ストレンジャーにつき
サルサ大陸の南東に位置するワヤ帝国は、建国五百年の歴史を物語る大都市だ。
栄華を極めた帝国の国力は絶大であり、近隣諸国の追随を許さない。
そのため、隣国は帝国の傘下に入る形での服従を強いられている。
そうしなければ、大した軍事力もない小国は一晩で侵略されかねない。
かと言って傘下に入ったからもう安泰なのか、と問われれば断じて違う。
帝国は傘下の国々に対し、敵国や遠国の侵略から守っているという名目で、上納金を徴収している。それも決して安くないものだ。
当然、払えなくなる国も出てくる。
だが帝国の手は緩まなかった。
金がダメなら資源。資源がダメなら人。それもダメなら土地を。
と言った具合に、ワヤ帝国は少しずつではあるが傘下の諸国を喰らった。
結果的には侵略していたわけだ、それも戦わずして。
そのような状況になって初めて傘下に入った国々は自分たちの愚かさに気付いた。
そして状況打開のため諸国は一斉に傘下を抜け、帝国反乱を誓った小国同士で連合を組んだ。
連合は八つの国々から成り、極東連合と名乗った。
連合の最終目的は打倒ワヤ。
〝ワヤ帝国に奪われたあらゆるものを取り返す〟という大義を掲げてはいるが、その実、自らが受けた苦痛を帝国民にも受けさせるための復讐が主目的だった。
一方、ワヤ帝国は徹底抗戦の意を表した。
潤沢な資源を持ち合わせ、優秀な軍隊を擁するワヤの皇帝は、例え八カ国の連合だろうと勝てる。そう確信していたのだ。
そしてその予想は間違っていなかった。
半ば侵略されかかっていた小国家の集まりでは、戦線維持がやっとで、城を落とすなど夢のような話だ。
疲弊しきった国民、食料の供給は不定期であり、負け戦は火を見るより明らかだった。
「…って、話聞いてる?」
反応の悪い話し相手に対し、眉を顰めたのはお世辞にも綺麗な格好とは呼べない女だ。
元軍人の彼女は階級章の無い、くたびれた軍服を着ている。だがそんな服装とは裏腹に彼女の容姿は整っており、若かった。
向かいの男は藍色のフードがついた真っ黒のローブを羽織っている。
二人はスラム街にある酒場の一席で話していた。
「悪い悪い、ちょっと考え事をな」
男はフードを目深に被っており顔色は窺えないが、誤魔化すように苦笑いしたのが分かった。
「他所者が『この国の情勢を知りたい』なんて言うから、私が時間を割いて、懇切丁寧に説明してあげてんのよ?」
酒を煽りながら、女は吐き捨てる。
言葉遣いも少し荒くなっている、酔いが回り始めているのだろう。
「代わりに酒を奢っただろ?」
「スラムの安酒じゃここまでよ」
そう言うと女は木製のジョッキに少しばかり残っていた酒を飲み干し、酒場から出ていった。
「あっ、待て…、まあいいか。情報量は十分だ」
男は女の背を追うことはせず、酒場を出るとある場所へと足を向けた。
「おかえり、ソテル」
スラム街を抜けた首都近郊にある宿屋の一室で待っていた〝本〟はフードの男を迎え入れる。
「ただいま、コービア」
部屋に入り、扉を閉じたソテルは、宙に浮く本に向かっていつものように声をかける。
「聞き込みの成果は?初仕事は問題なさそう?」
帰って早々ベッドに横になったソテルに、本は心配そうな声音で尋ねる。
「とりあえず概ねの世界情勢はわかった」
「ふーん…、それで?次は何をするの?」
コービアはページを開いた状態で、ソテルの目線上に浮く。
一日この部屋で留守番させられて暇を持て余していたのだろう。ようやく行動が開始できると思ってか、その言葉は弾んで聞こえた。
だがソテルは。
「そうだな…まずは寝る」
容赦なくその期待を裏切る。
それを聞いたコービアは、力が抜けたようにストンとソテルの顔に覆いかぶさった。
しかし、ソテルはそれを気にするどころかアイマスク代わりにして深い眠りについた。
翌朝ソテルが目覚めると、顔の上にいたはずのコービアは部屋の隅のデスクの上に落ち着いていた。
いつもならソテルが起きたのを確認すると声をかけてくるのだが、今朝はそれがない。
以前聞いた「そりゃ僕も寝るに決まってるじゃないか」というコービアの言葉を思い出し、ソテルは声をかけずに窓際に立った。
窓の外にはスラム街の子供たちが出稼ぎにきている様子が見られた。
路上で、自分たちが作った作物を売ったり、金持ち連中の靴を磨いたり。
――これでも、帝国に上納金代わりに連れていかれた人達と比べればマシなんだよな。
窓に手を付き、ソテルは物思いにふける。
「フード、とれてるよ」
不意に響いた声に一瞬体を力ませるソテルだったが、すぐに声の主が誰だか気づいて弛緩させた。
「起きてたのか、コービア」
ソテルの泊まっている部屋は宿屋の二階にあり、かつカーテンもついている。そのため外からソテルの姿を目視される心配は薄かった。だが絶対にないわけではない。
フードを被るとソテルは窓から顔を離し、コービアの方に目を向けた。
コービアはデスクの上から動かないが、カーテンの隙間から窓の外は見えているらしく。
「あの子達はまだマシな方だ、なんて考えてたの?」
出稼ぎの子供たちをさして、ソテルの考えを言い当てる。
「…だったらなんだよ、事実だろ?」
ソテルは鋭く目を光らせる。
「わかんないよ、太った金持ちのおっさんに買われて裕福な暮らしを満喫しているかもしれないだろう?まぁ…、夜は何をされるか分かったもんじゃないけどね」
冗談混じりにコービアは言うが、ソテルは黙ってしまう。
「夜…?何の話だ」
困惑した様子でソテルは聞いた。
「おっとそうだった。いやなんでもない、忘れてほしい」
「…そうか、それなら本題に入りたいんだが」
不思議そうな目で、だが言われる通り話を流すソテル。コービアは「どうぞ」とソテルの話を促した。
「目下、最優先事項はワヤ帝国の皇帝〝シャルク・イオリク〟の暗殺だ」
ソテルは淡々と説明する。
「そいつが悪の親玉ってわけ?」
「昨日聞いた話では、自国至上主義を掲げ近隣諸国を脅かしているらしい」
「へ〜…、でもそれっていけないこと?」
コービアのその言葉は、部屋の空気を凍りつかせるに足るものだった。
「どういう意味だ?」
ソテルの言葉が静かに響く。
「そのままの意味さ。一国の長が自分の国を一番に考えるのなんて当たり前のことだろう?」
間髪入れずにソテルは反論する。
「だからと言って他人を傷つけていい理由にはならない、少なくとも俺はそう思っている。だからこそ《《罪のない》》人が傷つかないように俺はここに来たんだ」
その言葉に、一切の迷いは見受けられない。
じっとコービアの姿を見据えたその瞳には熱がなく冷徹、故に紡ぐ言葉全てが嘘偽りなく語っているのだと思わされる。
「そうだね」
コービアはそれだけしか言わなかった。最初からソテルの考えがわかっていたかのように。
もしかすると初仕事に対する心構えかなにかを試したのかもしれない、ソテルはそう推察した。
日が暮れてしばらく時間が経ち、辺りは暗くなった。
ソテルは極東連合領から離れ、ワヤ帝国に向けて歩いている最中だ。
月明かりが唯一、ソテルの行く道を照らす。
「この世界の文化レベルが元いた世界と同じくらいで助かったね」
口を開いたのはコービアだった。もちろん口はないが。
今ソテルが歩いている道は普段誰も使わないらしい。だが万が一に備えコービアはソテルの着るローブの中にいた。
と言うのも、この世界に空を飛ぶ本や、まして喋る本など存在しない。そのため他人にコービアを見られる訳にはいかないのだ。
「魔法士も存在するらしい、けどその絶対数は少なく、しかもその大半が軍や研究施設に従事しているんだと」
この情報も昨日の女に聞いたものだ。
魔法が見たいなら地獄《戦場》に行けとのこと。
サルサ大陸という地は戦争が絶えない。それはワヤ帝国と極東連合に限った話ではなく、大陸全土での話だ。
そのため魔法の運用は軍事面に偏り、そういった方向にのみ進歩してきたらしい。
民間人は魔法を使えないし、使う用途もない。
それがこの世界の常識だ。
「その点に関しては本当に不便だよね。魔法で飛べば一分もかからない道のりを数日かかて歩かなきゃなんてさ」
そうぼやいたのは《《歩く》》という行為とは無縁のコービアだ。
ソテルは文句ありげな様子で、ローブ越しにコービアを見る。
「まあ、民間人扱いである俺が魔法を使っては色々とまずいというだけでなく、戦争状態にある国家間の国境を魔法を行使して越えようものなら帝国から敵と間違えられて攻撃されること間違いなしだからな」
「敵ではあるんだけどね」
長々とした説明のあと、コービアは緊張感のない声で茶々を入れた。
「ところでなんでここでは戦争が起きてないの?極東連合もワヤ帝国も、ここを押さえればスムーズに事を済ますことが出来るよね」
ソテルが歩く道は小高い丘や森林地帯はあれど陸続きになっており、普通に考えればここには両軍が入り乱れて戦っているはずなのだが、何故かそれが起きていない。
「そもそもソテルはどうしてこの道が帝国への道だと知っているの?」
土地勘のないソテルが如何にしてこの道を選んだのか、疑問に思うのはなんらおかしくない。
当然の疑念に、ソテルは答える。
「もちろん昨日の女だ」
「…その女、本当に信用できる?」
不安感を募らせるコービア。
やはりこの土地が戦場になっていないということが気にかかるらしい。
「心配性だな、たしかに話の途中から酔っていたみたいだがむしろ饒舌になったぞ。物凄いニヤついていたし」
「余計に心配になる情報ありがとう。どちらにせよ一旦引き返そう、どうにも嫌な予感がする」
「大丈夫だって。それに半日歩き続けた俺の苦労はどこにいくんだよ」
「命がどっかに行っちゃうよりマシだろう、いいから後ろ向いて走って!君には《《音》》が聞こえないのか!?」
「急に大声出して、何が聞こえるって言うんだ………あ、れ?」
間抜けな声を出して、ソテルは耳をすませる。一瞬聞こえたある音が空耳だったと確認するためだったが、どうやら彼の期待は外れたようだ。
ソテルたちの進行方向上空で何かが光るのが微かな爆発音と共に見えた。
「あれは…」
「間違いない。魔法だね」
コービアは落ち着きを取り戻している。
ソテルがあまりに状況把握しきれないものだから少し苛立ったのだろう。
「わかっただろう、戦いに巻き込まれたら面倒だ。今はこちらに気づかれていないみたいだし、身を隠しつつ下がるのが賢明だと思うよ」
冷静にコービアは今後の行動を指示する、だがソテルの視線は魔法戦に釘付けのようで。
「コービア、あれは罪人だと思うか?」
空中で戦う十五人をさしてソテルは問う。
コービアはやれやれとばかりに溜息を吐き。
「…後学のためにひとつ言っておくけど、あれに手を出したらワヤ帝国にも極東連合にも目をつけられることになる。そうなったら最優先目標の達成は極めて困難になるだろうね」
「安心してくれ、俺の敵は飽くまでも〝罪人〟のみ。見方を変えれば彼らは被害者だ。であればあれを助けることはあっても《《手を出す》》なんてことしないさ」
フードで隠しきれないソテルの口元が微かに緩んだように見えた。
「あのね。僕が言ってるのは殺すとか生かすとかってことじゃなくて、関わった時点で……」
言いかけてコービアは言葉を切った。
前方上空で光ったものが、轟音とともにこちらへ急接近したためだ。
「防護魔法発動」
ソテルがその言葉をつぶやくと、半透明の防護フィールドが現れソテルを覆う。
ソテルの姿を目視したワヤ帝国軍の魔法士が放った攻撃性の魔法はソテルの防護魔法に阻まれる。
「どのみち逃げるって選択肢はないんじゃないか?」
フードの奥で笑んでいるのが分かった。
魔法を使った以上、ソテルの言う通り逃げるという選択肢は取れなさそうだ。
ここで目撃者を一掃するという手もありはするが、未確認魔法士として帝国にも連合にも既にソテルの情報は行ったはずだ。理念に反してまで彼らを殺したところで、難民を装って普通に入国するのは難しいだろう。
コービアは再度、大きな溜息を吐き。
「元よりこの旅は君の悲願だったわけだし、僕は飽くまでアドバイザーに徹するよ」
仮にコービアに手が生えていたなら、お手上げポーズをとっていそうな声音だ。
「コービアならそう言ってくれると思ったよ」
そう言うとソテルは強い眼差しで宙を見上げる。
帝国軍魔法士、七。連合軍魔法士、八。
魔法士は一人につき非魔法兵士(鉄剣、弓矢携帯)百〜二百人分の戦力と言われている。
それに則ると、ソテルは千五百〜三千の兵士を相手にすることになる。
しかしソテルは身震い一つなく。
むしろ彼の頭の中は〝救済〟という二文字が支配していた。
ようやく、人を助けることが出来るのだと。
ようやく、願いが叶うのだと。
この日、ソテルという青年の救済の旅が始まったのだ。