する羽目になる。
「例の発表が行われると、退路は断たれる。彼らが自暴自棄になることも考えられるが。」
「大丈夫です。」
鬼怒川は、その一点には自信を持って言った。
「ここは日本本土です。奴らに、落とし前をつけさせてやるのに、『わが軍』と日米同盟は十分な力を持っています。」
鬼怒川は、現実主義者だった。
軍人とはすべからく現実主義者であり、逆説的な平和主義者である。
で、あるならば、彼は対応しなければならない。
アメリカ合衆国の保有する戦略原潜を「共同所有」することになる国防海軍にも。
米軍貸与と名前のラベルを張り替えた核物質を使い、かつての高速中性子炉で燃やして作り出した高純度プルトニウム239を用いて作り出した「初号弾」、それをネバダの砂漠の地下で炸裂させるという現実にも。
そして――そういった行動に今や国民の大半が快哉を叫ぶであろうという現実にも。
鬼怒川は憂鬱だった。
彼は、なぜ80年近く前に日本列島が焦土となったのか、その発端をよく知っていたからである。
というわけで、日本側の反撃準備の一幕です。
書いててこの世界の未来が心配になってきました。
【用語解説】
「鬼怒川洋介」――統合幕僚監部所属の無任所武官
という名の使い走りである一等海佐。現政権発足時に米軍との「N-シェアリング」に関する協議のために渡米し、帰国した。
「渡良瀬敬三」――若干40代である若手政治家。
タカ派。内閣情報センター長であり、その語り口と若手であるための人気はなかなかのもの。
軍備拡張を唱え、憲法改正を成し遂げて退任した前政権以上に強硬な「積極的防衛論」を持論としている。
「ガン・アセンブリ型」――二つの対象物質を円筒形の容器内の両端に配し、高性能爆薬により結合させることである反応を起こすに足る「臨界量」を達成する方式のこと。かつてはガンバレル型ともいわれた。インプロ―ジョン型といわれる別方式に比べると装置が巨大になりがちである。
「プルトニウム239」――ウラニウム238が高速中性子を吸収することで生成される。
「マルニ」――高名な物理学者仁科芳雄博士の頭文字をとったある装置の暗号名、旧日本軍のそれと基本的に同じ
「情報収集衛星」――実質的な偵察衛星。作中においてはカメラ型とレーダー型に加え、センサー型といわれる早期警戒型も登場しており、弾道ミサイル防衛に威力を発揮することを期待されていた。
しかし、震災対応に手いっぱいであったことと有形無形の妨害もあって防衛出動発令が遅れ、突発事態による弾道ミサイル迎撃は失敗に終わった。
なお、作中ではGPS衛星の補完用として準天頂衛星シリーズも実働中である。
「日帝を押し込んだ」――現在の中国国内でいわれている「名誉ある勝利」論の共通認識。
勝利の対価を認めるか完全降伏するまで戦闘を停止するべきでないという論陣が張られている。
主力部隊を派出している南京軍区や瀋陽軍区のおひざ元で過激かつ強硬であるが、北京をのぞく各地では強硬ではあるが過激ではない論調である。
しかし日本の降伏という「勝利の追及」においては一貫している。
「初号弾」――三沢基地から米国内に空輸済み。製造には青森県内に保管されていた高速中性子炉で生産された高純度プルトニウム239が用いられた。
「高速中性子炉」――通常の核反応動力炉においては、ウラン235やプルトニウム239の核分裂を促すために熱中性子炉と呼ばれる比較的低エネルギーの中性子を用いるが、対して高速中性子炉はエネルギー量の高い高速中性子をそのまま用いることで核分裂を起こさないウラン238という同位体に中性子を吸収させ、プルトニウム239に核変換する。
こうした炉を「転換炉」とも呼び、分裂する燃料であるウラン235よりも生成されるプルトニウム239の方が多い炉のことを「高速増殖炉」と呼ぶ。
作中においては高速増殖炉において純度97.5パーセント以上のプルトニウムが合計220キログラム以上製造され、保管中であった。
なお、それ以外にも純度を問わないプルトニウムについては国内に6000トンあまりが貯留されている。
また、現代の兵器級プルトニウムの臨界量は作中世界においては10キロあまりである。