■第5話 王立イルミナティオ学院
リゼット・ルグランは、いつになく緊張していた。
目の前にそびえ立つ、石造りの大きな門のせいだ。
そして、むかついていた。
隣を並んで歩く、へらへらした同い年のせいだ。
* * *
王立イルミナティオ学院は、王都セルダから徒歩1日程度のところに存在する、数百年前に王の号令の下で設立された教育機関である。
優れた知性と武勇を併せ持った人材を育成し、王国の行く手をどこまでも照らせるようにという願いを込め、古の言葉で「明かり」という意味の名前がつけられた。
リゼットは、今年で12歳になる。彼女の父親は、地方の領主に仕える騎士である。
普通の王立の学院ともあれば、そこに通うのは貴族の息女のみであり、一応教養があるとはいえ彼女が入学できるはずもないのだが。イルミナティオだけは、根本的に仕組みが異なる。
実力が全て。
優れた才を見せる者ならば、たとえ農民や奴隷の子だろうと入学させ、最高の教育を施して王国の次世代を担わせる。イルミナティオは、そんな、一風変わった学院である。
リゼットの父親は、騎士のくせに、知識に貪欲であった。情報に飢えていた。
普通の騎士が武具の整備に回す金を、ほぼ全て、図書の購入に充てていたのだ。座右の銘は「知は力なり」だったそうな。
そして、念願かなって子供が生まれた時にはもう、家の中は本だらけであった。
そんな環境で育った彼女は、もちろん本が好きである。
家中の本を読み解き、その本が図鑑なら野山に繰り出して実物と比較し、魔法の指南書なら実際に自分で試してみて、先人の知識を血肉としてきた。
当然、そんな本の虫がそれで満足してしまうわけもなく。彼女は父親に、もっと勉学をしたいと願った。「学校」というところに行きたいと申し出た。
その結果、彼女は、地元の子供向けの学校に通うことになった。
あろうことか、彼女は一か月で卒業した。
そんな学校で習う程度のことなど、彼女はとうに知っていたのだ。
では、大学に行かせることができたかというと、そうもいかなかった。
最高学府である大学に行くためには、多額の資金と、地位ある者からの推薦が必要なのである。
どちらも、ただの一騎士であるルグラン家には荷が重すぎる。
最後にリゼットの父親が思いついたのが、このイルミナティオ学院であった。
そう。この学園、ちゃんとコンセプト通りの運営がなされている。入学が認められたならば、授業料と生活費は全て国が持ってくれる。才能ある者は、血税をつぎ込んできちんと育成するのだ。
リゼットの父親は、何とか搔き集めて捻出した中央までの旅費を彼女に渡しながら、こう告げた。
「俺は、リーズのことが、ガチの天才だと思っている。マジで。でもそれは俺の思い込みかもしんねえ。だから、この金でイルミナティオに行け」
「お父さん……」
「試験を受けてこい。俺のリーズが、世界一の天才かそうじゃないか、確かめてこい」
「でも、わたし……」
「ダメだったらその時だ。ウチじゃあ大学には行かせてやれねえけど。これからも本は読ませてやれるから」
「うん、そうだよね。お父さん、ありがとう。がんばってみるよ」
銀貨のたくさん入ったずっしりとした革袋を大切そうに抱えて、リゼットは微笑んだ。
* * *
馬車を乗り継ぎ、一週間ほどかけて、ひとまず王都に到着したリゼット。
適当に転がりこんだ宿屋で、彼女は、今後の人生を左右する重大な出会いを果たす。
「もしかしてあんた、イルミナティオでも受けるのかい?」
食堂で夕食の温かいスープをすすっていると、宿屋のおかみから声をかけられた。
身なりがそこそこきちんとしている子供が、この時期に一人旅をしているとなると、おのずと可能性は絞られるのだ。
「はい、明日行こうと思ってます」
「あら、ちょうどいいじゃない。ケント!」
「なんすか」
おかみさんの呼びかけに反応したのは、シストリアでは珍しい、黒い髪と瞳の少年だった。年の頃は、リゼットと同じくらいだろうか。
「こっちの女の子もイルミナティオ行くんだとさ。あんたと一緒さね」
「はあ」
「せっかくだし、一緒に学院まで行ったらどうだい?」
こんなところで珍しい出会いもあるものだ、とリゼットがぼんやりしていると、目の前のスープ皿が浮いた。
おかみさんが気を利かせ、ケントの向かいの席までスープ皿を
「ほら。旅の道連れだ。親睦くらい深めておきな」
はあ、と息をつきながら、リゼットは立ち上がる。
せっかくの出会いだ。同じ学園を受ける仲間が、どんな奴なのか確かめておいたって損はないだろう。
「……名前は?」
「リゼット。リゼット・ルグランよ。あんたは?」
「ケントだ」
「最近こっちの方で流行ってる名前じゃないの、それ」
彼が名字を名乗らなかったことに違和感を覚えつつも、リゼットは話を続ける。
貴族様の子供のお忍びなのかしら。それとも、ただの農民の息子?
「そうなのか? 俺は地方の出身だから知らん」
「いや、わたしもよ……」
* * *
翌日。
リゼットとケントは朝早くに王都を発ち、歩いて歩いて、昼過ぎにはイルミナティオ学院に到着していた。
道中で獣にも魔物にも出くわさなかったので、予定より早く着けたのだ。
目の前にばーんとそびえ立つ石造りの門を見て、リゼットは改めて気を引き締めた。
そして、隣でほげーっとしている同い年の男子を見て、ちょっとむかついた。
「ねえ、あんた」
「何?」
「緊張とか、ないわけ?」
1年に1度、この時期だけ解放されるこの門は、街道から直接学院に続いている。
試験に合格して入学が認められれば、そのままこの学園都市で暮らすことになるし、不合格になったものは街に入ることすら許されず、そのまま回れ右させられて放り出されるのだ。
厳しいな、とリゼットは思う。
そして、もうちょっとくらい隣の奴も緊張してもいいじゃない、とも思う。
「別に」
半日くらい一緒にいて、ちょっとだけこいつのことがわかってきた。
こいつは割と、周りの物事がどうでもいいと思ってるタイプだ。きっとそうだ。
「はあ……もういいわ」
試験で何が試されるのかは知らないし、合格できるかもわからない。
でも、この道を選んだのは自分なのだから。お父さんが、くれたチャンスなのだから。
がんばろう。
彼女は自らにそう言い聞かせると、門の上の「イルミナティオ」の文字をきりっと睨んだ。
「行くわよ!」
「気合入ってんなあ……」
* * *
「いらっしゃい。イルミナティオの受験だね?」
門番が、街道を歩いてくる子供ふたりを見つけて声をかける。
「はい」
「名前の申告と、魔石検査だけ受けてもらうよ。さすがに"魔抜け"は受験できないから」
「わかりました」
よし、と頷いて、門番が手袋をした手で無色魔石をリゼットに手渡す。
魔石はすぐに赤く染まった。中心で何か燃えているかのように、輝きがゆらめいている。
「リゼット・ルグラン、12歳です」
「嬢ちゃんは火属性か、OK。じゃあ次、兄ちゃん」
はい、と門番が魔石を握らせる。
特に、目立った変化はみられない。
「ケントです。えっと、何すればいいんですか?」
「え、あんた、"魔抜け"なの?」
うんともすんとも言わない魔石を見て、リゼットが驚きの声を上げる。
道中、あれだけ魔法の応用について語り合ったのに。魔力を持ってないなんて、まさか。
「いや、魔法は使えるって」
ケントが左手を振ると、氷の球が生み出されてそのままひゅんと飛んでいった。
街道から外れた草原に着弾し、地面が抉れる。人に当たろうものなら、骨折は必至である。
「じゃあなんで魔石の色が変わらないのよ!」
「止めてるから」
「止めれるもんじゃないでしょ!」
人間の体の表面には、少しずつ魔力が漏れ出ている。
無色魔石はその魔力を自然と吸い、属性に対応した色に変化する。リゼットの読んだ本にはそう書いてあった。
氷の球を飛ばすんだとしたら、水属性、風属性、そして火属性の魔力が必要なはずだ。
魔石の変色を止められるんだとしたら、魔力の漏出を完全に止めていることになる。
「今俺がやってるんだけど」
「信じられない……」
「えっと、魔法が使えるのに、"魔抜け"? どういうことだ?」
魔術についてあまり詳しくない門番は、もうちんぷんかんぷんである。
「あんたがすごいのはわかったから、魔力注ぎなさいよ。門の中入れないわよ?」
「そうなのか」
リゼットにしてみれば、門番に説明するのが面倒だから、さっさと済ませろと言いたかっただけなのだが。
ケントは、更にとんでもないことを始めた。
彼の握った魔石が、赤い光を放つ。
そう。それでいいのよ。リゼットがそう心の中で言った、次の瞬間。
魔石が、青色に変わった。
リゼットが口をあんぐりとあける中、緑色に、茶色に、魔石は表情を変える。太陽のような光が放たれ、全ての光を通さぬような闇が現れる。
そのまま、魔石は最初の無色透明に戻った。
「よくわからんけど、火属性ってことでいいのか?」
「もう、それでいいわ」
「ケント、火属性……と」
魔術が苦手な人にいくら説明したって、これは無理だろう。リゼットは諦めた。
それでも、彼女には、ケントがいかにデタラメなことをやったのかがわかる。
全属性の魔力を持っていて、それを手足みたいに魔石に突っ込んで、更には引っ張り出せるのだ。リゼットの読んだ本にはどれも不可能だと書いてあったし、彼女自身でも試してみたけれど、やっぱり無理だったのを覚えている。
リゼットの自信は、急速に萎んでいった。こんな奴ばかりいるのだとしたら、私なんかじゃイルミナティオには行けない。
「あ。兄ちゃん、こいつの魔力も抜いてくれるか?」
門番が、先ほどリーゼの握った赤い魔石を投げてよこすと、ケントはすぐにそれを無色透明にして、そのまま門番に戻した。
あ、他人の魔力も抜けるのね。リゼットはもう、卒倒しそうだった。
「ありがとさん。入場税はオマケしとくぜ」
薬液に漬け込み直す手間が省けて嬉しそうな顔をした門番は、ふたりを門の中へと招き入れた。
「ようこそ、イルミナティオへ」