残念な戦乙女
場面が変わります。
ここはヴァルハラ、志し半ばに倒れた英雄の御霊が眠る宮殿。
宮殿と言っても荘厳な装飾や華美な調度品などは一切ない。
幾何学的な魔法陣を描くように英霊石が整然と並び続け、神秘的かつ清廉な空気に満たされた神域。
その一角で、ひとりニヤニヤと薄笑いを浮かべながら、無色の英霊石をとても大切そうに磨く少女がいた。
「あの子またひとりで英霊石を磨いてるわ……」
「あの笑みは何かしら? なんだかとっても気味が悪いのだけど……」
同僚の少女達からの冷ややかな視線など一切気にせず、まるで愛する者を慈しむかのように英霊石を磨く深い黄金色の髪の少女。
ぐへへへ……やっとミドガルドへ降りる許しを貰えたのよ♪
魔力? 体力? 知力? 魅力? そんなもの要らないわ。
わたしが欲しいのは美少年! そう華奢で可愛らしい美少年を英雄に育て上げるのよ♪
イケメン? 細マッチョ? ラグナロク? 興味ないかしら。
勝手に争ってればいいのよ。
おっと、そんなことより今はキール君を綺麗にしないと……ふきふき。
キール君というのは、少女が磨いている英霊石の名前。
ヴァルキューレ候補生は英霊石と盟約を結んで初めてヴァルキューレと認められる。
少女は今から英霊石と盟約を結ぶために、仲介者である母が来るのを待っていた。
妄想にでも浸ろうかしら……。
あぁ、念願のミドガルド、目指すは地球の日本ね!!
ここ30年はジャパニメーションが熱いわ!
「その英霊石でよいのですか?」
背後から掛けられた声に気づかない。
にひひひ……キール君から "自動翻訳" の恩恵を貰ったら、ラノベも漫画も原文で読めるし、アニメも字幕なしでみれる……最高なのよ♪
それに華奢で可愛らしい美少年――は無理でも、華奢で可愛らしい少年……がダメなら、華奢な少年でもいいわ。
キール君も楽しみに待っててね♪
「シェイル? 主様から英霊石の利用許可を拝受しましたのでヴァルキューレ着任の儀式を執り行いますよ」
シェイルと呼ばれた少女は、楽しそうにキール君とお話している。
え? キール君は華奢より可愛らしいがいいの?
可愛らしい男の子なら問題ないわね?
「ギニャーーーーーッ!!!」
突然背中の中心をなぞるように走る痛烈な快感に耐えきれず、何とも言えない奇声を上げた。
「何ですかその女神にあるまじき叫び声は」
背後から聞き覚えのある声で叱りを受け、ピクリと小さく震えた後、硬直して動かなくなる。
「お、お母さま、ご、ごきげんよう」
ギギギと擬音がしそうな不自然な動きで振り返る。
「はい、ごきげんよう、シェイル、先ほども言いましたが、主様から英霊石の利用許可を拝受しましたのでヴァルキューレ着任の儀式を執り行います、その英霊石でよいのですね?」
「はい! キール君がよいのですよ、お母さま♪」
「ハァ、英霊石に名前を付けるのはあなたくらいですよ?」
「ダメでしょうか?」
「ダメではありませんが、他の者の前で、名前を呼ぶのは控えなさい」
「分かりました!」
「返事だけは良いのよね……」
やっと11年の苦労が報われるのよ♪
「まあいいわ――では、英霊石に両手を重ねて載せなさい」
「はい♪」
英霊石に両手を重ねて載せると、その上から包み込むように両手を重ねる仲介者。
少女の手の甲に温かい鉱物の感触が伝わる。
英霊盟約のタリスマン。
英霊石と盟約を交わすために、主神より下賜される無垢なる神印。
ひとつの英霊石にひとつのタリスマンしか対応せず、一度盟約を交わした英霊石は何があっても盟約者の物となる。
英霊石と盟約を交わした神は、ヴァルキュリアまたはヴァルキューレと呼ばれ、様々な恩恵が貰える。
その恩恵の幾つかが、ミドガルドで活動するための支援能力。
魔法の使用が原則禁止されているミドガルドで、まともに英雄候補を見つけたいのならば必須の能力といえる。
また、英霊石との盟約は英雄の御霊をヴァルハラへ迎え入れるための条件でもある。
『汝、英霊を欲するか? なれば無垢なる盟約に従いその力を捧げよ!』
仲介者の言霊に従って英霊盟約のタリスマンは強烈な神気を放ち、徐々に溶けて少女の手の甲から体内へ侵入。
それに魅かれるように英霊石から意思が流れ込み、体内で混じり合い、新たな神気へと変質する。
「クッ――」
苦しくはない熱くもない――だが、まるで内側から自分を塗り替えられていくような嫌悪感で、意識が埋め尽くされていく。
「大丈夫です、逆らわず受け入れなさい」
は、はい――お母さま。
言葉が出ない……それでも、畏敬するお母さまに従って強烈な神気を受け入れた。
……時間にすると約3分。
――少女の身体に留まった神気は、両手の甲に新たな神印を刻み付けた後、英霊石に吸収される。
全身汗まみれで脱力し倒れそうになると――。
「よく頑張りました。そしておめでとう、念願のヴァルキューレになれましたね」
――労いの声をかけながらお母さまが支えてくれた。
安心しきった少女は、そのまま意識を失う――。
◇◇◇◇◇
目が覚めると、そこには巨大なマシュマロ……もとい、お母さまの綺麗でおっきなお胸様が揺れていた。
汗を拭いてもらっている。
なんだかんでお母さまは優しいから大好き♪
んっ、と、少し気だるいけど……確かめないとなのよ。
「お母さま……盟約は――」
「大丈夫ですよ、手の甲をご覧なさい、神印が刻まれているでしょう?」
手の甲の神印を確認する。
「……」
「疲れたでしょう? しばらく休憩してから下界へ降りる準備をしましょうか」
「イーヒャーフーーーーー!!!」
余りの嬉しさに奇声を上げていると――前方から凍てつく波動……もとい、お母さまの刺さるような霊気を感じた。
「フーァッ!? あ、お母さま、ご心配をおかけしました」
なんとか平静を取り繕いながら見上げると――お母さまがこめかみをマッサージした後、疲れた表情でこちらを見る。
「まあ……いいでしょう。それよりも、どんな神印が宿ったか見せなさい」
「はい♪」
「英雄の領域ですか……可もなく不可もなくと言ったところでしょうか? ……いえ、シェイルの特性を鑑みるなら悪くない神印ですね。ちゃんと性能を調べて使いこなすのですよ」
「了解であります!!!」
シュタッと敬礼する。
「では、わたくしは出入国管理局へ申請を出しておきます、支度が終わったら出国窓口で所属と名前を伝えなさい、解りましたか?」
「承知しましたなのよ!!!」
ご機嫌で返事すると――お母さまが頭を撫で始めた。
「んーーーーーっ♪」
お母さまは、とても稀に頭を撫でてくれるわ。
それが堪らなく好き♪
「シェイル、知っているとは思いますが、下界での活動期限は7年です。7年を過ぎると強制的にこちらへ戻されます」
「はい……」
「多少なら欲望を満たすのも咎めません。ですが、必ずパートナー候補をお連れするように励みなさい。もし活動期限を過ぎてもパートナー候補が見つからない場合、シェイルの個人成績では二度目はありません、スクルドの【プリディクション】で選ばれたパートナーと強制契約することになります」
「――マジデスカ」
「ヒト属人間種の俗語ですか……ミドガルドの影響を受け過ぎです、本当に心配になってきました」
「ソンナコトハアリマセンヨ、オカアサマ」
当然なのよ。国選パートナーとの強制契約は絶対嫌かしら。
スクルドの【プリディクション】で選ばれる英雄は、通称、国選パートナーと呼ばれる。
その精度は恐ろしく高く、国選パートナーとの相性はほぼ完璧と言われている――。
――ただね、ひとつだけ大問題があるわ。
わたしが望むパートナーは、華奢で可愛らしい美少年。
運がよければ美少年は満たされるかもしれない……。
でも、華奢では、戦闘に関して大きなマイナス要素になるから、国選の検索条件からは除外されるのよ。
それに国選だと、選ばれたパートナーが気に入らない相手でも拒否できないわ。
拒否すると神罰をうけるかしら。
思索に耽って表情がコロコロ変わる少女を見て、微笑を浮かべたお母さまは――。
「理解しているならよいのです。しっかり励みなさい」
――そう言って、撫でていた手を頭から離すとゆったりとした所作で部屋をあとにした。
「にひひひ……準備はもう整っているのよ。あとはみんなに挨拶して出国窓口の前で待機かしら♪ おっと、キール君にもお土産は何がいいか聴かないとね!」
浮かれすぎて、浮遊している位置が定まらないまま挨拶周りの最短ルートを飛行した――。
◇◇◇◇◇
見ろ! 人がゴミのようだ!
両手を腰に付け、踏ん反り返って地上を見下ろし、高らかに宣言する。
ここは、ミドガルドの日本上空。
アスガルドを出国して、真っ先に地球を目指したのだ。
最高の気分なのよ♪
念願の聖地巡礼! あぁ、ワクワクがとまらないわ♪
ひとしきり騒いで、ふと我に返る。
拠点は東京近郊がいいのだけど、大都会はご同業と遭遇する可能性が高すぎるのが難点なのよ。
そこそこの都会で我慢するかしら?
ある程度の範囲を絞って意識を集中……検索条件を設定――。
ラノベ、漫画、アニメ、ゲーム、映画好き、ひとり暮らしで稼ぎがいい、空き部屋がある住居暮らしで、20代~30代の女性、彼氏なし、霊感弱めが望ましい……。
――キール君から貰った恩恵、 "世界内検索" で理想の宿主を探す。
……
…………――んっ、いたのよ。
キミにきめた!
ビシッ! と誰かを指差し、どこかで聞いたようなセリフを独り言ちる。
娯楽とポテチとコーラのある生活っ!
ぐへへへ……なんて素晴らしい響きかしら♪
ニート生活――これこそが第二の目的。
ヴァルキューレの定めに全く興味がないシェイルにとって、モチベーションを保つ唯一の糧であり、7年という期限付きであっても、充分以上に努力する価値があるご褒美だった。
こうしてシェイルは立派なニートとして日本各地、時には世界各地を巡礼しながら、6年の月日を地球で過ごす。