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たった二人の夢物語  作者: 陽山純樹
第一部

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9/23

9.だからこそ、彼女を――

 見透かされていた自分の考えに、冬弥は頷くしかなかった。


「ああ、その通りだ」

「なぜ、自分一人で背負おうとするの?」

「背負うとか、そういう意識は無いよ。ただ、俺と七海は同じような心境を抱いていて、その中で俺は七海に重荷を負わせてきた。だから解放してやりたいと思っている」

「解放、ね」


 夕日に染まる教室で滝橋は呟く。冬弥は自分の机の上に座った。対する滝橋は腕を組み、ゆっくりと歩み寄る。

 冬弥は夕日を背にして座っているため、逆光で滝橋に表情がわからないかもしれない。反面、滝橋は夕日を避けるように立っているが、表情は見える。


「重荷というのは、なぜそう思うの?」

「……それを説明するには、大元の話をしないといけない」

「話をしてくれるの?」

「話してもいい。だけど、他言無用で頼む」

「わかった。けどなぜ今になって理由を話すの?」

「……七海を、頼まれてくれないかな」


 冬弥の申し出に、滝橋は眉をひそめた。


「頼む?」

「もし俺と離れて過ごせば、未来が決まるなんて出来事が、なくなるかもしれない。もっとも、中学時代似たようなことはやったよ。それでも成功しなかったけど、もし七海が友人達と一緒にいたりすれば、治るかもしれない」

「私が一番親しいから、それをやれと?」

「無茶を言っているのは、承知の上だ」


 滝橋は少し、思案する素振りを見せた。


「うーん、それは特別なことをする必要はないんだよね?」

「ああ、そうだ」

「それなら了承してもいいけど……なぜ、今になって?」

「今日、一つの事実を確信したんだ」

「今日?」


 滝橋にとってみれば、ずいぶん性急に思えるだろう。だが、冬弥なりの根拠はある。


「気付いたんだよ。七海は、俺と一緒にいるときっと、不幸になる」

「不幸って、それは新城君が決める話じゃないでしょ?」

「……笑顔だ」


 問いに、冬弥はそう答えた。


「笑顔を向けられるようなことって、ほとんどないからさ。無理をしていると思うんだ」


 冬弥の回答に、滝橋は押し黙った。


「滝橋さん以前、言っていたじゃないか。俺のことを話す時と、友人に対し話す時、笑顔がずいぶん違うって」

「ええ」

「何かを含んだ意味合いならそれで終わりなんだけどさ……俺と話をする時、件の話題しかしないし……何より、高校以後笑顔を見たことがほとんど無い。今日の朝、友人達と話す姿を見て、自分は必要ないんじゃないかと思ってさ」

「……つまり、七海が私達と話すときは楽しげで、新城君と一緒にいる時は笑顔が無いから、無理をしていると言いたいの?」

「ああ」


 頷く冬弥。すると滝橋は思案のためか、地面に視線を落とした。


「……ねえ、これが外れだったら申し訳ないんだけど。七海って、新城君のこと――」

「違うよ」


 皆まで言わせず、冬弥は首を左右に振った。


「確かに滝橋さんがそう推測するのは当然かもしれない。けど、俺には違うという根拠がある」

「根拠?」

「中学時代、未来にまつわる話で俺はかなり荒れていた。諸事情で、この高校に入学する可能性をはっきりと明示されてね。その折、七海に当たり散らしたことがあるんだ」

「それが、根拠?」

「最後まで聞いてくれよ。で、ある時忘れ物をして教室まで行った。そこで聞いたのは」


 冬弥は間を置いた。滝橋を見て、記憶の中のセリフを呼び起こす。


「そんなんじゃないよ。表現しにくいけど、ずっと一緒にいるからとしか言えない」


 冬弥ははっきりと言った。今でもしっかり思い出せる、その言葉を。


「七海はその言葉を、ただ淡々と喋っていた……言動の本来の意味が、俺にはすぐ分かった。七海は……ただ、予知夢で繋がっているため、俺と一緒にいるんだと言ったんだ」

「……予知夢?」


 驚きと共に、滝橋は応じる。


「ああ。信じるか? 予知夢なんてものを」

「信じるかって……それが二人で見ていたものなの?」

「ああ。実際この未来だって予知夢で見た。もし信じられないようなら、今度何か言い当てて見せようか?」

「……ううん、いい。なんとなく言いたいことはわかった」


 信じ切っている面持ちではなかったが、飲み込むように滝橋は答えた。


「で、中学時代にそう言われたのが根拠ってこと?」

「ああ。それから七海は、少し変わったんだ。俺も合わせて変わった。人に当たるようなことをしなくなり、七海は友人達に笑顔を向けるようになった。その時どんな話をしていたのかわからない。けど思い返してみれば、その日を境に吹っ切れたのかもしれない。俺を除外して笑顔を振りまくようになったのも、それが原因だったんだと思う」

「……俺を除外して、って」

「今日の朝友人と笑顔で話す姿を見て、はっきりと思い出したんだ。そうか……七海は、俺への態度を中学の時から変えていないんだって。そして俺もまた、いつまでも引きずって停滞している。だから、いつまでも予知夢だけの関係を続けている」

「惰性って言いたいの?」

「そうだな。そうかもしれない」

「……そう」


 滝橋は短く答える。だが、腑に落ちない様子。


「納得してないみたいだな」

「処理が追いついていないだけ……そうだ、一つだけ」


 人差し指を立てて、滝橋は疑問を向ける。


「停滞しているって、どういうこと? 引きずっているって何?」

「……言うなれば、さ」


 冬弥は――心のどこかで痛みを感じながら、ため息混じりに告げる。


「……その声を聞いて、俺は失恋したんだよ」


 不思議と、言葉が出た。

 滝橋の表情に変化があった。最初は驚き、次に呆れ。


「ああ、なるほど。だからずっと引きずっていると」

「その顔だと、未練がましい奴とか思ってる?」

「いや、よく今まで関係続けていたなって」

「予知夢があったからな。どうしようもなかった。言わば、鎖みたいなものだから」

「鎖、か」


 滝橋は窺うように、冬弥へ尋ねる。


「今も、その気持ちはあるの?」

「高校に入ってから、ずいぶんと見方が変わったからな……その気持ちは、もうないよ」

「そっか……なら」


 滝橋は、小さく笑みを浮かべた。


「今ここで、宣言してもいいよね?」

「何を?」

「私は、あなたのことが好き」


 面を向かって言われた告白――今度は冬弥が唖然(あぜん)とする番だった。


「……滝橋さん」

「やり方が強引だったから、薄々気付いているんでしょ?」


 言葉の先を読んだのか、彼女が問う。冬弥はしばし目を合わせ、やがて頷いた。


「まあね。だけどさ」

「うん、わかってる。予知夢があるから近づかない方が良いっていう話でしょ? でもさ、それ関係なく私は新城君のことが好きになったわけで」


 茶化すような物言いだったが、どこか照れた様子でもある。気丈に振る舞っているのか、悠然と腕組みをしたりもする。


「だからさ、私はここで妥協案を提示したいのだけれど」

「妥協?」

「私はね、新城君の考えに納得がいかない。確かに未来を決められるのは癪だけど、それで何もかもあきらめるのは、もっと嫌。だから、実験しない?」

「俺と滝橋さんが付き合ってみて、何か変化がないかって話か?」

「そう。けど付き合う、までいかなくてもいいよ。どうせ今日は自分の思いのたけをぶつけるだけのつもりだったから」


 滝橋は冬弥へ近づく。正面に立つと、彼女もまた無作法に机に座り、向かい合う。


「新城君と七海は二人でずっと、同じような立ち位置を続けてきたわけでしょ? だったら、私が介入することで何か変化が起きるかもしれない」

「変化によって、もし滝橋さんが巻き込まれるとしたら?」

「変化を恐れては、何も進展しないじゃない」


 鋭く滝橋が返す。そうか――


(実験体になるという肚か)


 変化を与える自分が身を投じ、どうなるかを観察する。冬弥にとってみれば、かなり無茶な方法。


(それに、やっぱり危険じゃないのか?)


 口を開こうとして、さらに滝橋の言葉が告げられる。


「私は、予知夢のことがあるから付き合えませんなんて、耐えられない」


 毅然(きつぜん)とした声音に、冬弥は口をつぐんだ。


「きっと今面と言われても、新城君だってすぐに答えられないのはわかってる。長い間、それに苦しめられてきたんでしょ?」

「……ああ」

「だから答えは急がなくていい。けど、予知夢が原因で断るのだけは、しないで欲しい。私のことを見て、私について判断して……結論を出して欲しい」


 ――冬弥はそこで、呻くような声を上げた。

 気付いた。結局、自分の都合だけでこれまで人間関係を拒絶してきた。それがまざまざと突きつけられた。


「ひどくなりそうだったら、その旨もきちんと話して欲しい。私は新城君の苦しみはわからないから、アドバイスできることは少ないけれど……私は私なりに、協力したい。新城君と一緒に、考えたい」


 好きだから――瞳が、冬弥に物語っていた。


「……それで、本当にいいのか?」


 冬弥は、少しの沈黙の後、問い掛けた。


「予知夢がどれだけ怖い物なのかは、滝橋さんもわからないと思う。他人の人生を変えるという所業は、相当な勇気がいるんだ。もしかすると、最終的に滝橋さんを逆に遠ざける結果になるかもしれない」

「だから、今あきらめろと?」

「そういうわけじゃない……最悪の事態になる覚悟が、あるかという話」

「ある」


 決然と、言い放った。冬弥が驚き、さらに問う。


「なぜ、そこまで俺のことを?」

「なぜ、と問われると具体的には言えないよ。七海を通して関わって、いつのまにか好きになっていた」


 面を言われた言葉に、冬弥はどこか呆れたように呟く。


「そっか。でも、理屈は必要じゃないのかも、しれないな」

「少ない恋愛経験からすると、私は恋とはこういうものであると思ってるけど」

「少ない経験で、語れるのか?」

「そっちはどうなの?」

「推して知るべし、だろ」


 そこまで言い終えた時、両者が共に笑う。不毛な議論だ。だが同時に、冬弥は目の前の彼女が、長きに渡り接してきた、大切な人のように思えてきた。


「……ありがとう、滝橋さん」


 そして漏れたのは、お礼の言葉。滝橋が首を傾げると、冬弥は胸の内を語る。


「そうだな。滝橋さんの言葉でわかったよ。これから人生を過ごしていく中で、いつまでも人間関係を拒否してはいけないよな」

「お、好意的に解釈していいの?」

「だけどその一番の捨て石が、滝橋さんになるよ?」

「喜んで」


 はにかむように笑う滝橋は、机から降りて冬弥へ右手を差し出した。


「少しは心を開いてくれたってことでいいんだよね?」

「ああ」


 はっきりと頷いて見せた冬弥は、右手を出して握手をする。その手のひらは少しばかり、温かかった。


「そうだな、自分が停滞していたんだとわかったんだから、進まないといけないな」

「その意気が、どこまで続くか見物ね」

「いきなり落とすのか、滝橋さんは」

「少しくらい悪態付かないと、やってられないの」


 肩をすくめた彼女は、どこか照れている様子だった。きっと頭の中で色々と渦巻いているに違いない。


「わかったよ。それで……話はえらく戻るけど、今日の仕事は終わり?」

「ええ。これでテスト明けまで何もしなくて良し」

「それは良かった」

「文化祭、もうちょっと気合入れて手伝ってよね」

「善処するよ」


 双方が帰り支度を始める。冬弥が鞄を手に持つと、先に準備を済ませた滝橋が問う。


「駅まで一緒に帰ろうよ」

「いいよ」

「この立ち位置は、本来七海の役目なんだよね」

「……七海は、この結論をどう思っているんだろうな」


 小さく息をついて、冬弥は言う。


「ずっと迷惑掛けてきたからさ、少しくらい心労減らしてあげたいんだが」

「私も協力するよ……それを七海が望むかどうかわからないけど」

「頼むよ」

「でも私はにわかに信じられないんだけど……七海は、新城君のことが好きだとばかり」

「そうだといいな、と思った時もある」

「僻んでるの?」

「別にそういうわけじゃないけどさ」

「そう……けど、笑顔が無いっていうのは、やっぱり何かあったのかな」


 滝橋は視線を巡らし、呟いた。その方向には、七海の席がある。


「何か原因があるの?」

「俺が中学時代嫌っていたことも関係していると思う……もしかすると高校に入ってからは、呆れられていたのかもしれないな。ここに入ってからは、予知夢に対しあきらめていた感じだったから」


 七海もまた予知夢を忌避していたことを考えると、焦燥を抱いていたかもしれない。そう冬弥は思った。


「その辺りも確認していい?」


 すると滝橋が、とんでもないことを言い出した。


「は? 確認?」

「うん。私は別に今新城君と付き合い出したわけでもないし、新城君だって完全にあきらめているわけじゃないんでしょ?」

「そういうのは無いって、さっき言わなかったっけ?」

「そう?」


 疑わしげに、滝橋が言う。だけど冬弥の結論は一つ。


「俺の答えは一つだけだよ。七海を解放したい。それだけだ」

「……わかった」


 納得していない素振りだったが、滝橋は言葉を切った。


「けど、七海がどんな風に思っているのかは聞きたいんだ。もし同じ気持ちだったら、ライバル宣言しないといけないし」

「なんだそりゃ……」


 勝手にしてくれと言わんばかりに冬弥は答え、教室の扉へ歩く。


「あ、そうだ。仕事の帰りなんだけどちょっと寄り道しない?」


 そんな冬弥の横に滝橋が来て、誘う。


「どこに?」

「商店街。話によると、おいしいたこ焼き屋さんがあるのよ。行く機会が無かったんだけど、丁度思い出したし行こうかなと」

「お、いいな。賛成」

「じゃ、決まり。新城君の奢りで良い?」

「いいよ」


 承諾しながら、冬弥は扉に手を掛けた。


「へ? 頷いちゃうの?」

「前昼食奢ってもらっただろ? そのお返しでいいよ」

「う、なんだか安くついた気がする」


 冬弥は笑いながら、扉を開けた。廊下に出て左右を見回す。

 茜色に染まった廊下はひどく綺麗で、閑散としていた。二人して教室を出ると、冬弥は周囲を見回す。


「誰もいないな。文化祭の準備でいてもよさそうなのに」

「テスト勉強にご執心なんでしょ。こんな時期にあくせくと働いているのはむしろ変わり者なのかもね」

「そういえば、勉強の方はどうなんだ?」

「上々」

「本当か……?」


 疑わしげに問う冬弥に、滝橋は自信満々の笑みで応じる。


「ええ、だからこそこんな風に準備を」


 言いかけて、滝橋は言葉を止めた。視線を、宙に漂わせる。


「どうした?」


 冬弥が訝しげに訊いた。滝橋は神妙な顔つきとなって、テストについて言及した。


「いや……ひょっとしたら、生物が少し危ないかも」

「おとなしく勉強していた方が良かったんじゃないか?」


 二人は会話をしながら階段を下り、下駄箱へ向かう。冬弥にとっては、なんだか新しい始まりのような気がして、少し気分が高揚していた――

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