宇宙ネコ ミャクター船長の大冒険:エピソード107「ミャクター・キャッツバーグ②」
──漆黒の宇宙にたたずむ、一隻の船。
銀白の輝きを放つ黒曜石のような船体が、星々の瞬きの中でゆるやかに浮かんでいる。
銀河の暗闇を切り裂くように、無音の航行を続けるその艦――ニャーバスター号。
荒々しい大気の奔流を抜け、崩壊する惑星ルインシスから脱出してどれほどの時間が経っただろうか。
船体の震えも収まり、エンジンの稼働音が静かに艦内へと響く。
だが、その空間には、一人の男の静かな呼吸音だけが存在していた。
──ミャクター・キャッツバーグ。
彼は、重力がすっかり安定した操縦席に身を沈め、額を片手で覆った。
船内は奇妙なほど静かだった。無音の宇宙に漂いながら、この船にはもう、彼以外の乗員はいない。
ただひとり──。
全身を包む疲労は、身体だけのものではない。
――チームキャッツバーグは、もういない。
彼はゆっくりとコンソールに手を伸ばし、通信回線を開く。
相手は決まっていた。
「サラ=エクレール、応答してくれ。」
ニャーバスター号の通信コンソールが、静かに起動する。
スクリーンに表示されたのは、ミャクターが唯一信頼を寄せる人物、サラ=エクレールの姿だった。
しかし、その端正な顔は、普段の冷静さとは程遠い驚愕に染まっていた。
『……ミャクター!?』
聞き慣れた声――だが、その響きには驚きと安堵、そして強い不安が滲んでいた。
無理もない。フロンティアス号の信号が突如として途絶えた時、サラはすでに最悪の事態を想像していたのだろう。
「無事だったのね……! 他の皆は? ブンザードやニヒナは……!?」
ミャクターは、短く息を吐いた。
どう伝えるべきか、一瞬だけ迷う。
「……フロンティアス号は、惑星ルインシスで消息を絶った。」
それだけを言った。
通信の向こうで、サラは言葉を失う。
『……そんな……。』
ミャクターは目を閉じる。
サラの胸に去来するものが手に取るようにわかる。
彼女は決して、表情を崩すような人間ではない。
しかし、今の沈黙は、彼女がどうしようもない現実を理解しようとしていることの証だった。
「……あの星で何があったの?」
サラの静かな問いかけに、ミャクターはゆっくりと目を開けた。
通信画面の向こうで、彼女のエメラルド色の瞳が、じっとこちらを見つめている。
「……俺たちは、古代アーティファクトの探索のためにルインシスへ行った。」
「……そこには、“英知の結晶”があった。オレの父さんも追っていたものだと思う。それは生体エネルギーと融合することで、永久機関として機能する装置だった。」
「俺たちは、それを動かすために――選択を迫られた。」
「……そして、俺だけが生き残った。」
再び沈黙。
サラは、信じられないというように低く息を吐く。
『融合……それって、まさか……』
「……ああ。ブンザードとニヒナは、英知の結晶と融合した。」
それ以上、余計なことは言わなかった。
あの時、英知の結晶の中に広がっていた“心地よい世界”のことも。
ニヒナとブンザードの最後の声も。
――言葉にした瞬間、彼らの存在が永遠に“過去”になってしまう気がしたから。
サラは何度か呼吸を整えるように沈黙し、そして慎重な声で問いかける。
『……あなたは、大丈夫なの?』
ミャクターは、ゆっくりと息を吐いた。
「……俺は、生きているよ。」
「けど……もう、ただのミャクターじゃない。」
彼は、手を見つめた。
以前よりも明らかに鋭敏になった反応速度、力強く握りしめた拳の圧倒的な感覚。
彼の中には、ブンザードの直感と、ニヒナの冷静な思考が息づいている。
そして、その証として――身体は、変わってしまった。
ミャクターは視線を落とし、わずかに揺れる三本の尻尾を確認する。
サラも、その異変に気付いたようだった。
『……あなたの背後、まさか……』
ミャクターが動くたび、尻尾が揺れた。
それは、確かにこの身体の一部だった。
『ミャクター……あなた、まさか……』
彼女の目がかすかに見開かれる。
「そうだ。俺は、ミャクター・キャッツバーグとして生まれ変わった。」
サラは静かに唇を引き結ぶ。
彼の言葉を真正面から受け止めることが、どれほどの衝撃を伴ったのか、彼女の表情だけで分かった。
『……あなたは、もう私の知る“ミャクター”ではないの?』
その言葉は、ひどく残酷な問いだった。
だが、それを問う権利は、彼女にはあった。
ミャクターは答えなかった。
「サラ、俺は連盟を離れる。」
サラは息を呑む。
「俺はこれから、ただの冒険家として、あいつらを救う方法を探す。」
「……だから、チームキャッツバーグは惑星ルインシスで惑星崩壊に巻き込まれ、帰ってこなかったと記録してくれ。」
その言葉の意味を理解し、サラは口を開く。
『それじゃあ、あなたは……死んだことにしろって言うの?』
ミャクターは静かに頷いた。
「……その方がいい。」
「連盟の支配下で動いていたら、俺の目的は果たせない。俺はもう、ただの銀河探査員じゃない。」
「ミャクター・キャッツバーグとして、俺は生きる。」
『……勝手ね。』
サラの声が、少し震えていた。
『……何もしてあげられないのが悔しい。』
「お前は、お前の道を行け。」
「……でも、真実を知るお前だけは、連絡を取り続けてほしい。」
『……何もできなかった私が、こうしてただ話を聞くだけでいいの……?』
「それだけで十分だ。」
通信が切れた。
ニャーバスター号の船内には、ただ静寂だけが広がっていた。
ミャクターはエンジンルームへ移動すると、ゆっくりとエナジーコアへ歩み寄る。
静かに脈動を続けるコア。
青白い光は、どこまでも美しく、どこまでも冷たい。
「……ブン、ニヒ……待ってろ。絶対に、お前たちを取り戻す。」
彼は、コアにそっと手を当てる。
その奥に、確かに彼らの気配がある。
だが、彼らは返事をしない。
英知の結晶に取り込まれた仲間は、今も意識を持っているのか?
それとも、すでに何も感じない存在になってしまったのか?
ミャクターには、その答えを知るすべがなかった。
だが――
「そんなの、確かめるまでもないな。」
彼は、決意を新たにする。
"この宇宙のどこかに、あいつらを救う方法があるはずだ。"
"この力をくれたのが、あいつらならば――今度は俺が、お前たちを助ける。"
彼の決意に応えるように、ニャーバスター号のスラスターが点火。
ミャクターは静かに操縦席に戻り、コントロールパネルを操作する。
ゆっくりと機体が浮上し、航行モードへと移行する。
ミャクターは前を見据え、そっと呟いた。
「行くぞ、ニャーバスター号。」
次の瞬間、船体が加速し、銀河の闇へと飛び立った。
目的地はない。
ただ、仲間を取り戻す方法を探すのみ。
――それから20年の月日がたった――。
=^_^=つづく=^_^=




