シーソーゲーム 2
はにかんだ笑みが可愛いと思う。明斗は無表情のままアドレス交換を終えた二人を見つめていた。この二人はお似合いだと思う。天都が七星を好いているのは知っている。言われなくても見ていればわかるのだ。だが、どう考えてもつり合いそうにないと思う。相手がお嬢様だから、ではない。七星と天都では持っている空気が違いすぎるのだ。かといって他人の恋路に水を差すことなどはしない。自分には薄すぎるその感情は欠落していると思っていた。恋愛など生まれてこの方したことがない、それが明斗だ。不思議と異性に魅力を感じない。かといって同性にも興味はなかった。いや、唯一例外に当たるのが天音なのかもしれない。だが、それは恋愛感情などではない。言い知れない興味、そして嫌悪感。殺意といってもいいその感情とは真逆の支配下に置きたいという衝動もあるせいか、明斗は自分が性的な異常者なのではないかと思っていた。
「あれ?下村じゃん」
その声にそっちを見れば、意外な組み合わせの五人組がいた。何より驚いたのが犬猿の仲である天音と紅葉がいたことだ。
「なにやってんの?」
天音は三葉の横でバツが悪そうな顔をしている天都を見ていた。
「え?いや・・・」
「じゃぁ、先輩、私はこれで・・・皆さん、さようなら」
ぎこちなくそう言うと、三葉は全員にそう告げて走り去ってしまった。その様子にポカーンとする五人を尻目に明斗が薄く微笑み、それを見た七星がうっとりとした表情を浮かべている。天都はいそいそとスマホをポケットにしまうと明斗の後ろに立った。苦手な南や紅葉がいたからだ。
「あ、そうだ!下村も明後日一緒に勉強会しない?ってか、先生になってよ」
嬉々としてそう言うのは野乃花だ。天音を除く全員がグッジョブと思う中、明斗は横を向いている天音を一瞬見てから野乃花の方へと顔を向ける。
「誰の家で?」
「あ、私、です」
何故か敬語で、しかも恐る恐るそう言ったのは七星だった。顔が赤い七星を見てズキンと心が痛む天都はそんな七星から顔を背けた。
「別にいいけど」
「え?」
「ええっ!」
「うそ!」
「やった!」
「マジかよ・・・」
五人の女子が各々同時にそう声を出した。それ程までにこの明斗の返事は意外だったのだ。
「ただし、俺も勉強するんだ。ほどほどになるけど」
「いい!全然いいよ!ね?」
「そうね、いいかも」
嬉しそうな野乃花に対し、クールにそう言う紅葉ですら舞い上がっているのが見て分かった。七星に至ってはもう心ここにあらずだ。
「・・・あ、じゃぁ・・・携帯のアドレスとか」
恐る恐るそう言う七星に対し、明斗は五人を見渡す。そして無表情で横を向いている天音のところで動きを止めた。
「代表で木戸さんにするよ。アドレス交換は最小限にしたい」
「な、なら私が」
そう言いかけた紅葉の言葉をきつい視線で遮り、明斗はふくれっ面をした天音に近づいた。
「木戸さんなら、俺を嫌ってる。なら、メールやラインをすることもないだろうし他人に教えたりもしないだろうし」
その言葉にため息をつくと天音はスマホを取り出してアドレスの交換をした。
「木戸さん以外の女子からメールが来たら、縁もそれまでだから」
その鋼鉄の言葉に全員が頷く中、天音は渋い顔をしたままスマホをポケットにしまった。
「だったら天都経由で登録したら良かったじゃんか」
「あぁ、そうだね」
「もう遅いけど・・・」
「連絡係は決まったし、あとは勝手に決めてくれ」
そう言うとさっさと背を向け、天都に行くぞと目で合図をした。
「じゃ」
一度だけ振り返ってそう言うと、明斗は天都を伴って去って行く。そんな二人を見つつ七星は明後日が待ち遠しいと同時に部屋の掃除を頑張ろうと心に決めていた。
「めんどくさいことになったなぁ・・あーあ、もうなんか色々サイアク・・・」
「あんたね、欲しくても誰も手に入れられないあの下村のアドレスをゲットしたのよ?もっと喜びなさいよ!腹立つわねぇ!」
「あんなの・・・どこがいいんだか」
吐き捨てるようにそう言う天音だが、何故こんなにも嫌悪感を抱くのか不思議だった。部活で話をするときにはこんなことはない。なのに今はとてつもない嫌悪感で心がいっぱいだった。
「でもでもぉ!これはビッグチャンスなのだよ諸君!」
野乃花の言葉に冷静になった紅葉はずり落ちた眼鏡を直しつつにんまりとした顔になる。南もうっとりした表情になっており、緊張した面持ちの七星を見た天音は深々とため息をつくのだった。
*
本屋に立ち寄った天都と明斗は離れた場所にいた。明斗は何やら難しい本の場所に立ち、天都は漫画のコーナーにいるからだ。ため息ばかりがでるが、これも仕方がないと思う。自分は三葉と勉強会で、明斗は七星たちと勉強会なのだ。これで七星と明斗が急接近でもすれば、もうどうしていいかわからなくなる。
「レジに行くけど、天都は?」
不意に背後からそう言われて体をびくつかせた天都が愛想笑いをし、それを見た明斗は無表情のまま歩き出す。天都もそれに続いて行けば、明斗はさっさとレジを済ませて本屋を出て行った。
「よく、受けたね・・・女子からの勉強会の誘い」
「・・・自分でも驚いてる」
その言葉に驚いたのは天都の方だ。だからか、一旦足を止めた明斗は吹き抜けになっている目の前の手すりにもたれるようにしてみせた。
「女に興味はない。男にも、だけど」
苦笑気味の言葉に天都は頷いた。それは理解しているからだ。浮いた話もなく、告白は全て断っている。自分にはそういう感情がないのか、薄いのか、そんな話もしていたからだ。
「けど、一人だけ例外的な人がいる」
天都は心臓の音が加速していくのを自覚しつつ、それでも表情を変えなかった。もしそれが七星だったら、そればかりが頭を過る。
「木戸天音、お前の妹だ」
「はぇっ!?」
思わず出てしまった変な声に自分自身が驚いている。意外すぎるその言葉にどう反応していいかもわからず頭が混乱するばかりだ。
「好きという感情ではない。むしろ逆だ。殺意というか・・・嫌悪感というか・・・それでいて好感も得ているんだよ」
天都は表情を引き締める。今の言葉は色々と問題があるからだ。
「殺意って・・・・」
「自分でもよくわからない・・・殺したいと思うほど、愛したいと思うほど、矛盾に苦しんでいる」
「明斗・・・」
「でもそれは時々だ。本当に時々そうなる。情緒不安定なのかもしれないな」
寂しそうに笑う明斗を見つめ、天都はどうしていいかわからなかった。愛の裏が憎悪、憎悪の果てが殺意。ならば殺意と愛情もまた対極の位置にあるのだろう。
「俺は壊れているのかしれないなぁ」
そう言って微笑む明斗を見つめる天都の目は驚くほど冷静なのだった。
*
せっかくの金曜日だというのに本社に呼び出しとはついてない、そう思う周人は夏ということでクールビズな半袖Yシャツ、ノーネクタイ姿で本社に入った。急な呼び出しは昨日の午前中に来た遠藤修治からのメールが発端である。なんでも、来期からカムイモータースのCMイメージガールに選ばれたアイドルのお披露目があるらしいのだ。そんなものは本社の重役たちだけでやれと言いたいが、常務の命令であれば動かざるを得ないのがサラリーマンの悲しき宿命でもある。何を考えて遠藤が自分を呼んだかはだいたいわかっている。お披露目会を餌に、定時後に飲みに誘うつもりなのだろう。毎月の定例会議の後はずっとそうだった。家庭の、主に妻の愚痴をこぼす遠藤は酔いが回ってくると今度は周人の妻への恋慕を語り始めるのがうっとおしい。それでも本音を言えるのが同期の、ライバルの周人だけという悲しい常務のため、わざわざそれに付き合う周人も自分の変な優しさに嫌気がさしていた。いつもの場所とは違う中会議室と呼ばれる30人程度を収容するその会議室では、新型車のプレゼンも兼ねているためか1時間後に迫った説明会とイメージガール発表会に向けてスタッフが大忙しで動き回っていた。
「よぉ、早かったな」
入口付近に立っていた周人にそう声をかける遠藤にスタッフが手を止めて一礼する。次期社長と噂される鬼の常務の登場に緊張しつつ、すぐに作業に戻るスタッフはそれでもチラチラと遠藤の様子をうかがっていた。
「お前が早めに来いっつったんだろ?」
その言い方にスタッフの動きが一瞬だけ止まった。
「まぁ、そうだが」
「お前は在京だからいいけどさ、俺は結構遠いんだぞ」
あの鬼にため口を叩くこの男は何者だという顔をする若手スタッフを主任クラスが急かして作業を進めさせる。それほどまで遠藤は恐れられ、その遠藤に嫌味を言う周人は異端な存在だった。
「まぁ、いいだろ?それに今度のイメージガールは大物だ。あの赤瀬未来以来、の」
「ああぁ、あの我が儘アイドルか・・・」
「我が儘って・・・」
「俺の幼馴染の息子の元カノだから、いろいろ聞いている」
「え?お前、ショウの知り合いなの?」
驚く遠藤を見てさらに驚くスタッフを見つつ、周人はすぐ近くにあるパイプ椅子に腰かけ、遠藤もそれに続いた。あわてたスタッフの用意した椅子には座らずに。
「翔君、ショウは赤ん坊の頃から知っているよ。時々晩飯も食う。サシでな」
「・・・・サイン、もらってくれよ」
「・・・それでお前の家庭が円満になるなら、な」
その言葉に大きく頷く遠藤の真剣な目に苦笑し、周人は足を組んで前を見やった。
「芸能界の嫌な話も聞かされた。だから思うよ・・・赤瀬未来という女性がいかに凄かったのかをな」
「もったいないよな・・・あんな若いうちにさっさと引退、結婚・・・・しかもヘンピな島の男に嫁いで」
「彼女は幸せに暮らしてる。それでいい」
「悪かったな、不幸せで」
「ほぉ、お前、不幸せなんだ?」
「お前や、赤瀬未来よりはな」
「一般家庭より、だろ?」
ムッとした反応を見せる遠藤だが、何も言わなかった。いや、言えなかったのか。その後も愚痴を聞かされた周人は休憩ルームに誘われた。準備はまだあと3、40分は掛かるらしい。誰もいない喫煙スペースに座った2人はコーヒーを飲みつつ会社のことについて話した。来年、遠藤が社長になるのは間違いとのこと。それを聞いた周人はにこやかに微笑み、同期の出世を喜んだ。
「で、だ、俺はお前を副社長にしたい」
「止めとけ、会社が傾くぞ?」
「お前以外のヤツが副社長になった方が傾く」
「そんな器じゃない。俺は地方の工場長で満足してんだ」
「いや、お前以上の補佐はいない・・・いや、お前は社長にもなれる器だ」
その言葉に、かつての社長だった菅生要の言葉を思い出す。何度も周人を後継者にと口にしていたことも。
「前向きに考えてくれないか?」
遠藤の目は真剣だった。だからか、周人は即答を避けた。
「いい返事は期待していない。でも、それを裏切って欲しいと願ってる」
「はいよ」
軽い返事ながらその目は真剣だったせいか、遠藤は満足げに頷き、優雅に煙草の煙を吐くのだった。