果てない空 1
やはり標高というのは気候に左右するのかもしれないと思う。真夏の暑さはどこも同じだろうに、今歩いているここの暑さは地元とは少し違っていた。風もどこかさわやかで乾いた空気が頬を撫でていく。風景は田舎で綺麗な透明度を持った小川を脇に見つつアスファルトで舗装された道をキャリーバッグを持って歩いている木戸天音は被っている麦わら帽子を少し上げて汗を拭いつつ目の前に迫った目的地を目指していた。山が近く、川の音が心地いい。ただ、どこか苛立つ心は何故だろうか。だいたい、軽井沢の駅で待ち合わせをするはずがこうなった理由を考えればその苛立ちは怒りに変化する。しかし今更文句も言えずただ黙々と歩いた。そうするとそこそこ大きな駅前の商店街が向こうに見えたため、天音は気力を振り絞って歩き続けた。もうこうして15分経つものの疲れはない。都会だったならば暑さにバテていたのだろうが、さすがは長野県だと思えた。やがて商店街に入り、アーケードのおかげで暑さは激減する。それに時折店から流れてくるクーラーの冷気に癒されつつ駅前の日陰にあるベンチに腰を下ろした。荷物を足で挟み込むようにしながらスカートのポケットからハンカチを出して汗を拭う。絶え間ない風が天然の団扇のような効果になり、天音は目を閉じてその風を浴びるようにしてみせた。肩より下までの髪を揺らす天音が肩からかけた小さめのバッグの中からお茶の入った水筒を取り出して飲む。生き返るとはこのことだろう。薄い緑のワンピース姿のまま足を組み、濃い青色をした空を見上げた。空気や暑さは地域によって違うものの、空の色はどこでも同じらしい。
「あっちー」
綺麗に化粧された顔を小さな鏡で確認しながらそう呟く。汗で化粧が落ちてしまったかと思うがそうでもなかった。元々化粧などほとんどしないこともあって、世間的にみれば申し訳程度でしかない。伸びた前髪を斜めに流す天音は大学でも引く手数多の美女なのだが、自分を磨くという意味での美意識はないに等しい。彼女にとって自分を磨くというのは自分の腕っ節を磨くことなのだから。ただ唯一の例外が彼氏の存在だ。彼の前では綺麗でいたい、それが今の天音の美意識の全てであった。足を組んで豪快にお茶を飲む天音は通り過ぎる男性の目を集めつつもナンパはされなかった。何故ならば、明らかに不機嫌だというオーラが出ていたからだ。殺気に近いそれが人を寄せ付けず、のんびりと4人掛けの椅子を占拠できていた。そんな天音は2両しかない小さな電車がホームに入るのを見つつ水筒をしまい、バッグを肩からかけて椅子を立った。キャリーバッグは脇に置き、腕組みをして仁王立ちになる。可憐な女性にはないその姿は周囲の人払いを完璧にするほどだ。小さめの駅から出てきたのは親子連れと、顔立ちも整った背の高いイケメンだ。そう、イケメンなはずなのにその顔がイケメンに見えない。天音と目が合ったそのイケメンはますます表情を歪めて大きなバッグを地面に置き、天音に深々と頭を下げた。天音の負のオーラのおかげで周囲に誰もいないのが救いだ。
「すまなかった」
「なんで直前なわけ?」
「先輩の気まぐれで」
「なんでここなの?」
「ここが一番目的地に近かったから」
「なんで私が20分も歩かなきゃいけないわけ?」
「・・・・・・申し訳ない」
頭を下げたままそう弁解する彼氏の下村明斗の背後に回った天音はスカートが翻るのもお構いないしに強烈な蹴りをその突き出たお尻に叩きつけた。深く頭を下げていた明斗はその強烈な打撃に悶絶しつつも痛みを口にしなかった。天音は大きくため息をつくとキャリーバッグを手に持つ。そうして肩からかけていた鞄を担ぎ直すと頭を上げた明斗の腕に手を絡ませた。
「気が済んだから、もういいよ・・・・いこっ」
「ゴメン」
「うん、許す」
そう言い、天音が目を閉じた。これは罰ゲームだ、そう思う明斗は数人の老人が歩いているのを気にしつつそっと天音にキスをした。羞恥で顔を赤くする明斗とは違ってにんまりと笑う天音が歩き出す。人前でいちゃいちゃすることに抵抗がある明斗とは違い、天音にそういう抵抗などなかった。
「天文部ってバカばっかだね?」
「いや、そうでもないけど」
「急に予定変更してんじゃんか」
「まぁ、な。でも普段はいい人たちだ」
「あっそ」
歩きながらそう言う天音に苦笑しつつ、舗装された道を進んでいった。目的地まではここから歩いて15分だ。バスなら数分なのだが、そのバスも滅多に来ない。待つぐらいなら歩いたほうが早いのだ。タクシーという贅沢なものは使わない。今日のホテル代を考えれば節約は必要であり、そして2人とも歩くことを苦と感じなかった。これまで色々と旅行に行ったが、こうした徒歩が一番楽しいのだから。暑さもそう気にならず、2人は緑豊かな田舎の風景を見つつゆっくりとした歩調で歩いていた。
「星はどうだった?」
今日まで大学の天文部の合宿だった明斗にそう聞く天音は水泳部に所属している。成績の差は如何ともしがたく、結局猛勉強の甲斐もなく別々の大学に通うことになったものの、2人の関係は良好のままだ。都内の大学に通う明斗は天文部に入って星の研究をしていた。好きだったことが出来ているせいか、明斗は以前に比べて随分と社交的にもなったし、明るくもなった。天音はインターハイ2連覇を成し遂げた成績を買われて体育大学から推薦の話をもらったもののそれを断り、地元の大学で水泳を始めたのだ。その理由は全身の筋肉を鍛えるためで、水泳自体に興味はさほどないものの、やはり天性の運動神経は水泳にも十分発揮されて好成績を収めつつある。
「長野はいいよ・・・星がすごく綺麗だ。まるで宇宙がそこにあるようで楽しかった」
にこやかにそう星のことを話す明斗が大好きだった。2人での旅行も星をメインにしているせいか、天音もまた星に関してはそれなりに詳しくなっている。無意識的に体を密着させるものの、明斗は暑いとも言わずに歩いていた。付き合い始めてから伸ばし始めた天音の髪が風に揺れている。腕に当たる柔らかな感触もあの頃よりも発達しているのがわかる。女性らしい体つきになった天音はその美しさも増したせいかモデルにスカウトされるレベルになっていた。だが、そんなものに興味などない。
「でもさ、合宿が一週間って長いでしょ?」
「山登りもあったしね」
田舎の中の田舎にいたせいか、携帯の電波も弱くて連絡もままならなかった。その上、先輩の気まぐれで最終観測地点も変更されたが故にさっきの待ち合わせに至っていたのだ。本当なら合宿の地である軽井沢の駅で待ち合わせ、電車でさっきの駅に着いたはずだった。この辺りの電車は本数も少ないため、待つよりかは歩いたほうが早かったりする。だからさっきも、今もこうして歩いているのだった。
「水泳部は合宿とかないの?」
「あるけど自由参加。そんなに力を入れてないから」
「そうか」
「うん。まぁ、趣味みたいなもんだから」
そう言って笑う天音に微笑み返した。大学でも成績優秀でスポーツも出来、そして社交性も身に付いた明斗はかなりモテている。けれど近づいてくる女性に興味が湧かないのだ。あるのはただ1人、天音にだけ。それに天音の両親にもよくしてもらっていることもあって他の女性など眼中になかった。父親の燐が製薬会社を辞めてアメリカの遺伝子を扱う研究機関から打診を受けてそっちに行ってからは木戸の家にやっかいになっている状態だ。もちろん普段は今まで住んでいたアパートで1人暮らしをし、片道2時間をかけて大学に通っている。アルバイトもしつつ、天音のサポートを受けての生活は楽しいものになっている。
「でもさ・・・別に、ついてこなくてよかったんだけどね」
少し表情を暗くした天音の言葉を受けても明斗の口元から笑みは消えなかった。今日、天音に同行したのには理由がある。ただの付き添いではないのだから。
「俺にも関係している」
「そうだけど・・・わざわざ・・・」
「いいんだ」
優しくそう言った明斗を見上げる天音にしては珍しく不安顔だ。だから明斗は微笑みを消さなかった。その気持ちが嬉しかったのもある。今日、天音は用があってここに来た。そしてそれは近くに合宿に来ていた明斗がどうしてもこの日にしてくれと頼んだ結果でもあった。自分も同行したいから、それが理由だった。その真意も理解できている天音にすれば複雑だったものの、明斗の意志は尊重したくて了承したのだ。
「あそこ、かな?」
地図と、その脇に書かれた住所を見てそう言う天音に頷く明斗が小さいながらも深呼吸をした。緊張しているのがわかった天音はそっと手を繋ぐと体を寄せて明斗を見上げた。高校時代の終盤で10センチも背が伸びたせいで180センチを越える明斗との身長差は大きい。
「大丈夫。あんたはあんただから」
「ありがとう」
自分の言葉に微笑んだ明斗を見て頷く。そうして新しそうなマンションを正面に見つつ2人は歩きを再開した。田舎にあって、そこには建物が集中していた。コンビニや大型スーパーもあるようで、強引にここだけ拓けた印象がある。4階建ての小さなそのマンションはグレーの外観もまだ新しげだった。汚れ的にも建って2、3年といった感じか。その3階の東角の部屋を目指す2人に緊張の色が出ていた。ドアの前に立ち、顔を見合わせる。約束の時間の15分前だが遅れるよりかはいいだろう。見つめ合い、頷きあった天音は『木戸』と掲げられている表札の下にあるカメラ付きインターホンを鳴らした。ものの数秒で返事がし、名前を告げるとすぐに玄関が開いた。中から顔を出したのは天音に勝るとも劣らない美女だったために驚いてしまう。
「お約束しておりました木戸天音と下村明斗です」
「どうぞ、上がってください」
美女がそう促しつつ2組のスリッパを準備していた。2人がそれを履いてフローリングの床を進めば、途中にある部屋の中に積まれた段ボール箱に目が行った。そのまま廊下を進んで突き当りの部屋に行けば、あまり物が置かれていないリビングがそこにあった。あるのはテーブルとソファ、そしてテレビボードとテレビぐらいなもので、ここにもいくつかの段ボール箱が存在していた。引っ越してきたばかりなのかと思う2人を開放的に繋がったキッチンからやって来た男性が迎えた。
「すみません、引っ越しの準備中なもので」
そう言い、目当ての人物が右手を差出した。
「木戸京也です」
「木戸天音です、はじめまして」
差し出した右手同士ががっちりと握手をする。黒縁の眼鏡を掛けた京也が人懐こい顔をして微笑み、次に明斗を見やった。
「下村明斗です。すみません、突然追加になりまして」
「いいえ、ようこそ」
笑みをそのままに握手をし、2人をソファに座るように勧めた。腰かける2人の正面に座った京也は短い髪を掻き上げるようにしつつクーラーの温度を調節していく。そうしていると2人の前にさっきの女性が冷えた麦茶を持ってきた。
「彼女は一枝歩、俺の婚約者です」
「はじめまして、一枝です」
そう言い、自己紹介をした。京也の居場所の連絡や、アポを取ってくれる手伝いをしてくれた父周人の知り合いである戸口弁護士から彼女の存在は聞かされていたとはいえ、その美人さに呆気にとられてしまう。こちらも天音と同じで化粧は薄い、だが、それでも美人だとわかった。整った顔立ちに清楚さが滲み出ている。失礼な話だが、平凡よりかはややイケメンである京也とは釣り合いが取れていないと思う。
「コーヒーと紅茶なら、どっちがいいですか?」
「あ、お構いなく・・・自分はコーヒーで」
「私は紅茶で」
「アイスでもいいですか?」
「はい」
歩の言葉に同時に返事をし、2人はにこやかに微笑む歩に釘付けになっていた。芸能人かと思うほどのその美貌に嫉妬すら湧き上がって来ない。
「で、要件は明人・・・戸口から聞いています。木戸無双流を名乗りたい件、そして木戸百零に関しての事柄、でしたね」
「はい」
あの事件から2年、天音は木戸無双流の名を継ぐことを決めたのだ。理由は特にない。ただ、明斗との将来を見据えた時にこういうのは早くすっきりさせた方がいいと思ってのことだ。勿論、その名を継ぐことに明斗は反対した。自分の中の血を考慮している、そう思ったからだ。だが天音は根気よく説得を続けた。確かに明斗の中の血のことも考えての継承でもある。だが、大半は新しい歴史を自分が作りたいと思ったからだ。これまでの血に濡れた歴史ではなく、新しい歴史のためにその名を継ぎたいのだ。だからこそ木戸無双流最後の血を持つこの京也の元を訪ねている。
「別に好きに名乗ってもらっても結構だったんですけどね。俺自身に愛着もないし、血は確かにそうだけど、技もろくに使えない」
「父があなたの了承を得なければ認めないと言いました。だから戸口さんに委任状も作っていただきましたし、何よりお礼と、他の用もあったもので」
丁寧にそう言う天音に微笑み、お茶の横にアイスコーヒーとアイスレモンティーを置いた歩が横に座るのを見てから京也は出された委任状にサインした。
「周人さんも明人も律儀だな」
そう言いながらサインをし、用意していた実印を押した。形式上だが、木戸無双流は天音が名乗ることを承認するという内容の書類だ。そしてこの瞬間から、天音は木戸無双流を名乗ることになる。
「明人は元気そうだった?」
「はい。一か月後を楽しみにしている、と、無表情でおっしゃってました」
「相変わらずだね、明人さん」
歩の言葉に微笑み、京也が書類を天音に返した。今回世話になった弁護士の戸口明人と京也、歩は高校時代からの親友関係にある。周人の依頼で委任状や百零のクローンに関する資料整理、左右千の事件をまとめたのは明人であり、そして京也との仲介役も買って出てくれていた。
「技は使えないんですか?」
「継承者でもなんでもないからね、俺が使えるのはわずかに7つだけだよ」
「そうなんですか」
「それに、俺に人は殺せないから・・・思想はどちらかといえば君たち宗家に近い」
苦笑しながらアイスコーヒーを飲み、それからお茶を飲んでいる明斗に視線を向けた。その表情が少し緩む。
「で、百零さんに関することとは?」
これに関しては数日前に明人から連絡を受けた際にもはぐらかされている。親戚に当たる百零とは幼稚園の頃までは仲が良かったが、それ以降は疎遠になり、20年前に消息を絶ってからはもう思い出の中の人物でしかなかった。その百零に関することを知っている人物がいると言われて今日を楽しみにしていた。警察関係者ですら知らない事を、天音が知っているのが不思議だが。その天音がキャリーバッグから少し分厚くて大きな茶色い封筒を取り出した。それをテーブルの上に置く。
「2年前、ある事件が私たちの学校で起きました。素早く隠蔽されたその事件の首謀者の名は木戸左右千、木戸無双流を扱う男でした・・・」
「無双流を?」
京也が封筒の中の書類を出し、目を通していく。隣に座る歩も横から覗くようにしつつ、沈黙の時間が流れた。明斗の顔に出る緊張を察し、天音は力の入っている明斗の手にそっと自分の手を重ねた。
「クローン?」
呟く京也が顔を上げた。その目が明斗を捉えた。
「君が・・・?」
「はい。自分は木戸百零のクローンです」
*
木戸百零は優しくて強い人間だった。幼い自分を弟のように可愛がり、一族に連なる血の宿縁を一身に背負った彼の姿は憧れ以外の何物でもなかった。だが彼は変わった。『ゼロ』として人を殺し、かつての人格を失っていった。真っ白でいろ、そう言った百零の姿が最後に見た姿であった。だから、20年前に彼が起こした事件はショックだったし、消息が不明になって心配もした。だが、まさかこんなことになっていたとは。警察機構の裏側に位置する特務機関の管理者となった笹山とは高校時代に何度かお世話になっている。その笹山からの資料が周人に渡り、今日、明人を経て天音の手からもたらされたのだ。百零はあの事件の後で薬物と催眠療法によって自我を奪われ、クローンのための存在になった。遺伝子を提供し、左右千に木戸無双流の全てを教えて破棄されたのだ。そう、彼はもう死んでいたのだろう。20年前、『戦慄の魔術師』に敗れた時に。
*
資料を全て読み、それから明斗を見つめた。確かに面影があると思うが、明斗の気持ちとは裏腹に何も感じるものはなかった。木戸百零はもうとっくに死んでいる。墓もあるのだ。
「木戸左右千は破棄されたわけか」
「兄と戦って敗れて、精神に異常をきたしていたそうです」
「魂の融合による精神の崩壊・・・霊的観点でも魂の汚染が認められる、か」
資料をめくる京也の言葉に歩が反応した。
「霊的って・・・そんなことまで調べるの?どうやって?」
「調査したのは神咲神社の宮司、神手司だそうだ」
その名を聞いた歩が納得するが、天音と明斗は顔を見合わせるのみ。だいたいこの科学の時代に、遺伝子すら操作してクローンを作れる時代に霊だのなんだのありえない。その顔を見た京也が苦笑した。
「この神手司宮司も親友なんだよ。明人もそうだけど、昔、彼と信じられないような体験をした」
「霊的って、そんなのがあるんですか?」
「あるよ。あの明人ですら信じてる」
「はぁ」
堅物で論理的な明人を知っている天音にとっては不思議でしかない。そんな顔をしている天音に苦笑を濃くした京也が資料を置いてコーヒーを飲んだ。
「一度会ってみるといいよ・・・変わってるどころじゃすまされない性格だからかなり戸惑うだろうけど」
「要するに変人ってことですか?」
それもまた霊のせいかと思うが、想像も出来ない。
「きっと話をしたらイライラすると思う。でも、彼こそ人の本質なんだと思う。自由な人だよ」
「はぁ・・・」
訳が分からない顔をする天音に笑みを見せ、そしてそれをすぐに掻き消した。今度はいやに真剣な目になる。だからか、部屋の中の空気も変わった気がした。
「で、君がクローン・・・・左右千、天空という人もそうだった」
「はい。天空は不完全な、左右千は完全なクローンです」
「そうか」
「だから、自分はあなたに聞きたかった。自分の中を流れる血が宗家の抹殺を望んだことがあるのか、宗家との融合を意識したことがあるのか、と」
まだそこにこだわっているのかといった顔をした天音がアイスレモンティーを飲む。難しい顔をして見つめ合う明斗と京也とは違い、天音と歩はどこかリラックスをしている感じだ。
「ないよ」
きっぱりそう言い、京也はお茶を飲み干した。
「俺は自分の中の無双流の血を嫌っていたし、百零さんがいなくなって繋ぎの継承者にされた。伯父さんが、百零さんの父親が選んだ女性と子供を作るための道具でしかなかった。血を残し、技を残すためにね。でも、だからってそんなことを感じたことは1度もない」
「繋ぎの・・・・」
「高校の時、歩に出会って、そこでようやく俺は全部を飲みこむことができた。繋ぎの継承者にはならないと宣言し、伯父さんも親父もそれを認めてくれたんだ。宗家とどうこうなんて何も感じない。血は確かに無双流のそれだ。でも俺は木戸京也なんだ、だたそれだけ。だから君は下村明斗なんだよ。他の誰でもない、その血もまた君のものだ、クローンでもなんでもなく、ただの1人の人間だよ」
その言葉は明斗の心に突き刺さった。彼もまた自分と同じ血をその身に流している。だが京也は自由なのだ。流れる血の意志など関係なく生きている。それは明斗にとって大きな自信となった。天音は明斗の手を握りしめる。そのまま指を絡ませ合ってぎゅっと力を込めた。
「でも、あの百零さんの育てたクローンを倒した君のお兄さんは?」
「今は彼女と・・・・彼女候補の人と旅行中です」
「そっか。一度会ってみたかった」
「伝えておきます」
「うん」
にこやかにそう言う京也は頷き、資料を再度手に取ってからそれをペラペラとめくっていく。そしてあるページでそれを止めてテーブルの上に置いた。
「木戸左右千は木戸無双流と暗術を使っていたって書いてるけど・・・・暗術使ったの?」
「はい。あなたのおかげで助かりました。以前頂いた書物がなければ戸惑っていたはずです」
「役に立って嬉しいよ」
そう言って微笑み合った。数年前、京也の父親と伯父がほぼ同時期に亡くなった。その際に完全なる流派の断絶を告げに周人の元を訪れた際に無双流の技を記した書物や他流派の暗殺術が書き記された書物もまた譲渡していたのだ。その中に左右千が扱った暗術の記録もあって、だから天都は『朧』を知っていたのだ。また無双流だけの技に関しても。
「確かにアレは知っていれば対処しやすいからね・・・でも、両方を扱う超人を倒すとは」
感心したようにそう言う京也は事細かく書かれた天都と左右千の戦闘記録を見て舌を巻いていた。たとえ宗家を倒す裏の奥義を使ったとしても勝てるはずもない、そんな記録だったからだ。
「さて、全て滞りなく終了だ。実はこの後、荷物を新居に運ぶんだ。君たちも来るといい」
「でも、私たちは帰ります。ホテルも探さないといけませんから」
「だったら泊まって行くといい。新居は広いんだ・・・布団もここのを持ち出せば十分だし」
「でも・・・」
「いつか、宗家の人たちと飲み交わしたいと思っていた・・・だから、お願いしたいんだ」
そう言われた2人は顔を見合す。困った顔をする天音は一旦長野市内に戻ってビジネスホテルを探すつもりでいたからだ。明斗と連絡が密に取れなかったこともあってそうなったのだが、悩む天音の手をぎゅっと握った明斗が優しく微笑んだ。
「申し訳ありませんがやっかいになります・・・」
「いやいや、こっちも楽しめる。今夜はバーベキューにしよう。新居っても田んぼの真ん中だし、誰にも迷惑かけようがないからさ」
にっこり微笑む京也に歩も笑っていた。そんな2人を見た天音が明人からの伝言を思い出し、あわててそれを告げる。
「戸口さんが、来月の結婚式には出るけど、それまでに一度会いたいから連絡欲しいって言ってました。奥さんの都合もあるから早い目にって」
「そっか。ありがとう」
「苺さんには私から聞いておくね」
京也にそう言う歩を見つつ、天音はそこに自分がよく知った人物を重ねていた。ここまで美人ではないものの、その雰囲気はかなり似ていると思う。だからこそ、彼女の幸せを願い、今は南の島の空の下にいるその彼女に思いを馳せるのだった。




