前編
私は今、朽ちた廃墟の中にいる。往時は、さぞ荘厳であったのだろうと連想させる石造の神殿は荒れ果て、壁はそこかしかこで崩壊し、コケやツルが繁茂している。今すぐ頭上が崩れるということはなそうだが、屋根も大分崩落が進み、燦燦とした陽光が降り注いでいる。この神殿の主の言に寄れば、1つの惑星を創造したとのことだが、今の有様をみるととてもだがその言葉を信じることができない。神といっても決して万能の存在ではなく、世界の管理に積極的に関わらなくなってから久しいとも述べていたため無理からぬことだが・・・。
最も、とても創造神の神殿とは思えないといっている私もそんなことを言い出せばこの神殿の雰囲気に似合ったものではない。森の中にたたずむ神秘の遺跡とでもいうべき雰囲気を今もかもし出しているというのに、私の格好といえば大量生産品のジーンズに上着、ショルダーバックにスマートフォンと幻想的な雰囲気とこの上なく似合わないなものだからだ。それどころかこの世界、いや惑星全体で見てもとびきり異質な異物、それが私だからだ。
私はそこまでサブカルチャーに入れ込んではいない。アニメも見るにはみたし、ライトノベルも読むには読んだが、コアなファン層、ありていに言えばオタクやオタク程でない愛好者ほどサブカルチャーを愛してはいないが、その私でも今の状況を表せるそういった方面の用語を知っている。端的に言って所謂異世界転生、あるいは異世界転移とでも言うべき物理法則の異なる別次元の宇宙に移動するという現象を私は体験している。
それも転生特典としてあらゆる陸上自衛隊の装備を召還する能力と戦闘技能に秀でた陸上自衛官の戦闘能力を体にインストールできる能力を持った上でだ。
まったく持ってありえないと一笑に付すところだ。真剣にそんなことを言えば狂人であると思われるのがオチだが、そんな非現実的な状況に私は陥っているのだ。実際はともかくリアリストでなければならない幹部自衛官としての教育を曲がりなりにも受けていた私が陥っているのだから、ますます笑えない。
だが、自らの生を謳歌するためにはこの非現実的な選択を取るほかなかった。それが神の不始末に対する謝罪の体を取った罪悪感を抹消するための代償行為だとしても。
転生する前、わたしの前途は洋々としていた。防衛大学校―陸海空の自衛隊を一括して教育する総合士官学校―は四年次となり、卒業は目前。卒業したからといって即座に幹部自衛官として任官できるわけではなく、その後も幹部候補生学校で一年に渡る教育を受けねばならない。が、私が教育を受けることになるのは陸上自衛隊幹部候補生学校。
陸上自衛隊への配属を希望していた私としては念願が叶ったといえる。災害救助活動、それに憧れ幹部自衛官を目指した身としては海上自衛隊や航空自衛隊も災害派遣されるとはいえ、直接的に災害救助に当たる機会の多い陸上自衛隊への配備を望んでいた。
自らの希望も叶い、防衛大学校の卒業を間近に控えた私の人生はバラ色だった。最も防衛大学校を卒業したからといって幹部自衛官として人生を歩んでいけるかはわからず、バラ色だったかは皮肉なことに神でもなければわからない。案内、仕事のきつさや理想と現実の違いに失望し、職を辞すか嫌々ながら仕事を続けていたかもしれない。
順風満帆だった私の人生が転機を迎えたのは、サブカルチャーで典型と化したらしい交通事故を迎えてのことだ。もうまもなく卒業式を迎える私は、気分転換に休校日にでかけることにした。卒業式に参加する上で短靴を磨き上げたり、制服のプレスを休日に仕上げるべきなのだが、まだ間があり、その日を除けば外出できなかったために私はそんな選択をしてしまった。
そして私は外出した先で交通事故に不孝にもあってしまう。不注意からではない。交差点を小学生くらいの女の子が赤信号のまま踏み出し、運悪く前方から軽乗用車が迫っていた。慌てて急ブレーキを踏んだが、車体は止まらずこのままでは女の子は跳ねられてしまうーそんな状況に直面し私はとっさに動いていた。
道路に勢いよく飛び出し、女の子を歩道に放り投げて車の進路からそらし、つ付いて私も飛び出そうとした。それは叶わず、次の瞬間には体に猛烈な衝撃が襲い、意識は暗転した。訓練でも感じたことのない痛みだ。おそらくこの時にわたしは死んだのだ。
最後に思ったのは後悔だった、確かに女の子は救えたが軽乗用車の運転手は過失致死に問われるかもしれず、女の子とて死ぬことに比べればはるかによかっあかもしれないが、歩道に突き飛ばされば怪我を負うかもしれない。
どうしようもない状況だったとはいえ、あれは自衛官としての使命感による行動ではなかった、ただの自己満足だ。わたしが動かなければ女の子は死んでいたかもしれないが果たして正しい選択だったのか、そんな後悔とともにわたしは死んだ筈だった。その意識は二度と戻ることがない筈だった。そう本来ならば。
私は、狐につつまれる気分を味わっていた。どういうわけか、死亡した筈なのに意識がいつまでたっても消えやしないのだ。運良く重傷を負うだけで助かったのかと思いながら、恐る恐る目を開けてみると私の体は驚きのあまり硬直した。
もし私が助かったのならば、次に見るのは救急車か病室の景色の筈である。にも関わらず、私が直視したのは神聖さを感じさせる白い光に上下左右四方を包まれた空間だった。宇宙空間のように上下左右がはっきりと存在していないにもか関わらず、さりとて浮遊感を感じもしない摩訶不思議な空間。
そんな空間にぽつねんと私は一人たたずんでいた。正直言って白昼夢を見たか、あるいは頭が狂ったのかと真剣に思い悩んだほどだ。
そんな私の悩みは、ある女性が話しかけてきたことによって解決した。古代ローマかギリシャ風の純白の絹らしきもので作られたゆったりとした衣服をまとった絶世という形容が似合う美女だ。人種は白人のように見えたが、そうでないようにもみえる不思議なもの。
忽然と出現した美女を私は訝しんだが、正体を聞いて納得した。相手の正体が神、しかも惑星一つを生み育んだといえば人知を超えた現象を起こしても納得できなくはない。
その女神は私にこう告げた。曰くあの女の子は自らに仕える天使のようなものであると。曰く自らは世界の管理を大規模に行わないようになったが、自らが管理する世界が魔法中心の世界であるため参考にするために科学文明の世界を視察に向かわせたと。
曰く事前に最低限の知識は与えたが、なにぶん不慣れなもので赤信号を無視してしまったと。曰くその不慣れで起きた事故であなたは死にここにいるのは魂だけだと。曰く女神でも蘇生は不可能だと。
曰く謝罪のために自分の管理する世界に元の姿と記憶を保ったまま転生させたいと。曰く安楽な人生を送れるように陸自装備を自在に召喚する力とそれを操る技能を体にインストールする能力を与えると。
そのようなことをかいつまんで女神は私に告げた。全てを包み込むような慈愛の笑みを浮かべながら。その笑みを見れば純正な善意で行おうとしているのだなと絆されるものもいなかったが、私は胸糞が悪かった。
女神の本心をうっすらとだが、掴めたからだ。恐らくこの女神は本当に罪悪感を感じてなどいない。罪悪感を感じてこそいても所詮薄っぺらな表層的なもの、深いところで反省していない。生き返らせてやるから、強大な力を授けてやるから、罪をチャラにしろといいたいのだ。
女神の本音はわからないが、私は確かに目の中に打算的な光を見た。この推測は正しと断言できるが、これが本当に正しければこっちをバカにしているとしかいいようにない。
バカにしている。そう感じながらも私は女神の提案に乗るしかなかった。順風満帆な人生を歩んでいたのにこんなことで死にたくはなかった。自己満足とはいえ、女の子を守って死ねたならば自衛官の本懐を果たせたといえるかもしれないが、助けたのは交通事故で死にそうもない天使。
そんなバカらしいことで死にたくはなかった。それにだ、魂が実在するならば地獄や天国もあるのではと思ったのが提案を了承した理由だ。天国ならばともかく地獄にいくのは御免被りたい。そういえば国のために殺人を犯した兵士は、虐殺などに加担していなくとも地獄に落ちるのだろうか?
私は女神の提案をのみ、こうして異世界の大地に足を踏み入れている。いまは生き返ったことに安堵するとともに暗澹たる気持ちにもつつまれている。
確かに生き返ったのは嬉しいが、現実的な視点で見てネット小説やラノベのようにうまく生き残れるのかと不安に思えてならないのだ。
たとえ華々しい活躍などなくともーいやない方が幸せかーあのまま幹部自衛官としての人生を歩めていた方がよっぽど安楽な人生ではなかったのかと。