果てない空 4
空の色は似ていても、海の色はやはり違うと思う。波打ち際に立つ天都は水平線の彼方に目をやりつつそれを実感していた。あの波島の海とは全く違う感じのせいで、あの美しさがどれだけ素晴らしいかを実感していた。どうやらそれは三葉も同じようで、横に立つとぐるっと海を見渡すようにしてみせた。
「海の色って、いろいろなんですね?」
「だね」
しみじみとそう言う2人が顔を見合わせて微笑んだ。
「何自分たちの世界に浸ってんの?」
胸が大きくなったおかげで可愛いビキニが着られるようになった天音がピンクに白いフリルが着いた水着姿で三葉の横に立つとそのままじっと三葉の胸に集中した。こちらは濃い赤に白の模様が入ったビキニを着ている。その胸を凝視する天音の視線を受けた三葉が自分の胸に何かついているのかとそこを見るが、別に変ったところはなかった。
「大きくなった?」
「え?」
「大きくなってるよね?」
「はぁ」
カップ数でいえば1サイズ大きくなっている。この2年で少し大きくなった三葉の胸を見つつ、天音は悔しそうな顔をして何故か天都のお尻を蹴りあげた。
「いったいなぁ!何すんの?」
「やっと苦労して三葉と同じぐらいになったと思ったら・・・抜かれてるじゃん!」
「いや、知らないし・・・」
その言葉が終わる瞬間にまたも鋭い蹴りが天都の顔面に舞うが、天都はそれを少し顔を反らせるだけで回避する。それもまた腹が立つが、天音は自分の胸を鷲掴みにしてみせた。
「牛乳も飲んだしマッサージもしたし・・・明斗にも集中的に揉ませたし、エッチの際にはホルモン出るように意識したりしたのに・・・それなのに・・・・・」
怒りにわなわな震える天音が不意に後ろから三葉の胸を揉みしだいた。小さな悲鳴を上げつつそれから逃れようと身をよじる三葉が妖艶すぎたせいか、天都はそれに見入ってしまう。
「ちょ・・・もう!天音さんっ!」
「天都に揉まれて大きくなりやがって!エロ娘がぁっ!」
「揉まれてません!」
その三葉の声にようやく我に返った天都が天音を引きはがす。天音はそんな天都をマジマジと見つめた。
「なんだよ?」
「揉んでないの?」
「何の話だ?」
「・・・・・・・・マジかぁ・・・・」
その顔を見れば嘘かどうかはすぐにわかった。何故か落ち込む天音を見て首を傾げるしかない。がっくりとうなだれる天音を見つつやって来た明斗が黙ったまま天音を指差すが、天都と三葉は首を横に振るだけだった。
「何をしてんだ?」
彼氏の声に反応した天音がガバッと起き上がったために明斗の体がビクッとなった。
「三葉に負けた・・・・やっと追いついたと思ったのにぃ」
「負けた?何に?」
「胸だよ胸!やっとCカップになったのに・・・三葉は多分Dだ!去年は受験勉強で泳ぎに行けなかったから見なかった間にぃ!追いついたと思ったんだよ!自慢したかったんだよ!なのに自然発達だよ?この子まだ処女なのにぃ!私はあんなに努力したってのにぃ!」
「・・・・謝っておくよ、ゴメン」
何故か明斗が謝り、三葉は苦笑するしかない。そういうことかと呆れる天都はようやくパラソルを立て終わったらしい進と心の方を見やった。大きなパラソル2本を立てた2人がこっちにやってくる。
「暑いねぇ」
「夏だから」
感慨深げにそう言う心は素っ気ない返事をする進の頬を引っ張った。天音はそんな心の胸に目をやり、太陽に焼けて熱い砂浜に両手両膝をついてガックリしてしまった。そんな様子を不思議そうに見つめる心が天音を指差すが、天都と明斗、それに三葉が同時に首を横に振った。
「さぁ、泳ごう」
天都の合図で三葉と2人で駆け出した。それに続く進と心。明斗はうなだれた天音を引き起こし、悲しい顔をした天音に苦笑を見せた。
「先生は7つも年上だ。勝てるようになる。それにあんまり大きいのは好きじゃない」
「ホント?」
慰めかと思う天音に笑みを見せ、ポンと頭に手を置いた。
「今ぐらいが好きだ」
それを聞いた天音は明斗に抱き着き、それから手を引いて海に向かって走るのだった。
*
今日の海水浴は心の提案だった。元々は進と2人で行くはずだったのだが、それはそれで寂しいと天都と天音のカップルを誘ったのだ。気心の知れた面々のせいか、心もかなりはしゃいでいる。元々子供っぽいところがある心は天音や三葉に意識が近いのもあって、高校教師を辞めてからは親友的な立場にいるのだった。それでも塾で教鞭を振るっている時はクールビューティの名を欲しいままにしている。そのギャップは今現在塾でバイト講師をしている天都にしてみれば魔性的なものを感じずにはいられなかった。大きなシャチの形をした浮きや板状の浮きを使ってひとしきり遊んだ6人が拠点にしているパラソルの場所に戻ってくる。お昼も近いということで三葉と心が用意したお弁当を食べることになった。天音は現在料理の勉強中につき参戦しなかった。まだ味付けが心もとないのである。現在は由衣や三葉の指導の下で料理を学んでいるものの、実験台に使われている天都にとっては苦痛でしかない。明斗に美味しい物を食べさせたいがために兄を犠牲にするその姿勢がどうにも許せなかった。
「美味しいわぁ」
心の味付けは母親のミカが絶賛するほどであり、居候を続けている心は炊事と洗濯もミカと折半していた。
「でも三葉ちゃんの味はこう、ちょうどいいね」
心は三葉の作ったおかずを食べながらそう評した。わいわいと味付けで談義をする女性陣を尻目にただ黙々と食べるだけの男性陣は開放的な景色のせいか食が大いに進んで止まない。結局、多めにあった弁当はデザートも含めて綺麗になくなった。満腹感の中でゲームの話をする男性陣とは違い、何故か女性陣は恋愛の話をしている。お茶を飲みつつ、天音がまじまじと心を見つめた。高校教師をしていた2年前と違い、今の心はかなり若くて綺麗に見える。
「心さん、翔さんと一緒に暮らしてて気持ちがそっちに行かないわけ?進はどう見ても中学生だよ?顔も性格も翔さんのが遥かに上なのにさ」
「んー・・・そうね。確かにかっこいいし、優しいし、気遣いもできるし私より大人だよね。でも、憧れは抱いても好きにはならないなぁ」
その憧れという意味は理解できる。天音もまたそうだったからだ。
「だって彼は完璧なんだもん。なんでもできちゃうし、見た目も中身も完ぺき。強い、優しい、イケメン、芸能人、お金持ち・・・完璧すぎて私には絶対に合わないって思うから好きにはならないよ」
「納得できますね」
感心したようにそう言う三葉に微笑み、心はお茶を飲んだ。天音も腕組みをしてうんうんと頷くしかなかった。確かにそう思う。翔は完璧すぎる。
「進は進で凄く優しいし、でも子供っぽい。見た目も子供っぽいけど、でも考え方は大人。そんなアンバランスさが私には合ってるよ」
「進さんが大学卒業したらすぐに結婚するんですか?」
最近出たゲームの話で盛り上がる進を見ている心にそう質問する三葉は結婚願望が強い方だ。だが、まだ付き合って一カ月も経っていないし、結婚など頭にはない。それでもいつかはと思い、夜な夜な新婚生活を妄想してはベッドの上で悶えているのは内緒の話だ。
「私は別に焦ってないんだよ。そりゃ、もうすぐ三十路だけど、でもいいかなって。進が気を遣ってくれてるのと、哲生さんも子供を産むなら早い方がいいって。でも・・・進が可哀想だなぁって思うの。まだ20代前半で既婚者で子持ちなんて」
「俺は心と結婚したいと思ってる。今すぐがいいけど、一応大学は出ないとな。それに就職して3年後ぐらいがいいんだろうけど、俺が我慢できない」
ゲームの話に夢中になっていたはずの進の言葉に心が微笑む。天音と三葉は顔を見合わせてニヤニヤし、天都と明斗はしっかりした考えを持っている進に感心していた。
「親父のつてでやってるバイトだけど、そのままウチに来いって社長さんが言ってくれてるし、仕事は面白いからそれでもいいかと思ってる。心にばっか負担は掛けられないし」
「でも同居するんでしょ?」
天音がそう言うと心が頷いたが、進は渋い顔をして海へと顔を向けた。
「親父よりも母さんがそうしろってうるさいんだよ・・・あの妖怪ババァは心を気に入ってるから」
「こら!お母さんを妖怪とか言わない!」
「どう見たって妖怪じゃねぇか!心と姉妹、しかも妹に見られてんだぞ?」
それは確かに妖怪だと思う天都も明斗も心の中で頷いた。どう見ても20歳程度、もしくは高校生にも見えるその容姿を保つ49歳などいるものなのか。しかも美容にお金などほとんどかけていないのにもかかわらず。だから進を睨んだままの心をフォローできない天音と三葉も黙り込んでいた。正直羨ましいとしか思えない。
「まぁ本来は翔さんが結婚して同居なんだろうけど・・・進の方がいいかもね、妖怪同士で」
天音が腕組みをしてそう言うと、進のこめかみに青筋が立った。
「誰が妖怪だぁ?」
「お前だよ!大学生のくせに中学生と間違われて映画のチケット売り場で笑われてんの知ってんだぞ!どんな19歳だよ!」
立ち上がって睨みあう2人がパラソルの外に出て構えを取った。明斗は止めなくていいのかと目で天都に告げるものの、天都は完全に無視してお茶を飲んでいる。
「三葉ちゃんって専門学校に行くんだよね?」
天音の蹴りを受け止める進を見つつそう言う心に頷く。
「パティシエになるのが私の夢なので」
微笑むその顔が眩しい。夢を語る乙女の表情は輝いて見えた。
「そっか・・・いつか三葉ちゃんの作ったケーキを食べられると思うと元気が出るよね?特に天都君は」
「そうですね」
素っ気ない返事の中に照れが見えていた。だから2人は顔を見合わせて微笑む。
「少し気になっていたんだが、瀬尾はずっと天都に敬語なのか?」
暑さと砂の上という悪条件のせいかすでにバテ始めている進に拳を繰り出す天音を見つつそう言う明斗はずっと疑問に思っていた答えを欲していた。付き合ってそろそろ一カ月が経とうとしているのに三葉はずっと天都に敬語を使っている。付き合っているのなら対等がいい、それが明斗のポリシーだからだ。
「もう癖なんですよ。だからなかなか・・・」
「僕は別に気にしないけど、ため口に出来たらそれでいい」
「努力します」
そう言って微笑み合う初々しいカップルを見た心が小さく微笑んだ。
「でもそういうのいいよね。大和撫子って感じでさ。あ、やめてください、あなた、ダメです・・・とか、最高でしょう?」
何の話だと思っているカップルの顔を見つつ明斗が苦笑する。そんな明斗を見て頬を膨らませた心はお茶を手にしながら目を細めてみせた。
「明斗君は天音ちゃんと結婚したら天都君をお義兄さんって呼ぶわけだ?」
「それはない」
きっぱり否定する明斗に天都も頷いた。確かに義兄となるが、だからといってその呼び方はした方もされた方も気持ち悪い。
「まぁお互いに気持ち悪いしね・・・それに明斗と天音が結婚するって決まったわけじゃない」
その言葉に進にタックルしようと態勢を低くした天音が反応する。そのままくるっと向きを変えて素早い動きをしながら天都の前に進んできた。
「ちょっと!それどういう意味よ!」
「お前が捨てられるかも、お前が捨てるかもって話」
「それはない」
天音と明斗が同時にそう言い、三葉が笑った。別れるという選択肢はこの2人には全く無いらしい。だから天都も苦笑した。わかっていてわざと言った言葉だったからでもある。
「でもまぁ。ご祝儀は貯めておくよ。進と心さんのために、ね」
そう言って微笑む天都にはにかんだ笑顔を見せ、肩で息をしながら戻ってきた進にお茶を渡す心にみんなが笑顔になるのだった。あの事件を乗り越えたこの3組の結束は固い。きっとこのまま歩んでいくのだろうと誰もが思っていた。その後はまた海でひとしきり遊んだ。夕方になって帰り支度を進める女性陣は近くにあった無料のシャワーを簡単に浴びた後で心の運転で来た佐々木家のワゴン車の中で着替えをする。その間、手っ取り早く着替えられる男性陣は砂浜に立って海を見つめていた。
「兄貴な、彼女が出来そうな雰囲気らしい」
あえて天音の前で言わなかったのは何かの配慮なのか、進がそう言葉にした。明斗は目だけを進に向けるものの、あまり面識がない翔のことはよくわからないためにすぐに海へと視線を戻す。
「宍戸桜の人気が落ちてきてるから、黄味島元気と別れて兄貴にすり寄って来たらしいんだが・・・な」
宍戸桜の醜聞が週刊誌に掲載された上にテレビなどでの態度の悪さもあってここ最近で人気が急下降していた。それもあって、大ヒット映画に出演してさらに知名度を上げた翔に復縁を迫ったらしいが、翔はもう桜など相手にせず今は事務所で働く一般女性といい感じになっているのだった。今の翔は映画にドラマにと忙しく、そうそうデートも出来ない状態らしいが、事務所としては近く桜の行動を制御するために交際宣言をするらしかった。元々さして芸能界に執着もない翔はいつ辞めてもいいと思っている。だが、今の地位にしがみつきたい桜サイドは何としても復縁して話題を独占し、醜聞を払拭したいのだろう。
「芸能人はもうこりごりだって言ってたもんね」
天都もそれを知っている。それに、映画とドラマの撮影を終えたのを機に戦ったこの春、翔はあと2、3年で引退したいと言っていた。出来るならモデルだけ、それ以外は道場の経営に専念したいというのが翔の意向だ。カムイのイメージガールを務めた桜に関しては周人ですら嫌悪感を露わにし、社長の交代と共に起用しなくなったことでもその人柄が知れている。
「まぁ、先に弟が結婚、しかも7つも年上の元教師となんて・・・兄としては複雑なのかもな」
「そんなことないよ」
進の本音、その懸念をきっぱりと否定した天都が真剣な顔を進に向けた。
「翔さんは凄く喜んでた。それは間違いないよ!」
進のこと、心のこと、少ししか話をしなかったけれど翔の笑顔は印象に残っている。
「そっか」
たった一言だけだったが気持ちがこもっていた。だから明斗と顔を見合わせ、天都は2人で微笑んだ。
「明斗も大変だろうけど、頑張れ」
大変の意味を悟って苦笑するものの、自分の全てを受け入れてくれた天音しか愛せない。たとえ将来鬼嫁になろうとも、それはきっと変わらないだろう。
「天都も、三葉ちゃんを大事にしないと」
「わかってる」
3人は微笑み合い、綺麗にきらめく海を見つめていた。冬にはこの3組でスキーに行くことも決め、良ければ翔にも声を掛けるつもりでいる。これから広がる楽しい未来を海に浮かべつつ、3人はただじっと日の光を反射する海を眩しげに見つめるのだった。
*
北の大地の高原はもっと涼しいものだと思っていた。しかし今年の猛暑は北日本を襲い、北海道の内陸部にあってもその襲撃の手は届いていたのだ。日差しもきつく、そして大きな雲に隠れることなく存在感を猛アピールする太陽を眩しげに見上げる天音はその高原のペンションを真下に見つつ目の前に広がった壮大な景色に見入っていた。緑の大地が目の前に広がっている。山は遠くにあれど、地平線が見えるその景色は雄大で都会では決して見ることの出来ない自然のままの姿がそこにある。高原だけあって標高が高い分、見晴らしもまたちょうどよかった。
「この上に展望施設がある。夜はそこで星を見よう」
明斗の言葉に頷き、空を見上げた。青い空もまた果てしなく広がっており、隣に立つ三葉と顔を見合わせて微笑む。朝早めの飛行機で北海道に降り立った4人はペンションにチェックインした後でこの高原に来ていた。2泊3日の予定で来ているものの、予算としてはなるべく使わないようにと安くて質のいいペンションを選んでいた。今日は高原で過ごし、明日は町を観光することにしていた。旅のメインは星空の鑑賞だ。今夜は快晴で風もないために絶好の天体観測日和になっている。いろいろ器具を用意した明斗に感心しつつ、本当に好きなことをしているその姿は羨ましくなるほど輝いていた。波島で見た星空とは比べ物にならないと言った明斗の言葉に、三葉もまた大いに期待を寄せていた。
「しかし暑いわね」
「猛暑らしいですから」
「関東よりもずっと涼しいと思ってたのになぁ」
天音はハンカチで汗を拭う。伸ばした髪がこういう時にうっとおしくなるが、それは我慢だ。
「観測する人って多いのかな?」
天都が坂となっているその上の方を見つつそう言うものの、ここからはその場所は確認できない。
「それなりに有名だが、溢れかえるほどじゃないだろう。せいぜい5、6組程度だと思う」
この場所も部活の先輩から勧められた場所だ。長野の観測所もなかなかの星空だったが、ここはまた違う印象を与えてくれるのだそうだ。だから明斗も楽しみにしていた。とりあえず展望施設に向かえば、そこは木の柵で囲まれたただの展望台だ。小さな駐車場にトイレもあり、見晴らし的には十分だった。ここから見える景色もまた格別で、4人はそれぞれ記念撮影をしてからペンションに戻った。ここに着いた時にはもう午後2時だったこともあって、今はもう4時半だった。一旦戻って軽くシャワーを浴びる三葉を気にしつつ、天都は窓から見える景色を見ていた。左手にある山を見つつ、ペンションの庭にあるバーベキュー施設を見下ろす。今日の晩御飯はオーナーの用意した特製バーベキューだ。宿泊客が揃うそこでわいわい騒げるのもまたここの醍醐味である。
「シャワー、いいんですか?」
キャミソールに短パンという見慣れた格好の三葉を振り返った天都が微笑む。そんな天都の横に立った三葉も景色を楽しんでいた。
「僕は天体観測の後でゆっくり入るから」
「じゃぁ、一緒に入りましょう!」
「え?」
こんなことを言う三葉は初めてなことなのであわてふためくが、三葉は平然とした顔を天都に向けた。そこからは何の感情も読み取れない。
「冗談ですけど、もっとこう、大きなリアクションを期待してました」
「・・・十分だと思ったけど」
「そうですかね?」
「そうだよ」
笑ってそう言う天都の腕に自分の腕を絡ませた。まだキス以上の行為はないものの、それでいいと思っている。ここまで来るのに2年もかかったのだ、焦る必要など何もない。だからこの旅行でも何もないと思っていた。するつもりは少しあれど、絶対に今夜決めてやるというような意志はなかった。
「星空が楽しみですね?」
「うん」
寄り添う三葉の体温を感じつつ、天都もまた心の底からそう思うのだった。
*
楽しく、そして美味しいバーベキューを終えた4人は観測の準備をして展望台を目指した。オーナーからもお勧めだと言われてテンションが上がる明斗を見るのは楽しい。どうやら観測するのはペンションの宿泊客の3組だけであり、あとは誰もいないでしょうとも言われた。夜景らしい夜景などなく、ただ暗い景色しか見えないそうだ。言われてみれば草原や畑、田んぼぐらいしかなかった景色を思い出し、4人は仲良くなった他の2組の家族連れと一緒に展望台に上がった。夜の10時とはいえ、月が明かりとなって道を照らしている。ペンションから見上げた空だけでも相当な星空が見えていたが、山が邪魔をしていたこともあって期待は大いに膨らむ。そうして細い道を出れば、真上に広がる壮大な星空に全員が息を呑んだ。まるで宇宙がそこにあるようだ。星の集合体が白い川を描き、それが天の川だと知ってテンションがあがる。携帯では満足な写真が撮れなったものの、明斗が持参した高感度カメラは鮮明にその星々を映し出していた。4人は記念の写真を撮り、首が疲れるからとアスファルトの上に敷物を敷いて寝転ぶ。目の前に広がるようなその瞬きは言葉で言い表すことなど出来ないほどの感動を呼び起こし、三葉は自然と涙を流していた。
「人の魂が星になる、そう言った人がいたが、本当だと思える」
明斗がそう言い、天音が頷いた。キラキラ輝く星、そして流れるいくつもの星、ゆっくりと動くのは人工衛星だ。肉眼でこうまではっきりと宇宙そのものに等しい星空が見られる喜びを噛み締める天都は、寝転がった三葉と自然に手を繋いでいた。
「人ってちっぽけなんだね」
「そうですね」
人の悩みなどくだらない、そんな景色が目の前にある。流れ星など珍しくないほどの夜空を前に、天音がポツリとつぶやいた。
「こんなに流れ星があるなら祈り放題、叶い放題じゃん」
感動を打ち消すその言葉に苦笑し、天都と三葉は流れ星を探した。明斗はカメラを構え、夢中になりながらシャッターを押している。2台のカメラを駆使するあまり天音のことなど忘れているほどに。
「でもそんなに願うことってありますか?」
「え?ない?あるでしょ?」
夜空に見入っている三葉に驚く声を上げた天音は頭の後ろで手を組みながら流れ星の多い夜空を凝視した。
「お金持ちになりたい!綺麗になりたい!一軒家が欲しい!ブランドバッグが欲しい!犬を飼いたい!勉強しなくてもいい成績取りたい!天都に勝ちたい!胸を大きくして欲しい!高級車が欲しい!食べても食べても太らない体が欲しい!永遠の若さが欲しい!世界を征服したい!」
「・・・・・・・・流れ星がこの世から消えないことを祈るよ」
ぼそりとそう言う天都に苦笑し、まだ願いを言い続ける天音を見た三葉はその真剣さに噴き出した。そのまま腰に手を当てて夜空を眺めながら立つ明斗の方に顔を向けた。
「こんなにいっぱいだと、星座とか何が何がさっぱりですね」
「そうでもない。だって星座を決めた時代の空はこれ以上だったんだから」
そう前置きして明斗が解説をした。いくら綺麗に見えているとはいえ、昔に比べて大気の汚染が進んだ結果、星の光も随分とその輝きを失ったそうだ。都会の明かりに負け、大気に負け、それでもこうして瞬く星にロマンを感じる、そう言う明斗に感心する三葉はこの星空を忘れないように目に焼き付けた。都会の空にも、見えはしないがこんなにたくさんの星がきらめいていると忘れないように。
*
「ふぅ、さっぱりした」
風呂から出てきた天音がバスタオル1枚の姿でベッドに腰掛けた。それも明斗の寝るベッドに。明斗は撮った写真を簡単にチェックしており、天音はそれを覗き込むようにしてみせた。
「ちゃんと髪を乾かして服を着ないと風邪ひくぞ」
1台のカメラをあぐらをかいた足の間に置き、かなり高額そうな一眼レフカメラの画像を確認する明斗は天音を見ずにそう言った。
「髪は拭くけど服はいらないじゃん」
「何故?」
「だって、するんでしょ?」
「しない」
「えっ?」
あまりの驚き様に明斗が天音を見れば目を点している状態だ。
「今日はまだ写真を撮りたいし」
「・・・・あっそ」
いじけたようにそう言ってベッドを降りようとする天音の腕を掴んで自分の方に引き寄せ、それから不意にキスをした。こういう明斗は初めてなせいか、天音は戸惑いつつも不機嫌そうな顔を崩さなかった。
「冗談だよ」
「・・・嘘だ」
「半分はな」
そう言い、もう一度キスをした明斗が立ち上がってタオルを持ち、そのまま風呂場に向かった。天音はため息をついてカメラを手に取り、明斗が撮った写真を見ていった。小さな液晶画面に写る小さな宇宙がそこにある。天音は不機嫌さもなくなっていく中で写真に見入っていた時だった。
「ん?」
そこに写っているのは星空を見上げて微笑んでいる自分の姿だ。それも何枚も出てくる。いつの間に撮ったのかと思うが、自分でも何だかいい顔をしていた。星空をバックにした写真もあって、天音は小さく微笑んでいた。するとシャワーを終えた明斗がそれに気づき、バスタオル一枚の姿のまま速足でやって来てカメラを取り上げた。その顔が赤いのを見た天音の表情がニヤニヤしたものに変わる。
「勝手にカメラいじるなって・・・これ無茶苦茶高いんだから・・・親父がいろいろあったお詫びだって買ってくれた大事なカメラだし・・・・・・・・・」
だんだんとトーンが落ちていくのはカメラの画面に写っている天音の写真を見たからだ。勝手に触っていたことにあわててやって来たのだが、まさかこれを見られるとは。
「ほぉ・・・その大事で高価なカメラで私を写してくれていたとは光栄だねぇ」
「・・・テストだよ、カメラテスト・・・夜空と人がちゃんと写るかどうかの・・・・さ」
「それが何枚もあるんだねぇ」
「まぁ、な」
歯切れの悪くなった明斗は2台のカメラを片づけると挙動不審になった。天音はそんな明斗の後ろ姿に微笑むとそのまま背後から抱き着いた。
「綺麗に撮れてた」
「ああ、まぁ、そうだな」
「・・・夜空のことだけど?」
「え?あ、うん」
「私のことだと思った?」
「いや、別に・・・」
「星が好きなんだってわかる写真だった」
「うん」
「私の事が好きなんだって分かる写真もあった」
途端に黙り込む明斗に自然と笑みがこぼれた。
「むん!」
背中から腹部をがっしりと抱え込み、そのまま明斗をベッドに投げた。力をそう使わずに投げる技は木戸の技ではない。佐々木流合気柔術の技であった。戦ううちに自然と身に着いたその技の前に成すすべなくベッドに投げ出された明斗は腰から落ちたバスタオルを拾う間もなくこちらも投げた勢いで全裸になった天音に馬乗りにされていた。その天音がニヤリと微笑む。
「ここから関節技を掛けられるか、サービスされるのとどっちがいい?」
「選択肢が無茶苦茶だ」
「ふふん!主導権は私にあるからね」
「・・・・じゃぁ、サービスで」
「よろしい」
そう言い、上半身を密着させた天音がキスをし、明斗はそれに応えながらこれが尻に敷かれるという意味かと悟りを開いたのだった。
*
ベランダに出てそこから見える美しい星空を見つめていた。キラキラと瞬くそれは展望台のある山に邪魔されて壮大さは失っているものの、それでも綺麗な夜空となってそこに存在している。木の手すりに身を預けるようにしつつ、三葉はその空を潤んだ目で見つめていた。
「ここからでも綺麗に見えるんだね」
風呂から上がった天都が三葉の横に立って空を見上げて見せた。
「波島に、ここ・・・また来たい場所が増える一方です」
微笑む三葉が可愛いと思う。
「また来よう。1年ごとは無理でも、2年に一度くらいは来れると思う」
「そうですね。でも私、欲張りなのかな?」
夜空から目を離さずにそう言う三葉を見つめる天都はその綺麗な横顔から目を離さなかった。自慢の彼女だとはっきり言える。離したくないし、決して離さないと自分に誓う、そんな横顔だ。
「波島、北海道・・・軽井沢も・・・・海も、あの公園も、天都さんと行った場所は何度でも行きたいって思います」
三葉は天都を見てそう言うとそっと天都に抱き着いてきた。付き合ってから初めてされるこの行為に戸惑いつつ、天都もまたそっと三葉を抱きしめた。
「僕も同じ。だから何度でも行こう」
「はい」
そのまま黙って抱きしめあう。それだけで心が満たされていくような気がする。2人の鼓動が重なる中、三葉は抱きしめている手に少しだけ力を込めた。
「あの星の数ほどの人の中で出会ったって・・・それって奇跡みたいなものなんですね」
日本は広く、世界もまた広い。そんな中で出会い、好きになり、こうして抱き合っている。この出会いはきっと奇跡なのだろう。不良に襲われていた自分、それを助けた天都。奇跡の出会いにしてはドラマチックだと思う。そして高校で再会し、親しくなって遊ぶようになり、あの事件を経て今に至っている。
「出会いは奇跡。でも、運命は強く惹かれあう者を強く結びつけるんだって」
「いい言葉です」
「父方の祖母の言葉だよ。いくつもの出会いの奇跡の中で運命が結び合って惹かれあうのは、きっとその人たちの想いが強いから・・・前はよくわからなかったけど、今は分かる気がする」
「先輩は今、幸せですか?」
わざと先輩と言ったその言葉に笑みを浮かべ、天都は頷いてみせた。顔を見ずともそれが分かった三葉が優しい笑みを浮かべてみせる。
「私は先輩を幸せに出来ていますか?」
再度頷く天都を感じ、三葉はぎゅっと天都を強く抱きしめた。
「恩は返せていますか?」
頷きが来ない。だから不安そうな顔を上げた三葉を見つめ、天都は優しく微笑んだ。
「僕も君に恩を返せているかな?」
「え?」
天都の言う恩の意味がわからず、三葉は首を傾げた。何か恩を着せるようなことをしたのか考えてみるものの、答えは出ない。だから天都を見つめるしかない三葉の表情が少し曇った。
「自分の全てを受け入れる覚悟をくれた、自分の全てを肯定してくれた恩を、僕は返せているかな?」
分かりやすい言葉で再度そう言った天都に微笑みながら頷く三葉に顔を近づけた。
「お互いに恩を返すなんてバカみたいな話だね」
「でも、それが私たちなんですよ」
鼻先が触れそうになりながら、2人は同時に微笑んだ。
「僕は君を幸せにしたい。そのための努力は惜しまない・・・だから君も、僕を幸せにして欲しい」
頷く三葉の頬にそっと天都の手が触れた。微笑み、三葉がその手に自分の手を重ねる。
「好きです」
「僕も、好きだ」
ゆっくりと唇が重なった。満天の星の下、その星々のきらめきが2人を祝福しているように輝きながら。




