16.違和感と、逃れられない世界
木曜日に夢は見なかった。だが金曜日には、別の選択肢が現れた。それは――
「デートをドタキャンする夢だったよ。ドタキャンしたのを呟きながら、リビングでテレビを見ていた」
朝挨拶を交わした後、冬弥は七海にそう言った。
「そっちは?」
「私も家にいただけだよ。居間でテレビ見ていた」
「じゃあ俺の選択肢だな。それで、二つ目の夢は?」
「やっぱりどこかのアパートを借りて暮らしている。そっちは――」
七海は言葉を止めた。冬弥は険しい表情を示し、頷く。
「水曜日と、ずいぶん状況は違っていたけど」
「……そう」
七海は沈黙した。同時に冬弥は思案する――順調に外堀が埋められている。けれど現状としては逃げ道がある以上、良しとすべきかもしれない。
「まあ、これで七海がその日家にいればいいのかな?」
冬弥が頭をかきつつ、続ける。
「だが、夢の結果がいつ起こるかわからないからな……毎回こういう風にするのも」
「その時は、別に考えようよ」
七海は提案し、冬弥へ付け加える。
「内容がかなり重いから私も冬弥も戸惑っている。けど、最悪事故を回避するようにすればいいんじゃないかな?」
「そうなると、俺と理衣が……」
冬弥は困ったように、七海に告げた。
「あくまで、最悪の話だから」
予知夢を回避したいのは、自分も一緒――そう七海は言っているように感じた。冬弥は彼女の話に同調し、決断する。
「これで明日何も夢を見なかったら、水曜日七海の言った方針で行こう」
「もし見た場合は?」
「電話して、協議する」
「いいよ」
朝の会話が終わる。後は無言で学校に到着する。
テスト最終日。冬弥は四苦八苦しながら問題を解き、テスト日程が全て終了する。
やっとかと思った。恐ろしい程長いテストだった気がする。予知夢がなければもっと楽にできただろうに――と、悪態を付いたりもする。
放課後、解放感に満ちた喧騒の中で、冬弥はこの後を考える。ちなみに理衣は朝に「明日の準備」と言われた。デートの洋服でも買いに行くのだろう。
「七海」
どうしようか考えていると――理衣が七海に声を掛ける姿を目撃する。
「少し、いい?」
問われ、七海は鞄を机の上に置いた。
「何? どうしたの?」
「今更だけど、お詫びをしておこうと思って」
「お詫び?」
「私が冬弥と付き合い始めたことで、迷惑を掛けている気がして」
そう言うと、理衣は冬弥に視線を送った。会話を聞いていた冬弥は、小さく肩をすくめ立ち上がる。
「気にする必要はないよ」
七海が言う。合わせて、冬弥が口を挟む。
「俺達にとっては、これがいつものことだから」
そう語るが――正直、不安が無いわけではない。今回の予知夢は前例のないケースであるためだ。
「……それならいいけど」
理衣は完全に納得しきれない様子だったが、頷き冬弥に告げる。
「じゃあ、明日駅前に九時半集合」
「了解」
冬弥が応じると、理衣は教室を出て行った。
「一緒に帰らないの?」
疑問に思ったのか七海が尋ねる。冬弥は苦笑を浮かべ、
「明日の準備があるんだってさ」
そう答えた。
「まあ、俺も予知夢とか色々あったから少し休みたい。好都合と言えば好都合だ」
「……確かに、色々あったからね」
七海は言うと、さっと立ち上がった。
「私も帰るよ」
「ああ……明日、よろしく」
「うん」
七海は笑顔で応じた。綺麗な表情――その時、冬弥は違和感を覚える。
(この、笑顔は)
過去、自分が理衣へ予知夢のことを告げる決意した時に、七海が友人に見せた笑顔。自分を安心させるための所作なのか――考えた直後、さらに思い出される。
(そういえば……水曜日の朝)
七海は笑顔で応じていた。あの時は体調が悪いと言っていたにもかかわらず、余計な心配をかけさせたくないという気持ちからか、友人に見せる笑顔で応じていた。今もまた、それと同じ。
「それじゃあ」
七海は小さく手を振り、今度は鮮やかな微笑を伴い教室を後にした。取り残された冬弥は、喧騒の中で一人眉をひそめる。
笑顔。体調が悪い時に見せる笑顔が、友人と話をする時と同じ。
(……それって)
普段から、誤魔化すような笑みを見せていたのだろうか。膨らみ始めた疑問に首を傾げつつ、冬弥は鞄を手に持って教室を出た。
歩きながら、なお考える。なぜ今になってその笑顔を見せるのか――
(なぜ今になって気付いたんだ? いや、単なる気のせいなのか?)
もしかすると今回のような変調がなければ、気付かなかったかもしれない。
「……気のせい、だよな」
七海は予知夢を自分と同じように忌避していた。それは紛れもなく事実なはず。
明日のことを安心させるために笑顔を見せた――そう考える方が、自然だった。
(けど……もし)
冬弥は、思い浮かべた事実を、心の中で言葉に出す。
(もし、笑顔が本物でなかったら、全部が偽物だったというのか?)
果たして、何を意味するのか――冬弥に明確な答えは出なかった。
* * *
木曜と金曜を必死に耐えた七海は夜、不安を抱えながら就寝した。新たな予知夢が現れないか――思いながら、意識が遠ざかる。
(冬弥――)
眠る寸前、想い人の名を呼ぶ。あの冬弥の告白から、何度呼んだのだろう。決して届かない自分の思慕を、どれほど後悔しただろう。
けれど、それが罪であり、罰。嘘をつき続けた自分に対する、神様からの懺悔の方法。
七海はふと、自分が夢の中にいることを悟る。予知夢――自室で勉強机に備えられている椅子に座っていた。時刻は九時前。日付は土曜――冬弥と理衣のデートの日だった。
どこからか、玄関扉が開く音が聞こえる。七海は席を立つと、カーテンの隙間からそっと外を見た。隣の家の玄関に、冬弥がいた。
(行くんだ)
夢の中の自分か、それとも現在の自分の言葉か――同時に選択を思い浮かべる。きっとこれは、冬弥が家を出るまでに自分が家にいたかどうかの選択――七海は視線を外し、部屋を見る。次の瞬間、夢が切り替わった。
自分は座っていた。カフェらしき店内で、窓際の一席を陣取っている。自分の目の前には、注文したと思しきサンドイッチと、コーヒーが置かれていた。
鏡が無いため自らの容姿は確認できない。だが、薄紅色のワンピースを着ているのだけは、わかった。格好だけで、やはり遠い未来なのだろうと察せられる。
「ごめん、遅くなった」
理衣の声が聞こえてくる。次の瞬間、七海の胸にズキンという衝撃が走る。
(え――)
現在の七海は少し驚いた。痛みは無い。だから夢の七海が発したものだと気付く。視線の先には化粧を施し、ピアスを開け、パンツルックスタイルの綺麗な理衣がいた。
「十五分遅刻」
「ごめんなさい」
七海の声に理衣は小さく頭を下げ、対面に座る。店員が注文を取りに来たが、彼女は何も頼まなかった。
「呼び出してごめん。それと、この後すぐに用事があるから……」
「いいよ、大丈夫」
胸の軋みが、増してくる。夢であるため痛みはないが、強烈な違和感は生まれる。
(なぜ?)
疑問がよぎる。友人との他愛のない会話。なのに、なぜこうまで心が乱れるのか。
「それで、話って?」
夢の中の七海は純粋に、自然に目の前の友人に問い掛けた。だが、同時に何を言われるのか知っているかのように胸が潰れる。現在の七海も、不安を覚え始めた。嫌だ――聞きたくない。そんな風に思ってしまう。
理衣は少し間を空け、口を開いた。
「私としては、七海にしか頼めないから、お願いするんだけど」
「うん」
コーヒーを飲む。言葉を待ち続け、十秒程経過する――やがて、理衣は意を決し話し始めた。
「……その様子だと聞いているのかもしれないね。私と冬弥、結婚することになったの」
面と向かって告げられた言葉に、現在の七海は奈落の底に叩き込まれる心境を覚える。その最中に、夢の中の七海は痛みを伴いながら、応じる。
「そう……というか、私は冬弥から聞いていたけど」
「やっぱり、そうか」
「で、理衣も同じこと言うんでしょ? 私に、友人代表のスピーチやってくれって」
「それも、冬弥から聞いた?」
「もちろん」
七海はコーヒーカップを置き、小さくため息をついた。
「答えは、いいよ。でも、あまり気の利いたことは言えないよ?」
「うん、その、ありがとう」
理衣が笑う。七海が笑い返すと、彼女はすぐに席を立った。
「その、呼び出しておいてごめん……もう、行かないと」
「今度埋め合わせしてね」
「うん、本当にありがとう」
七海は笑みで応えた。現在の七海にも、はっきりとわかる――見せているのは仮面の笑みだ。明確な、本心を偽るための、道化の仮面。
理衣の姿が消えると、七海はふいに立ち上がった。鞄を手に取り、そのまま化粧室へ入る。思考がざわめき、手が震える。幸いその場には誰もいない。
個室に籠り、鍵を掛けた。その瞬間、視界が歪む。
(泣いている――)
声を押し殺し、夢の中の自分が泣いている。だが現在の七海も、悲しさが溢れてきた。きっと、眠っている自分も涙を流しているはずだ。
「嫌だ……」
一言だけ、口から漏れた。そうか――現在の七海は理解した。何も変わらない。自分の冬弥を想う気持ちは、どこまでいっても変わらない。さらに自分を押し殺す仮面だけはどんどん精巧になっていき、誰にも見咎められないように涙を流す。そんな世界を、この予知夢は示している。
「冬弥……」
さらに言葉が漏れた。それは本当に、夢の中の自分が発したものだったのか。
耐え難い感情の中で、やがて意識が遠ざかり、見慣れた天井が目に入る。夢から覚めたが、視界がひどくぼやけている。
涙が溜まっているのだと、はっきりわかった。
「……冬弥」
ポツリと、夢の中で呟いた最後の言葉を、愛する人の名を告げた。同時にさらに涙が溢れる。
(ああ、そうなのか――)
このまま家に居続ければ、自分は何も変わらず、遠い未来までも心を殺しながら生きていくのか――これが罰ならば、受け入れるべきなのかもしれない。
「冬弥……」
だが、七海は天井を見上げたまま、彼の顔を思い浮かべる。ゆっくりと上体を起こし、静かに、声を必死に押し殺し、泣く。
「こんなの……こんなのって……ないよ……」
必死に堪えていた全てがとうとう崩壊してしまったのだと、七海は自覚した。無理だった。果てしなく絶望的な未来を見せつけられ、それでも成就させようなんて、自分にはできない。
泣きながら、傍らにある目覚まし時計を確認する。時刻は八時過ぎ。予知夢の時刻は、九時前。あと一時間ここにいれば、今日見た夢が成就する。それは昨日までの、冬弥と交わした約束でもある。
「でも……でも……」
それは紛れもなく、自分の想いが殺されることを意味する。このままずっと、永遠に今の境遇のまま生きていく。
その時、携帯が鳴った。七海はすぐに涙を拭いて電話を手に取る。相手は、冬弥。
「……はい、冬弥?」
『ああ、朝早くごめん』
電話に出て、胸が焼かれる感覚を抱く。叫びそうになり、必死に耐え話をする。
「うん、予知夢の話?」
『ああ。やっぱり遠い未来の話みたいだから……それで、さ』
冬弥は電話の向こうで思案している様子。
『目覚めて思ったんだが、実はかなり追い込まれていないか?』
「追い込まれている?」
『ああ。まず確認だけど、今日の夢は七海の選択じゃないか? 家にいるかいないか、とかだろ?』
「うん……そうだよ」
『そっか……整理すると、ドタキャンと七海が家にいるケースが選択として明示された。さらにはデートをして何事もない場合……これも水曜日の選択に現れている』
確かに、と七海は胸中で呟く。
『七海が家を出て水曜日の一つ目と繋がるのかは、わからない。けど事故の状況そのものを出現させないための方法が、もう無いような気がする』
「……そう、だね」
七海は同意した。しかし一点だけ見解が異なっている。事故の状況を発生させなければ、必ず水曜日の予知夢に繋がる――呪縛的な予知夢が必ずそうすると、心のどこかで確信できた。
だとすれば、七海に取れる選択肢がない。
『それで、なんだけど……相談が。そっちの話を聞いて、どうしようか考えたい』
「どうする、って?」
『どれを、選択するかという話だ』
呼吸が、止まる。七海にとっては死刑宣告に等しい言葉。ドタキャンをしても、平穏無事に終えても、似たような結末が待っている。
『正直、どうすればいいかわからない……個人的に今日の朝見た夢は、俺としては何事もなかったから、それを取る可能性もあるか、と考えている』
「……それは?」
『休日一人で買い物に出ていたんだ。年齢は……どうだろう。多分大学卒業後くらいじゃないかな』
何も知らないのであれば、その選択もありだと思った。だが、七海にとっては地獄行きを意味している。
『……七海?』
沈黙を不安に思ったのか、冬弥が問い掛けた――次の瞬間、涙が零れた。必死に悟られないように口を結び、無言のまま通話を切った。
そしてクローゼットを開けた。スカートやコートを引っ掴みがむしゃらに着替え、財布だけ手に取って衝動的に部屋を飛び出す。扉を閉める直前、机に上の携帯がマナーモードの着信をしていたが、無視して家を出た。冬弥に悟られない内に、逃げるように外に出る。
これで少なくとも、今日の夢は成就されなくなった。しかし、これからどうすればいいかわからない。
涙を流し、必死に拭いながら駆ける。朝早い休日の住宅街は閑散としていて、七海が立てる足音以外は何も聞こえない。
(冬弥……冬弥……!)
心の中で名を呼びながら、必死に走る。激情が胸を駆け巡り、無我夢中で足を動かす。
やがて七海は思い至る。残る不明瞭な未来は一つ。だがその選択を取れるのか――七海は歯を食いしばりながら、ただひたすら、走り続けた。




