F.S.ダブルフォックス
猫じゃらし様の獣人春の恋祭り企画参加作品です。
◇
F.S.《Furry spare》。
“毛深い予備品”と呼ばれる生物義体がこのアプリコットシティでは市民権を得ていた。
生身の人間にまぎれて、動物を模した生物学的人形がこの近未来の街では暮らしている。
例えば、閉店間際の品揃えのわずかなドーナツショップのショーケースを前に、トングをカチカチ鳴らすアホまるだしの女性警察官、ハナー・マルデスがまさに『F.S.』の模範例だ。
くんくんと犬科特有の突き出したマズルでドーナツの甘い香りに胸躍らせ、細長い口をだらしなく開いて、人より長い舌でぺろりと舌なめずりしてはホットドッグのようにふっくらした茶色い尻尾を振るさまを、二足歩行と警察官の制服で取り繕わなければ、まさに駄犬、いや駄狐だ。
「は~、この色とりどりのドーナツが無料だなんて、警察官になってよかったなぁ~」
『お客様、閉店まであと五分です』
無人ドーナツショップのAI店員に催促されて、ハナーは悩ましさにう~と唸る。
しかしよく考えればわかるが、もうドーナツはショーケースに四種類計二十個あまりしかないので無料で買えるのなら全部買って帰ってしまえばいいのである。
なのに“選ぶ”という普段の発想があるせいで気づけない、ハナーは合理性に欠くパーソナリティをたかだドーナツひとつで露呈していた。
『お客様、閉店まであと三分です』
「えと、えーと! じゃあまずコオロギシュガーフロストを二個! サボテンリング二個!」
『では、お会計にお進みください』
「それからえーと……」
トングをカチカチ、尻尾をそわそわ。
無人ドーナツショップのAI店員はごく限られた思考的自由の中でひとつの結論を得た。
『人間は愚かだ。このF.S.はもっと愚かだ』
そう考えても、外部出力はしないのがこのAI店員の優れた人格形成学習結果の賜物だ。
「レッドモンスタージャムも三つ! メロンソーダティー! 以上で! よーし、間に合ったゾ!」
『ご利用ありがとうございました』
意気揚々と自分でドーナツを箱詰めして腕輪型の端末をかざし、会計を済ませるハナー。
これで本日の営業を無事に終えることができる、と安堵するAI店員。
そこに最後の駆け込み客がやってきた。
いや、強盗だ。
茶褐色のライダースーツを着たライオン型の大柄なF.S.が鋭利な爪を剥き出しにして吠える。
店内に人間に類する者はハナーのみ。
当然、その爪をライオンのF.S.はハナーに突きつけられる。ハナ―は右手にトング、左手にドーナツ箱を握ったままおとなしく手をあげた。
「おいAI、命が惜しければ金を出せ! 2000万クレジットだ!」
『強盗は犯罪行為です。警察に通報いたします。また、わたしはAIです。命は惜しくありません。また、当店では現金の取り扱いはございません』
「ンなこたぁわかってるよクソAI! だが女の命はどうだ? 人命優先、いや企業イメージ最優先だろ? この女を殺されたくなかったら指定口座にダークマネーを送金しろ!」
『了解いたしました』
アプリコットシティは先進的都市であるが、技術の進歩はイタチごっこが常、現金の不使用と無人化店員、電子決済サービスでリスクを軽減しても逆手に取る発想は必ず出てくる。
もしドーナツショップ側が目先の金銭を守るために来客を見殺しにしたら、そのログを公開されたとしたら評判はガタ落ちだ。2000万クレジットどころの損失ではない。
その企業的利益を勘案すれば選択の余地はなく、このAIの権限で許された支払い限度額であろう2000万クレジットを後々に奪い返すことのできない追跡不能のダークマネーとして送金させる。
電子・無人化の著しい社会でも通用する強盗のメソッドはなかなか巧妙な“よくある手口”だ。
そして強盗の物理的なリスクを、違法作成されたF.S.の強靭さで補おうというわけだ。
このライオン型F.S.の強さであれば、警察の現着までに犯行を済ませ、容易に逃げ切れる。もし警察に追いつかれても、生身の人間であればあっさり蹴散らすことができる。
違法F.S.には軽度の銃撃は通用しない。
アプリコットシティで今最も大きな懸念事項は、この増加の一途を辿るF.S.関連犯罪だ。
この強盗ライオンの犯行は、失態を重ねるアプリコットシティ警察の歴史にまた汚点をひとつ刻みつけるかに思われた。
が、強盗犯にとって不幸なことに、偶然居合わせた客は警察官ハナー・マルデスだった。
「えと、通報を受けて現着しました! とは言えませんよね、人質にされてちゃ」
「オレの電刃の爪《エレクロ―》は最新式だ。無駄に暴れるなよ」
電刃の爪《エレクロ―》。
戦士級F.S.が備える伸縮可能の爪型の格闘武器は、電撃と電子戦攻撃を同時に行うことが強みだ。
F.S.の難点は自在に遠隔接続を切れないこと。アンチフュードバック障壁を突破して本体へ直接攻撃、電子流血多量により意識を奪うことができる。
「うわっちゃぁ……完全武装かぁ」
「そっちはトングにドーナツか、笑わせるぜ」
ハナーは考察した。
強靭なライオン型F.S.に電刃の爪。銃弾も肉弾戦も通じない。単独のF.S.警察官の対処可能なスペックを向こうは越えている。
困ったことに、アプリコットシティの警察が装備する電刃の爪は彼らより旧式だ。お互いにダメージを与えあった場合、敵側の方がより早く電子流血過多で本体を仕留めることができる。
なぜ旧式に甘んじねばならないかといえば、犯罪者個人は常に最良の装備品をひとつ買えばいいものの、警察は旧式を刷新するたびにすべての装備品を買い換えなくてはならない。
いわゆる「攻撃側は点でよく、防御側は面で防がねばならない」という問題だ。
世知辛いことに、すべては予算の都合だ。
この理不尽な個人では解決しかねる問題点を踏まえて、ハナーは事件を解決すべく。
「あ! 警察!」
「なにっ、どこだ!?」
原始的で使い古されたフェイントを仕掛け、ほんの一瞬、気をそらした。
「ここに居ます!」
「ぐわっ!」
トングを顔面に投げつけ、ひるませる。
「こんなものっ!」
しかしすぐさま強盗犯はライオン型F.S.の剛体に物言わせ、電刃の爪を起電して襲いかかる。
ここが狙い目だ。
ハナーは身軽に初撃をかわした。
外れた爪撃によって切り裂かれたテーブルは断面が焼け焦げ、真っ二つに。
次なる爪撃を狙って、ハナーは箱から取り出したドーナツを投擲するという反撃に出た。
まるで輪投げだ。
細長く突き出した電刃の爪にすぽっとハマったドーナツはたちまち、高熱帯電に触れて発火しつつ溶け、絡み、さらにライダースーツに着火した。
小麦粉をたっぷりの油で揚げてある代物ならば、流石によく燃える。
「ぐわぁ!? 熱っ、くそっ、脱げねェ!」
「はぁっ!」
勝負は一瞬。
ハナーは迅速に迫る。床のタイルが砕けるほどに力強く地を蹴って。
F.S.の急所の一つ、首を一突きにする。
旧式の電刃の爪が、手刀が、たったの一撃で伝達系を破損させた。
ずぶり。
F.S.は生物学的人形だ。首を貫けば、流血もする。神経伝達系に直結する首に電刃の爪を直接接触させれば、電子流血による本体の気絶はできたはずだ。
そして最後に銀輪の手錠をかける。
「遮断完了、逮捕しました!」
銀輪の手錠は強制的にF.S.を機能停止、より厳密にいえば遠隔接続を遮断させることができる。本体を倒さずに使っても逃げられるし、暴れるF.S.の手首に手錠をかけるのは電刃の爪や銃撃でやっつけるよりも難易度が高いので、無力化した目標を拘束するためのものだ。
「十一時二分、強盗の現行犯で被疑者確保!」
ハナー・マルデスは鼻高々に大手柄を喜んだ。
ところが後にこの事件が苦難のはじまりとなるのである。
◇
「おめでとう、お手柄だよマルデスくん」
「はっ! 我ながらはなまるの活躍であったと自負しております」
「それでだね、署長直々に君にある昇進の話がきていてね……」
犬のおまわりさん、ならぬ狐の婦警さん。
ハナー・マルデス巡査は本日づけで巡査長、さらに上の巡査部長に昇進させられてしまった。
二階級特進である。
ただし部署異動に伴うもので、一番下っ端のままでの配属は格好がつかないという理由だった。
「まさか、対F.S.特別対策班に移動させられるなんて……」
荷物をダンボール箱に抱えて、ハナーはアプリコットシティ警察署本部の地下へ地下へと潜っていく。エレベーターも直通していないような地下階層が署内にあったこと自体が驚きだ。
これはもう栄転どころか左遷人事ではないか。
なにか、薄暗い洞窟の奥底に潜むドラゴンなりの生贄にされる少女のような心細さだ。
「ハナー・マルデス巡査部長です。本日づけで対F.S.特別対策班に配属となりました」
「……お入りください」
なにか小さく、繊細そうな女の声がした。
自動開閉もない無骨な鉄扉をキィと軋ませながら開けば、そこには警察署内であることを疑うような別世界が広がっていた。
この近未来都市アプリコットシティの警察署に、物理本の書架がずらりと並んでいるのだ。
表紙を見るに、今でも大学や図書館で大事にされているような紙の本にほかならず、電子書籍の普及で減少の一途を辿る紙の本をこれだけ揃えているのは盛大に趣味的だ。
「うわぁ……これ、公金で買い揃えてたら大問題じゃあ」
「……私物です。自宅の本の一部を、仕事道具と息抜きを兼ねて、持ち込ませてもらっています」
どこからか、声がする。
ふと見やれば、書架の裏からひょっこりと黒毛の狐の尻尾が見え隠れしている。
「失礼します! 入ります!」
敬礼して入室、すたすたと書架の裏に回り込んでみれば、そこにはちいさな妖精さんがいた。
いやさ、妖精と見紛うほど可愛らしく小さな黒狐型F.S.が本棚の整理をしていた。
女子小学生もかくやという背丈なれど、生物学的人形であるF.S.の造形モデルとしては定番の妖精級だ。それでもなお見惚れるほど素晴らしく愛くるしい作りをしている。
しかも警察署らしいフォーマルな制服を、ちびっこなのに無理やり着こなしている。
ハナー・マルデスは自らのF.S.のルックスに抜群の自信があって、とても美しい仕上がりだと思っているものの、戦士級の高身長ではさすがに勝ち目がなかった。
「妖精級! この警察署内で見かけるなんて思ってもみませんでした!」
「……そうですね。戦士級や平準級の、もっと背の高い規格のF.S.でないと力仕事には不向きですから」
「妖精級の利点はちいさな分だけ、本体への負担が少なく長時間活動しやすい、で合ってますか?」
「……F.S.は元の体格と差が離れるほど感覚のズレが生じるから、というのもあります」
「なるほどう」
黒狐のF.S.は赤茶狐のF.S.であるハナーと並び立つと、なんだか小さな妹のようだ。
高いところに手が届かないので、わざわざ脚立を使って本棚を整理するさまが何ともかわいい。
「それでその、対策室の室長殿はどこに? ご挨拶をしないと」
「わたしが室長です」
「やや! こ、これは失礼しました!」
黒狐のF.S.が脚立から降りてくるまでハナーは必死に頭を下げ、恐縮した。
とても低く頭を下げてもなお、妖精級の室長さんの方がまだ小さいのでやりづらさこの上ない。
「わたしはF.S.特別対策班の責任者、ツキノ・クロバーツ警視です。どうぞよろしく」
「けけけ、警視!? うちの署長は警視正だから、その次に偉いんですか!」
「はい。警視の直属の部下が巡査では困るので、わたしの一存であなたを巡査部長にしました」
「しました、て……、気軽におっしゃる……」
ツキノ警視は無表情のまま受け答えする一方、ハナーは先ほどから百面相もいいところだ。
応接用のローテーブルに楽にして座るように言われて、ハナーは室長自ら用意してくれた缶コーヒーを前にすると思い出したようにダンボールからドーナツ箱を差し出した。
「美味しいですよ! せっかくだからいかがですか室長!」
「いただきます。F.S.は動物と同じく、カロリーを摂取しないと飢えてしまいますので。この地下深くだと警察署まで料理を配達させても、さらに職員に運ばせないとなりません。署内運搬用ドローンも地下までは運用できません」
「じゃあ普段はなにを?」
「冷凍ねずみです」
「あー……」
ハナーはドーナツを頬張っている途中で冷凍ねずみの味を思い出してしまい、少し青ざめた。
一方、よほど食べつけているのか、ツキノ警視は冷凍ねずみの話でも涼しい顔つきのままだ。
「いえ、わかりますとも。冷凍ねずみ一匹50クレジットくらいで安く買えて、栄養あって、調理済みのやつはけっこうイケるんですよね。とくに狐型のF.S.だと妙に美味しく感じる味覚補正があるからクセになってしまって。けど生身の時に食べるのには抵抗感あるのに不思議ですよね」
「わたしは生身でも食べます。F.S.の食事と本体の食事は別々に摂取しないとならないのが難点ですから、同じ冷凍ねずみを食べれば一石二鳥です」
「そ、それは合理的です、ね」
ハナー・マルデス巡査部長にとって、それはネコのエサやりついでに高級ペットフードを常食する飼い主をあろうことか上司に持ってしまったことを意味した。
アプリコットシティの食品事情は年々、旧世紀より悪化の一途をたどっているとも、より環境負荷の最小化に配慮しているとも問題視されているが、その縮図を見てしまった形だ。
ツキノ・クロバーツ警視。
妖精級の黒狐F.S.に私物の書架、冷凍ねずみの常食、かわいい見かけに反して相当な変人だ。
その変人幼狐警視になぜまたハナ―は転属させられたのか、そこが気がかりだった。
「あの、わたし、どうしてここに配属に……?」
「F.S.のログを確認しました。あの状況下で見事な機転と勇敢さです」
「いやぁ、それほどでもありますが~!」
「が、あなた個人の活躍はわたしにとって重要な点ではありません。こちらをご覧ください」
「あ、ですよね……」
尻尾をしんなり萎えさせ、調子ノリを打ち砕かれたハナーはツキノ警視のノートブックを覗く。
少々専門的なデータやグラフの羅列にちんぷんかんぷんなハナー。
「か、解説をおねがいしてもいいですかね」
「失礼、自分にわかるようメモした代物で他人に見せる意図を忘れきっていました。反省点です」
意外に素直だ。
「マルデス巡査部長、端的に言えば、あなたのF.S.はとても高いシンクロ率を検出しています。そしてとても貴重なケースF-90の発現過程にある。アプリコットシティ警察としてあなたのデータサンプルを取得、研究することは重要な意義があります」
「ケースF-90……?」
「この場合の“F”はファンクションキーと同じ“機能”を意味します。F.S.に備わる機能のうち、90番台目以降のパラメータは空欄として存在しないことになっています。その“仕様上存在しない機能”を総じてケースF-90、空欄の九十番とも呼びます。これはシンギュラリティです」
「もうちょっとわかりやすく言うと……?」
「特殊能力、超能力、チート、スーパーパワー。とにかく興味深い」
「なにそれすごい」
「そして危険です。あなたは要監視下にあり、最悪の場合はそのF.S.を抹消処分します」
「ええっ!? こ、困ります!! F.S.は一生涯モノですよ!」
「勿論、代替品と補償金は支給されますし、こちらも貴重なサンプルを無意義に処分はしたくありません。ですからあなたをわたしの手元に置き、経過観察を行い、あなたのF-90の機能開花を見届けたいというのが事の経緯です。わかりましたか?」
「は、はい、ハナー巡査、了解いたしました!」
ビシッと敬礼して高らかに返事する。
それさえやっとけばなんとかなる、というのがハナー・マルデス巡査“部長”の人生訓の一つだ。
「二階級特進を忘れていますよ。それとケースF-90の発現兆候は機密事項です。くれぐれもいくつかの機密事項について、家族、友人、恋人、また警察署内でもわたしの許可する人物以外には秘匿をおねがいします」
「あ、はい。それならご心配なく、だって……あ、いえ、なんでも」
ここまで元気はつらつと歯切れのよさが取り柄だったハナーが急に押し黙ったのが気に食わないのか、無表情、とりわけ笑うことのないツキノ警視は少しだけ睨むようなきつい目つきをする。
「上司として命じます。理由を話しなさい」
「ひっ! は、話します、話しますからそんな怖い顔しないでぇ!」
「怖い顔……? わたしが?」
ツキノ警視は自分の頬をもちもちとさわって確かめ、不思議がる。
「このF.S.は感情表現設定を最小値にしてあります。生物学的人形を、生物学的人形らしくしておくための措置です。他人に表情から心中を見透かされるのも不利益が大きい。いえ、そんなことより、ちゃんと理由を話しなさい、早く」
ツキノ警視は言ったそばから余計に不機嫌そうな表情をしつつ、表情筋を確かめているつもりなのか、むにゅーと、もにゅーと、ほっぺたを引っ張るものだから面白かわいい顔になっている。
ハナーはうっかり笑ってしまいそうになり、焦る。今ここで笑うのは警察人生に関わる。
表情に出すまいと、代わりにタムタムと足先を動かし、尻尾に感情を代替表現させてやり過ごす。
「はっ! 理由ですが! 本官に家族、友人、恋人、また署内で特別に付き合いの深い人物はおりませんので! ついうっかり話すような相手がいないのであります!」
「……本当にですか」
「本当にでありますです!」
感情表現設定を最小値にしている、と言っていたツキノ巡査は今度は無表情を貫いている。
確かに、これではなにを考えているのか、どういう反応なのかわからない。
哀れみ、驚き、飽きれ。
積極的に示すつもりがなければ、人形越しにはなかなか相手の心が見えてこない。
“毛深い予備品”
これを求めたアプリコットシティのある種の人々にとって、自他の心が隠れることは幸福だった。
これがふたりの、警察署内随一のF.S.依存者同士の初顔合わせだった。
◇
ツキノ・クロバーツ警視によるハナー・マルデス巡査部長の経過観察は早くも一ヶ月が過ぎた。
ハナーは機能テストと訓練、そしてこれまで通りの巡回任務にあたる。
ツキノは半日を地下室で研究して過ごして、もう半日だけハナ―に同行して現場でパトロールや緊急出動に付き添い、直に観察するという日々だ。
これを休暇日以外、ひたすら繰り返す。
「そうですね、もうすぐ還るたまごを見守る親鳥の気分でしょうか」
ふたりの状況に大きな変化は生じず、なんらかの偶発的事件が発生しても「いってらっしゃい」の一言であとは見守るだけのツキノ警視はいわゆる相棒らしさはてんでなかった。
ひたすら観察、その場その場で手伝ったりはしてくれない。
ほとんどの場合、それで困ることはなく、ちょっと寂しいほどに衝突らしい衝突もなかった。
ふたりともF.S.という生物学的人形を通してのみ接している。生身で一度も顔を合わせたことのない間柄なのだから、そんなものなのかもしれない。
「え、休暇日に本官の“本体”に会いに行きたい? そ、それは困ります!」
「プライベートの秘密を守りたい心理は察します。法律上、正当な理由なくF.S.の本体確認や自宅訪問の強要はできかねること。捜査令状でも取得すれば別ですが……。ですから上司として命じるというわけではありません」
「じゃ、じゃあ、素直にあきらめてくれても」
「そうですか、イヤですか」
ツキノ警視は無表情のままじっと見つめてくる。何かを訴えてくる。
ハナーはそそくさと逃げようとするが、さっといつになく俊敏にまわり込んで逃げ道を塞がれた。
この引きこもりがち変人幼狐、意外と動ける。
「す、素顔の自分を見られて幻滅されたらイヤじゃないですか」
「……わかる」
「わかるならわかってくださいよ~」
「一般論としてです。歴史を紐解けば、F.S.のような非接触技術の進歩、代替人形に社会生活を代行させるという発想は社会が匿名性を求めたことにも起因します」
ツキノ警視は詰め寄るのをやめて、今度は小難しく説き伏せにきた。
妖精級の小狐が物語るにはなんとも難解な話で、どうにもアンバランスでならない。
「旧世代での接触感染ウィルスの蔓延をきっかけに、戦争、経済摩擦、食糧難、気づけばあれよあれよと世界人口を八割減らす結果となりました。やがて暗い森に獣が隠れ棲むように、わたしたちの社会は代替品にリスクを押しつけることをよしとした。わたし個人は、これはこれで快適な社会のあり方だと思っているのですが、幸い、まだわたしは少数派のままです」
「はい、少数派その2です! 秘密サイコー!」
「しかし自分の情報を秘匿したい一方、他人の情報を獲得したいのが人の業です。気になります」
「理不尽だ!?」
「ひた隠しにされるほど気になるのは推理小説でも何でもそうでしょう、わかるでしょう」
「……わかる」
「わかるならわかってください」
「個人的興味ってことですよね! それ!」
「そう、個人的興味です」
ツキノ警視は久方ぶりに、あの不機嫌そうな表情で見つめてくる。
ちっとも微笑んだりしてくれないくせに、不満な時だけは感情表現が漏れ出すのだ。
ハナーはとても迷ったが、あまりにしつこいので仕方なく折れることにした。
「わかりました。次の休暇日、わたしの本体を紹介します。でもプライベートだってことを忘れないでくださいね、ツキノ室長。F.S.でいいから私服でおねがいします」
「では、休暇日を楽しみに待っています」
ツキノ・クロバーツは口ではそう言いつつも一切微笑んだり楽しそうな素振りはみせない。
それがすこし、いや、だいぶ、不安でいっぱいのハナ―には不満だった。
◇
休暇日当日。
待ち合わせ場所は遊園地の園内で、まず休暇らしいことをして心の準備をすることになった。
ハナー・マルデスの条件はこうだ。
もしこの遊園地で半日過ごしてみて、不安が解消されなかったら本体との面会は中止にする。
仕事上の上司としては会いたくない。もし友人のようなプライベートな関係性を構築できる気がすれば、公私の“私”としてハナーの本体を明かしてもいいということだ。
約束の場所、約束の時間。
不安いっぱいのハナーは十分前に遊園地の入場ゲート前に着き、そわそわと待っていた。
「人、いっぱいだなぁ」
アプリコットシティの遊園地は創業百四十年の歴史と伝統がある。
旧態然とした大掛かりな物理アトラクションは今では古さを珍重されるものばかり。人口減少その他で廃墟化した遊園地は数しれない中、歴史的価値のある場所だ。
ここを訪れる人々の姿を見れば、アプリコットシティの縮図がわかる。
生身の人間は七割ほど。残りの三割のF.S.はとりわけ特別視されることもなく、馴染んでいる。
その理由のひとつとして、生身の人間もまた、あえてF.S.に擬態したり、仮想したりするような装飾パーツを好んで使っているということだ。
特に動物型フェイスガードは人気が高い。ウィルスや花粉、砂埃などを除去することで呼吸器を守るだけでなく、素顔を隠すこともできる。今現在この場に着用の必然性は無きに等しいが、フェイスガード文化がすっかり定着してしまっているのだ。
それらを踏まえると、じつに四割しか素顔を晒しているものはおらず、私服のハナ―を不思議がるものはいない。赤茶色の狐型戦士級F.S.はすらりとスタイルがいい女でしかない。
「おまたせしました」
ツキノ警視、黒毛の幼い狐型妖精級F.S.のいでたちは完全に遊園地に馴染んでいた。
いや、正しくいえば、遊園地のマスコットキャラクターとまったく同一のチャーミングな衣装を着ていた。もはや持ち前の愛くルックスと合わさって、園の内側から迷い出てきた妖精さんだ。
そして危惧した通りに、他の来園者に「かわeー!」とキャーキャー叫ばれ「撮影いいですか!」と親子連れに頼まれて無感動顔ダブルピースをさせられている。
ツキノ警視も断ればいいのに、遊園地でテンションの舞い上がった一般市民の押しの強さに「あ、ちょ……」「はい、まぁ……」と消え入りそうな声で返事して流されている。
よくよく考えるとツキノ警視はいつの間にかハナーとは饒舌に喋るようになったが、初対面の時、なんだか声が小さかった。
「あれ、ツキノってあんなに弱々しかったんだ……」
ぽけっと突っ立って見ているハナーに「た、助けて」と救援を求めるツキノ。
ハナーは頼られて少し上機嫌になりつつ「すみません、この子わたしとデートしにきたただの来客なんですよ~」と事情を軽く話して、どうにかこうにか救出することに成功した。
「つ、疲れた……」
入園直後にはもうツキノはくたくたな様子で休憩がてらレストランのテーブルに突っ伏した。
ハナーはいつもと違うツキノの一面をにやにや顔で堪能する。
「マスコットの衣装なんて買ってくるからですよ~」
「わたしなりに時と場合をわきまえたこの場に相応しい衣装を吟味してきたんです。それが裏目に出た、誤算があったとしても、不適切や不格好なわけではありません」
「それはそう。かわいい」
「上司にかわいいとは何ですか」
「今はプライベートだという約束ですよ、ツキノ室長。いえ、ツキノちゃん?」
「ツキノちゃん……!?」
最小値に設定されているはずの感情表情が、流石にこれは漏れ出している。顔がうっすら紅い。
いつも偉そうな上司を手玉に取れるチャンスなんて滅多にないので、この優位な立場をしゃぶりつくし、あわよくば本体との面会がご破産になればとハナーは煽る。
「プライベートだとしてもわたしは警視ですよ!?」
「そのカッコーで警視は無理でしょ~」
「年齢、五十歳過ぎですよ!」
「あ、それは知ってます。この時代、五十歳なんてまだまだ若いうちじゃないですか、最長寿命は二百歳届くかもって時代ですよ? それより何を注文します? あ、ここ冷凍ねずみはありませんよ、ツキノちゃん」
「くっ! 注文はあなたにおまかせします! ハナー巡査部長!」
「ハナーちゃんで」
優越的地位の濫用はこういう時にやるものだ。
「は、ハナーちゃん、さん、注文を……おねがい……します、です」
愉快痛快この上ないとばかりにハナーは上機嫌になり、鼻歌まじりに注文する。
「すみませーん! 新鮮ねずみと代用レタスのベテルギウス風サラダをひとつ!」
「……あるんですか」
「ありましたねぇ」
なんだかおかしくて、ハナーはいつものように元気よく笑った。
つられて笑ってくれる気がしても、ツキノは笑うという感情表現をF.S.にさせなかった。
でも、なんとなく、きっと楽しいはずだとハナーは勝手にツキノの心の内を仮定した。
◇
遊園地のアトラクションは百数十年前の代物だけに古臭い気がしてならなかった。
今ではもう採算性を疑問視され滅多に新造されないジェットコースターという鉄製の高架軌道上を滑走する遊戯設備なんて、とくにハナーは舐め腐っていた。
「これVR空間で乗ったことありますけど、そんなにわーきゃー言うほどだったかなぁ」
「VRアミューズ世代は馴染みがないのは当然ですか、わたしも、いつ以来でしょう」
このジェットコースターなるもの、かつて乗客は遊べるまで何十分と行列を作って待機したらしい。今は乗車予約を行い、時間通りに来れば無駄に並ぶことなく乗ることができる。
それでも少し待ち遠しくて三分前に乗車ゲートで待機してしまっているハナーとツキノ。少しくらいなら待つ時間も娯楽の一部。立ち話も一興だ。
「ハナー、あなたが遊園地を指定した時はすこし驚きました。昔よく遊園地に家族を連れてくる機会があって、このジェットコースターに乗るのはそう、十数年ぶりくらいでしょうか」
「家族? ご両親とですか?」
「妻子とです」
「妻子!? え、ええ?」
衝撃的な一言にハナーは細長い狐の口をあんぐり開けた。一方ツキノは淡々と話をつづける。
「今時、同性婚や同性出産くらい驚くに値しないことでは?」
「それもですけど、まず結婚してたことがびっくりで……。だって一度も家族のいる素振りなんて」
乗車時間だ。ふたりはあわててジェットコースターに乗る。
そして地獄を味わった。
「ぎゃああああああああああっ!! ふぉわああああああああー!?」
ハナーはこの原始的アトラクションに心底恐怖した。VRアミューズメントでも擬似的に視覚や触覚を刺激されるが、いかに再現度を高めようと所詮は仮想現実、頬を切る風も臓腑を揺さぶる振動も荒ぶる疾走感も野蛮なまでのアップダウンもすべてが絶叫に値した。
これをF.S.どころか生身で遊び、時には事故で死者をも出したというのだから昔の人々はなんて野蛮この上なかったのだろうとハナーは……いや、乗ってる最中にはもう何も考える余裕はなかった。
一方、ツキノは口を真一文字に結んで、青ざめながら必死に耐えていた。
終わってみれば死屍累々。ふたりして花壇前のベンチにぐったり座って後悔する惨状だった。
「F.S.越しでも死ぬかと思ったのに、これを生身で乗ってる人達は狂ってませんかね!」
「……まったくです。ああ、天国か地獄にでも連れて行かれる思いでした」
ツキノは一見して飄々としている。やはり感情表現の最小値設定はずるいとハナーは不満がる。
しかし表向きは隠せても、話の文脈から読み取れてしまうものがある。
「……亡くなってるんですね、ご家族」
「自分の情報を秘匿したい一方、他人の情報を獲得したいのが人の業です。しかし例外はあります。自分の情報を伝達したい欲求もまた人の業です。不特定多数には隠したい。けれど、あなたになら教えてもいい、伝えたいとおもいました。家族、友人、恋人がいないと言っていたあなたの秘密を知るにあたって、お互いの共通項がひとつ増えるのは好都合ですから」
ひどく冷たい、迂遠な言い回しをするツキノ。まだなにか隠しているとハナーは直感した。
亡くなった妻子という事実をも情報取得のカードにする価値が、ハナーの正体にあるだろうか。
いや、きっと無い。
ツキノ・クロバーツ警視の目的はハナーのF-90開花の観察と研究。
でも、その先に何があるのか。
「……あの、ツキノ室長」
「ツキノちゃんはおしまいですか」
「これは上官として答えてください。ツキノ室長がF-90を研究なさりたいのは亡くなったご家族と関係がある、そうですよね」
「そうです。別に隠し事ではありません。F-90を開花させた凶悪犯の事件に巻き込まれて、私は愛する妻子を失いました。よくある話です。そして私情に走っているわけでもありません。F-90の開花プロセスを解明することは公共の利であり、F.S.特別対策班の存在意義です。何か、不都合でも?」
「いえ、あの、その、警察官としての立場上の不服はありません、ですが……」
ハナー・マルデス巡査部長とツキノ・クロバーツ警視という部下と上司としての問題はない。
しかしハナーの赤茶色の尻尾は不機嫌さを如実に示していた。
「わたし、帰ります!」
「待って!」
不意に逃げ去ろうとしたハナーを、ツキノは必死に手を伸ばして尻尾にしがみついた。
しかし妖精級のツキノの小柄さでは踏ん張れず、ずるずると引きずられながら尻尾スキーみたいな絵面
になってしまっている。
「手を離してください、戦士級のF.S.を力ずくで止められる訳ないんだから!」
「そ、そうですけど! わたしは言葉で説得するつもりでこうしてしがみついているのです!」
「じゃあ怪我しないうちに言いくるめてみてくださいよ!」
ずるずる、ずりずり。
ハナーの馬力によって段々と勢いづき、ツキノの尻尾スキーは順調に加速する。
「まず何が不満だったのですか! 突然すぎます!」
「感情表現の最小値化なんてしてないんですから見ればわかると思いますけど!」
「F.S.でも生身でも言葉にしないとわからないことは山ほどあります! 言いなさい!」
「じゃあ言わせて頂きますけど、わたしは! ツキノちゃんとデートだって期待してたんです!」
「で、デート!?」
ハナーは少しずつ、少しずつ、小走り程度の速さで退場ゲートへと迫っていく。
大昔の死した古典表現を用いるならば、激おこぷんぷん丸だ。
「個人的興味だなんて言って強引に約束してくるものだからですね! 勘違いしちゃったんです! もしかしたら仕事上の付き合いじゃなくって、プライベートの、特別な関係になれるのかなって! そうじゃなきゃ、今更わたしの本体に会わせるなんて無理です! すみませんけど!」
「い、至らない点があったことは謝罪します! ですからどうか落ち着いてですね!」
「乙女の純情を弄んだ罪は重い!」
退場ゲートまであとわずかと迫り、いよいよもってハナーの暴走は止まらない。
ずざざざざっ。ツキノは往生際の悪いことにまだ尻尾を離さないでいた。
「ハナー! あなたの言い分は理解できました! ですから説得されるまでお待ちを!」
「じゃあ一言で! ズバッと説き伏せてみてくださいよ!!」
ハナーとツキノの問答は当事者間ではとても真剣で大切なことだった。
それが傍目にはカップルの痴話喧嘩か、姉妹喧嘩にでも見えたことだろう。まさか巡査部長と警視のF-90という機密事項をめぐるやりとりでもあるとは想像もつくまい。
退場ゲート前に到達した。
ハナーはくるりと踵を返して立ち止まるとツキノに最後の説得をさせる猶予を与えた。
――というより、問答無用で振りほどくことは身体能力差でいくらでも可能だったので、ハナーは逃げ出しつつも追いすがって必死に引き止めてほしいというめんどくさい心境だった。
いまだ科学的に解明できずにいる未知の心理、乙女心である。
そしてここほど必死にしがみついてあきらめず今に至るだけでもハナーは内心けっこう嬉しく満足しつつあり、尻尾を小刻みに振っていたが、ツキノは説得に必死でまるで気づかないまま叫んだ。
「わたしだって! 今日を個人的に楽しみにしてました! 本当です!!」
感情表現の最小値設定では抑制できないほど必死の形相でツキノは吠える。
リミッター設定なしのハナ―は上機嫌ぶりを表情に漏らしつつ、口先をとんがらせる。
「証拠は!? あるんですか!? 警察らしく物証を示してくださいよ!」
「証拠!? あ、あります! この私服です!!」
ツキノはとっさに今着ている遊園地マスコットの衣装を指し示す。人目をとても気にしつつ。
ただでさえ大声でのやりとり、職員や来客に見られているどころか一部に無断撮影されている。
そういう恥や外聞をかなぐり捨て、ツキノは渾身の説得力を叩きつける。
「あなたとの遊園地デートを楽しみにせずして、こんなバカげた衣装を選ぶ失敗はしません!!」
「……それはそうですね!」
ツキノは言い切った。こっ恥ずかしさのあまりについに赤面を余儀なくされたが、言い切った。
しかしハナーには効果抜群だった。十分な説得力に、仲直りのチャンスを伺っていたハナーはここぞとばかりに食いついて「ツキノちゃーん!!」と勢い任せに抱きついた。
お互いに感情を強くぶつけあった余熱に任せてハナーはツキノをべたべた猫可愛がりする。公衆の面前でじゃれつかれて「や、やめ……」とツキノは言いかけるが、今ここで拒絶すると話が降り出しにもどりかねないのでされるがままにもみくちゃにされた。
無論、ばっちりと無断撮影は続けられており、赤毛と黒毛の大小狐娘がじゃれつくさまはライブ配信され、現場とネット上どちら側からも見物人の好き勝手なコメントが飛び交っていた。
その状況下でたった一人、いや一匹のF.S.が自分自身を小型ドローンに撮影させていた。
「ドーモ、赤いネズミです」
フードを目深く被った妖精級ネズミ型F.S.はその瞬間まで、単なる一般来客でしかなかった。
遊園地の入場ゲートを通る段階で、重火器や電刃の爪は手荷物検査により排除、一時回収される。
ある例外を除いて、それは脅威度ゼロの一般来客でなければならなかったのだ。
「今日は遊園地を爆破します。応援よろしこ」
一般的量産モデルの妖精級ネズミ型F.S.の配信中継という凡庸な構図は次の瞬間、その背後にある観覧車での盛大な爆発という形で、世紀の犯罪ライブ配信へと変貌した。
赤いネズミ。
それは「爆弾魔」とでも呼ぶべきF-90を開花させた凶悪犯である。
週末の遊園地は突如、大事件の犯行現場と化した。
◇
凶悪指名手配犯「赤いネズミ」の犯行現場にハナー巡査部長とツキノ警視が居合わせたのは幸運であり、しかし不運でもあった。対F.S.用戦闘装備を遊園地デートには持ち込んでいないからだ。
「ハナー、応援を待つ猶予はありません。今ここで赤いネズミを捕縛しなくては」
ツキノ警視は銀輪の手錠を示す。非殺傷性の捕縛道具なので園内に持ち込みができたのだ。
ツキノにとってF-90を悪用する凶悪犯は不倶戴天の敵、彼女は静かな怒りに震えていた。そしてまたトラウマを抱く恐怖の対象でもあった。
「……私がやります! ツキノ室長は下がって! 私のF.S.なら爆破されても本体は無事です!」
ハナーは物陰に隠れて「赤いネズミ」へ、肉弾戦を仕掛けるタイミングを測る。
ツキノが前に出られないよう、遮りながら。
「確かに私の戦闘適性はあなたより遥かに低い。ですが、同時に仕掛ける方が勝算はあるはずです」
「……ずっと考えてたんです。いくらF.S.依存度が高くたって、地下室で冷凍ねずみを生身とF.S.共用で食べつづけるのは行き過ぎだって。ご家族の話を聞いた時、合点がいきました。ツキノ室長の本体は、その時、もう失われていたんですよね」
ツキノは沈黙で答えた。
ツキノの抱えていた重大な秘密を暴いてしまった罪悪感に苦々しく歯噛みするハナー。
誰にでも知られたくない秘密のひとつやふたつはある。
それでも今は、この真実を突きつけるしかなかった。
「ツキノ室長は“毛深い予備品”じゃない。壊れたら死ぬカラダです。だから私がやります!」
「警察官として己の命かわいさに市民を見殺しにする訳には……」
「あなたの部下を、信じてください」
ハナ―は力強く言葉した。
ツキノは微震した。それがいかなる表情であったか、ハナ―には読み取れなかった。感情表現の最小値設定のせいではない。標的のみを見据えて、もはや振り向くことがなかったからだ。
「……F-90です。拳銃も電刃の爪もない今、あなたの武器になるのはこの手錠と君のF-90だけです」
「でも、まだ開花してなかったはずじゃ……」
「ぶっつけ本番になって申し訳ないのですが、実証実験段階にある九十番機能外部強制開花及び制御装置、EX-F-90を私がここでオペレートします。最悪の場合、そのお気に入りのF.S.は全損しますが……それでも」
「やりましょう! 市民とツキノの命を危険に晒すよりずっとマシです!!」
「……では、作戦を開始しましょう」
ツキノは拡張現実キーボードを空中に展開、パスワードを入力、上位アクセス権限でハナ―のF.S.の秘匿領域に接続した。
秘匿領域は所有者であっても原則的に操作できない、F.S.の深層部だ。とりわけ精神リンク確立中に外部アクセスを行うことは、言わば生きた人間の内臓を施術するに近しい。
ツキノは慎重に、繊細に、これまでの一ヶ月間で得たデータに基づき、開花寸前であるハナ―の空白の機能、F-90に触れることで、その特殊能力の蕾を花開かせようとする。
その完了を待って、ハナーは赤いネズミの捕縛を実行に移すという手はずだった。
しかし刻一刻と悪化する状況がそれを許さなかった。
「はい、メリーゴーランド爆破っと。次はどれにしよっかなー」
爆発炎上する遊園地を背景に、赤いネズミは悪逆非道の配信をこれでもかと楽しんでいた。
警備ドローンが捕縛しようと迫ってくれば、赤いネズミは掌をかざして「はい、ドッカーン」とつぶやき、いとも容易く木っ端微塵にする。
「爆弾魔」のF-90は「標的を目視しつつ手をかざす」という極めてシンプルなシングルアクションのみで対象を破壊できた。威力は手をかざした秒間に比例するが、銃弾一発を撃つ程度のちいさな挙動のみで等身大サイズの標的は爆砕できる。今この状況下、その機能は無敵に等しかった。
もし私服ではなく警察官のいでたちで退場ゲートにハナーとツキノが立っていれば、何の前触れもなく爆殺されていた。
これだけ理不尽な異能力、破壊行為に特化したF-90を発露したとしても赤いネズミ個人、その本体が秀でたものとして社会は評価しない。使い道のない爆弾魔を、赤いネズミは持て余した。
「んー、ダークマネーの送金ペースが遅いなぁ。建築物だけじゃ視聴者はご不満とみえる」
赤いネズミは周囲を見回した。
この騒乱の中、母親とはぐれてしまったのか、ひとり女の子が泣いていた。
「おかあさん、おかあさん……ひく、ひぐっ」
いや、それは猫型の妖精級F.S.だ。
「“毛深い代用品”を壊しても本体は死なない。死ぬほどの痛みを味わうし、一生トラウマになるかもだけど。死なないんだったら遠慮なく破壊してもいいよね」
赤いネズミは掌をかざす。
「3、2、1……ドッ」
言い切る前に、標的の爆破が実行される前に、ハナー巡査部長の投擲した警備ドローンの残骸破片が肩に激しく命中した。暴発を避けるためか、爆発は生じない。
「ハァハァ……! 死ななきゃなんでも許される訳ないでしょ!!」
「……なに、君? これ、生配信中なんだけど」
「警察です! 無駄な抵抗はやめて降伏しなさい!!」
ハナーは内心、焦っていた。まだ強制開花が済んでいない。でも、もし見捨てても市民の命が無事だけは無事だと頭ではわかっていても。
一生癒えない心の傷をちいさなこどもに与えようとする卑劣な悪行を、黙って見過ごせるようならハナーは警察官に志願していなかった。
「……で、これも防げる?」
赤いネズミは爆弾魔のF-90の標的を、再びちいさな女の子へと向けようと振り返った。
しかし視界の中にいない。忽然と消えていた。
(助かります、ツキノ室長……!)
ハナーの不意打ちに気をとられている間に、自らの危険を織り込んだ上でもなお優先して、ツキノは少女の救出を見事にやりとげ、物陰に避難していたのだ。
そして同時に、ハナーの拡張現実視界にF-90の開花宣言が示される。
「ハナー・マルデス、満開の開花宣言です!」
「……はぁ。今すぐ死んでよ」
赤いネズミは標的を定め、連続小爆発を連射した。爆破間隔を極小にして回避不能の超高速連続爆破を刻むことで秒間二十回もの極小爆発を浴びせる。その一撃ずつが自動小銃の弾丸を上回る威力となれば、戦士級F.S.の並みの銃弾にも耐えるボディーを破壊し尽くせるはずだった。
しかし回避不能ならば防御不能というわけではなかった。
空間座標指定型の極小爆発が瞬くように爆ぜるたびに、それは爆炎ではなくて“花びら”に変換され、大量の花吹雪を散らした。
アプリコットシティ警察を象徴するシンボルマーク――季節外れの白い桜の花びらが舞い散った。
疾風迅雷、ハナー・マルデスは桜吹雪の中を全力疾走する。
「はぁぁぁぁぁーっ!!」
「はい、そこ罠」
赤いネズミは巧妙に“地雷”を仕掛けていた。自身の周囲にランダムに仕掛けた自動識別式のF-90による地雷は目に見えず、予兆もない。そして地雷の爆発は衝撃と爆炎ではなく、周囲に散乱する警備ドローンの残骸を弾き飛ばすことでF-90を直接介在させない純粋な物理攻撃を狙ってきた。
赤いネズミはハナーのF-90を事前予測していた訳ではなかったが、偶然か必然か、その開花機能による何らかの防御手段を貫通する切り札を握っていたのだ。
F-90という同一線上での力関係は完全に、より先んじて開花して機能を熟知していた「爆弾魔」がまだ名もなきハナーの目覚めたての機能を凌駕するという自明の理だった。
「かはっ!」
飛散する鉄片が、爆炎と衝撃を桜吹雪に変換して防いだハナーを傷つける。
全身を、ずたずたにされる。
「甘いんだよ」
赤いネズミは勝利を確信した。
その余裕に満ちた表情がやがて崩れ去ったのは傷だらけのハナーが立ち続けていた為だ。
合理的に説明するならば、戦士級F.S.の防弾性能が紙一重で鉄片の殺傷力を凌ぎきったといえる。
「……ウソだろ、何で立ってんのさ、気持ち悪い」
「……根性!」
「く、来るな! こっち来るなよ!」
爆破の連射を試すがやはり通じない。地雷はもう使い切った。
ボロボロであろうとも、戦士級F.S.の強靭さに妖精級F.S.では肉弾戦で勝ち目もない。
「付き合ってらんねえ、帰る!」
赤いネズミは尻尾を巻いて逃げようとする。傷ついたハナー相手ならば逃げ足では勝てる。
鬼気迫るハナーから逃れようと必死になって、赤いネズミは背を向けて走る。
しかし物陰から突如、小さな人影が躍り出る。
赤いネズミにとっては想定外だろう。なにせ、急に襲いかかってきたのは遊園地のマスコットそっくりの可愛らしいフリフリの衣装を着た、ちいさな黒狐の美少女だったのだから。
「はぁ!?」
獰猛に、小さな人影は不意打ちによって片腕の関節をキメて組み伏せつつ、歯牙を剥いた。
電刃の“牙”《エレキバ》だ。
妖精級黒狐、ツキノは隠していた切り札によって急所の首に噛みつき、一気にF.S.を破壊しつつ赤いネズミの本体へとダメージフュードバック障壁を貫き、電子流血多量で気絶へ追いやる。
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁ!?」
断末魔の叫びをあげる凶悪犯。
F.S.を用い、遠く離れた安全なところから卑劣な犯行を重ねようとも、ツキノ特製の最新鋭の電刃の牙からは逃れられなかった。
「ハナー、手錠を!」
「十五時十三分、被疑者確保!!」
銀輪の手錠が掛けられる。完全に機能停止する赤いネズミのF.S.が沈黙する。
こうして白昼の大事件は見事に解決した。
◇
警察署長の表彰状を額縁に飾ることで、また一段とF.S.特別対策室は雑然とした見栄えになる。
当然ながら大事件の後ではデートは続行不能。休暇日は露と消えた。
「女の子の親御さん、無事見つかったそうで。あ~、お互い無茶した甲斐がありましたよ~」
損傷したF.S.が自然治癒するまで体中が包帯だらけのハナー・マルデス巡査部長は「痛た~」とうめき、ソファーに寝転がっている。
幸いにも無傷で済んだツキノは「痛覚値を最小化してあげましょうか?」と問うがハナーは「名誉の負傷ですから」と笑って断った。
「しかしわたしの正体は露見したというのに、ハナー巡査部長、あなたの正体は秘密のままですか」
「F-90の謎の究明も、わたしの正体も、じっくり調べていけばいいじゃないですか警察らしく」
「意外と大した秘密じゃなくて、引っ込みがつかなくなっているだけではないのですか?」
「ご想像におまかせします」
「いいえ、必ず真相に辿り着きます。そのためにまた今度、デートの予定を立てなくては。さしあたって前哨戦に、今度はあなたのなじみのドーナツショップでランチでも」
ふふっ。
ほんのさりげなく、しかし確かに、あのツキノがついに笑った。
「笑った! 今!」
「あ! これはその……」
ツキノはなにか言い繕おうとしたが、しかし思い直しては隠すことなく微笑んだ。
はなまる満開の笑顔だ。
「バレてしまいましたか」
「バレちゃいましたねぇ」
ハナーとツキノ。
ふたりいっしょに笑いあったのはこれがはじめてのこと。
そして、これからは特筆すべくもない当たり前のことになっていく。
心の春告げる、遅咲きの開花宣言であった。
お読み頂きありがとうございました。
お気に召しましたら、ぜひ評価(☆)やブックマーク等をよろしくおねがいします。
今回は「獣人春の恋祭り」という素晴らしい企画に出会い、着想と執筆の機会をいただくことができました。他の同企画作品も個性的なものが多くケモいです、ぜひよろしくおねがいします。
自作としてもう二作品
「狼の恩返し ~ノケモノ木こり乙女が婚約破棄して魔女に呪われた白狼王子に恩を売りつける話~」(異世界恋愛)
「九尾の狐は瑞獣なりや」(歴史)も投稿しております。
なお、当方のケモい作品は過去長編作「〆サヴァ 冒険者ギルド開業記」や「ケモ奥方は仇討ちをあきらめたい」がございます。
ケモおかわり! という方はこちらもどうぞ。