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晴れ!  作者: 夏みかん
第1章
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揺れる想い 5

今日も早めに部活を終えた天音が着替えを済ませて部室を出た。一応、男女分けられた部室となっており、誰よりも早く着替える天音には乙女のエチケットというべき汗の匂いを消すような行動は起こさない。運動をしているのだからそれが当たり前という持論もあってそそくさと仲間に別れを告げていた。そんな天音が校門に差し掛かった時、明斗みんとの姿を見つけて動きを遅くする。どうにも苦手な男がそこにいればこうもなろう。だが早く帰りたい天音が意を決して歩幅を大きくした時だった。明斗が振り返る。


「早いんだな」

「お互い様」


素っ気ない言葉を投げ合い、そして校門を出た。だが歩幅が同じなのか速度が同じなのか、横に並んで歩いている状態だ。夕方の紅葉の言葉もあってか、変に意識した天音が加速をかけようとした時だった。


「何故だか、君に惹かれている自分がいる」


その言葉に思わず足を止めれば、明斗もまた立ち止まった。ホモ疑惑まであるこのイケメンが振った女子の数は両手の指では足りないほどだ。その男が今、何と言ったのか。思わぬ告白に顔を赤くした天音だが、こんな天音でも告白されたことは1度や2度ではない。なのに何故かその言葉に体が、魂が揺さぶられる。


「勘違いしないで欲しい、恋愛感情じゃない・・・上手く言葉にできないけど、君という人間に惹かれているんだ」

「どういうこと?」


顔の赤みが羞恥から怒りに変化したが、それを見ても明斗は涼しい顔をしていた。


「自分でも上手く表現できない。体の中から君を否定しているモノ、自分のものにしたいというモノ、殺したいと思うモノ、愛したいと思うモノ・・・そんなわけのわからない感情に時々だけど駆られてしまう」

「病気なんじゃない?」


本気で頭がおかしいと思える表現に天音は気持ちが悪いと感じていた。だが、自分の中にも言い知れない嫌悪感があるのも事実だ。全身の細胞が明斗の存在を否定している、そんな嫌悪感。それでいて彼の全てを受け入れることができるという漠然とした気持ちも同居している。


「そうかもしれない」


明斗は珍しく表情を暗くして、そして足早にそこから立ち去った。天音は後を追うこともせず、ゆっくりと歩き出す。自分自身を否定され、そして肯定された。その意味がわからないが感覚的に理解できている自分がいる。魂が、細胞が、そうさせているような感覚だ。その理由もわからず、天音はとぼとぼと駅へ向かって歩く。そんな意味不明な感覚、感情はさっさとどうにかしたいのが天音なせいか、そのネガティブな思考はすぐに前向きになった。


「なら、確かめればいいんだ」


そう言い、天音は速足となった。自分のこの気持ち、明斗の気持ち、それらを整理してどういうことかの答えを出せばいい。明斗を知ることがその近道になり、自分を知ってもらうことが真理に近づく唯1つの方法なのだと思う。明斗に対して恋愛感情はない、あるのは翔にだけ。だからこその短絡的思考だ。そう、天音はいつもこうだった。考えるより行動するタイプの人間なのだ。明日から早速行動しよう、そう思う天音の足取りがより一層軽くなるのだった。



不況のあおり、とりわけ、数年前に首都圏で起こった奇怪な現象のせいでいくつかの企業が倒産していた。突如あらゆる電力が失われ、そして首都上空にオーロラまで発生した怪現象の謎はいまだに解明されていない。その現象のせいで原子力発電所が停止し、あわや大惨事になりかけたことから原子力発電に関する見直しが行われて、部品などを供給していた会社が倒産していった。そんな会社の1つである小さな工場跡地にたたずむ1人の男がいた。朽ち果てた穴だらけの屋根の上に立つその男の風貌は20代半ばだろうか。崩れた着方をしたシャツにジーンズ姿は若者らしいと思えた。だが纏っている『気』は熟練した達人のそれに近いだろう。殺気を放つ目でじっと見つめる先は天音であり、さっきまで一緒にいた明斗である。目を細め、そして口元が小さく笑う。


「あれが木戸天音、か・・・なるほど、魔獣の子供だよ」


資料は全て読んでいる。天音が小学生で木戸無明流の奥義までを使いこなす天才であることも、全て。そしてその資料にはない魔獣の血を受け継ぐ荒ぶる魂を持っていることも見抜いていた。だから笑ったのだ。強い、そう思えたから。


「しかし、さっきの男・・・・・」


しかしそれよりも気になるのは明斗の方だ。もちろん彼に関する資料などなく、ただの男子生徒でしかない。監視対象は木戸兄妹であり、特に妹の方だ。兄は凡才であるし、遠目からもそれが分かった。確かに強いのだろうが、それでも天音や周人の域には全く達していないと分かった。


「どこか似ている」


かなり距離のあるここから明斗の顔がはっきり見えるなど恐るべき視力である。その視力を持った男は明斗の中にある男の面影を見出していた。それはあるはずのない面影だ。ただ単に他人の空似なのだろうが、気になればとことん調べるのがこの男の性分である。その時、左耳にハメこまれたイヤホンのようなものから電子音がした。男はそっとそれに触れ、それから沈みかけた夕日に目をやった。


「なんだ?」


イヤホンを通じて向こうにいる男が低い声で何かを話していた。男は何度か頷き、そしてもう見えなくなった天音の方に顔を向ける。


「木戸の女はマークする。けどな左右千そうせん、俺はあの女が欲しくなったようだ」


その言葉に通信の向こうにいる左右千と呼ばれた男が笑った。


「笑うなよ、意外とマジだ」


そう言い、再度指をイヤホンに当てて通信を終えると無造作に屋根に空いた穴から飛び降りる。高さ5メートルはあろうその高さから降りても綺麗な着地を決め、埃にまみれる靴やジーンズを気にすることなく歩き出す男は耳からイヤホンを引き抜くと天音が去ったのとは逆方向に歩き出すのだった。



暗いのは夜中のせいか、それともここが地下のせいか。黒い革製の椅子に座った男が切れ長の目を正面の大きなガラスへと向けた。今自分がいる小部屋には大小のモニターがあり、複雑な機器で埋め尽くされている。そしてガラスの向こうはかなりの広さを持った空間になっており、大きな筒状の物体が3つ並んでいるのが一番目を引く。周囲にあるいろいろな機材よりもそれが異様を放っているのはその筒の中に満たされた液体の中で眠るようにしている3人の男女のせいだろう。


「3日に一度の調整が必要とは、欠陥品だと言われても仕方がないな」


革の椅子から立ち上がったのは長めの髪をした50代の男だ。やや細い目をし、懐から煙草を取り出しかけてここが禁煙だと気付いてそれをしまう。


「自分がそうならなくてよかったよ」


獣のような鋭い目をした男が部屋に入るなりそう言い、不気味な笑みを浮かべて見せる。背中まで伸びた黒髪は艶やかだが、軍人のような服がその印象を掻き消している。消そうともしない殺気、熟練された達人のオーラをそのままに、男はスーツ姿の男の横に立った。スーツの男は再度革の椅子に腰かけると小さく微笑んでみせた。


「お前にああいう調整は必要はないよ・・・・お前は神、『ゴッド』なんだ」

「神か・・・ならお前はなんだ?神を作った神、か?」

「哲学的になるなぁ・・・俺はお前の上司だよ」

「監視者、だろう?」


不敵な笑みをそのままに、男の横に立つ。その眼は筒の中で眠っている3人へと向けられていた。


天空てんくうから連絡があった・・・木戸の娘は資料通りらしい。まぁ、息子もそうらしいが」


『ゴッド』からのその報告を受け、男はさしたる興味も示さずに表情も変えなかった。


「そうか」

「今更マークする必要性を感じないけども?」

「木戸周人は要注意人物だ・・・その子も、そして将来的に孫も」

「木戸無明流も残酷な道を歩く」

「木戸無双流は?」

「さぁ、な」


『ゴッド』はそう言い、自嘲的に笑った。だからか、スーツの男も同じように微笑む。


「桑田さん、調整終了しました」

「ああ」


ここを取り仕切る桑田良介はそう報告をしたオペレーターに頷くと椅子から立ち上がった。


「飯でもどうだ?」

「喜んで」


そう言い、『ゴッド』は恭しく頭を下げる。それを見た桑田は苦笑を漏らしながらも部屋を後にし、それに続く『ゴッド』は笑みを消すことなくそれに続いたのだった。



いつもと変わりのない週末を過ごした周人はため息をそのままに窓の外へと顔を向ける。いつもと違った週明けの景色にうんざりしつつ、わざわざ自分の隣の席に腰掛けるオールバックの男を横目に見やった。白髪交じりのその頭に、黒縁の眼鏡がよく似合う。中年になってもさほど変化のないその風貌をした周人をねめつけるように見たその男は深々と椅子に身を沈めて見せた。


「常務の席はあちらでございます」


周人がわざとらしくそう言えば、周人とは対照的に少々メタボなお腹の男は渋い顔をしたままため息をついた。


「自由席だよ、今日は」

「そりゃサイアクだ」


反対側の席に座っていた千葉工場長がぎょっとした顔をするが、この春でその立場に出世したばかりだけに無理もなかった。常務の遠藤修治はキレ者であり、次期社長の座は決定的な男だ。その男にこうまで軽口を叩ける者がいるのかと思う。論理的で完璧主義であり、上司ですら失敗すれば咎めるほどの遠藤は本社でも彼に意見出来る人間は社長ぐらいなものだった。その遠藤にこんな口が聞ける周人がどこか恐ろしい。


「美人の奥さんは元気か?」

「元気だよ、家族の誰よりもな」

「羨ましい」


心から出たその言葉はもう聞き慣れている。結婚前から由衣を知っている遠藤は彼女に対して『美人の』を付けるのが常だった。


「お前の奥さんも元気?」

「・・・・・・ああ」


溜めてからの返事に苦笑しそうになるがぐっと堪えた。知る人ぞ知る遠藤修治は恐妻家だ。それもかなりの、である。出来ちゃった結婚をして以来、尻に敷かれたまま今に至っている。もう20年近くもその状態だった。


「そう言うお前も、娘には嫌われてるんだろう?なんせ年頃だ」

「そうでもない」

「え?マジで?」

「仲いいよ、ウチは」

「・・・・・・そう」


心底落ち込んだ返事に苦笑を堪えきれなかった。遠藤には娘が2人と息子が1人いる。その娘は2人とも高校生ながらここ数年はまともに口もきいてもらっていない。完全に無視されていた。


「嫁の差、かぁ」


心からの声でそう言う遠藤はまるまる太ってしまった自分の奥さんの顔を思い出して俯いた。性格はきつかったが小柄で可愛らしい容姿をしていた頃が懐かしい。長女を出産してから太りだし、今ではもうかつての面影はなかった。きつい性格はより一層きつくなり、今ではもう尻に敷かれているというレベルではない。娘たちには無視され、息子にすら小馬鹿にされているのは嫁の影響としか思えなかった。今でも思う、由衣に出会うのがもう少し早ければ自分の人生は変わっていたはずだと。妹家族の仲睦まじさを見て心底羨ましい気持ちになる遠藤は人生をやり直す機会を神に祈ることを日課にしている寂しい人間だった。その後は会話もなく時間が過ぎ、重役たちが集まった。社長をはじめ、常務や各部署の部長、そして各支部長に工場長。総勢42名が本社ビルの大会議室に集結して今年度下期に関する重要会議が幕を上げたのだった。



「タイムはどう?」


放課後になり、部活の時間になった。だが今日の部活は大会出場者以外は1時間だけの練習となっている。そのため、かなり早い時間に校門を出た天音は隣を歩く明斗にそう問いかけた。


「上々だよ」


無表情でそう言い、明斗は天音の方を見ようともしない。先週のあの発言を気にしているのかと思うが、そうでもないらしい。何故ならばこれが普段の明斗だからである。天音は紅葉に言われた言葉を気にしつつ、今日は一緒に帰ろうと明斗に提案をして今に至っている。


「今日も練習をするのかい?」


整った顔立ちがどことなく周人を思い出させる。似ているわけではないが、そんな気になるのだ。


「練習?」

「空手」

「ああ、空手じゃないよ。でも、する」


木戸の技のことは親しい人間しか知らないことだ。言う必要もないと思っていた。人を殺す技、それをもって人を活かすと言われても矛盾を突かれるだけなのだから。


「天都も?」

「あいつは・・・・してるけど手抜きだ」


そう言った天音の言葉に苦笑を漏らす明斗をまじまじ見つめる。どんな時もクールな明斗は友達である天都に関してはこういう表情をよく見せた。気が合うのか、この2人は親友に近い間柄にある。


「あいつらしい」

「だね」


そう言って笑うが、決して天都は手抜きをしていない。水泳の授業で女子のみならず男子の視線を集めるほどの筋肉質な肉体を誇っていたが、天音の存在があるだけに注目はされても不思議には思われなかった。天音は天都を練習相手にしている、そういう噂もあったからだ。だが実際はそうではない。練習相手にはしておらず、天音と変わらぬ練習量をこなしている結果だった。天都がそういうことを明るみに出すのを嫌うため、天音は何も言わないのだ。


「あいつは、本当は・・・・」


そこまで言い、明斗は黙ってしまった。天音はそんな明斗の横顔をしげしげと見つめたものの、何も言わずに前を向いた。


「不思議だな、今は君に対して嫌悪感も何もない」

「私もだよ」

「何故だろう、な」

「なんでだろうね」


そう言って微笑みあいながらも2人は顔を見合さなかった。それが何故かはわからない。照れなのか、それこそが心の奥底にある嫌悪感なのか。そのままろくに会話もなくなり、やがて2人は駅で別れた。久々に早く帰ったこともあって、駅と直結している小さなショッピングモールへと立ち寄った天音はCDショップに入っていく。近年ではインターネットを通じて直接携帯やプレーヤーにインストールすることが主流になっているが、それでもこういう店は潰れていない。天都はインターネットを利用しているが、天音はCDで音楽を聞くのが好きなせいか、よく購入していた。そんな天音がふと店内を見れば、珍しいことにそこに天都がいた。


「何やってんの?」


何気なしに近づいてそう言えば、少し驚いた顔をした天都が振り返る。手にしているのは人気アイドルの宍戸桜のアルバムだった。それを見た天音の目が細まり、天都はそそくさとそれを棚に戻した。天音が桜を敵視しているのは知っている。翔の元カノであるからだ。


「たまにはCDも見たくなるんだよ」

「ふぅん」

「天音も?」

「まぁね」


傍から見ればカップルに見えないこともない。双子といっても似ていないからだ。いや、兄妹なので似てはいるものの、世間的な兄妹なためにそう見られることもたまにあった。そのまま別れて店内を見て回り、一緒に帰る。ゲームセンターで少し遊んだものの、それでも天音が部活を終えるいつもの時間よりもかなり早かった。ゲームセンター近くの出口から外に出たはいいが、ここから駅は反対側の位置にあって少々歩く必要がある。薄暗くなったせいか、人通りも少なく、それでいて場所柄痴漢も出るようになっていた。だが2人は平然と歩いている。天音にしろ天都にしろ、痴漢や不良に出会ったところで自力で対処できる技を持っているだけに恐怖心はない。そんな2人の耳に聞こえてきたのは女性の声だ。困ったような、焦ったような、そんなか細い声が聞こえたために2人は顔を見合わせて小走りになった。暗がりの中で目をこらせば、黒いワゴン車の前で何人かの人間がうごめいていた。その中にいた1人の少女を見た天都の顔色が変わった。今まさに車に連れ込まれそうになっているのは七星ななせだ。4人の男に抱えられるようにしている七星は口を大きな手で塞がれており、じたばたともがくものの屈強な男たちの前では無力すぎた。そんな七星が近づく2人を見て助けを叫ぶものの、それは声にならなかった。だが、男の1人が近づく2人に気付いて七星から離れる。


「何も見てないよなぁ?あっち行ってもらえっか?」


ニヤニヤした顔をしたままそう言う後ろでは七星が車にしがみつくように抵抗している。それを見た2人が足を止めたが、すぐに駆け出したのは一瞬天都を見て、天都が頷くのを見た天音だった。


「お前も一緒に来るか?そこそこ可愛いっ・・・・・」


言葉の語尾を言うことなく途切れたのはその口に蹴りがめり込んだからだ。とび蹴りを顔面に浴びせ、着地と同時に内腿を蹴りつけて態勢を崩させた天音が拳を顎にぶつけてみせた。そのまま車へと駆け、背後で倒れこむ男の様子など気にかけない。電光の動きで1人の男が突き出した警棒をかわすと股間を蹴りあげる。そのまま悶絶する男の手を取ると肘打ちを浴びせつつその反動を利用して背負い投げを仲間の方に放った。ぶつかる男と男の体を避けてぶつけられた男の後頭部を蹴りつける。そのまま4人目の男の脇腹に拳を見舞うと反対側の脇腹に膝をめりこませた。崩れ落ちる男たちを見つつ、それでも起き上がった2人の男に対して飛び上がると、1人の男のこめかみに回し蹴りを見舞い、そのまま空中で回転しつつもう1人の後頭部を蹴りつける。なおも空中で2度の蹴りを見舞った天音はスカートが翻るのもお構いなしに大股で着地を決めた。悶える男たちを無視し、怯えたままの七星を連れ出すと震える彼女の手を引いて天都がいる位置に戻ってきた。骨や内臓に響く攻撃のせいか、男たちは動くこともままならない。それを見た天音は天都を促して七星を駅側の明るい場所まで連れてきたのだった。


「大丈夫?家まで送るよ」

「平気・・・・今日はここでお母さんと待ち合わせ、だったから」


震える声の中に安堵が見える。天音の強さは知っている。中学の頃もしつこくて強引なナンパ集団を圧倒的強さで倒したのを何度か見ているからだ。ベンチに座って震える七星の手をそっと握った天音の顔を見た七星はここでようやく泣いた。一目もはばからず泣きじゃくる七星の頭を撫でる天音を黙って見つめる天都は立ったままだ。そしてようやく七星が落ち着いた頃、知った顔の女性があわてた様子でやって来たために、天音は七星から離れてベンチを立った。そのまま天都の隣に移動して泣いている七星に動揺している彼女の母親に説明を行った。あまりの事に母親は顔色を悪くしながらも七星を気にかけ、それから天音にお礼を言った。母親の顔を見て落ち着いた七星もお礼を言い、それから冷たい目を天都に向ける。いくら天音がいたからといって、何もしなかった天都に幻滅と怒りが込み上げている。それでも七星は何も言わず、再度天音にお礼を言って母親とその場を去って行った。


「よかったの?」


車に乗り込む七星を見つつぽつりとそう呟いた天音が天都を見やるが、天都は表情を変えずに車の方を見ているだけだった。


「うん」

「でも、さ」

「いいんだ」


そう言うと走り去った車を確認してから改札の方へと移動していく。七星の好感度を上げるためにはあそこで行動すべきは天都だったはずだ。だから天音は動きかけた自分を制して一度天都に確認したのだ。だが天都は天音が動くことを承認し、そして何もしなかった。好きな子へのアピールを自ら放棄した天都の心理が分からず、気まずい空気のまま電車に乗り込んだ。サラリーマンの帰宅ラッシュのせいか混雑する車内だったが、車両の真ん中付近は比較的余裕がある。並んで吊皮を持つ兄妹だが、天音はチラチラと天都の顔を見るばかりで何も話しかけない。そんな天音の方を見た天都は小さなため息をついた。


「あれでいいんだよ」

「でもさ、軽蔑されたよ?」

「いいよ、別に」

「よくないでしょ?」

「助ける必要性を感じなかった。天音がいたから、さ」


微笑む心理が分からないが、天都の気持ちは理解できた。双子だからだろうか。


「僕が最善だと判断した結果だから後悔はしてないよ」


微笑む顔が父親に似ていると思う。天音はもう何も言わず、前を向いた。そのまま会話はなくなり、結局家に着くまで無言だ。そうして家に帰れば、今日は出張でいない周人のせいか先に風呂に入っていた天海がパジャマ姿で出迎えてくれた。その後ろから由衣がやってくる。


「ただいま」


2人が同時にそう言い、由衣が微笑んだ。


「さっき結城さんのお母さんから連絡あったよ。ありがとうって」


その言葉を聞いて顔を見合わせた2人が玄関を上がる。


「天音が助けたんだって?」

「うん、そう」


由衣の言葉にそう返事をした天都がそそくさと階段を上がって行った。その後ろ姿を見つめる天音の複雑そうな表情を見た由衣は苦笑を漏らし、それからリビングの方に体を向けた。


「あの子が納得してるなら、それでいいんじゃない?」

「・・・・うん」


暗い顔の天音を振り返った由衣は苦笑を濃くし、それからリビングを通ってキッチンへと消えたのだった。取り残された天音は心配そうにしている天海に儚い笑みを浮かべると、そのまま階段を上がって自室に消えたのだった。



ファミレスで大量のメニューを頼んだ男は1人だ。連れもおらず1人で2人掛けのテーブルに座ると次から次へとオーダーしていく様に周囲の客がヒソヒソと話しながら好奇の目を向けていた。それらを全部平らげ、満足そうな顔をしつつ窓の外へと目をやった。1時間ほど前、今見えている景色の裏側で繰り広げられていた一方的な戦いの光景を思い浮かべる。1人の少女が圧倒的強さで4人の男を叩きのめしたその光景を。


「木戸宗家、か」


そう呟き、男はやたらと分厚くなったレシートを手にレジへと向かった。とても1人がファミレスで食べる値段ではない金額を支払うとそのままその戦いの場所にやってくる。そこで通りすがりの男2人と肩がぶつかるが、男は歩みを止めることはなかった。


「おいおい、ぶつかっておいて何もなしかよ」

「痛かったんだけど?」


見るからにチャラチャラした男2人を振り返ったのは目つきも鋭い短い髪の男。崩したシャツの着方に特徴があるその男は天空と呼ばれた男だった。


「痛い?」


薄ら笑いを浮かべ、天空は肩がぶつかった男の前に立った。


「ああ、痛かったね」

「なら、これはどうだ?」


細めた目に殺気が宿り、同時に右手が男の左の肋骨に添えられた。そのまま服の上から触れた矢先、指先が骨を砕いて肉ごと鷲掴みする。絶叫する男の口に左手を添えて叫びを消した天空は凄惨な笑みを浮かべたまま突き刺した五指を腕ごと内側に回転させた。骨を砕き、肉を裂く。血を吹くそこから手を離せば、男はあまりの痛みと出血に声も出せず倒れこむ。そのまま怯えているもう1人に向かって大きく一歩踏み出すと、低い体勢になって血に染まった右拳を背中からボールを投げるように、まるで野球のアンダースローのようにして相手の腹部に炸裂させた。その瞬間、男は数メートルを吹き飛んで地面を転がる。それを見た天空は満足そうに微笑むと足元付近で血だまりを作っている男の服で右手の血を拭いた。


「服もズボンも汚れたが、クリーニング代は勘弁してやるよ。もう誰彼かまわず喧嘩売るなよ?」


笑みをそのままにそう吐き捨てると、失神した男の頭を蹴りつけてから歩き出した。


「この木戸天空に喧嘩売るなんてのは、自殺行為だからな」


嬉しそうにそう言った天空が闇の中に消えていく。残された2人が通行人に発見されて救急車を呼ばれたのはそれから10分してからのことだった。



夕食と入浴を終えた天都は時雄からのゲーム要請を断って電気の消えた自室にこもっていた。男の部屋にしてはかなり片づけられたその部屋にあるベッドに座り込み、机の上に飾られた塾で行った合宿の時の写真へと視線を送っている。中学3年生の時に強化合宿という名の息抜き宿泊旅行で撮ったその写真は七星と自分が寄り添い、時雄と天音がおどけているものだ。天都にとっては宝物であるはずのその写真は、今は色あせて見えている。好きな子が無理やり車に押し込められているのを助けず、ただ突っ立っていた。それは自分が選択したことで後悔はない。それで七星に嫌われてもそれは仕方のないことだと理解している。自分が決めたことなのだから、それで自分を責めることはない。それでも、天都の心は揺れていた。もし、自分が助けていたならば七星は自分をどう見たのだろうか。歓喜か、羨望か。それとも畏怖か。後者だと思い、自嘲気味に笑った天都はベッドに寝転がる。そのまま目を閉じた。木戸の名を継ぐのは天音でいいと思う。たとえ結婚して苗字が変わっても、流派の名前が引き継がれればいいのだから。だいたい人を助けるために人殺しの技を使うなど、あってはいけないのだから。天都は自分の中で七星への想いが薄らぐのを感じている。いや、確信していた。それは嫌われたからではない。彼女が自分にとって本当に傍にいるべき人間ではないのだろう。だから自分の中の何かがこう叫んでいるのだ。


『それは彼女ではないよ』


確かにそう聞こえた気がしたが、天都はそれを気にせず眠りについた。まだ10時なのに、夢の中へと旅をする。そこで見た夢は見知らぬ少女と遊んでいるもの。夢を語り、技を披露し、そして自分の全てさらけ出す。麦わら帽子をかぶった白いワンピース姿のその少女のことは、翌朝目が覚めた頃にはすっかり忘れていたものの、夢の中で全てを吐き出したせいかすっきりした気分で起き上がる天都の表情に曇りはない。晴れ渡った気持ちで朝を迎え、今日もまたジャージに着替えて玄関を出れば、そこには少し複雑そうな顔をした天音が待っていた。


「おはよう」

「おはよう。行こうか」

「うん」


にこやかな天都に促され、天音も微笑んだ。由衣の言うとおり、天都の気持ちを優先して何も考えないようにした。寝つきは悪かったが、そう切り替えればすぐに眠れたのだった。朝日がまだ昇る前の薄暗い濃い紺色の空を見つつ、双子の兄妹は住宅街を抜け、川沿いにある桜並木の下を駆けていくのだった。

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