23.エピローグ
それからの苦難は、七海にとって小さな出来事だったような気もするし、果てしない難事だったような気もした。けれど今この瞬間も二人でいられるというのは、絶えがたく幸せなのだろうと七海は感じていた。
「七海、ここでいいのか?」
「うん、いいよ」
問われ七海は頷き、膝に置いていた花瓶をテーブルの上に置く。穿いているスカートの皺を直し、車椅子を操作する。
遠い未来だと思っていた。けれど気付けば高校を卒業し、大学を出て仕事をするようになった。婚約指輪をはめ、二人で暮らそうと冬弥が提案し――見覚えのある場所で、部屋を借りることになった。
そこは新たな生活を送るための場所で、初めて二人で過ごすことになる場所。そして、懐かしい記憶が蘇る。
「で、七海。荷物はどうした?」
「玄関先。私の方はそんなに多くないから、大丈夫だよ」
七海は段ボールを開ける冬弥に告げる。黒のブラウス姿の冬弥はそれほど変わっていなかった。一方の七海も髪を少し伸ばした程度で、見た目はそれほど変化がない。
「そっか。じゃあ七海の方から済ませよう」
「あ、それと引っ越し祝いに理衣がお寿司持ってきてくれるって」
「ん、そうか。楽しみだな」
そこまで言って――冬弥は言葉を切った。七海にもわかっていた。以前見た遠いと思われた予知夢。それが今、再現された。
この未来を選んだ後、奇妙なことに予知夢の見る回数は減少の一途を辿った。それがどういう要因なのかはわからなかったし、知る必要もないと感じた。やがて大学に進学し、さらに予知夢を見なくなり、今はもう、見ること自体が貴重となりつつあった。
もしかして予知夢は、多感な時期に生じた思春期の泡沫だったのかもしれない――七海はどこか、そう思うようになった。けれどそれをきっかけにして今の現実があると思えば、決して無下にはできない。
「……七海」
やがて、冬弥は小さく呟いた。予知夢の完結を経て、その枠の外となり、初めて彼が声を発する。
七海は少し、怖くなった。予知夢の範疇であるため、一緒になる未来が見えていたため、自分は冬弥と共にいられる――そう思う時が幾度もあった。冬弥は事あるごとにそれを否定し、ずっと傍にいてくれた。
恐怖はある。高校二年のあの記憶は、今も胸に残っている。これはもう、一生消えないかもしれない。
「何?」
七海は静かに問う。車椅子を操作し、冬弥の正面に体が来るようにする。
視線が合う。不安を抱えていた七海の表情を、冬弥は察したらしい――彼は穏やかな顔を向けた。
「今、幸せか?」
その問いで――全て理解した。数限りない障害を乗り越えて、それでも隣にいてくれる愛する人に、七海は抱えきれないくらいの暖かさを感じた。
「……うん」
久しぶりの涙を流し、七海は答えた。後は互いに笑いあう。
――例え決められた道だったとしても、紛れもなく今の二人は幸せだった。
これにて完結となります。お読みいただきありがとうございました。




