8.確信と渇望
翌日、冬弥は夢を見た。
「あのさ、今日も仕事いいかな?」
滝橋がそう切り出してきたのは、放課後。
「まだ何かあるのか?」
不満げに冬弥は応じる。すると、
「内装に使う物品を、整理したいのよ」
「俺に?」
「ここまで来たんだから、別にいいじゃない」
なんというか、かなり強情な気がした。とはいえズルズルと買い物と看板製作に関わってしまった以上、頼られるのも当然の気がしてくる。
答えないでいると、滝橋は教室後方にある荷物を指差した。文化祭の内装に使われる物品が、一か所にまとめられている。
「そんなに時間はかからないから」
「……わかったよ」
ここまで来たなら面倒見るべきだろう。夢の中でそんな風に思い、冬弥は了承した。
夢が変わる。時計を確認すると、最初の夢から一時間くらいしか経過していない。
(ここまで短いスパンの夢は、珍しいな)
一つ目と夢と、日を跨いでいる可能性もあるが――周囲を見ると物品をまとめている滝橋がいたので、それはないだろうと察せられた。
「それで、何の用だったんだ?」
冬弥が尋ねる。理衣は一瞬体を震わせ、振り向く。
「用って?」
「とぼけなくてもいいさ。前の話の続きなんだろ?」
問うと、滝橋は口を堅く結ぶ。
無言でいる彼女を確認すると、冬弥は視線を巡らせる。放課後の教室には二人しかいない。いつも隣にいる七海もいない。
「何か言いかけていたじゃないか。それが訊きたかったんじゃないのか?」
どこか、焦るような声音で冬弥は告げる。
現在の冬弥も自分の行動を理解できた。以前は制止しようと声を上げた。だが、その状況で停滞していても、いずれは話をする羽目になる。今なら七海もいない。ならばここで結論を出した方がいいだろうという判断だ。
「わかった。そっちが答える気なら、話すよ」
僅かな沈黙の後、意を決し滝橋は発言する。毅然とした瞳と共に、口を開き――
夢が覚めた。
「……映画の予告みたいだな」
一番気になる部分。滝橋が尋ねた内容を知らないまま目覚めてしまった。
枕元にある時計を引き寄せて確認する。起床時間より少し早かった。
「どうするかな」
時計を見ながら、夢を成就させるか思考する。
このまま逃げ続けるのも、十分可能かもしれない。徹底的に無視すればいいし、冬弥が「あの話はするな」と警告すれば、滝橋はきっと従うだろう。
「だけど、催促されればいずれ話をすることになるのか……?」
疑問を呟くが、答えは出ない。
だが気付いた点もある。きっとこれは、分岐点だ。日頃当たりと外れを判断してきた冬弥にとって、最高の外れ――つまり、自分に転機を与える予知夢。大学受験のような大きな出来事ではない。だが人間関係を大きく変化させるのは間違いない。
「後は俺がどうしたいか、だけか」
ふと、七海はどうなのか考えた。
そういえば、彼女から今回の件に関してフォローは受けているが、踏み込んだ話はしていない。
「……七海に話して、考えるかな」
上体を起こし、冬弥は呟いた。
それからいつものように準備を済ませ、いつもの時間に家を出る。そしていつもと同じように七海を隣にして、駅へ歩く。
「なあ、七海」
最中、夢の件を問い掛ける。
「今回の夢、七海が一切出てこなかったんだが……何かあったか?」
「最初の夢は放課後になって教室を出ていくだけだけど」
「二つ目は?」
「……家のベッドで、横になっていたけど」
「それだけか?」
「うん。それとこっちは一つ目の夢で理衣が冬弥を仕事に誘っているのを知っているけど、どうするの?」
告げる七海の、瞳が揺らいだ気がした。
「……少し、考えてみるよ」
即断しなかった。すると、七海が上目遣いで口を開く。
「面倒なら、取り成してもいいよ?」
「七海が?」
「うん……理由は、どうにかするよ」
答える七海。冬弥はそこで、彼女の顔がいつもより硬いことに気付いた。
「なんだか緊張している様子だな?」
気に掛かり話を振ってみると、七海は少しオーバーに肩をすくめた。
「ああ、なんというか……理衣が迷惑を掛けてごめん、と思って」
「なんだ、そんなことか。気にするなよ」
冬弥はさっぱりした口調で答え、改めて予知夢の件を語る。
「間違いなく滝橋さんは予知夢のことを話すはず」
「うん」
「そこで、なんというか……」
話しながら、冬弥は思い至る。
理衣に話したのは、七海を解放してあげたいという思いが先行して、口走ってしまったのが始まりだ。ならば最後まで責任を持って、解決するのが筋ではないか。
「……いや、大丈夫だ。俺がどうにかするよ」
「そう?」
不安げに、七海が問う。冬弥はそこで、やはりいつもと様子が違うような気がした。
「どうした? そっちの夢で何かあったのか?」
「え?」
「様子が少し変だぞ」
言うと、七海は首を左右に振った。
「ううん、私は単に厄介事に巻き込まれそうだから助言しているだけ」
「厄介、って?」
「私は一年の時から友達だからわかるんだけど、理衣はかなり強情だから」
「ああ、それはわかる」
答えた後、二人して笑う。
「強引だよな、あの人」
「……うん、それで」
「最初はからかっていると思ったんだけどな」
呟いて、冬弥は自覚する。
一度ならば別に何とも思わない。だが二度目と、今日の放課後ある三度目を見せられては、思わざるを得なくなる。
「冬弥?」
七海が言う。眉根を寄せた彼女の表情に、冬弥は首を振った。
「ごめん、何でもないよ」
「そう……? それで、冬弥」
まただ。瞳が揺らぐ。それに構わず七海は話す。
「予知夢のことを話すかどうかは、冬弥に任せるよ。ただ、理衣はああ言っているけど、テストや文化祭も近いし、心労をかけるのはまずいんじゃないかな」
「そうかな」
「うん」
冬弥は頷く七海を観察する。どこか迷いを抱いた顔つき。
「……あのさ、七海」
「うん? 何?」
瞳の色が、きょとんとしたものに変わる。
(気のせいか――?)
じっと視線を合わせると、冬弥の言葉が止まる。
七海に何かを言おうとして、ふいに口をつぐんだ。
その時横目で駅が見えた。冬弥は目を逸らし進行方向に注目する。
(解答がわかりきっている……なのに、訊いてどうする)
そこからは無言だった。駅へ進みホームに入ると、会社員や学生でごった返すいつもの光景があった。やがて電車が到着しそれに乗り、一言も発せず到着する。駅から出て、学校への坂を上っている時も、まだ沈黙のまま。
嫌な空気だと、冬弥は感じた。また同時に、七海のことを考える。彼女は何かひた隠している様子。
(あるいは、予知夢の中で俺と滝橋さんが話をしていた時、何かあったのか?)
尋ねようと思ったが、夢で何をしたか話すのは、基本的にしないようにしていた。
一緒に行動していたらわかり切っているのでどうしようもないが、少しでもプライベートな部分を守ろうというのが、その骨子にある。
だがもし事件があったとしたら、さすがに七海も話すはず。
(それを訊くべきなのか?)
迷う。冬弥が考え声を出せずにいると、後方から七海を呼ぶ声が聞こえた。
冬弥達は同時に振り返る。そこには七海の友人達がいた。もちろん、滝橋の姿も。
「おはよー」
「おはよう」
声を掛けた滝橋に対し、七海が挨拶をする。その時――
彼女は、屈託のない、綺麗な微笑を湛えていた。
冬弥は愕然としてしまった。なぜそう感じたのか、一瞬わからなかった。
少しして、七海達が談笑し始める。冬弥はすぐさま身を翻した。
「先に行ってるぞ」
一方的に告げ、答えも聞かず歩き始めた。少し進んでから七海が「わかった」と応じたような、気がした。
(そうか、やっぱりそうか)
普段七海が、友人達に見せる微笑。友人である滝橋も言っていた、本物の笑顔。
そうだ――冬弥は決した。解放するべきだと思っていた決意を、さらに固くする。
(苦労かけるのは、心苦しいけど)
頼れるのは、一人しかいない。冬弥は胸に秘めたものを抱きながら、教室へ急いだ。
* * *
冬弥がその場から去り、友人と教室に向かう最中、七海は極度の不安を覚えた。
(冬弥……)
掴みかかって問いたかった。一体どんな選択をしようとするのか。そして、何を話そうとするのか。
できることはやった。だが取り成そうと提案しても自分がやると言い張り、ならばと今度は理衣の現在を引き合いに出した。
とことん卑怯かもしれない。けれど、自分の想いを口にすることはできないし、予知夢で繋がる間柄な以上、深く言及もできない。
(なんて、遠いんだろう……)
思ったことを口にできない自分に、苛立ちと悲しみを覚えた。
結局、友人以上の立場であっても、冬弥の心の内を探るにはあまりにも関係が薄い。
(何か、手立てはないの……?)
思い巡らせるが、何一つ浮かばない。三度目の誘いを夢に見た時点で、七海は理衣の心情を把握できている。けれど――
(本来なら、冬弥が応じるはずがない。でも)
もし、冬弥が彼女のことを――
教室に到着した。冬弥は既に席に着き、ホームルームを待っている。理衣を含めた友人達は一様に席へ向かい、最後に七海も座った。
そこから七海は半ば抜け殻のように過ごした。冬弥と理衣のことを、ひたすら考え授業を消化する。
昼食の弁当はあまり味がわからなかった。ただ友人達に怪しまれなかったのは、ひとえに仮面のおかげだろうと思った。
授業の内容もほとんど覚えていない。その日は特別教室や体育の授業も無かったので、教科書を取り出し読んでいるフリをして対応できた。心情が誰かにバレないかビクビクしながらも、他のことは考えられなかった。
そして気付けば、放課後になった。談笑しながら帰る友人達を横目に、冬弥のいる方向を見た。理衣が近づく。
「あのさ、今日も仕事いいかな?」
まず理衣が切り出す。
「まだ何かあるのか?」
夢のように不満はなく、淡々と冬弥は応じる。すると、
「内装に使う物品を、整理したいのよ」
七海も聞いていた内容を、理衣が話し始める。
「俺に?」
「ここまで来たんだから、別にいいじゃない」
強引な要求。七海の中で、理衣は強気な発言の裏に、自分の感情を知られてもいいという確かな決意を感じ取る。
間違いなく、理衣は冬弥のことが好きだ。
理衣は次に教室後方にある荷物を指差した。文化祭の内装に使われる物品が一か所にまとめられている場所。
「そんなに時間はかからないから」
沈黙が、訪れた。周囲はまだ雑談の喧騒に包まれているが、二人の間だけは、ひどく奇妙な沈黙が生じていた。
七海は固唾を飲んで見守る――やがて、言葉を発したのは冬弥。
「……わかった」
未来が決まる。冬弥は何かを決意したような目。それは夢とは大きく異なった表情。
七海は立ちあがった。二人の会話を聞いていなかったかのように平然と立ち去る。そして足は、図書室に向けられる。
(わかっている。夢が成就することは……)
自分がどのように行動するのかもわかっている。今までどんな夢でも成就する条件が合えば、吸い込まれるように同じ場所に存在していた。
今回も七海は来たる一時間後、どのような行動を取るのか、知っていた。
(わかっている。それが地獄だってことは……)
救いなのは、まだ何もわからないことだ。二人がどうなるのか結末がわからない。だから、望みはある。
それだけを信じて、図書室へ入る。入って適当な椅子に座り、教科書を鞄から取り出し、読み始める。だが当然、頭には入らない。そうしながら、祈り続ける――けれど、希望があるのかわからない。
(冬弥が告白されたら断ること? それとも、理衣が当たり障りのない話をすること?)
――違う、全てだ。そう、全て。今までの日常が変わらないことを信じ、祈る。
教科書を握る手に、力が入る。クシャリと形が変わり、くっきりと皺や線が入る。
(なぜ……こんなことになったんだろう)
泣きそうな自分をひたすら律し、考えようとする。
停滞を選んだことが、それほど悪いことだったのか。それとも、冬弥とは違い予知夢を好意的に見ていたのが駄目だったのか。
改めて、七海は予知夢に対し深い恐怖を覚えた。高校に進学してからはどんな未来であっても冬弥の傍にいられたら良いと思った。しかし、それが絶たれようとしている。
胸の奥から、ドロドロとした黒い感情が渦巻き始める。憎悪に近いそれを、七海は押し殺そうと教科書の文面を意識した。
(そうか、これが……冬弥が憎んでいたものの正体か)
自らの意志で決めることのできない未来に対し、深く憎悪を抱き始めていた。いや、正確には憎悪を抱かなければ自分の均衡が保てなかった。
そして次に湧き起こったのは、友人である理衣に対する感情。駄目だ、そちらに向けてはいけない――七海は小さく首を振った。感情が霧散することは無かったが、それでもどうにか抑えられた。
(冬弥……)
最後に巻き起こったのは、冬弥の顔。涙が出てきそうになり、七海は立ち上がった。いても経ってもいられなかった。
鞄に教科書を詰め、左手に提げて図書室を出た。目的は無い。ただ気を紛らわすように廊下を歩く。
最初は風に当たりたいと思い外へ出た。けれど少しすれば予知夢の光景が蘇る。ふいにジュースが飲みたくなって自販機に向かう。炭酸飲料を購入し、近くに設置されたベンチに座って飲む。部活動の練習する声がどこからか聞こえてくる。だが周囲に人気は無い。
飲み終えると、今度は少し寒気が出た。七海は立ち上がり缶を捨てると、無目的に歩き始めた。人気の無い教室棟の廊下をさ迷い歩く。本来なら文化祭の準備で人がいてもよさそうだった。だがテストが近いせいか、教室内にも人影がない。
(まるで、予知夢が謀ったかのような――)
胸が痛む。それを振り払うように歩く。
いつしか寒さは消えていた。代わりに鞄を握る左手の痛みに気付く。どうやら相当強く握りしめていたらしい。七海は鞄を右手に持ち替えて、さらに歩く。二人のいる教室には近づかなかった。それは予知夢によるものなのか、それともただ怖いためなのかわからなかったが。
廊下に七海の放つスリッパの音が響く。不気味なくらい音が通り、耳を打つ――ふと、視線を巡らせる。三年生クラスの階にいた。廊下から見えたのは横手にある教室に付けられた、壁掛け時計。二人が話してから、一時間近く経とうとしていた。
来た――直後、渇望するような感覚に襲われる。話を聞かなければならない。義務感が同居した感情に誘われ、七海は静かに歩き始める。
廊下や階段を通り、辿り着いたのは自分達のクラスの前。扉にはめられたガラスの奥で、冬弥と理衣の姿が見えた。
「それで、何の用だったんだ?」
冬弥の声。教壇側の扉が少し開いており、無音に近い廊下に、声が際立って聞こえてくる。
七海はその扉の横にあるコンクリートの壁に背を預け、左右を見た。
誰もいない廊下。それどころか横手にある階段からさえ、声は聞こえない。
「用って?」
「とぼけなくてもいいさ。前の話の続きなんだろ?」
理衣が聞き返すと、冬弥は尋ねる。
「何か言いかけていたじゃないか。それが訊きたかったんじゃないのか?」
詰問。七海は耳だけに神経を尖らせた。この場において、冬弥は自分が来ていないと認識している。ならばこれから聞くことになるのは、私の目の前では絶対に話さない内容だ。
「わかった。そっちが答える気なら、話すよ」
いよいよ予知夢が終わる。七海は鞄の取っ手に右手の手首を滑らせ、入れるようにして持った。落とすような真似はしたくない。
「新城君は、こう言ってたよね? 私に話したのは、願いだって」
緊張が、七海の全身を包む。
「それは、こう言いたかったんでしょ? 自分の願いは、未来が決定づけられるのを防ぎたいと」
「……ああ」
冬弥が応じる。そして、理衣が嘆息する。
「でも、それは新城君の話じゃない」
(――え?)
胸中で疑問がよぎる。言葉を待っていると、理衣は告げた。
「私が色々と干渉して、七海を脱してあげたい……そう言いたいわけだよね?」
七海にとって、信じられない言葉が聞こえてきた。




