全部抱きしめて 5
植物園とはいえ、公園の中にあるためにそう広くはない。それでも結構な種類の花や草、そしてちょっとした憩いの場のような箇所もあって2人はのんびりと園内を回っていた。温室の中は外の空気とは違う暑さになっていたが不快感はない。水の流れる音や、目で見るその流れが暑さを癒してくれもした。そうして2人は小一時間ほど散策して植物園を出た。緩やかなカーブを描く上り坂を上がって公園に戻り、木陰になっているベンチに座って休憩を取る。三葉の用意したお茶は飲みきってしまったために天都がジュースを買いに行き、そこでものんびりくつろぐ2人がいた。気まずさもなく、会話も途切れることはない。家のこと、友達のこと、学校でのことと話題は尽きないのだから。自然でいられることが嬉しいとは思わなかった。あの日、屋上で七星と会った時はこうはならなかったこともあって、七星からも自分からも気まずい空気が出ていたのを認識できていた。なのに三葉に至ってはそれがまったくない。あの事件の前後で何一つ変化がないのは三葉だけだった。天音にしても明斗にしても、進にしてもどこか少しだけ違和感を覚えたというのに。
「先輩はずっと鍛え続けるんですか?」
こんな質問すら普通に投げてくる。かといってされた天都に緊張も気まずさもなかった。
「そうなるかなぁ・・・もう習慣になってるしね」
「朝晩ずっと?」
「うん。時々さぼったりもするけど、それも数カ月に一度とか、そのぐらい」
「へぇ、すごいですね。だからあんなに強いわけですね」
「かもね」
これでこの話題が終わるのも三葉だからだろう。
「将来はプロの格闘家ですね」
そう言った三葉が微笑み、天都が苦笑した。それが冗談だとわかっている、だから気にもならない。
「でも、将来のビジョンなんて何も見えないんだよね・・・その点、瀬尾さんが羨ましい」
「そうですかね・・・でも、お母さんを見てたり手伝ったりしたから、自動的にそう思っちゃうかもです」
「それはあるね」
「はい」
そんな話をしつつ、天都は将来について考える。何もないのが現状で、それを見つけるためにとりあえず大学へ行くとしている自分が情けなかった。三葉はちゃんと自分の未来をビジョンとして捉え、それを実行しようとしているというのに。漠然としたやりたいことも浮かばず、ただだらだらと毎日を過ごしているだけだ。周人のようなサラリーマンが妥当だと思うものの、どこの企業がいいというようなものもない。そう考えてただ情けなくなる天都は行きましょうかと促す三葉に笑みを見せつつ歩き始めた。2人が向かったのは小高い丘にある展望広場だ。そこは広くはない地味な展望台になっていて、巨大な傘のような日よけの周囲にベンチがあるだけの簡素な場所だった。ただ、見晴らしはいいという噂だ。そういう展望台がこの公園には数か所設置されていた。設置といっても山の平地を整えた程度なのだが。わかりにくい細い道を進み、誘導看板に従って歩けばその展望台はあまりに小さすぎるせいかここだとわからないほどだった。ただ、見晴らしは確かによかった。田舎の風景が見渡す限りに存在し、少し遠くには町並みも見えていた。標高がそう高くなくてもこんなに景色が楽しめると思わなかった2人は丸太で出来た柵の前に立った。ここには2人の他には誰もいない。天都は告白するなら今ここでしかないと思い、昨日からずっとシミュレーションをしてきた言葉を言おうとするものの、緊張のせいか全然違うことを言ってしまった。
「ついこの間、七星ちゃんから告白された」
その言葉を口にした天都自身も、そしてそう言われた三葉もまた驚いた顔をする。そんな顔を見合わせ、天都は焦りをありありと出しながら景色の方に顔を向けた。仕方がないのでこのままその時の話をするしかないと腹を括り、続きを口にしたのだった。
「告白っていっても、それらしいこと、だったんだけどね」
「それらしいって?」
三葉は平静を装うとするも動揺がありありと出ていた。七星から天都に告白するという想定外の事態は天都の幸せを願うと決めている三葉にとっても驚きでしかなかったのだから。
「僕の気持ちがまだ彼女にあるならって・・・そういう話だよ」
「そう・・・ですか」
「記憶が戻ってたんだよ、七星ちゃん。夢を見たんだって、あの時の・・・起きてそれが現実だったことを思い出した」
「それで告白を?」
「償い、だったのかもしれないね」
横顔とはいえ笑みが浮かんでいるのが見える。その笑みの意味がわからず、三葉は天都と同じように景色に目を向けた。
「だから、付き合えないって断った」
「え?」
てっきりOKしたものとばかり思っていた。話を切り出された時にそんな気になっていたのだ。だからか、三葉は天都の言葉に驚いた顔を向けていた。その天都がゆっくりと三葉を見つめた。
「きっと付き合っても上手くいかない、いくはずもない。七星ちゃんはきっと僕を恐れるから。些細なことで怒ったり、機嫌が悪くなった僕を恐れてそれを取り繕うだろうって思う」
あの日の恐怖が、記憶を呼び覚ましたのかもしれないと思う。あの怯えきった七星の顔は天都の心の中にずっと残っている。多分、一生消えることはないだろう。だけどそれは受け入れていることだけに、どうこうすることもないのだが。
「負い目を感じて付き合うなんてあっちゃいけないんだよ」
そう言って微笑む天都に苦いを顔を見せ、三葉は少し顔を伏せがちになった。
「どうしてあの時、あんな無茶したの?」
そんな自分にそう尋ねる天都に目だけをそっちに向ける。その無茶の意味を理解したからだ。七星を人質に取った左右千へ飛び掛かったことがその無茶だろう。
「結城先輩をどうにかしたら、木戸先輩が戦えるって、みんなを救ってくれるって思ったから」
「でも、無茶だよ・・・」
「ですよね・・・でも、役に立ちたかったわけじゃなくって、ただ勝手に体が動いていました」
その結果、あの怪我をした。けれど、それがあったからこそ天都は真の実力を発揮できたのだ。それが良かったのか、それとも悪かったのかは分からない。ただ、自分の中で意味を履き違えた恐怖を持っていた結果、七星を危険にさらし、三葉に怪我をさせたことは後悔でしかなかった。
「ただ単に僕が未熟だったんだ」
「そうですかね?」
「そうだよ・・・だって・・・・」
そこで天都が黙り込む。だからか、三葉は上げていた顔を再度伏せるようにしてみせた。それこそ、さっき天都が口にした負い目というやつなのだろう。
「自分の中の恐怖に負けていた時点で、みんなを助ける資格なんてない」
「でも助けてくれました。約束を守ってくれました」
「そうさせてくれたのは、瀬尾さんだから」
頬を腫らして鼻血を流す三葉を見て真の恐怖を知ったのだ。あってはならない事態を前にしてようやく気付かされたのだから。七星のことなどもう頭になかった。あるのはただ三葉への想いだけ。約束を守れない時の恐怖を知って自分を解放できた。それは間違いなく三葉への想いだけだった。だから天都は顔を上げた。そしてまっすぐに三葉を見つめる。
「僕には好きな人がいる。その人は恩人でもあるんだ。その人がいたから僕は変われた。あの時、みんなを守れたのはその人がいたからなんだ」
ゆっくりと顔を上げる三葉と目が合い、天都は覚悟を決めた。
「僕は瀬尾さんが好きだ」
ちゃんと目を見つめ、はっきりとそう口にした。
「あの僕を見て、それを受け入れてくれた。そんな人はきっと瀬尾さんしかいない。そんな瀬尾さんだから僕は好きになった。僕の全部を受け止めてくれたから、だから・・・・」
そこで言葉が止まった。三葉の表情が困ったようなものに変化したからだ。てっきり喜んでくれるものだと思っていた。自分に好意を寄せていることを知っていたから。だからか、その表情に戸惑っている。
「私も先輩を好きです。でも、お付き合いはできません」
そう、きっと今日、告白される予感があった。そして、この返事もまた決めていた言葉だ。驚くしかない天都に困ったような笑みを浮かべ、三葉は体ごと天都の方を向いた。
「理由は、さっき先輩が言った言葉のとおりです」
「え?」
思い当たる言葉が浮かばず、困惑するだけの天都を見た三葉が優しく、そして悲しげに微笑んだ。
「先輩は私に負い目がありますよね?」
「負い目って・・・」
それかと思い、三葉への負い目を考える。すぐさま出た答えを表情に出したせいか、三葉は笑みをそのままに頷いて見せる。
「先輩は自分のせいで私に怪我をさせた、そういう負い目がある。戦っている時もそう言ってました。結城先輩が人質に取られても本気になれなかった先輩が本気になったのは、殴られて怪我をした私を見たから」
確かにその通りだ。七星を人質にとって恐怖を与えたことより、三葉を殴りつけて怪我をさせた左右千に対して怒りを爆発させた。同時に自分の中の恐怖の間違いに気づかされたのだから。だから天都は本気になった。自分勝手な行動のせいで三葉に怪我をさせたことがトリガーになって自分の本性を受け入れることができた。けれどそれは負い目になっている。三葉を怪我させたのは自分のせいなのだから。最初から本気だったならばあんなことにはなっていなかっただろう。今度は天都が苦々しい表情になった。
「先輩、言いましたよね?負い目を感じて付き合うなんてことはあってはいけないって、そういうことです」
自分の言葉で首を絞められている。絶望が天都を襲う中、三葉はそっと天都の両手を掴んでそれを包み込むようにしてみせた。温かい手だと、それだけを感じている。
「私も先輩を好きです。先輩が私を好きだと言ってくれたことは凄く嬉しいです。今、ここから叫びたいほどに、踊り出したいぐらいに」
「だったら・・・」
付き合って欲しい、その言葉を否定するように三葉が首を横に振っていた。
「付き合えません、今は、まだ」
「え?」
その言葉を理解するまで少し時間を要した。今は、とはどういう意味なのだろうか。顔にもそう出ている天都に小さく微笑み、三葉は握っていた手に力を込めた。
「いつか先輩の中で私への負い目がなくなった時、その時はもう一度告白してください。もし、負い目がないようでしたら私はOKしますし、まだならまた断ります」
「でも、それって・・・」
堂々巡りになるのではと思う。結局OKするかしないかなど、三葉のさじ加減1つなのだから。
「私はずっと先輩を見ています。だから、負い目がないかどうかなんてすぐにわかります。だって、私は先輩を大好きなんだから」
「瀬尾さん・・・」
「でも、そんな私に呆れたり、疲れちゃったら、その時はちゃんと言ってください。好きでなくなったら、ちゃんと先輩の口から言ってください」
三葉は微笑みを変えずにしっかりとそう言った。だから天都も頷いた。
「でも、それはないよ」
「そうですか?」
「自信ある」
「付き合うまでは手もつながないし、もちろんキスもありえません」
「いいよ」
「エッチなことをしようとしたら、嫌いになります」
「しないよ」
「無理矢理力づくで、なんてことがあれば裁判になります」
「怖いなぁ」
「いつになるかわからない、私のわがままに呆れちゃうと思います」
「それでも僕には瀬尾さんしかいない。呆れても、それが瀬尾さんってわかっているから、だから僕は頑張れる。頑張って負い目なんて消し飛ばすよ」
微笑む天都を見て、三葉は手を離すと自分からそっと天都に抱き着いた。そのままゆっくりと背中に手を回す。胸に頬を当て、天都の温もりと匂いを感じるようにする。
「今だけの限定です」
「うん、わかってる」
そう言い、天都も三葉を抱きしめる。不思議と暑さは感じなかった。だたお互いの温もりが心地いい。次にこうするときはちゃんと付き合った時になるだろう。その日が一日でも早く来れるよう、天都は三葉を抱く手に力を込めるのだった。
*
ホットコーヒーを前に腕組みをする明斗が窓の外を行き交う人に目をやった。小さなテーブルの上に広げられた教科書とノートの邪魔にならないように置かれたコーヒーを優雅に飲みつつ、正面に座って難しい顔をする天音へと視線を戻した。季節は秋で、ホットコーヒーが程よい時期でもある。コップを戻し、それから腕時計を見やった。
「あと2分」
「・・・・うるさいっ!」
冷たい声で残り時間を告げる明斗を見ず、ノートにシャーペンを走らせる天音の顔に焦りがありありと出ていた。頭を抱え、それでも何とか答えを絞り出して書き込みを続けていた。その様子を冷ややかに見つつ、再度明斗はコップを手に取った。
「あと20秒」
「あぁぁぁ、もう!出来たっ!」
上半身を跳ね上げながらそう言い、ぜぇぜぇと肩で息をする。明斗は半分に減ったコーヒーを丁寧な手つきで置くとすっとノートを取り上げた。教科書を半回転させて自分の方に向け、ノートの中身とそれとを交互に見つめた。天音はドキドキしながら明斗を上目使いで見つめるのみだ。
「やればできるじゃないか・・・じゃ、次、いこうか」
無表情でそう言い、ノートを返却しながら教科書を天音の方に向ける。
「えぇ!休憩しようよぉ・・・」
「ダメだ。時間はさっきと同じで5分だ。間違えたら罰ゲームな」
「うぅ、鬼だ」
こんなことなら天都の方がましだと思うが仕方がない。天音は半ばヤケクソになりながら教科書を睨みつつノートに書き込みをしていくのだった。それを1つ空きを挟んだ隣の席から見つめている三葉が同情の目を向けるものの、向かい側に座っている天都は平然とコーヒーを飲んでいた。
「天音先輩、かわいそぉ・・・」
必死になっている天音から、その前に座っている実に普通な明斗を見つつそう言う三葉から天音の方に顔を向けた天都がため息をついた。
「自業自得なんだよ。テスト前日になっても何もしなかった方が悪い」
「そうですけど・・・・天都先輩が見てあげた方が・・・・」
「明斗が見た方が効率がいいんだ」
「どうしてですか?」
とても効率がいいようには見えない。ただのスパルタなのだから。
「いい成績取ればカップルだけのご褒美があるんだし」
「ご褒美って?」
「・・・・・まぁ、エロ系だね」
「・・・・そ、そうですか」
「部屋が向かい合わせでよかったよ・・・隣同士だったらもう・・・・」
「そ、そんなに、ですか?」
「貸してる漫画取りにいったらキスしてたしね」
「・・・・大胆です」
赤面する三葉に苦笑した。
「うるさいのよ、そこ!気が散る!だいたい、ノックもせずに入ってくる方が悪いっての!」
1つの席を空けて座っているせいか、会話は筒抜けだった。怒鳴る天音を見れず赤面したままの三葉に苦笑を維持し、天都は肩をすくめてコーヒーを飲んだ。
「だいたい、あんたらも煮え切らない・・・さっさと付き合ってちゅっちゅすりゃいいじゃん!」
「僕らは僕らの都合があるんだし、別に焦ってもいない」
「やせ我慢してるくせに」
そう言われても涼しい顔をするが、三葉の不安そうな顔を見て苦笑を濃くする。
「我慢してないよ・・・ホントに」
「はい」
その顔を見ればわかる。だから三葉は笑顔になった。天音はそんな2人を見てますますイライラを募らせていった。だいたい、好きあっているのに付き合わないなど意味がわからない。そのくせ学校でも一緒にいることが多いし、帰りもほとんど一緒に下校しているのだから。それにお互いの家の行き来もあって、付き合っているのと同じ状態なのだ。
「だいたいねぇ!」
思わず立ち上がりかけた天音の耳に明斗からの冷たい声が突き刺さった。
「あと3分」
「え?ちょっと・・・・今までのはタイムだって!マジで待って!」
「知らん・・・あと2分50秒」
「鬼ぃっ!」
泣きそうな顔をした天音が教科書に目を戻した。中間テストの結果如何では明斗とのラブラブも制限されてしまうのだ。あまりべたつかないでも平気な明斗とは違い、天音は常にいちゃいちゃしたいのだ。明日からのテストで全科目平均点以上が取れない場合、明斗から一週間は音信不通になると宣言されている天音はもう必死だ。だから明日のテストの要点を明斗に聞き、書き取ることでそれを頭に入れようと奮戦していた。しかもこれはほんの序章にすぎない。喫茶店でのこれは天音自身が今の実力を知るための儀式でしかないのだから。この後は家に泊まりこむ明斗からの地獄の特訓が待っていた。
「そっちは勉強会するのか?」
「いや、昨日までで終わらせたよ。今日は各自でするだけ」
天都の言葉に頷く三葉を見て明斗が微笑む。そっちの方が正しい、そういう微笑だ。
「さっさとくっつけ!そして爆発しろ!」
「・・・あと2分」
「あぁぁぁぁぁぁ!ちょっと待ってぇぇ!」
嫌味を言う天音に淡々と時間を告げる明斗はお似合いだと思う。だからといって天都と三葉に焦りはなかった。焦っても天都の中の負い目は消えないのだから。付き合っていなくても好きな気持ちは通じ合っている。だから2人は顔を見合わせて微笑み合う。たとえ何年かかるかわからない道のりであっても、2人でなら大丈夫だと信じあえるのだから。




