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たった二人の夢物語  作者: 陽山純樹
第二部

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20/23

20.理解した世界

 冬弥が次に気付いた時、自室のベッドでうずくまっていた。


「……俺、は」


 周りを見ると、夜だった。暗闇の中で冬弥は何かを考えようとして、すぐに思考が霧散する。

 それを何度も繰り返し、傍らで何か光っているのが見えた。手に取ると、携帯電話だった。メール通知が来ており、半ば無意識に操作すると、理衣からだった。


『落ち着いたら、連絡して』


 文面はそれだけ。同時に、胸がズキンと痛む。冬弥は歯を食いしばり、俯いた。涙が落ちて、シーツを濡らす。


「ごめん……俺は……」


 意識が水面に浮上し、冬弥は呟く。

 七海はあの後病院に搬送され、七海の母親が駆けつけ、無事であるのを祈り待ち続けた。やがて手術が終わり、医師から「今夜が峠」と宣告され、憔悴した冬弥と理衣は家に帰された。


 冬弥は暗い自室の中で、恐怖していた。このまま眠り、翌日になれば七海はこの世からいなくなっているかもしれない。ただ無事を願い、待つしかできない自分が腹立たしかったし、何より辛い。

 やがて行き着くのは、七海が述べた最後の言葉。中学のこと。嘘と仮面。そして解放。冬弥にも理解できたそれらは、自分がどれだけ七海を傷つけていたのかを、はっきりと認識させられる。


 中学――それは自分が盗み聞きしたあの告白なのだと、はっきりとわかった。さらに解放という言葉を発していた以上、理衣に予知夢のことを告げた時、聞いていたに違いない。

 盗み聞きしていたなんて、予想できた話だった。経験から二つ目の夢で七海が近い場所にいる可能性は十分にあった。それを思い至らなかったのは、理衣に予知夢のことを話して気分が昂ぶっていたためだろう。そして翌日七海は休んだ。声も酷かった。何があったかは、今なら察せられた。


 嘘と仮面。自分は一方的に解放してやりたいと願い、それを邁進した結果、七海の嘘に気付けなかった。幼い頃から一緒に過ごし、予知夢という唯一の繋がりがある自分以外に、誰が七海の嘘を見破れるというのだろう。けれど、中学の時荒れていて七海を絶縁したがった自分を負い目に感じ、七海の心情を察しようとしなかった。触れてはいけない気がしていた。

 結局、全て早合点してその一切が七海の心をズタズタにしていた。その中で彼女は、悲劇を前に全てを告げた。


 だが最後の最後で一瞬、躊躇した。伝えずに全てを押し隠したまま死ぬべきか、話すべきかで、七海は話す選択をした。耐えられなかったのだと思う。あの場に来て仮面が剥がれ落ちて、隠し通す嘘も出せず、本心を告げる以外に死の恐怖に耐えられなかった。

 頭の中で、何度も七海の言葉が繰り返される。自分がどれほど残酷なことをしていたのか、改めて思い知らされる。


 暗い室内で、冬弥は横になった。天井を見上げて、ひたすら七海の言葉を思い出す。


 やがて、記憶が掘り起こされる。七海が友人に告げた、中学の時の言葉。あれが全ての始まりとなった。自分達はあの時から立ち止まったのだと、今確信できた。七海は嘘と仮面で誤魔化すようになった。冬弥は失恋したと思い、彼女を苦しめた経験から解放したいと願うようになる。


(そんな世界でも、私は……冬弥の傍にいたかった。解放なんて、いらなかった……)


 七海の言葉が胸に響く。自分は七海を解放したいと動き、何一つ理解せず予知夢から逃れさせようとしていた。けれど、それもまた停滞だった。予知夢という存在から目を逸らし、自分はいいから七海だけは、という偽善者ぶった態度をしていただけだ。


「七海……」


 月明かりだけが存在する部屋の中、冬弥の言葉は部屋の中で響き、溶けて消えた。疲労から意識が混濁し、やがて目を閉じようとする。

 怖い――そう思いながらも、抗えなかった。






 眠りに落ちた冬弥は一つの夢を見た。

 場所はどこかの大きな病院。冬弥は院内を一人歩いている。


 夢の中の冬弥は迷いなく進み、歩く患者や看護師の女性とすれ違ったりする。やがて、とある一室の扉の前へ辿り着く。名札には『宮永七海』の文字。

 部屋の前で、冬弥は一度深呼吸をする。胸に手を当てて心を落ち着かせ、右手に握り拳を作り、ノックしようとした――


 そこで、突如夢が切り替わる。目線の先には見慣れない本が積んである。全部で三冊。場所はどこかの食堂らしき所。冬場なのか、周囲にまばらに座る人達は全員が厚着。

 そして本を見ている夢の中の冬弥は、深いため息をついた。


「やれやれ……これ全部読むとかどのくらいかかるんだ?」


 一冊が目測で四、五センチある本。現実の冬弥はなんとなく予想がついた。大学の講義か、それとも研究か何かで、目の前の本を読めと指定されたわけだ。

 やはり、どこか遠い未来――しかし、就職しているというレベルの話ではなかったため、まだ現実感はあった。


「お、やっぱり嘆いてる」


 背後から、声が聞こえた。振り向かなくてもわかる。理衣の声だった。


「大丈夫? ゼミが始まる前の威勢の良さは、どこにいったの?」

「……うるさいな」


 どこか八つ当たりのように告げ、理衣に振り向く。そこには少し大人びた理衣と、後方には別の人の姿があり――


(え――?)


 現実の冬弥が心に疑問を掠めた瞬間、夢から覚めた。

 目を開けてから、少しの間は動けなかった。二つ目の夢と、昨日起こった悲劇が頭の中で回り――やがて冬弥は起き上がる。


 服装は、おざなりに着替えた部屋着。時計を見ると午前九時。秒針を目で追いながら夢の光景を咀嚼した。あの、一つ目の夢は――

 その時階段をドタドタと上がる音が聞こえてきた。冬弥は足音から母親だろうと推測しつつ、立ち上がりドアノブに手を掛けた。


 ガチャリと開くと、正面に母親がいた。


「い、今病院から連絡があって――」

「七海が命を取り留めた、って話だろ?」


 先読みして、冬弥が答えた。母親は虚を衝かれたように驚きつつも、神妙な顔つきで答えた。


「うん。それで、意識が回復したらしいけど……まだ、お見舞いとかは無理そうだって」

「わかった……もし何かあったら、連絡して」


 冬弥が言うと、母親は頷き踵を返した。最後に心配そうな眼差しを向けたが、言葉は発しなかった。


 扉を閉め、ゆっくりと息を吐く、一つ目の予知夢は七海の病室へ向かっていく光景――つまり、七海が無事だった。それを裏付けるように母親が報告した。

 心の底から安堵し、携帯を手に取り理衣に電話を掛けた。コール一回目で相手は出た。


『冬弥?』

「ああ、悪いな。心配かけて」


 告げた後、七海の件を話す。すると理衣は、涙の混じる声で返してきた。


『そっか……良かった……本当に……』

「ああ……それで、今日また予知夢を見たんだ」

『また?』

「ああ、ただ内容は……後日にするよ」


 伝えないのはいくつか理由があった。事故に関して自分の感情の整理がまとまっていないこと。そして二つ目の夢の状況が、どういうものなのか自分で考えたいため。


「もし続報があれば話すよ」

『わかった……あ、それと冬弥』

「何?」

『冬弥自身は大丈夫、なんだね?』


 確認の問い。冬弥は「ああ」と答えた後、通話を切った。

 冬弥はベッドに寝転びながら、携帯電話を傍らに置く。そこで気付いたのは、冬の寒い日だというのにそれほど寒さを感じていないこと。よくよく見ると、少しばかり汗をかいていた。不快感と共に、背筋に手が這い回るような感覚を抱く。寝汗と熱を帯びる体は、予知夢の前に悪夢を見ていたのだと連想された。


 息をつき、布団に包まる。これからの展開はどうなるのか。そして今回の予知夢は、どのような意味を持つのか。思い当たるのが、一つ目の夢の選択。あれはきっと、自分が見舞いに行くか、行かないかを尋ねているのだろう。そしてもし見舞いの過程で七海に会うことになると、二つ目の夢が成就する。

 冬弥は七海が事故寸前に発した言葉と、二つ目の未来を照らし合わせる。きっと意識の回復した七海も、同じように考えているに違いなかった。


「……七海」


 もしかすると、明日二つ目の予知夢が現れるかもしれない――思いながら、その日冬弥は何もできず、ただ昨日の光景を思い出し続けた。






 月曜日、登校すると七海の事故の件で話が持ちきりだった。休みの間に知れ渡っているようで、ホームルームが始まる前には、クラス全員が状況を把握していた。


「大丈夫?」


 席に着くなり、正面の理衣が問い掛けてくる。冬弥は黙って頷くと、ほぼ同時にチャイムが鳴った。やがて担任の先生がやって来て、七海に関する事情を説明する。それから適度にホームルームを行い、先生は教室を出て行った。

 そして予想通りだったのだが、冬弥自身質問攻めにあうことになった。訊かれるのは、もっぱら七海の状況について。冬弥は面会謝絶である以上、詳しいことはわからないと返答するしかなかった。


 授業が始まる。とはいえ期末テスト終了ということもあり、もっぱらテスト返却と解説に終始し、それほど頭を使わなくて良かった。今の冬弥には幸いで、先生のテスト解説を適当に聞きながら、窓の外を眺めるだけで授業は進んだ。

 その最中、思案する。冬弥は今日、新たな予知夢を見た。それは事故翌日に見た夢と関連する、選択の一つ。だが、冬弥はどちらの選択も保留していた。というより、これはきっと自分が選び出すものではないと、感じていた。


 授業は進み、昼を迎える。冬弥はどこか機械的に弁当を広げ、食べる。


「冬弥……」


 共に弁当を食べる理衣が、不安な面持ちで名を呼んだ。冬弥は彼女の顔を窺う。そこで、あることに気付いた。


「理衣、七海の言葉……聞こえていたのか?」


 理衣は黙って頷いた。冬弥は空の弁当箱を見下ろし告げる。


「そっか……ショックだったのか?」

「ううん、違う」


 理衣は首を振る。顔には悔恨が現れていた。


「私は……あの時、気付いていたの」

「あの時?」

「冬弥が、私に予知夢の話をした時」


 はっとなった。じっと顔を上げて理衣を見据え、言葉を待つ。


「会話の最中に気付いたわけじゃないよ。帰る時……階段を下りる寸前に、上の階段に座り込む七海の姿が、一瞬見えた」

「……それは」

「その時、声を掛ければ良かった。じゃなければ、あんなに七海が傷つくこともなかったのに」


 肩を震わせ、自責の念に駆られた理衣は俯く。そこで冬弥はかぶりを振って否定する。


「理衣のせいじゃないよ。元々は、俺が何も気付かなかったのが原因なんだ」

「違う。それだけじゃない……私は、次の日の七海の状態だってわかってた。けど、黙っていた……その上で、私は七海に話を持ちかけた。文化祭が終わった後、冬弥に告白するって」


 懺悔を、しているのだと冬弥は理解した。事故の時、七海の言葉を聞いて理衣もまた、自分が七海を傷つけていたと自覚したのだ。


「冬弥に……本当は伝えるべきだったのかもしれない。けど、私は……」

「もう、いいよ」


 冬弥は小さく首を振り、理衣に告げる。


「俺もたくさん後悔することはあるけど、時間は巻き戻るわけじゃない。ここで言っていても、意味は無い」

「冬弥……」

「けど、一つだけ。一つだけ、俺は決意したことがある」


 冬弥の言葉に理衣は口を堅く結んだ。目線を合わせ、身じろぎさえせず言葉を待つ。


「今日、また予知夢を見た。詳細についてはまだ語ることができないんだが、七海がどんな選択をするのであれ……俺は従おうと思う」

「七海が、選択するの?」

「俺の行動によって変化する未来だ。けど、これは七海が決めるべきものなんだ」


 冬弥の言葉に理衣は目を細め、真意を訊こうか迷う様子を見せる。だが、冬弥はそれを無視するように、さらに続ける。


「選択は簡単に言えば、俺が七海の見舞いに行くか、行かないか」

「見舞い……」

「予知夢で現れた以上、七海が無事なのはもう確信していいと思う……そして、現れた予知夢を回避する手段はわかっている。というより、授業を受けていて気付いた」

「それは?」


 聞き返す理衣。冬弥は伝えようか一瞬迷ったが――やがて、口を開いた。


「事故翌日の夢は、俺が七海のいる病室へ入るところだった。今日の夢は、七海が退院した時。今日の夢で俺は、七海に見舞いにも行けなかったし、手紙一つ送れなくてごめんと謝っていた。だから、回避するためには手紙か何かを送ればいい」

「それで、どうなるの?」


 理衣の言葉に、冬弥は口をつぐんだ。互いの視線が交錯し、周囲の雑談が耳に入る。


「話さない以上、何かあるんでしょ?」

「……それは、悪いが話せない。もし言えば、理衣の行動が予測できるから」


 冬弥の答えに、理衣は眉根を寄せた。


「私が、騒ぎ出すとでも?」

「そういうわけじゃない……それと、理衣が想像している予想とは、少し事情が違う」

「なぜ、話せないの?」


 さらに問う。だが冬弥は沈黙したまま。

 昼休みの教室で、冬弥と理衣の間だけ空気が重くなる。周囲の人達は気付いているのかわからないが、ちょっかいをかけてくることはない。


 沈黙は一分程続いた。やがて根負けして視線を逸らしたのは、理衣だった。


「わかった。でも一つだけ聞かせて。冬弥は、その決断でいいと思っているの?」

「ああ」

「なら、私は何も言わないよ」

「……ごめん」


 冬弥は頭を下げ詫びる。しかし、理衣は小さく笑った。


「謝らないで」


 冬弥は言葉を発せず、理衣の顔を眺めた。少しだけ悲しげで、それでいて気丈に振る舞う様子。冬弥は少し救われた気がした。

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