第三話 「ワシントンD.C.=決断 9月4日―Day+3」
続きがかけたので投下いたします。
※ この物語はフィクションです。実在の人物・団体・国家などとは一切関係ありません。また、本作の唯一の目的は娯楽であります。
この点をご理解できる方のみ、どうぞ。
――アメリカ合衆国 首都 ワシントンD.C. ホワイトハウス 大統領執務室
「すぐに支援に動くべきです!このままではわが国との同盟が有名無実と満天下に示す以外の何も――」
「合衆国市民を日本人を守るために核の炎にさらすのか!あの同盟にただ乗りする連中には同情以上の何をくれてやるのか!?」
またか…
アメリカ合衆国国務次官補代理 フランク・J・コッペンクラークは白い目で自身の眼前で繰り広げられているこの2週間まったく変わらない問答を見つめていた。
その奥では、同じくあきれた様子で、しかしどこか面白がるような表情で彼のボスである大統領閣下がこの様子を見つつ、指でトントンとトナカイ革のデスクマットを叩いている。
どうやらご機嫌麗しからずか。とフランクは思った。
「だいたい、火事場泥棒をすぐに非難したわりに、原子力発電所攻撃のあとは沈黙するとは何事ですか!」
「仕方がないだろう!ことはデリケートだ。あの反米感情著しい場所の独立にからむ問題だぞ。
我々はイラクのように悪者になることはできんのだ!あのアジア屈指のホットスポットで・・・」
「その反米感情を放置したのはどこの誰ですか!しかも独立ですって?
住民投票をやって日本に復帰させたのは我々ですよ! 独立だなんてことを言っているのは、それこそ冷戦の遺物たちか遅れてきた帝国主義者たちだけですよ!」
言い合いをしているのは、大統領補佐官たちだった。
民間企業から抜擢され経済通として知られるふくよかな男性と、補佐官としては珍しく軍人あがりで、前職は連邦危機管理庁のナンバー2であった細身の男性である。
政権が代わると官僚やスタッフを丸ごと入れ替えてしまう合衆国としては前者こそが典型例で、後者は異端な存在であった。
よくTVドラマで描写される「ボス」は、日本のようなところでは「落下傘」あるいは「天下り」と呼ばれるような人々である。
そのため、部下になったものに舐められないようにしようとあのような態度をとるのだ。
そして、そうした人々は地位が上がるにしたがって押しが強くなる。
トップとなるとまた違うのだが、その下に侍る人々は、自我だけで全身が構築されているのではないかと思うほどだ。
フランクは、「太っちょ」と勝手に自分が呼んでいる方をちらりと覗いた。
彼からはうっすらとニンニクと油の匂いが漂ってきている。
デリバリーを頼んだわけではないことをフランクは知っていた。高級食材が醸し出す下品ではない香からすると、今日もいきつけのあの店へいったのだろう。
そういえば彼の前職は現在わが同盟国へ絶賛侵攻中のあの国へずいぶん投資をしていたはずだ。
まあ悪いことではない。かの国で日系企業が撤退しつつある市場へ再度侵攻を図り、そして成功したというのはビジネスの範疇であるからだ。
問題は、「太っちょ」自身が「あちら」に染まってしまっていることだった。
聞くに堪えない第二次世界大戦時の旧日本軍の蛮行とそれを反省しない日本人たち、安全保障条約を利用した経済的繁栄の享受、同盟国であるにも関わらず市場を開放しない…エトセトラエトセトラ…
あの国のプロパガンダに、五大湖工業地帯の老舗企業上がりらしい恨みつらみがあわさり複雑怪奇な輪舞曲を奏でている。
それに国益があわさったとき、「太っちょ」はこう判断した。
「日本人など放っておけ。少し痛い目を見ればおとなしくなる。中国は『話せる』奴らだ。」
これが「太っちょ」の言い分である。
フランクにとっては恐るべきことに、こうした意見は決して無視できるものではない。
何しろ彼の祖国において中華系の人々は無視できない数がおり、その多くは今回の戦争(「紛争」ではないと彼は判断していた)においてかの国の法律と札束によってかつての祖国になびいていた。
さらには、日本人たちが経済的繁栄を享受していた頃からくすぶっていたある種の妬みがこの数年のうちにぶり返した「無関心層」、かつて中流階級と呼ばれていた現在の貧困層予備軍にも若干の伝播をみていたらしい。
彼らは訳知り顔で「中立」を唱えていた。
ああ素晴らしきかなニュー・モンロー主義!
これに対し、フランクが「コネチカット・ヤンキー」と呼んでいる細身の男は正反対の考えを抱いているようだった。
「早く同盟国を助けろ。」
実に明瞭である。
いわく、現在の日本人が被っている悪名のいくらかは第2次世界大戦後の処理が曖昧であったことをいいことに行われたプロパガンダである。
いわく、北東アジア共通の悪役にされた日本人はそれでもかつてのように暴発しなかったではないか。
いわく、合衆国の国益に全面的に協力せよなどというのは無理なことだ。他国には他国の事情があり、その中にあってこの70年あまり日本人は協力的であった。
うん。
見まごうことなき共和党系親日派である。
ここにかの半島国家系の1世でもいたのなら口を極めて罵るだろう。
いや、殴りかかるか?
ああいけないいけない。人種的偏見はわが祖国において禁止されている。
だがまあ、この元軍人が元在日米軍の軍人として90年代前半をトウキョウで過ごしたことや、「あっち」の文化に染まっていることは気にしない方がいいのだろう。
ああくそ。
こいつらは二人とも自分の欲望に忠実なのだ。
人生という複雑怪奇な怪物を扱うのにロシア人がつくった戦車取扱い説明書程度で足りると思っているに違いない。
代わり映えのない罵りあいにシフトしそうな補佐官たちにフランクは何度目かの溜息をついた。
要するに、こうした言い合いと無味乾燥な「痛烈な非難と対話の要求」で彼らはこの2週間あまりを空費していたのだった。
そしてその間に、沖縄周辺でおさまるはずだった戦火は日本本土にまで拡大しつつある。
おそらく、この場の誰もが思っているに違いない。「なぜこんなことになってしまったのだ…」と。
「それで。」
様子を見計らっていたらしい大統領閣下が口を開いた。
「わが同盟国の状況は?」
ぴたりと言い合いはやんだ。
はい。大統領閣下。日本人たちは九州島の南部を放棄、中部のアソ火山地帯からクマモト一帯へ戦力を引き上げ、長距離砲撃と練習機までも使った航空遊撃戦で中国軍に対抗しつつあります。
と太っちょがいえば、コネチカットヤンキーは
オキナワの封鎖状態は相わからずですが、シコク沖ではヨコスカから急派された対潜部隊が順調に中国人の潜水艦を狩出しつつあります。と答えた。
経済状況はと問われれば、太っちょは、よくはありません。何しろ本土に侵攻されているのですからといった。いい気味だという表情を隠そうともしないのはいっそ清々しい。
対してコネチカットヤンキーは、日本軍はよくやっていますとこたえた。
現状日本本土の製造設備はフル稼働中で、空襲などを許してはいません。もっともこれは核兵器が使用されていないことやオキナワ封鎖のために空軍部隊がナハへ一定の圧力をかけ続けており戦力がそれほど抽出されていないこともありますが。
コネチカットヤンキーは後半は言いづらそうに言った。
それこそが、太っちょが「これは中国が全面戦争へ発展させる意図を持っていないという意思表示です」という理由であったからだった。
「なるほど。」
大統領閣下は静かに頷いた。
しばらく周囲が静かになる。
「閣下。」
フランクは、自然と口を開いた。
ここで終わってしまっていては、この2週間の繰り返しになってしまう。
「わが国は、真珠湾を忘れたのですか?」
ぎょっとした様子で補佐官たちがフランクの方を向いた。
それは、フランクが先ほど面会した日本大使館つきの武官が吐き捨てた台詞だった。
その言葉を自分が口にしたとき、フランクは胃の腑に熱い拳が叩き込まれたような気分になった。
大統領閣下は、一瞬だけ目を見開いた後、瞑目した。
ゴクリ。と誰ともなしに唾をのむ音が大統領執務室に響く。
「真珠湾を忘れるな。か。」
大統領閣下は、ぽつりと呟いた。
「そうだな。『真珠湾を忘れるな』だ。」
合衆国の方針は、こうして決した。
――アメリカ合衆国にとっても、日本本土侵攻作戦は予想外の出来事だった。
日本で発生した大地震に際し同盟国として救援を行うということは即座に決断できた。
しかし、次代の超大国となる意思をあらわにしていた中国に対しいかにあたるかは今世紀初頭以来の懸案であったし、同盟国でありながらもしばしば経済的敵国ですらあった日本にあたる方針がその懸案に振り回されていたこともまた事実であった。
そのため、これまではどちらもないがしろにせず、対等に扱うという玉虫色の解決策がとられていたのであるが、日中間の武力衝突はアメリカにそのツケを払わせようとしていたのである。
要は、
「日本と中国、どちらをとるか?」
という問題である。
あるいは、「日本人のために血を流す意味はあるのか?中国の恨みを買う意味はあるのか?」と言い換えることもできる。
日本は、深刻な社会問題への対策が一段落したとはいえ再びアメリカの経済的・軍事的脅威になる可能性は低い。
対して中国の伸び代はけた外れに大きい。であるなら、後者をとりたくなるのは自然であろう。
そして、中国側は「独立」というある種の正義に国連憲章の旧敵国条項という錦の御旗まで振りかざしてきた。
これに、アメリカ本土への核による報復という現実的な脅威があわさったとき、アメリカは逡巡せざるを得なかったのである。
だが、中国人は忘れていた。
アメリカ人は「正義」が何よりも大好きな国民である。
そして同時に、アメリカ人は「自身の正義」が否定されるのが何よりも嫌いな国民であるということを。
【用語解説】
「大統領執務室」――読んで字のごとく、アメリカ合衆国大統領が執務をする部屋のこと。ホワイトハウス本館に接続するウェストウィング(西翼)に存在し、地下には核シェルターである「大統領危機管理センター」がある。
本来は国家の緊急事態や戦争などの事案に関しては地下の「シチュエーションルーム」で検討されるのが常であるが、作中においてはシチュエーションルームを使用しておらず日中間の武力衝突に対する米国政府の逡巡があらわれている。
あくまでも通常執務の一環として情勢を見守るというのが冒頭時点での態度であった。
「合衆国大統領」――第45代アメリカ合衆国大統領。可もなく不可もなくといった評価を受けているが、景気の一段落に伴い国防力の強化と同盟国同士の連携を重視し世界戦略を再構築する必要性に迫られているという状況において指導力が試される指導者でもある。
なお、彼が指で叩いていたトナカイ革のデスクマットはアラスカで彼が撃ったそれをなめしたもので、彼の私物である。
「国務次官補代理」――アメリカにおいて、国務次官などの官僚たちは政権交代によって容易に入れ替わる。そのため実質的に生え抜きの官僚や実力者は「代理」や「次官補」などの補佐職についていることが多い。
なんでもトップがやろうとすると過労死してしまう激務であることも理由のひとつである。
「フランク・J・コッペンクラーク」――国務次官補代理。スウェーデン系移民の家に生まれる。生家はニューイングランド州。
いわゆる名門の出であるが、生え抜きのWASPとは違い比較的自由に育った。
4歳のときに貿易代表部に勤務していた両親とともに日本に渡り、インターナショナルスクールで幼少時代を過ごす。
彼自身はいわゆる日本趣味とは一線を引いているつもりではあるが、嗜好などはちゃっかり染まっている。
いわゆる知日派といわれるが傾倒するほどではないため、国務省内の伝統的な親中派にもそれほど嫌悪されていない。
このまま無難に勤め上げてその後シンクタンクなどに天下り(アメリカにおいては人材プールの役目を果たす)する予定だったが…
「太っちょ」――名前のないかわいそうな人その1
五大湖沿岸の某都市に本拠をかまえる自動車メーカーの経営不振にともない若くして抜擢され、経営を立て直した辣腕家。
その後、現政権のスタッフとなったためロバート・マクナマラとよく比較されるが、本人は秀才どまりのためひそかなコンプレックスになっているらしい。
もっともこれは比較対象が悪く、普通に有能な人であることに疑いはない。
「コネチカット・ヤンキー」――名前のないかわいそうな人その2
その名の通り、コネチカット州出身の官僚。彼はフランクと違って北米大陸育ちである。
いまどき珍しく農場育ちから学業に励み、海軍士官として身を立てた。彼が趣味的な意味で狂いはじめたのは、第七艦隊所属の航空士官として横須賀に赴任したためである。
もっとも、彼と同様の士官は他にも数多く存在し、米軍全体での親日的傾向を生み出しているためそれほど問題ではない。
20世紀末に日本で多発した災害を実体験したため、連邦危機管理庁への出向を二つ返事で引き受け、メキシコ湾岸でのハリケーン被害や中西部の竜巻被害の対策に尽力していた。
なぜ彼が「太っちょ」と論戦しているかというと、日中間の武力衝突に外交介入しようとした米政府に対し、中国が核による報復を仄めかしたためでもある。
「ロシア人の戦車取扱い説明書」――エスニックジョークのひとつ。いわく、
『第二次大戦中のソ連兵が戦車に乗り組むことになり、取扱説明書として1枚の紙を渡された。そこにはこうあった。「1、我が国の技術を信じよ」「2、不安になったら1を読め」』
要するに、そういうことである。
「九州情勢」――上陸後3日が経過。上陸初日に戦車部隊による海岸橋頭堡強襲が実施され、中国軍上陸部隊は少なからぬ損害を受けた。
その代償として戦車部隊は半壊するも、えびの市方面への撤収に成功している。現在鹿児島県全域と宮崎県・熊本県の一部が中国軍の占領下にあり、特別非常事態宣言により避難が実施された市街地や逃げ遅れた人々に何が起こっているのかはお察しください。
現在、霧島山方面に展開していた国防軍部隊は阿蘇山周辺から熊本方面に防衛線を構築。3個師団と2個特科団が抵抗を継続し、閉鎖されている地方空港を利用して練習機改造の軽攻撃機やかき集められた特科部隊がゲリラ的に上陸部隊を攻撃している。
どういうわけか海軍部隊による本格的な攻撃は起こっておらず、中国側は日本側の震災被害が予想以上に深刻であると判断していた。
そのため、首都東京においては大規模な反戦デモが「企画」されつつある。
「全面戦争を望んでいない」――戦争ははじめることは簡単であるが終わらせることは難しい。そのため、日中ともに米国への接触が行われておりその中で伝えられた内容と思われる。
中国側の要求は沖縄本島の米軍基地はある程度認める中での琉球独立で、そのために米国側も態度を決めかねていた。
「アメリカの正義」――この場合においては、旧日本軍による卑劣なだまし討ちを受けて立ち勝利をおさめ、そして「東アジアに平和を回復した」こと。ヴェトナム戦争というぬぐい難いトラウマを抱える米国にとって、第二次世界大戦は神聖化されるきらいがある。
時間の経過とともに負の面も見直されつつあるが、現在の平和を作った大きな一因として自らをたのむということにおいては疑うものはほとんどいない。
「真珠湾を忘れるな」――米国史上で最も有名なスローガンのひとつ。
ことあるごとに繰り返されるため気分を害する日本人も多いものの、米国人自身は現在の日本を非難して言っているつもりはない。
なぜならかつて日本は打ち負かされ、現在は信頼に足る同盟国であるという認識があるためである。