秘密の実験
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「朽木さん!何ですかこれ・・・!こんな・・・こんなにたくさん・・・!」
「おおおお落ち着いて後部君!」
「これが落ち着いていられますか!あなたの二の腕に、こんなに・・・こんなにキスマークが残っているというのに!?」
絶叫する三つ年下の後輩を見ながら、どうして、昨夜の私は酔っ払った勢いでとんでもないことをしてしまったのだろうと、先に立たない後悔をするのだった。
・・・×・・・×・・・
「はぁ~、やっぱり疲れた夜は、おいしいお酒とどっぷり甘い恋愛小説よね~」
明日も仕事があるのに、すでに十分酔っぱらっている朽木侑里(28歳独身。彼氏無し=年齢)はご機嫌に独り言ちた。
恋愛小説はいい。
どこにでもいる十人並みの女の子が、あっという間にイケメンに見初められ、幸せになる。
もちろん、そんな小説ばかりではないが、王道のハッピーエンド好きな侑里は、その手の小説を読み漁っていた。
ちなみに最近は、ティーンズラブと呼ばれる、少し濃厚な絡みがある物を愛読している。
「イケメンになら、少しくらい束縛されてもいい・・・!」
何故か上から目線で、うっとりと呟く。
さすがに監禁も軟禁もごめんだが、「こいつは俺のものだ」と周りに牽制くらいはされてみたい。そんなお年頃(?)なのだ。
「本人が気づかない場所にキスマークとか・・・きゃー!」
酔っ払いが1人で妄想して照れている。
傍から見ると、なんともむなしい光景である。
「・・・キスマークって、本当に付くのかな?」
今まで生きてきて、恋人がいなかった侑里はもちろん、恋人がいた友人たちに付いているのも見たことがない。(それは至極当たり前のことなのだが)
もしかしてキスマークと言うのは、都市伝説か何かなのではないだろうか。
「よーし!今後に備えて、実験だぁ!」
今後に全く何の予定もないのに、備えなど必要ないだろう、とツッコむ人はここにはいない。
侑里は1人暮らしなのだ。
うきうきとしながら、キスマークの記述があった恋愛小説を読み漁っていく。
「キスマークって言うんだから、キスすると付くのよね?んー、とりあえず実践してみるか!」
侑里は、自分の腕にぶちゅっとキスしてみた。
「・・・付かない」
ただ、少しの唾液が付いただけだった。
「んー参考資料に何かないかなぁ・・・あ、『あなたの肌は柔らかいから、赤い跡がくっきりと残りますね』。柔らかいところだといいのか!えー、柔らかいところ・・・おなか?太もも?んー、口が届かない・・・あ、二の腕でいいか」
名案を思いついたとばかりに手をポンと打つ。
「この小説、キスマークの教科書になりそう・・・!」
小説にとっては傍迷惑な使い方となっているが、侑里は使えそうなシーンを拾い読みしながら、【正しいキスマークのつけ方】を学んでいった。
1、キスと言いつつ、吸うらしい。
2、ちりっと痛みが伴うくらい強く吸うらしい。
3、キスマークとはつまり、内出血らしい。
4、そのうち消えるらしい(どれくらいで消えるのかは不明)。
「よっし、ここまで分かれば付くだろう!レッツ再チャレンジ!」
ずごごごご。
口をがばっと開け、己の二の腕に思いっきり吸い付く28歳独身OL。
しかし、結果は芳しくなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・あっれー?付かないなー?疲れるだけだし・・・。あ、もっとちっちゃく付ければいいのかな?」
今度はひょっとこのように口を尖らせ、二の腕に吸い付いた。
ぢゅうううう。
多少変な音はしたが、見事、二の腕に赤い痕を残すことに成功した。
満足感と達成感が、侑里を包み込む。
「おおう!やればできるじゃん私!すごい!すごいぞー!」
そのまま調子に乗って、左右両方の二の腕にちゅっちゅと吸い付いて痕を残し、満足した酔っぱらいは深い眠りについたのだった。
・・・×・・・×・・・
酔って気が大きくなって、いらないことをしたとはいえ、記憶をなくさないのが侑里である。
自分の二の腕にばっちりついた赤い痕を見て、「あーなんか実験したっけね。これ他人に見られたらやばいよね」と冷静に考えることはできた。
おりしも季節は9月下旬。そろそろ半袖を着るには肌寒い気候だ。
「ま、そのうち消えるって書いてあったし、服着てれば見えないっしょ」
深く物事を考えない、それが私のいいところと考えながら、侑里は七分袖ブラウスに袖を通した。
結果だけ言おう。
侑里はキスマークのことなどすっかり忘れてしまった。
しかし仕方がないのだ。
昨今のOLさんは忙しい。今日は特に、仕事が立て込んでいて忙しかった。皆がそろう時間がなかなか取れず、会議が時間外に及ぶほど。
酔っ払っているときに自分でつけたキスマークを覚えている余地など、侑里の頭の中にはない。
それゆえ、その後の展開を予想できなかったのは仕方がないことなのだきっと。
「朽木さん、手伝いますよ」
「あ、ありがとう後部君」
会議に使ったコーヒーカップを給湯室で洗っていると、後輩の後部慎太郎が声をかけてくれた。
後部はすごくイケメンと言うわけではないが、いつもにこにこと可愛い笑顔を浮かべていて、礼儀正しく、【わんこ系後輩】としてお姉さまたちに人気がある。仕事ができるようになってきてからは後輩にも言い寄られるらしく、この間も、休憩時間に告白されているのを見かけた。「好きな人がいるので」と断っていたが。
そしてもう一つ。後部は気が利く。侑里が困っていると、さりげなく声をかけ、手を貸してくれるのだ。痒い所に手が届く存在、それが後部だ。だから侑里は、彼のことをひそかに「孫の手君」と呼んでいる。
同期で仲の良い斎藤久子にそれを話したら、「後部・・・何て不憫な・・・」と何故か嘆いていたが。
洗い物と言うのは、意外と服が汚れる。水や泡が跳ねるからだ。
スーツの上着を脱ぎ、ブラウスの袖をまくる。
七分袖は、長袖よりも落ちてきやすい気がする。途中で落ちてくるのが嫌いな侑里は、きっちりとまくり上げた。
そう、二の腕が丸見えになるくらいには。
「朽木さん!それ・・・その腕・・・」
「え?腕?」
自分の二の腕を見てビックリ仰天。
なんの病気だと言わんばかりの、鬱血の跡がびっしりだった。
「あ・・・ああ、これ、これはね・・・」
何とかごまかさねば。
そうしなければ、自分は【アラサーのくせに自分で自分にキスマーク付けてるイタイ女】になってしまう。
いやこの際、アラサーは関係ない。年齢がいくつであっても、自分にキスマークをつける女なんてイタイに決まっている。
侑里は必死に言い訳を考えたが、浮かんでこない。浮かぶのは冷や汗だけだ。
頭をフル回転している間に、侑里の腕を後部がつかみ、引き寄せる。気持ち悪い多さの鬱血の痕が、後部の目の前にある。
「朽木さん!何ですかこれ・・・!こんな・・・こんなにたくさん・・・!」
「おおおお落ち着いて後部君!」
「これが落ち着いていられますか!あなたの二の腕に、こんなに・・・こんなにキスマークが残っているというのに!?」
あー、一目見てキスマークって分かるんだ、後部君、実は結構遊んでるなぁ~?何てからかう余裕は侑里にはない。
ばれてしまった。
これで自分は【イタイ女】決定だ。
「誰ですか?」
「・・・え?」
「相手は誰ですか!?・・・ちくしょう、斎藤さんがちゃんと見張っててくれるって言うから信じてたのに!」
「え?え?なんでここで久子が出てくるの?」
「そんなことはどうでもいいんです!・・・まだ威嚇が足りなかったか?いや、でも社内は十分なはず・・・まさか社外!?でも斎藤さんは、『プライベートは一人で宅飲みしてて引きこもりだから出会いはない』って断言してたのに・・・調査が甘かった?通勤途中とかか?」
ぶつぶつ呟きながら、段々目が血走っていく後部を見て、侑里は逃げたくなった。
わんこ系後輩だったはずなのに、誰コレ怖い。
あまりの恐怖に、後部が話している内容までは頭に入ってこなかったのは良かったのか悪かったのか。
「答えられない相手ですか?」
「へ?」
「答えられないような・・・まさか不倫とか!?それとも一夜限りの相手!?言ってくれればいくらでも俺が・・・」
「ちょちょちょーっと待とうか後部君!」
激昂してどんどん大きくなる後部の声が外に漏れる危険性に気付き、侑里は彼を制止した。もう遅い気もするが。
それに、給湯室で話していたら、いつ誰が来るか分からない。
とにかく、今は目の前のカップを片付けて、後部を連れ出そう。そして、昨夜の実験を洗いざらい話して、口止めしよう。
自分への被害が最小限になる方法は、それしかない。
「全部話すから・・・後部君、とりあえず、これ、片しちゃおう?」
首を少し傾げてお伺いを立てると、後部はばっと口を手で隠し、「ハイ。・・・くっそ可愛い」と頷いてくれた。後半の呟きは侑里には聞き取れなかったが。
それから二人は、ささっと洗い物を済ませたのだった。
・・・×・・・×・・・
さてどう切り出そう、と考えても仕方がない。
後部を連れ立って来た個室居酒屋(手っ取り早く二人になれる場所がここしか思いつかなかった)で生ビールを頼み、中ジョッキの半分まで一気飲みすると、侑里は腹を括った。
「実験だったの」
「実験?」
「そう。【キスマークは本当に付くのか】って言う実験」
そして侑里は、全部話した。
読んだ恋愛小説に出てきたキスマークが本当に付くか疑問を持ち、小説を参考に自分に付けてみたら案外うまくいって、そして付けたことを忘れて先程に至る、と。
後部は最初はぽかんとした顔をしていたが、話を聞き終わると質問してきた。
「自分でつけたんですか?」
「うん、こんな感じで」
二の腕を自分の口元に持っていく。
「・・・信じられないです」
「あー、まあ、そうだよね・・・」
後部の反応は当然だ。
誰だって、自分で自分にキスマークをつけるとは思わないだろう。
後部がぽつりと言った。
「てっきり、二の腕フェチの男に、つけられたのかと・・・」
「二の腕フェチ?そんな人いるの?」
「そりゃあいますよ!この世にはいろんなフェチが存在するんですよ!?胸、尻、太ももあたりはメジャーですけど、きっと二の腕フェチだっているに決まってます!」
なぜか力説する後部を見ながら、軟骨の唐揚げにレモンを絞る。
あーこりこりしてうまい。ビールをぐびりぐびり。
全てを告白しきって、侑里はすっきりしていた。
後は、後部に頼んで話を広めないようにしてもらうだけ。
この後輩なら、いたずらに広めるようなことはしないだろう。
侑里は後部を信用していた。
だから追加のビールを頼んだ。
「やっぱり、信じられません」
「・・・ん?」
「だって、信じられませんよ。自分でつけたなんて」
「そうは言われても、それが事実なんだし・・・」
「・・・もしかしたら、朽木さんの服の下にはびっしり、キスマークが付いてるかもしれない・・・」
「いやいやないから。体硬くて届かないから」
「誰かに付けられたってことですよ!」
「いやいやないから。私なんかに付ける人いないから」
何ということだろう。
後部は侑里の言うことをそのまま信用してくれなかった。
こちらは信用しているのに・・・と、なぜか不公平な気持ちになる侑里。
八つ当たりするように、ビールを飲んだ。出し巻き卵がおいしい。
「朽木さん、全身見せてください」
「まじめな顔で何言ってるのかな君は」
「他にキスマークが一個も無かったら朽木さんのこと信じます」
「彼氏でもない男に見せるわけないでしょうが」
「・・・・・・・・・」
え、何、これ見せる流れだった?まさかね、そんなわけないよね?と侑里が頭で自問自答していると、じっと考えていた後部がパッと顔を上げた。
そこには明らかに、【ひらめきました!】と書いてある。
「じゃあ、俺にキスマーク付けてください!それで信じます!!」
「・・・・・・・・・はあ?」
突然の突拍子もない提案に、侑里は自分の立場も忘れてつい声を上げてしまった。
「朽木さんはキスマークを付ける実験をした。実験は成功した。その証拠を見せてくださいよ。そしたら信じますから」
「いやいやいやいや、分からない分からない、何がどうしてそうなるのか、私にはさっぱり分からないんですけど」
「ちょっと付けてみるだけですよ。ね?それにほら、男と女の人の肌じゃ、やっぱり付き方とか違うんじゃないかなぁ?実験の続き、してみたくないですか?」
「付き方・・・違うのかな?」
少し興味をもった侑里に、後部はここぞとばかりに畳みかける。
「違いますよ。肌の厚みだって筋肉の量だって全然違うんだから。ほら、やってみましょうよ」
魅力的なお誘いだったから、仕方なかったんです。
後日、侑里はそう弁明するのだが、この時はその魅力に、まったく抗えなかった。
なぜなら侑里は、すでにかなりのアルコールを摂取し、昨夜の実験をした時と同じでかなり酔っ払っていたから。
後部はワイシャツのボタンを三つ外した。
「ほら、この辺りとか」
自分の首筋をとんと人差し指で叩く。
侑里はふらふらと吸い寄せられるように、後部に近づいた。
行動を止める理性はとっくに、アルコールに押し流されている。
付けてみたい。
あの、肌の上に、自分の痕を。
そっと肩を持つと、後部は首を侑里がいない方に倒してくれた。
口を首筋に当てる。
昨夜は変な音が鳴ったから、もう少し静かに吸ってみる。
でも、あまり弱いとうまくつかなかったから、もう少し強く・・・。
「ん・・・」
後部が小さく呻いた。
その声があまりに色っぽくて、侑里は煽られる。
自分の行為が、そんなセクシーな声を出させる原因だと思うと、嬉しくなる。
ちゅ、ちゅ、ちゅ。
少しずつ少しずつ、変な音にならないように吸って、そっと離れると、肌の上にはうっすら、赤い痕が残った。
後部に残した赤を、指先でなぞる。
キスマークは、所有の印。
所有、すなわち。
「・・・私のもの・・・」
知らず知らず、笑みを浮かべてそんな言葉をつぶやいていたらしい。
侑里には全く自覚はなく、後になって後部から聞いたのだが。
その侑里の微笑みを見て、後部の理性はどこかへぶっ飛んだ。
「朽木さんっ!」
「うわっ」
侑里は突然動けなくなった。
それもそのはず、目の前の男にガッチリ抱き締められているのだ。
「好きです朽木さん付き合ってくださいずっとずっと好きだったんです一緒に仕事するようになってあなたの笑顔を見る度にどんどん好きになっていきましたもう我慢できないです斎藤さんに頼んで男除けしてもらったり、自分でもあちこち噛みついて牽制したりしてたけどもう駄目ですそんな可愛く笑われたんじゃもう辛抱できない俺のものになってください俺はもう朽木さんのものなんで!」
ノンブレスで言い切ったせりふの中には穏当ではない響きの語句も含まれていたが、侑里には幸い、届かなかったようだ。
聞き取れたのは最初の方と最後の方だけ。
『好きです朽木さん・・・・・・・・・俺はもう朽木さんのものなんで!』
「私、年上だよ?」
「全然かまいません!」
「男の人と付き合ったことないから、いろんなこと、よく分からないよ?」
「むしろ僥倖です!・・・全部初めて・・・!お、俺が教えてあげます!」
「キ、キスマーク自分でつける実験するような、変な女だよ?」
「じゃあ、今度は俺と実験しましょうね?」
「あの、あの、えっと・・・」
「朽木さん?」
「・・・本当に私でいいの?」
「朽木さんが、いいんです」
「が」を強調してくれた後部に、侑里は落ちた。
【秘密の実験】
実験結果:ちょっとおかしいけど(他人のことは言えない)、素敵な恋人ができました。
~個室居酒屋にて、続きの会話~
「ねえ後部君、私、やってみたい実験があるんだけど・・・」
「何ですか?」
「あのね、小説でよく、『このキスマークが消える前に、あなたに会いに行くよ』みたいなセリフがあるんだけど」
「はい」
「あれって、何日間くらいかなぁって。だから、後部君に付けた痕が何日で消えるか毎日チェックさせてね!」
「(それって毎日デートしてくれるってこと!?)はい!いいですよ!」
「・・・あ、でも違うか。そういうときって大体、男の人が女の人に付けてるんだもんね。じゃ、後部君、ちょっと私に付けてみてくれる?」
「へ!?」
「んー、どこがいいかなー、服で隠れないと困るし、二の腕はもう自分で付けちゃったから場所がないし・・・デコルテって付くかな?」←注)酔ってます。
「えぇ!?(それってあれですか、『今夜、OKよ』の新手の誘い方ですか!?いや俺はもう全然いつでもバッチこいなんですけど!!)」
「後部君?聞いてる?」
「へいっ!聞いてます!」
「んーじゃあ、弱めのと、ちょっと強めのと、思いっきり強めの三種類でお願いします」
「・・・(あ、あかん・・・これ、本気で実験することしか考えていない、純粋な目だ・・・)」
「後部君、どうしたの?あ、ごめんごめん、ブラウスのボタン外してなかったわ」
「・・・ちょ、ま、待った!朽木さん!」
「ふぇ?」
ちゅ。
「・・・キスマークの前に、『本物のキス』が先でしょう?」
「・・・・・・・・・」
「わ、ちょっと、朽木さん、大丈夫ですか?朽木さーーーん!!!」
朽木侑里(28歳独身。初彼氏できたばかり)。
恋愛小説を読み漁る割に、男性の感情の機微に疎い。
濃厚なシーンも読んだことがある割に、触れるだけのキスでも卒倒してしまう。
そんな彼女が、愛しくてたまらない後部慎太郎だった。