果てない空 3
レストランを後にした2人は海風を全身に浴びながら無言で歩いていた。瞬く空の星は都会とは比べ物にならないほど多く、そしてはっきりと輝いていた。2人の手が触れそうで触れ合わない。わざとそうしているわけでもないのに。
「来年、また来ようね?」
海を見ながら歩く天都の言葉に黙って頷く。三葉も同じことを考えていただけに、その言葉は素直に嬉しかった。月の明かりがこんなに明るいとは思わず、海に反射してきらきらと光る月光に心が癒される思いだ。
「天都さんのお父さん、ホントに有名人なんですね」
「まぁ、良いも悪いも、だけどね」
「今回は良い方、ですね」
そう言って微笑む三葉に苦笑が漏れた。三葉には周人の事は話している。いや、実際は本人や由衣が話したのもある。あの事件以来、家に来ることが多くなった三葉に好感を得ていたからだろう、だからこそ家族のことを知って欲しかったのだ。後は会話もなくコテージに戻ると、三葉は再度シャワーを浴びた。天都はベッドの上で荷物の整理をしながらテレビを見つつ買っておいた飲み物を飲んだ。そうしていると三葉が出てくる。Tシャツとスェットを履いたその姿ももう見慣れていた。明日の予定を確認して、それから普通に会話をする。そうしていい時間になったので2人ともベッドに寝転がった。静かな場所のせいか、波の音がよく聞こえてくるのが心地いい。昼間はしゃいで泳ぎ疲れていたのか、三葉はすぐに可愛い寝息を立て始めた。天都はそんな三葉を起こさないようにのっそりとベッドの上であぐらをかいた。そのまま可愛い寝顔を見て微笑を浮かべる。安心しきった寝顔がそこにある。だから天都は何もしない。いや、したい気持ちはずっと持っている。手を繋ぎたい、抱きしめたい、キスをしたい、体を重ねたい。だが、それらは全て約束違反になる。最初のうちは我慢していた。我慢をしつつそれを悟られないようにするのが精一杯だった。だが、三葉の気持ちを考えれば、その我慢は我慢でなくなった。三葉も自分と同じだと知ったからだ。水族園に行ったときの凄まじい混雑を回避するために手を握って歩いた。はぐれないようにするために。そして人の流れが少なくなったところで手を離した時、三葉がなんともいえない顔をしたのを覚えている。離したことを責めるような、それでいて諦めたような、悟った顔を。だから理解した。三葉もまた我慢をしているのだと。けれど、欲望に抗うしかなかった。今回の旅行でも三葉はこうして無防備に眠っている。だからといって天都が襲っても、きっと三葉は天都を受け入れるだろう。その後で別れることになるのだろうが。その覚悟があっての今なのだから。たとえ襲われても、それはそれで三葉にとっても問題はない。そういう欲求は存在している。けれどそれで約束は破られて全てが終わるのもまた理解している。試しているはずの三葉もまた試されているのだから。辛いことだと理解しつつ、それでもそうせざるを得なかった三葉のために答えを見つけようと努力をした。しかし、出た結論は1つだ。自分の中の負い目は消えることはない。けれど、翔と戦って理解した。負い目は別のものに変換できるのだと。
*
春の日差しが差し込む道場の中に2人の人間がいた。片や美しい顔立ちを崩すように腫れた頬が印象的な者、片や鋭く輝く獣を髣髴とさせる目を持った者が。顔を朱に染めたその口元が笑みを浮かべているが、対峙している者には戦慄しか与えてこない。人か獣か、そういう気を持って目の前にいた。開始の合図もなく始まった死闘は佐々木翔の猛攻に終始していた。佐々木流合気柔術、つまりは投げ技を主体とした関節技に全てがある。もちろん打撃や蹴り技もあるのだが、その本質は投げにあるのだ。素早く道着を掴んで瞬時に投げる。だが相手もその動きを読んで綺麗に着地を決めるものの、その投げの速度に反撃にまでは至らなかった。密着した状態での攻撃も空中に舞うことで足に力がこもらねばその威力は無いに等しい。何度目のかの投げをくらいつつ、天都は容赦ない連打を翔の顔面に浴びせた。だが、翔の顔が笑った。背筋が寒くなるほどの笑みを見た瞬間、背中から叩きつけられるはずの投げの最中に後頭部を蹴りつけられた。痛みで一瞬思考が止まった天都を再度そこから投げに入る。脳天を叩きつけるその投げに本能で回避すべきと身を捻った時だった。道着を掴んでいた翔の右手が後頭部に叩きつけられる。額を固い道場の床に叩きつけられた天都が呻き、だがそこから蹴りを放った。しかし翔はもうそこにはいない。ゆっくりと立ち上がる天都は顔を染める血すら気にせず微笑んだ。それを見た翔もまた笑う。互いの中に棲む人でないモノが喚いている。早く終わらせろ、と。だから翔が一歩右足を踏み出した。その構えは隙もなく、そして殺気だけが大きくなっていく。天都は息も荒く朱に染まった顔から笑みを消し、すっと腕を上げて構えを取った。見た目のダメージはどう見ても天都の方が大きいようだが、再度口元に笑みが浮かんだ。心の中の飢えを満たす存在に、乾きを潤すその実力に、そして生きていることを実感できているその痛みに笑ったのだ。だからか、翔もまた微笑んだ。だがそれは対峙している者の笑みとは違う。圧倒的優位に立っていながらも感じる、敗北を喫するかもしれないという恐怖、その先にある死を予感させる恐怖。そしてそれを感じて歓喜している自分を理解して笑ったのだ。2人の殺気が鬼気に変化していく。翔の鬼気は天都の全身を覆うような濃密なもの、天都の鬼気は鋭く翔の全身を貫くもの。恐怖と歓喜の比率は2人で違っていた。本性を見せた天都のそれに翔は恐怖する。開始早々に勝負を決めに動いたその結果、優位に立ったはずだ。なのに怖いのだ。だから翔は動いた。その恐怖を拭い去るために。片や天都も動いた、全身を駆ける歓喜に押されて。そして2人が電光のごとき動きをし、鬼気を発し、そして吠えた。2匹の獣のそれが道場にこだまし、そして肉がぶつかる音だけがこだまする。殴りつける天都のその拳の速さは尋常ではない。重く、そして芯に響いた。『気』を扱うことに秀でた翔が戦慄するそのパンチは、だがもう翔には当たらない。避け、いなし、そしてカウンター攻撃を見舞った。顔面に刺さる拳が血を舞わせ、天都を吹き飛ばす。だが天都はすぐに前に出て蹴りを放ってくるのだ。上段から下段、下段から上段。それは変化ではなく2段の蹴りだ。神速の蹴りをブロックしつつ翔は前に出るしかない。しかしさっきまでと違って道着を掴めなかった。天都の速度が増しているのだ。高速の拳が舞い、蹴りが炸裂する。それに耐えながら翔はその一撃の機会を待っていた。『気』を貯め、ただその一撃にのみ集中する。そしてやや密着した状態になった。誘い込まれたと思う天都が後ろへ下がろうとするものの、翔は左手で道着を掴んでそれを封じる。同時に右手を天都の左胸に置いた瞬間に全ての『気』をそこに注ぎ込んだ。天都は下がろうとした右足に力を込めて軸を作り、そして前に出している左足にも力を込めた。それはもう無意識の行動だ。
「絶っ!」
そう叫ぶ翔の顔が驚愕に変化した。ほんの一瞬、天都が右手で翔の右手を払うようにした。たったそれだけの行動で心臓に放たれた『気』が逸れていく。それでも天都の動きを止めるのに十分な『気』を送り込んだはずだった。なのに天都は動いている。その踏ん張った足からしてやってくる技は『天龍昇』に間違いない。だからこそ、軸足となる目の前の左足を蹴りつけてその膝が少し落ちるのを見て反撃の態勢を作ろうとした時だった。天都の腕が奥義であるその技の途中にある真上から背中を通って下に下がって行く。上体を反らし、後ろにやった右足を軸として螺旋の力を体に溜めこんでいくのを見た翔が天都から離れようとした時、今度は天都の左手が翔の道着を掴んで離さない。そこにもまた軸が形成された。まずい、そう思った瞬間だった。腹部に強烈な一撃がめり込んでいく。自身の中の全ての『気』を腹部に込めても膝が笑う程のダメージを受けた翔の顔に笑みが浮かんだ。変形の下からの『天龍昇』に耐えたと思ったからだ。だがその笑みは瞬時に消えた。さっきまで自分の道着を掴んでいた天都の左腕が背中を回って真上から振り下ろされるのを見たせいだった。そう、天都は右拳を翔の腹部にぶち当てた瞬間、そこを軸にして本来の『天龍昇』を左手で放っていたのだ。上下2段構えの奥義など存在するのだろうか。腹部に込めた気のせいで胸にぶち当たるその衝撃を緩和する『気』が少なくなっていた。だがら翔は大きく吹き飛び、骨折はせずともヒビが入った胸骨を抑えつつ立ち上がろうと身を捻る。その頭を蹴りぬいた一撃を受け、翔のその意識は飛んでいた。うつぶせに倒れて動かなくなる翔を見下ろす天都は朱に染まった顔をじっと下に向けていた。勝った、それだけが心の中にある。佐々木の対木戸無明流奥義、『絶』を喰らう瞬間に見たのはあの日、木戸左右千の拳を受けて吹き飛ぶ三葉の姿だった。もう2度とあんな思いはしたくない、その意識が天都を突き動かして勝利へと導いたのだ。三葉を怪我させた負い目はある。だからその負い目を決意に変えたのだ。今度は絶対に何があっても守るのだと。
「ありがとうございました」
少しだけ頭を下げてそう言い、天都もまた膝から崩れ落ちた。その顔に笑みを浮かべたまま。
*
規則正しい寝息を立てる三葉に微笑み、天都も横になった。負い目がある以上、三葉はまた付き合わないと言うかもしれないだろう。だからこそ自分の気持ちを素直に伝えたいと思う。この2年で三葉のことをたくさん知れた。夢に向かってまい進する姿に胸を打たれ、天然な発言に驚き、たくさんの笑顔に癒された。些細な言い合いや喧嘩もし、そこから本心で話し合って仲直りもしている。冷やかされても平気で、天都ではなく自分と付き合えと言う勝手な告白にもちゃんと対応して振っている。きちんと自分を持ち、それでいて天都のことも考えてくれる三葉をますます好きになった。この気持ちの全てを伝えたいと思う。いつしか天都も眠りについていた。そして夢を見る。三葉と手を繋いで歩いている、ただそれだけの夢を。
*
欠伸をしつつリビングに降りれば、そこにいたのは明斗だった。旅行の疲れもあって朝のトレーニングをさぼった天音はぼさぼさの髪をしつつおはようと挨拶をするとその隣に座った。居候中の明斗が寝る部屋は天音の部屋だ。天音がベッドで、その下に布団を敷いて明斗が寝ている状態だった。天音としては両親が下で寝ていてもいちゃいちゃしたいが、明斗はちゃんと常識を持っているために絶対に行為には及ばなかった。天音にはそれが不満だったが正しいのは明斗なために従うしかない。かといって不満だらけかといえばそうではなく、ちゃんと愛情表現はある明斗を理解しての従順さだ。
「今日はみーくんがプールに行きたいって言ってたぞ」
「あ、そう・・・じゃぁ、行こう」
「泳ぐ練習がしたいんだってさ」
「あ、そう・・・じゃぁ、よろしく」
まだ眠いのか曖昧な返事をする天音の頬を優しくつねる明斗に笑みを見せ、天音はそのまま体を揺り動かしながら明斗の膝の上に乗った。
「由衣さんが起きてくるぞ」
「それまではこうするー」
そう言い、明斗に抱き着いて胸に頬を埋めた天音が目を閉じる。そのまま明斗の匂いを嗅ぐようにする天音はまるで変態のようだった。
「このクソ暑い朝によくそんなにくっついていられるわねぇ」
その声に体をビクつかせる明斗が困った顔を由衣に向けた。由衣は苦笑をそのままにキッチンに向かうと、てきぱきと朝食の準備を始める。
「暑いけど、気持ちいいの」
そう言い、離れない天音に困るしかない明斗はもう抵抗を諦めてテレビに目をやった。
「まぁ気持ちはわかるけど」
そう言う由衣も長いこと周人と抱き合っていないと寂しく思う。副社長になった周人を少し恨みつつ、それでも家族のために頑張ってくれている愛する夫への感謝は忘れていなかった。
「そう言えば、明斗君のお父さんも海外だもんね」
「ええ、ニューヨークです」
「うちの人も今はニューヨークだから、会ってるかもね」
「そうですね」
燐と周人もまた親密になっている。あの事件以降、木戸家、下村家、瀬尾家の結びつきは強くなっていた。現に明斗は天音たちの帰省にも同行しており、十夜たちとも友達になっていた。十夜は天音に彼氏が出来たことで酷く落ち込み、大会での成績は優勝したものの、技のキレがなく父親に叱られたほどだ。また三葉も同じだった。ごくたまにこっちに遊びに来る十夜たちとも面識がある。千輝などは三葉を見て、天都が羨ましいという言葉を連発したほどだ。木戸の血が生んだ宿縁に感謝をしようなどと、あの時の明斗では考えられないことだ。
「・・・・ったくこの子は・・・・明斗君、捨てるなら早いうちだからね?」
「明斗が私を捨てるわけないでしょ?」
「いや・・・たまにそうしようかと思う時がある」
それを聞いた天音ががばっと驚いた顔を上げた。明斗はテレビを見たままである。由衣はニヤリとしつつリビングを後にした。
「冗談でしょ?」
「いや」
「冗談、だよね?」
「違う」
「うそぉぉ・・・・冗談て言ってよぉぉ」
ゆさゆさと明斗を揺らしながら何度もそう言う天音を見ず、淡々と返事をするその姿勢が怖い。
「冗談だ」
ここでようやくそう口にしたためにホッとした時だった。
「って言えば満足なのか?」
「え?」
「最近のお前はだらしがなさすぎる」
「あう・・・・」
そこから怒涛の説教が始まった。普段の生活面でのダメ出しを朝から喰らう天音は天海が起きてくる頃にはもう死にそうになってソファにうなだれたまま座っている状態なのだった。
*
午前中は空港近辺の散策をして楽しんだ2人はその後空港に戻ると展望台のある屋上に向かった。小さな島の空港のせいか、そこには誰もいない。金網で囲まれたそこからは自分たちが乗って帰る飛行機も見えていた。搭乗手続きまではあと30分は軽くある。海が近いこともあって気持ちのいい風が吹いているここからは濃い青の空に浮かぶ入道雲もまた白く輝いて見えていた。同じ空のはずなのにどこか違うような感じがするのはもうすぐここを離れるという気持ちからかもしれない。
「来年も来るって宣言しちゃいましたね?」
そう言って微笑む三葉に笑みを返し、天都はここで告白する決意を固めた。散策した時にはそれらしい場所もなく、タイミングもなかったからだ。金網に手を置いて空を見つめる三葉の横顔に体を向けた。
「僕なりにこの2年、いっぱい考えてきた」
その言葉を聞いた三葉が顔を自分に向ける。だから天都は真剣な顔つきになった。
「それで出た答えは、きっと一生負い目は消えないってことだった」
三葉もまた真剣な目をして天都の方に体を向けた。この2年が長かったのか短かったのかはわからない。でも充実していたとは思う。
「でも、その消えない負い目を糧に出来ると知ったんだ」
二度と同じ想いをしなように、後悔しないように。だから天都は翔に勝てたのだろう。今現在自分が知る最強の存在である翔に勝つ、それが三葉を守ると決めた自分に対する答えだったのだから。負い目は消えずにそれを強さの糧にした。次こそは絶対に三葉を無傷で守る、その決意の糧に。
「何があろうと絶対に守る。怪我させないで、心配させないで。もうあんな思いをしたくないから、だから僕はその負い目を消さないと決めたんだ」
それは宣言だ。天都の決意表明を聞き、三葉は黙ったままで頷いた。優しい風が2人の髪や服を揺らす。
「でも、それじゃ条件を満たしていないのはわかってる。あの日の三葉ちゃんの決意に報いる言葉じゃないのもわかってる。けれど、これが僕の出した答えなんだ」
天都は優しく微笑んだ。三葉はずっと真剣な表情を崩さない。それでも天都は笑みを浮かべ続けた。愛に満ちた笑顔がそこにある。それはちゃんと三葉に伝わっていた。
「間違ってるってわかってる。でも、それでも、もう一度君に好きだと言ったら、付き合って欲しいと言ったら、あの時とは違う答えをもらえるかな?」
三葉の目に涙が光ったと思った瞬間だった。ぎゅっと抱きしめられている自分がいた。胸に顔を埋めた三葉をそっと抱くようにし、天都もまた三葉の感触を確かめるように力を込める。
「天都さんが大好きです・・・・負い目のことで偉そうに条件を出した自分を恨んだりしました・・・でも、それでもちゃんと考えてくれた、約束を守って今日までいてくれた天都さんが好きです」
力を込めてそう言う三葉の顔は見えないが、天都は優しい笑みを消すことがなかった。ちゃんと自分の想いは三葉に届いている、それがたまらなく嬉しかった。
「いつも傍にいてください。守ってください。我が儘な私をしかってください。手を繋いで歩いてください。キスもたくさんしてください。いつかお嫁さんにしてください・・・・大好きです、先輩・・・・」
つい昔の癖で先輩と口にしたが本人は気付いていない。だが天都はそこに懐かしさを感じつつ、ようやく2年の歳月を経て2人の時間が動き出したのだと理解した。だから強く三葉を抱きしめる。その温もりを思い出し、そしてこれからも感じようと決める。
「僕も、好きだよ」
「嬉しいです」
しばらく抱き合い、2人が見つめ合う程度に体を離した。お互いに背中に回した手はそのままに。そうしてゆっくりと三葉が目を閉じて顔を上げる。天都もまた目を閉じて三葉の顔に自分の顔を覆いかぶせるようにしつつそっと優しく唇を重ねた。わずか数秒のことなのに心が芯まで温かくなる。想いはずっと通じ合っていた。ただ口にしなかっただけのこと。けれど言葉に出すだけで心のつながりがはっきりと感じることが出来ると知った。唇を離した2人は互いにはにかみ、それから再度抱き合った。
「遠回りさせてゴメン」
「ううん・・・そうさせたのは私なので」
「好きだよ」
「私も、好きです」
抱きしめあったままそう言い、2人は小さく微笑んだ。恥ずかしさよりも嬉しさが勝っている。
「ようやく晴れました」
「え?」
抱きしめあったままそう言った三葉が顔を上げる。意味が分からず、天都は不思議そうに三葉を見つめるしかない。そんな天都の表情を見た三葉は晴れ渡った波島の空を見上げるようにしてみせた。
「ずっと曇っていたんです、私の心は・・・あの日、告白されながらもそれを保留にした自分を嫌いにならないようにしながら天都さんと接してきました。自分を嫌いになったら、それこそ天都さんにも嫌われてしまいそうで」
「嫌いになんてなるはずないよ」
「でも不安だったんです・・・我慢させて、よその子に目が向かないか、気持ちが離れて行かないか」
「我慢はお互い様、だったでしょ?」
「それでも私の我が儘でしたから」
「我が儘とは思ってないよ。僕も悪かったんだから」
「でも、時々我慢できなくなってました。手も繋ぎたかったしキスもしたかったし、昨日の夜だってエッチなことも少し期待したりとか・・・でも天都さんはちゃんと約束を守ってくれました」
「言ったろ?お互い様だって・・・僕も同じ気持ちだったけど、我慢できたのは三葉ちゃんもきっと同じ気持ちだと信じられたから」
「だからずっと心は曇ってました・・・でも今は快晴です!この空のように、もう晴れっ!って感じです」
そう言い、三葉が空を見上げる。青い空が果てしなく続いていた。だから天都も同じように空を見上げる。今の天都の心も晴れ渡っていると実感できていた。2人は空からお互いの顔に視線を戻すと、どちらともなく唇を重ねる。そして再び微笑み合い、抱きしめあうのだった。
*
ニューヨークにある高層ビルの中のレストランから見える夜景は素晴らしいものだった。マンハッタンを一望できるほどの高さにあるこのレストランはステーキをメインにした有名な店でもある。その一角のテーブルに座る周人は窓際でないせいか、夜景を楽しむことなく食事を楽しんでいた。分厚いステーキは大きく、大きめの皿からもはみ出ているほどだ。大きさも厚さも日本のステーキの3倍はあろうそのボリュームに圧倒されつつ、別の皿に大量に盛られたサラダをフォークでつつくのは周人の前に座る下村麟だった。出張でこの地に来ている周人は社長である遠藤修治をニューヨーク支社に送ってから予約しておいたこの店に来たのだ。クロスフォードインダストリー社との技術提携によってカムイモータースのアメリカでの売り上げも伸びてきている。今日はカムイのニューヨーク支社でクロスフォードの社長とカムイの社長が懇親会を開くことになっていた。周人は別件で急遽このニューヨークに来たこともあって、懇親会を上手く断ってここに来ていたのだ。堅苦しい会社の懇親会はまっぴらだし、何よりクロスフォードの社長はかつて周人を追いかけ回していたアリス・クロスフォードの夫なのだ。結婚してからも周人と会うたびにべったりしてくるアリスのせいでその夫から敵視されているのもその理由になっていた。かといって公私を混同しないのはさすがに大企業のトップだと思う。
「政府はようやく特務機関を設けて裏の世界を制御するようです」
ワインを飲みつつそう言う周人の言葉を聞いた燐は苦笑を漏らさざるをえなかった。あれから2年でようやく重い腰を上げたのかという笑みだ。変異種も入れたその特務機関は公表されず、人知れず裏社会の統制を行う闇の機関でもある。クローン技術は破棄され、その情報全てが闇に葬られていた。だからこそ明斗も平穏に生きていられるのだが。その立役者となった笹山が長官となって忙しく動いているのも知っていた。
「クーデターが起こらないことを祈りますよ」
その燐の言葉に微笑みを返す。もしそういう存在が現れたとしても、世界のどこかにそれを抑制する存在がいるはずだと思う。『キング』にとっての自分が、『ゴッド』にとっての天都がそうだったように。
「明斗は元気にやってますか?」
「はい。娘とも上手くやっているようです」
「何よりです」
微笑む燐に複雑な笑みを見せる周人の心の内を読んだせいか、燐の笑みが苦笑に変化した。やはり娘を持つ父親の心境は複雑らしい。
「でも木戸さんにはすっかり甘えてしまって・・・」
「彼はいい青年です。うちの会社にと思ったのですが、ああも熱く夢を語られては断念せざるを得ません」
「昔から星が好きでしたから」
「おかげで私も天音も星に詳しくなりました」
その言葉を聞いて声を出して笑う。いい関係を築けていることが嬉しい反面、今の仕事上なかなか会えないのが寂しかった。
「そう言えば、天音ちゃんは木戸無双流を名乗ったと聞きました」
電話ではなくメールでのやりとりはしていた。明斗としても父親を心配させたくなかったし、また父親を心配していたからだ。
「新しい無双流を作るんだそうです。でも、きっと明斗君の中の血を大事にしたいんでしょう。彼の中の血は木戸無双流の血。2人の子供は完全に1つの木戸になるのですから。だから途絶えた無双流の悲願もそこに込めた・・・血塗られた歴史をリセットするための無双流なのでしょうね」
「立派な娘さんだ」
心底そう思う。その懐の深さには脱帽するしかない。そんな子が息子のお嫁さんになってくれることを願うばかりだ。明斗は木戸家に婿養子に入る決意をしているが、それはまだ誰も知らない。
「天都君は、相変わらずですか?」
「彼女と?」
周人の言葉に頷き、燐は最後の一切れとなった肉を頬張った。
「相変わらずですが、天都には瀬尾さんしかいないでしょうね・・・あいつの全てを受け止められる子はあの子しかいない。天音にしても天都にしても、いい人に巡り合ったと思います」
「それを言うなら明斗がいい人に巡り合ったんです。きっと、天都君もそうでしょう」
「恐縮です」
苦笑交じりの言葉に燐が微笑む。
「次に日本に帰るのは正月ですか?」
「はい。クリスマスの後、になるかなぁ」
「じゃ、その際は飲み明かしましょう。とっておきの酒を用意しておきますよ」
「おぉ!いいですね!楽しみがまた増えました」
そう言って笑い合う。いつか娘婿になる明斗も交えて、そう考える周人もまた楽しみが増えたと思う。また明日からの仕事も頑張れそうだと思う2人がワインのおかわりを注文して再度乾杯するのだった。




