果てない空 2
4人で買い物をし、その食材も大きなワゴン車に積んで新居に向かえば、それは大きな家だった。田舎だけあって土地も安いおかげでそれなりの家が建てられたという京也と歩は幸せそうだった。京也は大学で学んだ地質の仕事につき、有名な元大学教授の推薦もあってここで土壌調査の仕事を行っていると語った。時空間の権威でもあるその元教授から個人的にいろいろ習ったおかげで地質調査においてはかなりの専門家になっている京也は結婚するに当たって相続した遺産を使ってここに家を建てたのだ。高校時代の親友たちが次々と結婚する中、最初に交際を始めた自分たちが一番最後になってしまったが、それは1人前になるまではと2人で決めた結果だった。銀行員だった歩はつい先日寿退職をして今は引っ越しに専念している状態だ。実家からは離れてしまうが、両親もそれを認めている。バーベキューの準備は4人でしたために手際よく進み、20歳になっていないが大学の寄り集まりで少したしなむ2人もまた最初の一杯のみビールを飲んだ。わいわいと楽しみ、大学や家のことなどで盛り上がる。そうして食べ終え、残った火を囲みながらジュースを飲んでくつろいでいた。
「でも、どうして無双流なんだい?」
広い庭に置かれた木の椅子に腰かけた京也の言葉に、ジュースのおかわりを注いでいた天音が顔を向けた。
「元々2つに分かれた名だったからです。途絶えた無双流ではなく、新しい無双流にしたかった。喧嘩して別れた双子じゃなく、お互いにいいライバルとして分かれた双子としてリセットしたかった。でも、彼が木戸百零のクローンっていうのもあります。彼の中の血を大切にしたい、下村明斗の血としての無双流を残したいって思ったから」
そう言って明斗を見れば、明斗は苦笑していた。もうわだかまりはない。少しだけ残っていたわだかまりは今日、京也に出会って消えている。来てよかった、心底そう思う明斗は天音が差し出すジュースを受け取った。やはりアルコールは飲みなれていないせいか一缶で終えていたからだ。
「いい彼女を持ったね?」
「はい。きっと自分を受け入れてくれるのは彼女だけです」
「言うねぇ」
京也が笑って歩を見た。自分も同じだと、そういう目をしている。
「けど左右千って人、暗術は誰に習ったのかな?」
歩はそう言い、高校時代の事件を思い出して身震いをする。教師でありながら人身売買のために女子生徒を何人も拉致していた千石久遠がその使い手だった。京也に敗れたとはいえ、その強さも怖さもはっきりと覚えている。もしかしたらその千石が教えたのかもしれない、そんな顔をしている歩を見た京也が残り少なくなったビールを飲み干した。
「まぁ、暗術の使い手は日本にあと2、3人はいるはずだよ・・・だから、特定は難しいだろうね」
資料にもそこは記されていなかった。匿名にするのが条件だったのかもしれない。もしかしたら、そう思う京也だが歩に心配をかけさせたくなかった。それに暗術使いは他にもいるのは事実だ。
「かつての無双流とは違うけど、その名に恥じないようにします」
京也はそう言う天音を見て微笑んだ。自分には愛着も執着もない名前だ。もうとっくに捨てているため、込み上げてくるものすらなかった。
「いい無双流を育てて欲しい。そしていつか、お兄さんに勝てるよう祈ってる」
「私が勝てる見込みはないですけど、子供か孫か、子孫に託します」
いい笑顔をする天音に京也が微笑んだ。歩と明斗もまた微笑む。今日、新しい無双流の歴史が始まったのだ。殺人者の血に縛られない、自由で壮大な歴史が。
*
やはりこちらの暑さは違うと思う。湿気が多いのか不快感がまとわりつくような気がする。お土産を手に駅を降りて実家への道を進む天音と明斗は知った顔がスーパーから出てくるのを見てその人を呼び止めた。
「心さん!」
その声に反応して振り返ったのはレジ袋を持った大崎心だった。
「天音ちゃんと明斗君!旅行だったの?」
その荷物を見てそう言う心に頷いた時、スーパーから出てきた佐々木進が顔を見せる。2人を見て一瞬驚きつつも笑顔を見せて手を上げた。
「よぉ!なんだ旅行だったのか?」
さすがカップルだからか、同じことを言う2人に頷いた。そのまま並んで歩き出す。
「いいなぁ・・・私も旅行に行きたい」
「来週、塾の合宿なんだろ?」
「まぁ、そうだけどさ、たまにはみんなと行きたいのよね」
髪を短くし、肩より上でまっすぐに切られているその髪形も似合っていた。20代も半ばを過ぎながら、若々しく見える心は進といるせいか童顔になったような気がしている。
「塾の合宿か、懐かしいなぁ」
かつて自分も行ったその合宿は合宿という名のただの遊びだ。海で泳ぎ、プールで泳ぎ、そしてただ遊ぶだけ。教師にとっても生徒とのコミュニケーションも取れるし、親しくなる機会でもあった。
「でもさ、旅行は無理でも海なら行けるじゃん。心さんと進、私たちと天都たちでさ」
「3組でか、悪くないな」
そう言って笑う進だが、1組はまだカップルでないことに気付いていない。
「行こうよ進!」
「あとで日にち合わせようぜ!天都たちはいるんだろ?」
「あっちは明日帰ってくる」
「じゃぁ、明日決めよう」
わいわい言いながら歩けばすぐに家に辿り着いた。先に到着した進と心に別れを告げてすぐそこの家を目指す。
「進が大学出たら結婚だってさ」
「あと3年か・・・早いな」
「ま、心さんの精神状態もやっと元に戻ったしね・・・早い方がいいよ」
笑う天音に苦笑を返しつつ、自分たちはまだまだ先だと思う。1人前になって養えるまでは我慢するしかない。天音の両親も自分の父親も認めてくれているが、けじめはちゃんとつけるのが明斗だ。ゆくゆくは天文に携わる仕事がしたいと勉強に励み、天文部を介して専門家との交流も盛んにしている。そのため、大学に入ってからはあまり頻繁にデートが出来ていない状態だった。だから、この長野の旅行の他にお盆明けに北海道に旅行に行くことにしていた。星がきれいな高原があり、そこを予約しているのだ。天音にしても星を語る明斗が好きだった。子供のような目をするその明斗を近くで見たい、それが今の天音の欲求だ。そんなことを考えているとすぐに家に到着した。
「ただいまぁ」
「おかえりー!」
天音の声を聞いて即座に玄関にやって来たのは天海だ。この春から小学生になった天海は父と姉から本格的にしごかれているせいか、体つきが7歳にしてはしっかりしている。色濃く焼けた黒い肌をした天海を抱きしめ、天音はその華奢な身体の感触を味わった。
「ただいま、みーくん。お土産あるよ!」
「やったぁ!」
天音から離れて喜ぶ天海が玄関に立つ明斗を見つめ、微笑む。
「ミント、いらっしゃい!」
ぺこりと頭を下げる天海にこんにちはと言い、頭を撫でてやった。夏休みに入ってからはずっと居候しているせいか、合宿に行っていたせいで顔を合わせるのが久々な感じのためにそう挨拶した天海を可愛いと思う。天音は天海の手を引いてリビングに入った。
「ただいま」
「おかえり。予定通りなのは明斗君のおかげかな?」
「かもね」
キャリーバッグを脇に置き、肩から掛けたバッグをその上に置いた天音がソファに腰かけた。予定していた時間にピッタリすぎる2人に由衣は苦笑をするだけだ。
「お邪魔します」
「おかえり。暑かったでしょ?」
「こっちの方が暑いです」
敷居ぎりぎりの身長をした明斗がそう返し、お土産の入った荷物を置いて由衣に勧められるままにソファに座った。天海が2人にお気に入りのアイスを持ってきてくれたために2人は笑顔でそれを受け取った。明斗にとっても天海は可愛い弟のようであり、また天海も明斗によくなついていた。
「あれ?父さんは?」
夏休みだが、世間的には今日は日曜日だ。なのに周人がいないことが気になった天音がきょろきょろしながら由衣にそう尋ねた。
「昨日の夕方にアメリカに行った。副社長様は多忙でいらっしゃる」
「へぇ」
副社長になって1年以上が経つが、ずっと忙しいようで家に帰ることが少なくなっていた。それでも帰れるときは夜中でも帰る周人が周人らしいと思う。それに、アパートで1人暮らしをする明斗を気にしてゴールデンウィークや夏休みといった長期の休みの際は居候するように言ったのもまた周人だった。それもあって、明斗は周人には頭が上がらない状態だった。娘の彼氏としてもちゃんと認めてくれている。
「晩御飯は冷やし中華でいいかな?」
「問題なし」
アイスを食べながらキャリーバッグを開ける天音の言葉に賛同する明斗はお土産を天海に渡していた。
「天都たちは明日の夕方?」
「そのはず」
「今度こそくっついて帰ってくるかな?」
興味津々の顔をした天音にため息をつくが、明斗もまた期待をしていた。2年も経つのにまだ付き合ってもいない2人は3度目の旅行に出かけていた。天音にすれば手もつながずキスもなく、泊りがけでもそういう関係にもならないのが不思議でならない。だが2人は親密でありながらもその線は超えなかった。理由を聞いても教えてくれない。
「あっちはあっちのペースがあるさ」
そう言って微笑む明斗につまらなさそうな顔をした天音の頭に軽いチョップをした由衣がキッチンへと向かった。わいわい騒ぐカップルの言い合いを聞きながら冷たい物を用意する由衣もまた天都と三葉の関係に関しては一切口を挟んでいなかった。ただ、互いの母親同士としては時々会ってお茶をしている。最近店を改修して2階に小さなカフェを開設したのだ。おかげでさらに客足は伸びてアルバイトを雇っている状態にある。三葉も手伝っているものの、やはり人手不足はどうしようもなかった。それに来年からは料理の専門学校に通う三葉を当てには出来ないのもその要因の1つでもある。そのせいでストレスの溜まる京子は仲良くなった由衣を誘ってよく出かけたり、互いの家を行き来するほどの親密な仲になっていたのだった。それに最近ではケーキ屋の常連客になった佐々木ミカも一緒になることが多い。由衣にしてもミカにしても、京子という人物が合っていると思っていた。だからこそ天都と三葉にはもっと親密になって欲しいとも思うが、それは2人の問題だ。ただ、恋人同士でないために完全に一線を引いている2人を評価している。自分であれば妥協していたと思う。そしてそれは京子も同じ意見だった。由衣は時計を見て3時を回っていることを確認すると天海を2人に任せて買い物に出かけた。残された天音は洗濯物を運び、明斗は天海と遊んでいる。そのまま風呂掃除までをした天音が戻ってくると、天海が明斗の膝の上で今夢中になっている特撮ヒーローの話をしているところだった。じっと2人の様子をリビングの入り口に立って見ている天音を振り返る明斗の表情が曇る。
「なに?」
「親子みたいって思っただけ」
「そうか?」
「うん」
天音が明斗の横に座った。天海は天音を見て微笑み、天音も微笑み返す。天海は弟だ、だから違和感がある。そう、親子に見えたことに違和感を持っただけであって、将来はこんな風になるのかなと感じただけのことだ。
「子供が出来たら、いい父親になってよね?」
「努力する」
そう素っ気なく言う明斗に苦笑し、天音はテーブルの上の炭酸ジュースを飲むのだった。
*
目の前に広がる幻想的な風景に息をするのも忘れてしまうほどだ。遠くの水平線に沈んでいく夕日の照り返しを受けた朱色の海に比べ、手前の海は青さを残している。空もまた朱と青が入り混じったような色合いに変化しており、雲も赤みがかって見えているのがなんともいえない風景画のようであった。さっきまで写真を撮っていた三葉が黙ったままでその景色を見つめている。肩まで伸びた髪が風に揺れるその横に立つ天都もまたその景色に魅入っていた。優しい風が吹く中、2人がたたずんでいるのは地元の人しか知らない穴場である。少し背の高い草を掻き分けるように進まなくてはならない獣道のような場所を進むと、まるで展望台のような開けた場所に出る。そこは崖の上に位置するせいか、せり出したそこが崩れた場合は死んでしまう自殺の名所のような場所だ。だが眺めは格別であり、入り江の真上に位置することもあって見晴らしはパノラマになっていた。さっきまで泳いでいた真下の入り江もまた、宿泊している小さなコテージのオーナーから聞いて来た場所だったこともあって、まるでプライベートビーチのごとく自分たちだけで遊べた状態だった。元々はこの波島にある一番大きなグランドホテル波島に泊まりたかったのだが予約がいっぱいで断念し、ダメ元で人気のあるコテージに連絡を入れたところちょうど数分前にキャンセルが出たということで運よく予約ができたのだった。それにそのコテージの近くには有名なレストランも存在している。かつてアイドルとして、そして女優として日本と世界で活躍した赤瀬未来が嫁いだそのレストランも運よく予約が取れていた。この後、そこで食事をするのが三葉にとって今回の旅行の中で最大の楽しみになっていた。今年の夏は南の波島と北の北海道の2つの旅行をするために1年がかりでお金を貯めた甲斐があったと思う。もっとも、グランドホテルに宿泊していた場合は北海道には行けなかったのだが、三葉としては天音や明斗と一緒に北海道にも行きたかったこともあって、この夏の旅行はラッキーづくしの旅になっているのだった。
「綺麗ですね」
「うん、来てよかった」
「はい」
沈む夕日を見たままそう言いあう2人の肩は触れそうで触れ合っていなかった。そう、これが今の2人の距離感だ。天都の告白から2年経つものの、まだ2人の関係に進展はない。
「ずっと見ていたいけど、夕食の時間もあるし、戻ろう」
「そうですね・・・」
そう返事をしながらも夕日を見つめたままの三葉に苦笑し、天都は体の向きを変えた。夕日を見つめる三葉は綺麗で、そして可愛い。自分と友達以上恋人未満の関係になってからの三葉はますますその可愛さに磨きがかかっていた。おしゃれをしているわけでもなく、化粧っ気があるわけでもない。なのに三葉は綺麗になった。最近では結構な頻度で告白をされているらしく、天都は内心穏やかではない。だから明日、もう一度告白しようと決めていた。別に焦ったわけではない。ここまで自分たちのペースで来た、だから自分のペースで再告白をするだけだ。三葉に対する負い目に関しては多分一生消えることはない。だが、春に翔と真剣勝負をして以来、天都の中でその負い目を別のものに置き換えることが出来ていた。だからこその告白なのだ。
「行きましょう」
天都を見て微笑む三葉に笑みを返し、2人は足元に置いていた荷物を持ってその場を後にした。何度も振り返るほどの未練を残しながらもそこを離れ、大きな道路に出ればコテージはすぐそこだ。そしてレストランはそのコテージから歩いて10分程度の場所にある。元々はこの場所にはコテージしかなかったのだが、グランドホテル内にあるレストランの2号店を出すという噂を聞いたコテージのオーナーが是非近所にと訴えてこうなったのだった。以来、持ちつ持たれつの関係になっていた。コテージでの夕食はレストランの予約が取れなかった場合にはバーベキューとなり、シーズンオフで客足が鈍い際には合同でイベントを開催するようにもなっている。赤瀬未来が嫁いで以降はシーズンオフを狙っての客も多く、今では表に出て来ない未来であっても慕ってやってくる客も多い。夏は繁盛期であり、天都たちが両方の予約を取れたことはラッキーでしかなかった。コテージに戻った2人は交互にシャワーを浴びた。同じ部屋に泊まっていることもあってそうしなければならないが、いつものことなので不便さは感じない。三葉のシャワーの音を聞いて多少そわそわしても、覗こうだの、一緒に入ろうなどといったことはなかった。あくまで自分たちはまだ付き合っていないのだから。その辺の線引きもしっかりしてこそ、三葉は自分を認めてくれるのだ。
「天都さん、どうぞ」
キャミソールに短パン姿になった三葉が風呂場から出てきた。まだ乾ききっていない髪が妖艶さを醸し出している。以前より大きくなった胸を見ても、それをどうこうしたいという欲望は簡単に抑え込むことが出来ている天都がタオルと着替えを持って浴室に向かった。そのままやや熱いシャワーを浴びれば今日でさらに焼けた肌が痛む。さっと体を洗い、潮にまみれた髪を洗った。旅行の貯金を優先したせいか、髪の毛は天都にしては長くなっている。耳にかかったり、前髪は水に濡れれば目の下にいくほどに。三葉はそんな髪形が好きだったが、天都としては暑くてうっとおしいと思っている。そんな髪を流して再度全身にシャワーを浴びてから浴室を出た。自分もTシャツとジーパンを履いて髪を拭きながら脱衣所から出た天都は髪をドライヤーで乾かしている三葉を見つつ自分のベッドに腰かけた。大きなベランダを持つこの部屋からも海が一望できた。そのリビングに近い位置にあるのが三葉のベッドであり、入口近くのベッドが天都のものだった。
「ドライヤー、使いますか?」
「うん」
乾かし終えた三葉からドライヤーを受け取った天都が手で髪を掻き上げながらそれを乾かす。三葉はリップを塗り、それから小さなバッグに貴重品を詰めていた。予約の時間まであと30分程度であり、道のりを考慮すればあと10分程すれば出かけなくてはならない。天都は髪を乾かし、簡単に手でセットをした。
「私がセットしてもいいですか?」
そんな天都を見ながらやって来た三葉に頷くと、三葉が天都のベッドに上がった。そのまま簡単に手で髪をときながら緩めのドライヤーで綺麗に流していく。するとものの数分でふんわりとした髪形が出来上がった。
洗面所でそれを確認した天都が苦笑したため、まずかったのかなと三葉が不安げな表情になる。そんな三葉を鏡越しに見た天都が苦笑を濃くしていった。
「父さんの若い頃に似てた感じで、それで笑ったんだよ」
「そうだったんですか」
ホッとする三葉が鏡の中の天都をまじまじと見やる。髪形1つで凄く変わるものだと感心する。他人がどう思うかわからないが、天都はイケメンだと思っている。
「さて、と・・・じゃぁそろそろ出かけようか」
「そうですね」
笑い合って出かける準備をし、コテージを出る。濃淡の紺色をした空を見つつ、西の空の朱色もまた幻想的に見えていた。目指すレストランは『フューチャー』という名の丸太小屋をイメージした作りになっている。かつてグランドホテル波島のレストラン『フリーダム』の副料理長が独立して2号店である『フューチャー』のシェフを務めているのだ。その味は世界のセレブが好むほどであり、国内外でも有名な部類に入る。シェフは滅多に表に出ず裏方に徹し、また経営を行っている妻の未来もまた表に出ることはなかった。料理人はシェフを含めて全部で4人いるが、皆評論家の間でも評価の高い逸材ばかりだ。
「近くで見ると結構大きいな」
2階まである大きめの丸太小屋は南国のイメージも取り込んでいる。客は1階席で50人、2階席で30人は収容できるようになっていた。扉は自動ドアになっており、2人は受け付けのウェイターに予約名を告げ、席に案内された。窓際の眺めのいい場所に三葉が感動し、それを見た天都が微笑んだ。そうして注文を終え、そのまま三葉がきょろきょろしだす。少し強めの照明のせいで木に明かりが反射している。天井では巨大なシーリングファンが回り、2階席の上にもそれがいくつか並んでいた。窓も大きめで展望を重視しているのがわかる。アルコールの類は年齢に達していないのもあってパスするが、大学の飲み会でも天都は決してそれを口にしなかった。真面目だからではなく、酒で自分がどうなるかわからないから怖い、それが本音だ。運ばれてきたジュースで乾杯し、それから前菜を口にした。全て地元で採れたものばかりらしく、シェフの知り合いが育てた野菜をふんだんに使っているのがこの店の特徴でもあった。
「美味しい」
「来て良かったです」
にこやかにそう言う三葉に自然と笑みが漏れる。お互いに写真を撮り合い、そして運ばれてくる料理の1つ1つにとろけそうな顔をしてみせた。他愛のない会話も楽しい。
「そういえば、塾にいる生意気な子、どうなったんですか?」
「え?ああ、青柳さん、ね」
島で育てられている牛の肉は柔らかく、そして脂も乗っていて物凄く美味しい。なのにその話題のせいか、天都は少し表情を曇らせてから首を横に振り、料理に集中してみせた。
「相変わらずだよ・・・僕を敵視してる」
「愛情の裏返し、とか?」
「ないない・・・あれは本気で嫌ってるね」
うんざりしたような顔をする天都だが、肉の味に笑顔になった。それを見た三葉もまた笑顔になる。大きなポテトを頬張りつつ、天都はふうと一息ついた。
「顔がいいからって生意気なんだよな・・・家も金持ちらしくって我が儘放題に育てられたらしいよ」
「へぇ、お嬢様なんですね」
「イケメンな上原にご執心だし、僕が邪魔なんだろ」
不貞腐れたようにそう言う天都に苦笑が漏れる。天都もイケメンの部類だ。現にアルバイトで講師をしているさくら塾で、天都はそこそこ人気があるのだ。イケメンで有名大学に通っている同僚の上原マサトの方が人気が高いのは当たり前だし気にもならない。だが、彼女の態度だけはどうにも許せないものがあった。だが、今は無視をすることを決めている。
「私としては、安心ですけど」
そう言って最後のポテトを食べた三葉の言葉に、こちらも最後の肉を口に入れた天都が首を傾げた。そんな天都を見て微笑む三葉の意図が分からない。
「今現在はまだ私のことを好いてくれているから。他に気になる子が出てきてないのが安心ってことです」
「ないよ・・・他の子に気が行くなんて」
「女子中学生の方が若いですよ?」
「若すぎるって・・・それに、子供だし」
「そうですか」
「そうなの」
微笑みあう2人の間に不穏な空気はない。今の関係がどういうものかをしっかりと認識できているからだ。だから天都は明日告白するのだ。こういう雰囲気のいい場所ではなく、それこそただの道端の方がいい。その方が自分に似合っていると思うからだ。それに雰囲気に流されるような三葉でないことも理解している。そうしているとデザートと飲み物が用意された。それを楽しみつつ、2人はまったりとした時間を過ごしていた。南の島での旅行は初めてなせいかやはり開放的な気分になる。それでもちゃんと羽目を外さない2人であったが。
「北海道も楽しみなんですよ」
アイスレモンティーを飲む三葉を見て、天都もまた頷いた。北海道旅行は天音と明斗から打診されたものだ。せっかくだから4人でどうかと誘われ、予算的にも安かったためにOKしていた。目的は星空の鑑賞会だ。北海道だからこそ綺麗な天の川も見られるらしく、三葉はそれもまた楽しみにしていた。勿論、天音たちにはそこで2人の関係をはっきりさせようとの魂胆もあったのだが。
「南と北が楽しめるなんて、今年の夏は贅沢です」
「ホント」
本来であれば受験生である三葉だが、料理の専門学校に行くので問題はない。
「明日はお昼の飛行機だから慌ただしいなぁ」
「空港付近を散歩しましょう」
「そうだね」
ならばそこで告白しようと決める。そうして2人は食事を終えて席を立った。会計を終えて外に出れば、都会にはない暑さの夜がそこにある。海風を全身に受けつつレストランを後にしようとした時だった。
「あの・・・」
不意に声を掛けてきたのは綺麗な女性だった。そう、見覚えがある。懐かしのテレビ番組などでよく見た顔、そして最近では国民的アイドルとして有名な宍戸桜が比較対象にされている伝説の人物でもある。
「赤瀬未来さん?」
多少老けたとは思うが、それでも若々しい。周人とさほど変わらない年齢のはずなのに、由衣よりもまだ若く見えた。
「木戸さん、ですよね?」
「あ、はい」
予約の名前で知っていたのだろうが、経営者である彼女が自分に何の用かと思う。三葉もまた緊張した顔つきをし、そのまま手招きをする未来に連れられて裏手の空き地に向かった。そこは来春にでもテラスにする予定の場所だ。ただ台風が多いこの島でそれが可能なのか、現在調査中になっていた。
「木戸周人さんの息子さん、ですよね?」
そう言われて顔を見合わせた。周人が未来と顔見知りだとは聞かされていない。だから頷くしかない天都を見た未来の目が懐かしさから込み上げてくる涙を溜めていく。
「父をご存じなんですか?」
「昔、若い頃に助けていただいたんですよ」
「そうだったんですか」
そんな因縁があったとは聞いていない。困惑する天都を見た未来は指で涙を拭うと小さな笑みを浮かべてみせた。懐かしい、そう思う顔が目の前にあったからだ。
「よく似てらっしゃる」
「え?ああ、今日は髪形が似てるかも」
「そうですね、だから奥から見て一目でそうだとわかりました。でも雰囲気もとてもよく似てる」
「そうかなぁ?」
そう言う天都に苦笑し、それから未来は天都の手を握った。
「主人もまたあなたのお父さんと因縁があります。今は忙しくて出てこれませんが、よろしくお伝えくださいとの伝言を預かっています」
またまた驚くしかない。赤瀬未来との関係のみならず、有名シェフとも因縁があったとは驚くしかない。
「周人さんはご健勝ですか?」
「あ、はい。今はカムイの副社長で、忙しくあちこち飛び回ってます」
「ええ、お仕事の件は存じていますが・・・お元気ですか、そうですか」
懐かしい顔の中に憧れのようなものが見えた気がした。もしかしたら由衣との三角関係でもあったのかと思うが、さくら塾名物の『美女と野獣』の話には彼女は出てこないためにそれはないのだろう。だからこそ周人との関係が気になってしまった。
「あの・・・写真、いいですか?」
不意にそう言う三葉を見た未来がにこやかに頷く。ここに来てから表に出なくなった未来はこういう撮影も断っているほどだ。だが、今回は特別だ。恩人の息子が来ているのだから。2人はそれぞれツーショットと、3人での写真を撮った。天都はそれとは別に未来だけの写真を撮る。
「父に送っておきます。伝言と一緒に。あ、それともアドレス、教えましょうか?」
「いえ、伝えていただくだけで結構です。でも、会いたいく思ってますと追加で伝言をお願いします」
「わかりました。確かに伝えておきます」
そう言って2人が握手をする。三葉もまたそうして未来から離れた。
「是非またいらしてください。その時は主人ともども歓迎しますので」
「また来年来たいって思ってます」
「なら、いつでも予約できるようにしてお待ちしていますね」
にこやかにそう言う未来に別れを告げ、2人はコテージに向かった。手を振る未来に手を振り返しながら。




