《日曜日・②》
高崎さんを直視できず目を逸らすように、私はもう一度空を見上げた。
相変わらず穏やかに晴れ渡る空は、しかしてその禍々しい大気の渦を、
そこから差し迫る世界か彼女の死を暗示し続けている。
「他に……ほかに、方法はないの?」
「あなたが考えてる方法は、多分すべて色んな国が試してると思う。
その上で最後に残ったのが、この方法なの」
高崎さんの方を向き直す。
彼女は、儚くも気丈に微笑んでいる。
「組織で過ごしていて……いずれはこんな事になると薄々感じていた」
「だから私は友達を作りたくなかった。独りで居ないと決意が揺らいでしまうから」
「でも――あなたが友達になってしまった」
高崎さんは私を真っ直ぐに、真摯に見つめてくる。
「――迷惑だった?」
思わず口をついて出てしまった私の言葉に対し、
高崎さんは目を閉じてゆっくりと首を横に振ってくれる。
「ううん。 ……嬉しかった。
本当はね、転校した時から私も不思議とあなたに惹かれてて……。
――あなたと、友達になりたかったの」
そう言って、高崎さんは私の両肩に両手をぽんと乗せる。
「だから、ね? あなただけでも逃げて。大切な友達を無駄死にさせたくない」
「わかった。 ……逃げるから、高崎さんも一緒に逃げよう?」
「――お願い、わかって」
「嫌だよ。 わかりたくないよ……」
無為な問答がいつまでも続く。
噴水が静かに噴き上がり、そして収まるのを繰り返す音だけが聞こえる。
「私一人の命で世界が救われるのよ? 私だけは、逃げるわけにはいかないの」
「世界が救われても、高崎さんは救われないじゃない!」
「それでもあなたは――あなたは、救われるじゃない!!」
「――救われないよ!!」
一際高く噴き上げる噴水の音すらも掻き消す声で、私は叫んだ。
「せっかく仲良くなれたのに……このまま高崎さんを見捨てて逃げ出したら、
私は一生、その事を後悔して生きていく事になっちゃうよ……」
目の前の視界が歪み、まばたきをするたびに頬を熱いものが伝うのを感じる。
(高崎さん……)
――誰からも呼ばれず、誰とも話さず隅っこでじっと座っている女の子。
先月転校してきたその子のことが、私は気になって仕方がなかった。
身体が引き寄せられるほどに惹かれていたその子と初めて話して、
LINEでいっぱい話して、美味しいものも一緒にいっぱい食べて……。
たったそれだけの、たった1週間の出来事が、
私が生きてきた17年間の中で、最もかけがえのない1週間となっていた。
(高崎さん、高崎さん……っ)
「――わたしだって」
絞り出されるような声が聞こえて、俯いていた顔を再び上げる。
「わたしだって死にたくない……あなたも失いたくない……」
「……でも、でも……これ以外どうすればいいのか分からないよ……」
(高崎さん、高崎さん、高崎さん――っ!!)
気付けば、彼女も顔をくしゃくしゃにして涙を零している。
私はただ引き寄せられるままに、視界もぼやけたまま彼女を抱きしめた。
「――う、ぁ……うあぁぁぁ――っ!!」
堰を切ったように大声を挙げて泣きじゃくる彼女を両腕で包み、
そのまま優しく後頭部を撫でる。
「――高崎さん、隕石が落ちるまではまだ時間があるんだよね?」
腕の中で彼女は頷く。
「まだ何か方法があるかもしれない。せっかくだし考えてみよ?」
腕の中で彼女は頷く。
「考えて考えて……何も思いつかなかったら、予定通り頑張ろう?」
腕の中で、彼女はゆっくりと頷く。
「私も側で応援するから。最後まで応援するから」
「高崎さんを、もう独りにはさせないから……」
腕の中で――腕の中で、彼女は頷く事はなく。
幼子のようにただ泣き続ける声が、他に誰も居ない公園の空に響いた。
【世界滅亡まであと1時間30分】
・
それから私は、高崎さんと色んな事を話した。
高崎さんが転校してくる前のことや、転校してきてから先週までのこと。
高崎さんが独り暮らしで朝も夜もカロリーメイト三昧なこと。
高崎さんが組織の仲間達と上手く意思疎通できず、英語の勉強を頑張ってること。
そして――高崎さんが秘めている能力のこと。
「私達は身体を通して地球そのものが持つ磁力を放出しているの。
だから地面に足が着いてないと力が全く出せないのよ」
なので高崎さんがスペースシャトルに乗って、
宇宙で隕石の軌道を逸らしたりする事はできなかったみたい。
もうすぐ落ちてくる隕石をギリギリまで押し返しながら車やボートで逃げる、
なんて作戦もちょっと難しそう。
「後輩はエアーズロックの上で彗星の軌道を捻じ曲げたそうよ。
日本にはそんな素晴らしい高地は無かったから、
せめて小惑星に一番近付ける場所で磁力を放とうとしたんだけど……」
先程も話してた富士山の中腹で迎え撃つ作戦は、結果的には失策だったらしい。
氷雪が混じる不安定な大地はとても磁力を汲み上げられる環境ではなく、
何より高崎さん自身のコンディションが崩れて作戦どころでは無かった。
「その後、小惑星のだいたいの落下予測地点が割り出されて、
その付近で私が最も力を発揮できる広い場所……ここで迎え撃つ事になったの」
「え、でもこの公園に隕石がぴったり落ちて来るものなの?
確かにさっきニュースでもここに落ちるって言ってたけど……」
「そうするようにしたのよ」
言いながら高崎さんは地面にしっかりと両脚を踏み込み、
目を閉じながら上空に向けてゆっくりと右手を伸ばす。
「――――っっ!?」
瞬間、凄まじい大気の震えと共に一筋の波動が上空に突き抜けた気がした。
「な、なに、今の……? 今のがもしかして、高崎さんの……?」
「ええ……引力を宇宙に向けて飛ばしたの。
範囲は大雑把だけど、何回か飛ばせば小惑星はここに引き寄せられてくれる」
平常時にやったら飛行機が堕ちちゃうから固く禁じられてるけどね、
とおどけながら彼女は付け足したが、とてもじゃないけど全然冗談に聞こえない。
「まだ宇宙にある隕石を引き寄せるなんて……
そんな凄い磁力でも隕石を押し返すのは無理なの?」
「もう地球の引力に引かれ始めてるから、それを軌道外まで押し返すのは無理ね。
下手に押し返そうとして堕ちる場所が逸れると作戦が破綻しちゃうから……
逆にこっちから私が居る場所に少しずつ引き寄せた方が都合が良いの」
海の方向と足元を交互に指差しながら彼女が説明してくれる。
「隕石を破壊するのは……磁力じゃ無理だよね」
「ええ……どんなに力を出しても、速度が落ちる程度に押し返すのが精一杯ね」
うーん、と考えながら私はベンチに座り、高崎さんも隣に座る。
結局のところ落ちてくる隕石を破壊できなきゃどうしようもないけど、
その方法が無いと世界の偉い人たちが判断したんじゃどうしようもない。
「ねぇ高崎さん、世界の偉い人たちはどんな方法で隕石を壊そうとしたの?」
「そうね……まず検討されたのが核兵器による破壊ね。
だけど破壊後の放射能汚染による影響も無視できないものだったし、
何より各国が表向きに保有してる核兵器では破壊には足りなかった。
本来なら世界の危機に表向きも裏向きも言ってる場合じゃないんだけど……」
「私一人が犠牲になるプランに舵を切れば丸く収まる。
各国の首脳陣たちは、口には出さずともみんなそう思っていたのかもね」
高崎さんの説明は全然意味がわからなかったけど、
世界の偉い人たちのせいで高崎さんが悲しい思いをしている事だけはわかった。
「あとは……そうね、組織の開発部は巨大コイルガンを使うプランも考えてたわ」
「こいる……??」
「ええ。ちょうど学校の授業でもやってたでしょ?」
言いながら高崎さんは立ち上がり、肩に掛けてた鞄からバネの様なものを取り出す。
「……?? 何それ……?」
「あぁ、そう言えば月曜の授業の時もぐっすり寝てたものね……。
これはコイルと言って、電流を通すと磁力が発生したりするんだけど……」
今度は、財布から硬貨を出してコイルの中に押し込む。
そしてその状態でコイルを右手に持ち、噴水に向けて構えて――
「――その磁力を使って、こんな事もできるのよ」
そう言い終えた瞬間、コイルから火花を挙げながら硬貨が放たれて。
物凄い速度で噴水の水の壁を突き抜け、轟音と共に遥か後方の建物にめり込んだ。
「え、すごい……かっこいい……! なに、今の!?」
「コイルの中に磁力を通して、その力で金属のコインを押し出して射出したの。
本来はコイルに電流を通すことで磁場を発生させるんだけど……
私達なら、強力な磁力を直接通して金属を打ち出す事ができる」
「すごい!すごいよ高崎さん! これで隕石を壊せないの?」
「流石にコインで小惑星を破壊するのは無理ね。
だから組織の開発部は、巨大なコイルガンを建設した」
大体あの位の大きさね、と言いながら高崎さんは池の向こうに見えるビルを指さす。
確かにあの大きさの銃から巨大な弾を発射すれば隕石も破壊できそう……だけど、
「その巨大なコイルガンはどこにあるの?」
私の問いに、高崎さんは目を閉じて自嘲気味に微笑みながら首を横に振る。
「フロリダ州、ケネディ宇宙センターの近くにある緑地よ」
建設費用や立地条件、あとは兵器への転用の恐れとか軍事バランスとか何とか、
とにかく色んな理由があって、組織の本拠地であるアメリカにしか巨大コイルガンは建設されなかったらしい。
今からそれを上野公園まで持ってきてもらうのも流石に難しそう。
「う~~ん……」
高崎さんが持っているすごい能力。
それを活かして隕石を破壊する方法もあるんだけど、ここにはそれは無い。
「何かコイルガンの代わりになるものは……例えばあのビルを磁力で飛ばすとか」
「ビルそのものを磁力で持ち上げる事は多分できると思うけど、
それをさっきみたいな速度で飛ばすのは難しいわね……」
「コイルっぽいもので包まないと飛ばせない感じ?」
私の問いに対し、高崎さんは申し訳なさそうに頷く。
「う~~~~ん…………」
分かってたけど、世界の偉い人たちが匙を投げた難題の答えには全然辿り着けない。
私はベンチに座りながら、身体を後ろまで反らせてひたすら悩む。
――その時。
「――ねぇ、やっぱり……あなただけでも逃げて……」
「高崎さん」
身体を反らしながら、私は逆さまの視界に遠く映ったものを指さす。
「あれ、コイルの代わりにならないかな?」
「え……」
高崎さんも私の身体越しにそれを見つめる。
そして、何かの閃きが身体中を通り抜けたかのように硬直する。
「――待って」
高崎さんは鞄からスマホを取り出し、何かを調べ始める。
「……全体の材質、そして中に収まった構造物……。
小惑星の軌道を修正して、あの真下に落ちるようにして……」
「行ける、かもしれない」
そう言いながらスマホの画面から顔を上げる高崎さんの表情は、
不安と困惑、そして微かな希望の混じった、とても素敵な表情だった。
「高崎さん――!!」
たまらずベンチから跳ね起き、彼女の手を取る。
「行こう高崎さん、まだ間に合う!」
「……で、でも……上手くいかないかもしれないし、そうしたら世界が……」
「どうせ私達死んじゃうんだし駄目もとでやってみようよ!
大丈夫、失敗したら一緒にあの世で世界中の人たちに謝ってあげるから!」
「でも……でも……っ!」
表情が歪みかける彼女の手を引き、蜘蛛の糸を手繰り寄せるように引っ張りながら。
私は停めてあった自転車に向けて駆け出す。
「高崎さん、教えて! 高崎さんが今思い付いた事をやる為に何をすればいい?」
「私、何でもするよ! ――高崎さんと一緒なら、どこへでも行くよ!」
お母さん愛用のママチャリの後ろに彼女を乗せ、すぐさま私も飛び乗って。
スカートが捲れるのも構わずに立ち漕ぎで自転車を走らせる。
「……あの、スカートの中、見えてる……」
「うるさーい!! とにかくまずはあそこに行けばいいのね!?」
スマホで調べた距離だとここから約4キロ。
自転車なら30分もかからない。
目指すは都内最大の建造物――東京スカイツリー。
【世界滅亡まであと1時間】