《日曜日・①》
[高崎さん、どう言うこと!?]
[逃げてってどこに!?高崎さんは逃げないの!?]
ベッドから飛び起きるや否や高崎さんに怒涛のLINEを送りながら、
私は慌てて着替えて居間へと駆け下りていく。
「おはよう結乃。何か凄いことになっちゃってるぞ」
居間ではお父さんとお母さんがTVのニュースに食い入りつつも、
のんびりと遅めの朝食を食べている。
『――繰り返します。先月より観測されていた小惑星は今日未明に突如方向を変え、
日本の首都圏に落下する可能性が高い見込みです。
政府より避難指示が出されているエリアは――』
「……しょう、わくせい……?」
L字に区切られたニュース画面を見ながら、辛うじてその一言だけを漏らす。
「何でも去年堕ちそうになった彗星と同じ規模のヤツが堕ちるらしいぞ。
うちは首都圏から外れてるから大丈夫みたいだが、
都内は今頃大パニックだろうなぁ」
そう言いながらお父さんはコーヒーカップを傾ける。
とてもじゃないけど同じようにのんびりとはできない私は、
出された朝食もそのままにスマホを操作し続ける。
[高崎さん!昨日の逃げてって、隕石が落ちるから!?]
[なんで昨日そんな事がわかったの!?]
相変わらず既読マークが着くのに一切の返事は来ない。
諦めずに何度も話しかけながらニュースを見ていると、
私にとって聞き逃す事のできない続報が飛び込んできた。
『――ただいま入った情報によりますと、
小惑星は上野公園付近に落下する可能性が高いとの見込みです。
付近の皆様は警察の指示に従い落ち着いて避難を――』
上野公園。
昨日あの場所で、空を見上げていた高崎さんの情景が頭に浮かぶ。
[高崎さん、上野公園にいるの?]
すぐに既読マークが着く。
返事は、来ない。
[ニュースでそこに隕石が落ちるって言ってた!]
[私も逃げるから、高崎さんも逃げて!]
構わずに、挫けずに私は話し続ける。
[もう~~!!]
[分かったなら分かったって返事してよ!]
[どうしても逃げないなら]
[私がそっちに行って引きずってでも逃げてもらうからね!]
そこまで入力し終えると、私はお母さんの自転車を借りて家を飛び出した。
【世界滅亡まであと4時間】
・
お父さんの言うとおり近所はまだパニックにはなっておらず、
不気味なほど静かな街並みと空模様が私を出迎えてくれた。
「すみません、上野行きの電車って動いてます?」
「あぁ……今は下り列車が大混雑してダイヤが乱れてる影響で、
上り列車もいつ動くか分からない状況だよ」
いつも通学に使っている最寄りの駅で、馴染みの駅員さんにそう言われた私はぺこりと一礼して再び自転車を走らせる。
自転車だと1時間以上はかかる道のりだけど、行くしかない。
首都高が大渋滞しているのを見上げながら、荒川に沿って走り続ける。
この方向で合ってたかな?と地図を確認しようとスマホを手に取り、
そこで初めて高崎さんの返事が来ていた事に気付いた。
[だめ]
[来ちゃ駄目]
[お願い]
[にげて]
[私に構わないで]
心の奥から絞り出したような、途切れ途切れの短文。
「――構わないわけ無いでしょ」
私は既読マークだけを着けてポケットにスマホを入れて、
スカートが捲れるのも構わずに立ち漕ぎで自転車を走らせる。
かくして辿り着いた、昨日と同じ噴水の広場。
既に大多数の避難が完了し静まり返ったその広場の中心に、彼女は立っていた。
「……あ、いたいた! ……ごめん高崎さん、待った~……?」
自転車を停めて彼女の元へと駆け出す。
「――今日は待ち合わせをした覚えはないわ」
こちらを向こうともせず、空を見上げながら彼女は答える。
その全身は学校指定の赤いジャージに包んでおり、
余所行きの格好をしてきた私と合わせて美獣と野女のような様相になっている。
「見て見て高崎さん、今日は私も頑張っておしゃれしたんだよ……!
高崎さんは今日はジャージだけど、寝坊しちゃったの……?」
「一刻も早くここに来る必要があったから、動きやすい服装を選んだだけよ」
ふんふん、と頷きながら彼女に近付く。
「その格好なら私の自転車の後ろに乗っても大丈夫そうだね!
さあ早く乗って、昨日のデートの続きをしよ?」
「――悪いけど、私は」
「駄目だよ」
拒絶の言葉に拒絶の言葉を重ねる。
「……高崎さん、ここに居たら隕石が落ちて死んじゃうんだよ?
だから早く一緒に逃げよう?今ならまだ間に合うよ?」
「駄目なの」
拒絶の言葉を更に重ねて、高崎さんは上空を見上げ続ける。
つられるように見上げた空は、昼間なのに薄暗く重苦しい大気が渦巻いていた。
「あれを食い止めるのが私の仕事だから、逃げるわけにはいかないの」
「仕事、って……そういうのは政府とか、国連とかの仕事じゃ……」
「どっちの仕事でも無いわね。公には明かされていない、世界規模の非政府組織。
そこに所属している――私の仕事なの」
そこまで言い終えた矢先、急に彼女の周りの大気が大きく震える。
私はその迫力に気圧され――いや、文字通り「引き離された」。
「――!? 高崎さん、なに、今の……!?」
「この力を感じられるなんて珍しいわね。
……これが私の力。 産まれた時から身に付いていた……磁力を操る力」
哀しげな顔でこちらを向きながら、高崎さんは全てを話してくれた。
この世界には宇宙に干渉する程の磁力を操る事のできる人間が居ること。
その力を利用して宇宙開発や宇宙からの脅威に備える非政府組織が存在すること。
高崎さんも2歳の頃にその能力を見出した組織に登用され、
実の両親の顔も知らぬまま、日本で一人きりで活動していること。
「じゃあ、去年の彗星が逸れたのも高崎さんが……?」
「あれは別の子ね。オーストラリアに居る後輩……私より若いのに凄い力だった。
私も彼女のようにやりたかった……けど、失敗してしまった」
今回の隕石を地球から逸らす事のできる最初で最後のチャンスが2日前の金曜日、
高崎さんが学校を休んだ日だったらしい。
その日は隕石が大気圏外すれすれに最も近付く日だった。
彼女は朝早くからヘリコプターで富士山の中腹まで登り、
そこから大気圏外を漂う隕石に向けて磁力を発し軌道を逸らす事を試みたが、
色々な要因が重なり力及ばず――墜落が数日伸びるだけの結果に終わったと言う。
「後はこのまま日本に向かって来る小惑星を、私の磁力で可能な限り押し返して速度を落としながら堕とすしかない」
「も、もし高崎さんが速度を落とさなかったら……?」
「あの大きさの小惑星がそのままの速度で堕ちたら――」
「世界は滅亡するでしょうね」
既に組織は世界のため、日本の一部と高崎さんを犠牲にする方針を固めたと言う。
大気圏内に入った直径1km規模の隕石を空中で破壊する方法は理論上存在しない。
組織の能力者を全て集結させても隕石を完全に押し返せる可能性は薄く、
その作戦により極めて貴重な能力者を全て失うリスクは計り知れない。
世界的な観点から考え日本を含めた全世界が秘密裏に納得した妥協案が、
落下予測地に最も近い能力者の1人を捨て駒にし、
「隕石は墜落したが世界は無事だった」と言うシナリオを生み出す事だったのだ。
「だからね」
「私が死なないと、みんな死んじゃうの」
隕石が落ちるであろう中心点で。
彼女は、儚げに笑った。
【世界滅亡まであと2時間】