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藤吉郎の京

作者: なのあら

天正二年、信長は上京を復興させるよう藤吉郎秀吉に命じた。


昨年の(いくさ)で、上京の多くの家屋が焼かれ、人々は住む家を失った。

内裏や公家の邸宅も焼け落ちて、今や上京は焼け野原といってよい。


京の都は、幾度も大火災と大水害の被害を受けてきた。

京の人々は、そのたびに家を建て直し、寺社を再建し、橋を架け替えた。


どの時代でも京を治める者は、火災と水害を防ぎ、被害が発生すれば被災者を救わねばならない。


現在、京を治めているのは、信長だ。

京の再興は、信長の双肩にかかっている。


早速秀吉は、火災で町が消失する以前の、図面や絵図を集めた。

それとともに、新たな街づくりの構想に取りかかった。


次の戦が控えているので、復興予算は限られている。


内裏と公家邸の再建は、我々尾張衆が行わねばならない。

なにせ今の公家には(かね)がない。


町屋の再建は、町の区画だけを定めておき、町ごとに補助金を出して、あとは町衆に任せる。

寺社は資金を持っているので、後回しにする。


「持ってきたか」

秀吉は、一声かけて部屋に入った。


部屋の中には下役の侍が三人、座して秀吉の指示を待っている。

その後ろには、十二畳ほどの部屋の半分ほどを使って、図面や資料が置かれている。


秀吉は、ちょんと跳ねるように座って、胡坐座になった。


秀吉についてきた小姓は、秀吉の斜め後方に静かに正座した。


秀吉は下役の侍たちとともに、上京の再建案を検討する。


「この案では、内裏から鴨川の間には、建物がなにもないではないか」

秀吉が言った。


「はあ、このあたりは、大雨になると鴨川の水が溢れるため、畑地としています」

下役の侍は、困惑した声を出した。


数十年に一度、鴨川の氾濫があるため、昔から左京の東部には建物が建てられないのだ。


「なんじゃあ。なんとかなりゃあせんのかね」

秀吉は不満気な声になる。


「水が溢れんようにするか、少々溢れても町まで来ぬようにするか。

ひとつ、鴨川を大きく掘削する。ふたつ、上京と鴨川の間に堤を築く。みっつ、溢れた水が再び鴨川に戻るように、鴨川に沿って溝を作る」


下役の侍はますます困惑した。

「羽柴様は、いかにも容易(たやす)くおっしゃいますが、そうもゆきませぬ。

これは大がかりな普請となります」


秀吉はきっぱりと言った。

「このままでは、大殿様にお見せすることはできぬ。

これまでと同じように作れば、これまでと同じ被害を受け続けるのだ。

同じ被害を再びを受けないようにするのが肝要じゃ。

この度は火災じゃったが、この際ついでに大雨にも備えておくのじゃ。

この案では、どても上京を再興するとは言えぬわ」


秀吉は言葉を継いだ。

「このままでは、大殿様がお怒りになられるのは明らかである」


下役の侍は恐縮した。


その様子を見て、秀吉は声をやわらげた。

「右京から下京にかけて、鴨川沿いまで町屋を増やしておけ。

五条橋の中島を消してしまえ。

今は(いくさ)続きで、資金が回らぬ。

これは再興案だ。行うか行わぬかは、大殿信長様が決められる」


先ほどまで秀吉に説明をしていた下役の侍は納得したような表情で(うなづ)いた。

「承知いたしました」


しかし、その傍らにいた侍が驚いて言った。

この侍は、これまで幕府の(もと)で京の普請を指揮していた。

「中島を、消すのですか」


「そうじゃよ」

秀吉は答える。



不安そうに侍は言った。

「あの島には、法城寺という由緒ある寺があります。

また大黒堂もあって、洛中の人々の信心を集めております」


「それがどうしたのじゃ」

秀吉は、続きを促した。


侍は切実な表情になる。

「由緒ある寺です。寺を潰すのですか」


「潰さんよ。心配はいらんよ。寺はまた別の場所に移せばよい」

秀吉は笑った。


その侍は懇願するように言った。

「いえ、移転するのも恐れ多いことです。

五条の中島は、仏様が鎮座すると決められた場所です。

移転するのは、み(ほとけ)のみ(こころ)(そむ)きます」


秀吉は笑った。

「そんなこと、ありゃあせん」


秀吉は、ゆっくりと話す。

「仏罰など、当たらゃあせんよ。み(ほとけ)の願いは衆生済度じゃろう。

五条橋の中島に寺が居座っているために鴨川の水が溢れ、京の町衆が苦しんでいる。

この島が無くなれば、鴨川には多く水が流れるじゃろうが。

大雨でも水が溢れないなら、京の人々の苦しみも減るのは明らかじゃ。

(ほとけ)はお喜びになるはずじゃ」


秀吉は続ける。

「鴨川を大きくすれば、東国から京を守る備えにもなる。京を守る外堀として役立てる」


秀吉の話が大きくなる。

「今のままでは京は、戦乱に巻き込まれるばかりじゃ。

東国近江からの軍勢は、今は易々(やすやす)と鴨川を越えて入京してくる。

京は天下の(かなめ)じゃ。

そこで鴨川と桂川を、京の東西の外堀として、上京下京を取り込んだ大きな総構(そうがまえ)を築く。

天下の(かなめ)、京の(かなめ)として、一条通から二条通あたりの西辺の畑地に、新しく城を築く。

この城を拠点として、信長様はその左手に東国を、右手には西国を握られて、天下布武を実現されるのである」


他の侍たちは黙って話に聞き入っている。


秀吉は先ほどの侍に向かって「どうじゃ、判るじゃろうが」と言った。


その侍はまだ納得できないような表情をしていたが、秀吉はもうとりあわない。


「もうよい、気持ちはわかった。これは()んでくれ。

次は、内裏の再建について聞かせてくれ」


内裏の再建と聞いて、下役の侍たちは、部屋の片隅に秀吉を促した。


「ここに、昔の内裏を描いた屏風があります。近衛前久様よりご提供いただいた屏風です」


金雲に覆われて、京洛の建物が描かれている。


「美しい…」

秀吉は嘆息した。


顔を近づけて、屏風の隅から隅まで眺めまわす。


しかしすぐに口調を改めて、下役の侍に尋ねる。

「いずれが内裏か」


下役の侍は屏風の中ほどに描かれた建物を指して言う。

「これに」


秀吉は頷いて、その指先にある建物を見た。

その建物では正月の行事が行わているようだ。


「正月の節会(せちえ)かの。屏風には、四季折々の風物を書き入れてあるのか。

他の建物はなんじゃ。わからぬか」


下役の侍は、慌てた。

「内裏の建物だけを承っています。他の建物までは存じませぬ」


秀吉は、むくれた。

「このままでは、どの建物が内裏だかわからぬので、建物の脇に内裏だと記入せよ。

また屏風に描かれた建物すべてに、その名を記入せよ」


下役の侍は、慌てて言った。

「この屏風は、お借りしたものです。

こちらで気ままに書き入れてよいものではございません」


秀吉は睨みつける。

「なんと。では買い上げよ」


「この屏風は、必ずお返しすると約束して、やっとのことでお借りしたものなのです。

買い上げるなどとは、とても言えません」

下役の侍は、這いつくばった。


秀吉はちょっと考えて言った。

「おぬし、この屏風を、誰から借り受けたといったか」


「近衛前久様です」


「ならば、わしから近衛様へ(ふみ)を遣わす。

明日にでも、近衛様にこちらへ来ていただいて、わしから(じか)に頼んでみよう。

この屏風については、これまで。

では、他の図面について、説明してくれ」


下役の侍は身を翻して、図面を取り行く。






数日後のこと。


秀吉は、屏風にを顔を近づけて、隅から隅まで眺めまわしている。


「まことに(かたじけ)なきことにございます。

此度(このたび)は、()が願いをお聞き届けくださり、|《有難ありがた》き|《次第しだい》にございます」


秀吉は、近衛前久に向き直った。

そのまま前久の両手をとって、己の額の前に持ち上げつつ頭を下げた。


「もう御顔(おかお)を、お上げくだされ。こちらが恐縮いたします」

近衛前久は、秀吉の手を下げさせた。

「外ならぬ秀吉様のご依頼であれは、心易(こころやす)いものです」


秀吉は感激して言った。

「建物の名を書き入れていただいた上に、お譲りいただけけるとは、お礼の言葉もございませぬ」


近衛前久も頭を下げた。

「この屏風が、上京の再興に使われるなら、私も本望です。

また、先の公方、足利義輝様も、お喜びになられるでしょう」


秀吉は、近衛前久の顔を見つめた。

近衛前久も、秀吉の顔を見つめている。


近衛前久は、ゆっくりと口を開いた。

「この屏風は、先の公方、光源院足利義輝公の、百箇日の供養のために作らせたものなのです」


「永禄八年のことです。将軍義輝様は、不意を三好衆に襲われて、ご生害(しょうがい)なされました。

その葬儀後に、私がこの屏風を描かせたのです。

義輝様が将軍に就任された後、初めて入京された時の、初春の風景です。

そこに、京の四季折々の風物を取り揃えて描かせたものです」


秀吉は黙って近衛前久の話を聞いている。


「義輝様がお命を落とされました新御殿の地は、かつては斯波武衛の屋敷でした。

この屏風絵の中で、武衛屋敷の前にいらっしゃるのが、義輝様です。

当時のお若いお姿で描かせています。

またこちらをご覧ください。

公方邸を訪れようとしている輿(こし)の行列は、義輝様の御父上である義晴様です。

その頃は、義晴様は、将軍職を義輝様にお譲りになられて、ご隠居されていたのです。

京洛の建物は、当時のものを再現して描かせました。

内裏はもちろん、寺社や町屋も当時のものです。

公家の屋敷を描かせる際には、それぞれの家の(あるじ)に説明をさせました。

三好衆の屋敷内については、昔のことは判らないそうで、わかる限りのことで描かせました。

町衆の姿も、その頃の姿を描かせています」


秀吉は感嘆した。

「人も昔のままなのか」


近衛前久は答えた。

「昔の姿を描いています。将軍義輝様が若年の頃、まだ義藤様とお呼ばれになられていた、あの頃のままなのです」


秀吉はしばらく黙っていた。


やがて秀吉は近衛前久に、

「この屏風はやはり近衛様がお持ちになられるのがふさわしい。

この上京(かみぎょう)再興の普請が終われば、必ずお返ししよう」

と告げた。


近衛前久は秀吉に感謝した。



……しかし二人の約束はかなわなかった。


秀吉が信長に上京再興計画を説明した際に、屏風を見せたところ、信長が大層(たいそう)気に入って、召し上げてしまったのだ。


さらに信長は、その屏風を上杉謙信への贈り物にしてしまった。


秀吉は落胆した。


あの屏風は、上杉謙信の手に渡ってしまった。


秀吉は内心、屏風を(おのれ)のものにしたいと考えていた。

信長が屏風に飽きたころに願いを出して、下賜してもらおうと考えていた。


しかし、もう二度と取り戻すことはできない。

屏風は失われてしまった。


しかしそこは秀吉だ。

手に入れられなかったものに、いつまでも執着(しゅうちゃく)する秀吉ではない。


「あれは義藤の京だ。藤吉郎の京ではない。(わし)の京ではないわ」


秀吉は、新たな京の姿を心の中に描いていた。


……そのとき秀吉は、いつか藤吉郎秀吉の京洛屏風を描かせようと、心に決めたのだ。


(終わり)



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