全部抱きしめて 4
運命の朝がやってきた。天気は快晴であり、早朝のトレーニングを終えた天都と天音は土曜日の朝のさわやかな朝日を身に受けつつランニングで家に向かっていた。5キロ先の大きな公園までのランニングと、公園での筋トレなどをこなし、最近では簡単な組手も行っていた。勿論本気にはならない。
「今日はデート?」
「ううん、部活」
「部活デートか」
「そうね」
否定しない天音に何かむかつく。明斗と付き合うようになった天音は少しおしゃれになったせいか、密かに男子生徒の中で人気が急上昇していた。だが、彼氏が明斗であれば勝てる見込みもなく、告白する猛者もいない。
「あんたは?」
「デート」
「ふぅん」
気のない返事をするものの、内心では嬉しく思っていた。三葉と上手くいけばいいと思っているからだ。いや、三葉以外の子が天都に合うはずもない。だからといって応援はせず、ただ静観するのみだった。帰宅後は先に天音がシャワーを浴び、すぐに朝食の支度をする。その間に天都がシャワーをして、バスタオル1枚で自室に戻った。現在朝の7時、出かけるには早すぎる。対する天音は8時には家を出る。部活があるためだ。それに明斗と待ち合わせをしていることもあってさっさと朝食を済ませ、今までしなかった髪のセットなど、おしゃれに時間を取られることも考慮しての動きだ。天都が着替えてキッチンへ向かうと、天音は洗面所にこもっている状態だ。
「おはよう」
「おはよう」
起きてきた由衣が欠伸をしている。昨日の同窓会はかなり盛り上がったようで、帰って来たのは夜中だった。天海は実家に預けているために気にせず、由衣はそのままトイレに向かった。周人はまだ寝ている。天都は朝食の準備をしててきぱきと動いていた。
「今日はおでかけ?」
トイレから戻った由衣が天都の格好とその手際の良さにそう尋ねた。
「うん」
「デート、とか」
「さぁ」
「そう」
はっきり否定をしなかったことから全てを察し、由衣は椅子に腰かけた。再度出る欠伸を噛み殺しながらパンを焼いてアイスコーヒーを作る天都の動きを見つつ背伸びをしてみせた。
「三宅塾長がこんど手合せ願いたいって言ってたよ」
「あ、そう?いいけど」
「いいんだ?」
「問題ないよ」
今まであれば即答で断っていたはずだが、心境の変化は恐ろしい。いや、あの事件以来天都は変わった。ごく自然になっていた。おどおどすることもなく、内向的な部分も成りを潜めている。おそらく、これが本来の天都なのだろう。そうして朝食を済ませ、やっと出てきた天音と洗面所を交代した。天音は耳の上をうさぎのピン止めで髪を上げるようにし、さらにふんわり感を持たせた後頭部をしきりに気にしている。
「髪、伸ばすの?」
「え?うん、そのつもり」
こちらの心境の変化も大きいといえよう。口調も性格も変わりがないが、表面的な部分での変化はかなり大きかった。近所でもさらに可愛くなったと評判である。
「2人ともいないんじゃ、父さんと2人でのんびりかなぁ」
「みーくんは?」
「夕方までいないよ」
「・・・・また歳の離れた弟か妹が出来るなんてゴメンだからね」
「そんな体力ない」
そう言う由衣に笑みを見せ、天音は自室に戻った。さっきの笑顔は昔の自分に似ていると思う。周人に恋をしていたあの頃の自分にそっくりだと思えた。
「恋する乙女になっちゃって」
嬉しそうにそう言い、由衣は再度大きな欠伸をするのだった。
*
約束の時間の10分前に来たというのに、既に三葉はそこにいた。白いシャツにピンク色した短めのスカートを履いている。髪形は軽井沢に行った時のそれだった。素直に可愛いと思う。顔もだが、その格好もまた可愛い。現に通り過ぎる何人かの男性が三葉を見ているほどに。
「待たせてゴメン」
「10分前ですよ?私が早く来すぎただけです」
そう言って笑う三葉に苦笑を返した。あんな事件あり、記憶の操作もしていない三葉が普通でいてくれることが嬉しかった。
「行きましょうか?」
2人は改札に向かい、ホームに降りた。ここから電車に揺られること40分ほどで目的地に到着する。電車も空いているために並んで座った2人は他愛のない会話を続けていた。
「そういえば、大崎先生はどうなったんですか?」
不意に思い出した三葉がそう尋ねた。あの事件で酷く精神的にやられていた心を知っているだけに気になっていたのだ。
「今も進の家にいる。だいぶ落ち着いたみたいだよ」
「そうですか、よかった」
「僕も昔通ってた塾で講師をするんだって」
「また先生やれるんですね?よかったぁ」
心底喜んでいる三葉を見て自然と笑顔になる。素直な三葉が好きだと言えた。そう、今日は三葉に告白をする、そう決めていた。
「でもウラヌス先生にはホントびっくりしました」
「あれは予想外すぎた」
苦笑する天都もあの時は何も聞かされていなかったこともあって本当に驚いたものだった。監視が多いものの、気にすることなく生活しているウラヌスは毎日が楽しそうだった。
「でも、なんか複雑でもあるんですよね」
三葉はそう言い、膝の上の手に力を込める。天都はそんな三葉の手に自分の手を重ねたかったがさすがにそれはできない。
「なにが?」
「みんなあのことを覚えていないことが、かな」
少し悲しげに微笑む三葉にドキッとするが、天都はそんな三葉を見つめ続けた。
「メイも里奈も、野乃花先輩たちも、変態がやってきてすぐに警察が来たと思ってる。確かにあのことを覚えている必要もないし、今の方が幸せなんだと思います。でも・・・それって・・・・」
最後だけ天都を見た三葉の意図を察し、天都は小さな微笑を浮かべて見せた。
「僕のことは瀬尾さんが覚えていてくれたらそれでいい・・・約束した、それを半分は守ったんだと覚えていてくれれば」
「半分?」
「怪我させちゃ、半分でしょ?」
苦笑交じりにそう言う天都に困った顔をした三葉は、やはり天都がそれを気にしていることを知った。そうではないかとずっと思っていたが、予感は的中だ。天都は負い目を感じている、それを見抜いた三葉は愛想笑いを返すだけだった。そして天都もまた七星が記憶を蘇らせたことは黙っていた。そして七星からの告白めいたことをされた顛末も。今はまだ言うべきではないと判断したのだ。会話が微妙な話題になったせいで少しぎくしゃくしてしまったが、その後はいつもの2人に戻った。天音と明斗の交際ネタや、時雄と里奈が喧嘩中といったカップルの話題に移行したのもある。そうしていると電車が最寄りの駅に着き、2人はそこで降りるのだった。
*
日陰で休む天音に水筒が差し出された。その相手を見つつ、天音は小さく微笑んだ。どこからか冷やかしの声が飛ぶが気にしない。そんな天音を見た明斗は苦笑し、その横に座って自分のお茶を飲む。9月なのにまだまだ暑い日差しだ。日陰にいても暑さにほとんど変化はない。風がないせいでもあろう。
「アッチー・・・・あとでドーナツ食べに行こうよ」
「ああ」
素っ気ない返事は明斗の証だ。だから天音も気にしない。
「父さんが、明日一緒に晩ご飯でもって言ってた」
明斗の言葉にそっちを向けば、珍しく照れたような表情を浮かべている。天音はそんな明斗を可愛いと思いながらも頷いて見せた。
「あれからずっと冷やかされっぱなしだからな」
「お父さんでしょ?なんでそんなことされんの?」
「・・・・・親の前で告白したし、されたし・・・・」
「あぅ」
思い出せば顔から火が出る思いだ。自分たちの世界に入り切っていたこともあって、あれからしばらくして燐が咳払いをしたためにあわてて2人は離れたほどだった。お互いに好きだと言い合っていたのを父親に見られて聞かれた恥ずかしさは人生で最大級であった。だから天音も顔を赤くした。どういう顔をして会えばいいかわからない。
「でも、喜んでくれてた。木戸の血を呪っていたのに、その木戸の血に息子が救われたって」
「あ、うん」
俯く天音を見て苦笑し、明斗は地面に置かれている天音の手にそっと自分の手を重ねた。一瞬ビクッとなった天音だが、ためらいがちにそっと手を合わせ、自然と指を絡ませ合った。
「生きていて良かったと実感している」
「私もだ」
そう言い、微笑み合う。繋がった手に力がこもり、天音は心が満たされていくのを感じる。そしてそれは明斗も同じだ。手を繋ぐだけでこんなにも充実できるとは思わなかった。
「さて、あと1時間頑張れば明斗の奢りでドーナツが食える!」
そう言い、繋いだ手を離した天音が立ち上がった。
「なんで俺の奢りだ?」
「普通彼氏が奢るもんでしょ?」
「不公平だ。タイムで決めよう」
「・・・そっちのが不公平じゃん」
そう言いながらスタート位置に向かう2人を見つめる周囲の目は温かさと冷ややかさ、そして羨ましさが込められているのだった。
*
公園といっても遊具などがあるわけではない。子供向けの簡単なアスレチックがあったり、植物園もある多目的な公園となっていた。大きな噴水もあるし自転車のコースもあって、近隣のみならず天都たちのように少し遠方からも来ている者が多かった。正面入り口でかなり安い入場料を支払えば、杉の木が生い茂っている道を進んでいくのみ。木が日陰を作ってくれているせいか比較的涼しかった。三葉は少し大きめのバッグを持ってきており、それを持つと言った天都の好意に対して丁寧に断りを入れていた。自分で持つ、その意志を感じた天都はそれ以上しつこく持つとは言わなかった。そうしてその道がやがて開けた。すると目の前に大きな噴水が姿を現した。間欠泉のように大きく噴き出す噴水の周囲を形を変えながら水を出す小さな噴水が囲んでいる。思わず声を上げた三葉が子供のようにはしゃいで噴水に向かって小走りに進んだ。
「すごーい!」
そう言い、ポケットからスマートフォンを取り出してカメラに収める。
「撮ってあげるよ」
そう言う天都にはいと返事をして携帯を渡し、噴水をバックにピースをする三葉を写真に収めた。
「先輩も撮りますよ」
「僕はいいよ」
「いいんですか?」
「2人でなら撮りたいけどね」
冗談だった。いや、本気だったが冗談な感じで言ったのだ。すると三葉は小さく微笑み、小さく頷いた。
「2人で撮りましょう!」
そう言い、天都を招き入れてカメラを構える。自分たちに向けた画面に2人が映り込み、背後の噴水との位置を調整した。やはり画面に収めるのはかなり顔を寄せないといけない。思いっきり意識する天都とは違い、三葉は触れそうな頬など気にすることなくただ背景との位置関係だけに集中していた。そしてシャッターを切る。出来栄えを確認すれば、顔を近づけたカップルの写真にしか見えなかった。
「転送しておきますね」
そう言う三葉はドキドキする天都とは違って平然としていた。そんな三葉を見ていると今日告白するのはまだ早いのかと思う。心は通じ合っていると確信できているはずなのに、その自信が揺らいでいた。そのまま周囲を散策しながら歩き、大きなひまわりがたくさん咲いている場所にやって来た。
「まだ元気に咲いているんですね」
感慨深げにそう言う三葉はひまわりのようだと思う。いつも周囲を明るくさせ、そして元気に咲いている。太陽に向かってまっすぐに伸び、常にそっちを向くその花が三葉なら、自分は太陽でいたいと思った。いつも三葉に見られていたいと思う。
「そろそろお昼ですね」
「そうだね」
携帯で時間を確認すればちょうど12時を回ったところだった。ひまわり畑を見られる場所に椅子とパラソルが設置された箇所があり、そこに向かった。幸いにも席は空いているようだ。そこに腰かけると、三葉が少しモジモジした感じで天都の様子を伺うようにしている。気になった天都が首を傾げた時だった。
「あ、あの・・・お弁当作ってきました。食べてもらえますか?」
意外な言葉に驚く。そんな約束はしていなかった。この公園の高台にある大きい展望レストランで食べればいいと思っていたからだ。それに少し離れた場所には小さなお店もあって、そこでは焼きそばやお好み焼きも売っていたので最悪はそこで買えばいいと思っていた矢先の言葉に天都は大きく頷いていた。
「ぜっ、是非お願いします」
「はい!」
何故か敬語になる天都に向かってはにかんだ笑みを見せる三葉が可愛い。三葉はバッグの中から3つの大きなタッパを取り出した。大きめの水筒もあって、かなり重かったことがうかがい知れる。
「こっちがおにぎりです。で、こっち2つがおかずです。余ったら持って帰りますから無理しないで下さい」
「わかった」
タッパのふたを取ると種類の豊富なおかずが姿を現した。綺麗に握られたおにぎりもまた美味しそうだ。見ているだけで食欲が湧くそれらを見つつ、天都は早く食べたくて仕方がない衝動を抑えるのに必死だった。
「食べていい?」
「どうぞ」
渡されたお箸を割るのももどかしく、天都はまずおにぎりを食べた。程よい塩加減がいい感じに仕上がっている。素直に美味しいと言えた。そのままおかずに箸を伸ばして炒めたお肉を取った。その味もまた格別だ。
「さすが将来のパティシエだね・・・凄く美味しいよ」
「パティシエは関係ないかと思いますが、嬉しいです」
頬を赤くして微笑む三葉に笑みを返し、天都はそのままどんどん食べていく。三葉もまたそれらを食べ、味を噛み締めてから自己評価をしていった。
「薄味すぎたかなぁ」
「僕にはちょうどいいよ」
「こっちは濃くないですか?」
「もう少し濃くてもいいかも」
そう言い合い、2人の食事は進む。幸せだと思う天都は素直にその気持ちを口にした。
「凄く美味しいよ。早起きしたんでしょ?嬉しいです」
「何故敬語です?でも作りたくなって、早起きしました。いつもお母さんは早起きなので、今日は一緒に起きただけですけど・・・・あっ!手伝ってもらってないですから!」
そこは念を押す三葉に苦笑し、天都はその後も美味しいを連発していった。結局多めに作りすぎたと思っていたお弁当は全部なくなった。2人とも満腹になり、空になったコップにお茶を注ぐ三葉を見た天都はこんな時間がずっと続けばいいと思っていた。自分の本性を見ても態度を変えなかった三葉だからこそ自分も自然でいられる。自分の全てを受け入れてくれる人がいるからこそ自分もそうすることができたのだから。
「この後は植物園に行きましょう」
「そうしよっか」
「はい」
お茶を飲んでくつろぐ三葉が少し離れたところにいる親子連れを見つめる。3歳ぐらいの子供が駆けまわるのを父親が追い、その様子を椅子に座った母親が幸せそうに見つめているのを見て三葉が微笑んだ。
「私は小学2年生の時にお父さんを亡くしてます。だから、あまりはっきりした記憶ってないんですよね」
ぽつりとそう言う三葉を見て、天都は黙って三葉の横顔を見つめた。その視線は息子を追う父親に向けられているようだ。
「でも寂しくはなかったんです。お母さんがいたし、お母さんはあんな性格だし」
「瀬尾さんのお母さんは強いよ、そして凄いと思う」
「自慢の母です」
そう言って微笑む三葉にドキドキする。それほどまでにいい笑顔だった。
「父親ってこんなんなのかなって理想とか憧れがありました。でもどれもしっくりこなかった。同級生の父親を見てもピンとこなかった。でもたった1人だけ該当者がいました」
「へぇ、誰の父親?」
「父親じゃないんです。木戸先輩です」
「え?僕?」
意外な言葉に目を丸くする天都を見てくすくすと笑う。そう、三葉は最初に助けられた時の天都に父親を見ていた。機械的に相手を倒しながら、凄く優しい目をしていたのが印象的だった。それこそ、記憶の中の父親に似ていると思えたほどに。
「あの時、最初に助けてくれた先輩の優しい目がそうだったんです。だから私は先輩が気になった。お父さんみたいな優しい目を持つ人がどんな人なのか知りたくて」
「ガッカリさせたね・・・」
なんとも言えない表情をする天都に微笑を返し、三葉はゆっくりと頭を横に振った。
「頭の中で思い描いてた人とは違ってました。でも、あの時の優しい目は同じだった。だから、満足したんです。この人に助けられてよかったって・・・・この間もそうです」
「そっか」
「はい!」
元気に返事をする三葉は天都の口元に浮かぶ淡い微笑に胸が高鳴った。ドキドキするその胸を押し殺し、そしてそのせいで余計にきゅんとなる気持ちを抑えて微笑み返した。それは、そんな微笑だった。




