全部抱きしめて 1
新学期の朝は毎年憂鬱になるのが常だった。夏休みという1年を通じての大きなイベントが終わった虚無感と、また学校生活が始まるというがっかり感がそうさせているのだろうが、今年に限ってはそれがなかった。その原因が分かっている木戸天都は制服に着替えてリビングへと向かう。父である周人はもう出かけたようでそこにはおらず、朝食の準備をしている母親の由衣がにこやかに朝の挨拶をしてきた。洗面所には既に朝食を終えた天音がこもっている状態なために先に朝食を取るべく席に着く。程よく焼けた食パンとアイスコーヒーを前に、天都は向かい側に座る天海に微笑みかけた。
「そっか、みーくんも今日からだっけな」
「うん!」
元気にそう言う天海が小さく切られた食パンにかじりつく。天都もそうしながら朝の情報番組に目を向けていた。他愛のないニュースが流れている。先日学校で起こった事件など全く報道されていない。さすがに規制せざるを得なかったのだろうが、それはそれで助かっている天都はコーヒーを飲みながらぼんやりとテレビを見つめていた。
「今日は全校集会で終わるはずよ」
先日の緊急保護者会に出席していた由衣がそう言い、天都は曖昧な返事をするだけだ。興味が無い、そんな感じに由衣は苦笑し、ようやく洗面所から戻ってきた天音を見やった。珍しく髪形いじったようで前髪を流すようにしている。短い髪もふんわり感を出すようにした天音に微笑みながら、由衣は天海の横に座ってテレビに目をやった。
「全校集会かぁ・・・ずっと立ったままだとしんどいんだよね」
陸上部のエースの台詞ではないなと思う天都だが、それはそれで同意する。
「大丈夫だと思うよ。保護者会の時の椅子をそのまま使うと思う。結構長くなりそうだしね」
「それならいいけど、体育館は暑いんだよねぇ」
うんざりしたような天音がソファに座り、足を組んでテレビを見つめた。気になるのはその集会だけではない。確かに集会で学校側が何を言うのか、どういう対応をしたのかも気になる。だが、天音が一番気になっているのは下村明斗の動向だった。メールをしても電話をしても応答はなく、完全に音信不通の状態だった。彼は木戸百零のクローンであり、もしかしたら政府の手によって拘束、監禁されて、最悪は処分されているのではないかと危惧したが、周人によればそれはないらしい。天音がクローンは2人だけだと証言したことと、彼に関するデータや資料は破棄されている上に『プロト・ワン』自体が破棄処分されていると記録に残っているために下村明斗に何の処分も罰則も課せられないらしかった。天音にとってもショックの大きいことだらけだったものの、それが聞けただけで随分と気が楽になっている。なのに何の連絡も取れないせいかイライラは募っており、今日会った際には蹴りの一発でも喰らわせてやろうと息巻いていた。その割にはいつもと違うおしゃれをしている矛盾さに気付いていなかったが。朝食を終えた天都が食器を運び、そのまま洗面所へと向かう。そんな天都をチラッと見つつ、どこか心配そうな顔をする天音に気付いた由衣はテーブルの上のパンのこぼれカスを掃除しながら天海にジュースを飲ませた。
「大丈夫よ、天都はもう自分をしっかり持ってるから」
その言葉に振り返り、天音は自分を見つめる由衣を見やった。さすが母親だと思う。
「でも、きっと・・・・」
傷つく、そう言おうとした言葉を飲みこんだ。誰のためでもない、ただあの場にいた全員を救おうと戦っただけだ。その結果、友達の多くから恐怖の目で見られたのだ。七星などは天都を拒絶した。それでも天都は納得して今に至っている。きっとあの時、三葉がいなければ天都は大きな傷を心に負っていたはずだ。自分では傷とは気付かない、それでも確かな傷を。
「1人でも天都を理解してくれる人がいる。それだけであの子は救われる。だからまた戦えるんだと思う。かつて父さんがそうだったようにね」
テーブルを拭いて天海を洗面所に連れて行きながらそう言った由衣を見て、それから天音は腕組みをして考え込んだ。周人もまたそうだったのだろう。自分の復讐のために全てを捨てて喧嘩に明け暮れ、そこで生涯の友を得た。そして由衣に出会い、そんな自分を理解して抱擁してくれた存在に感謝と愛情を注いだのだから。つまり、天都にとって三葉がそうなのだろう。天都は三葉が天然だからと言っていた。だからといってそれだけであの言葉を口にして、そして天都を癒した三葉を天然とは思えない。心の底から天都の全てを理解して抱擁したのだと思う。ならば自分はどうなのだろう。明斗の全てを理解して、そしてそれでも彼を認めて包み込むことが出来るのだろうか。彼の苦悩を癒して、そして共に進む勇気があるのだろうか。
「わかんないや・・・」
呟くそれが答えだ。だから今日、明斗に会って自分がどう思うか、感じるかを知りたかった。彼を好きなままでいられるのか、それを知りたいと思うのだった。
*
今日は進とも会わず、2人で登校となった。駅に着いても電車に乗っても知った顔に会わないのはどういうことだろう。何故か不安に襲われる天音と違い、天都は普段通りでスマートフォンをいじっていた。焦りも不安もない、そんな天都を凄いと思う。覚醒し、達観したのだろうか。それとも、自分の全てを受け入れたらこうなるものなのだろうか。そうしていると電車が駅に到着し、制服姿の男女が一斉に降りていく。やはりあの時の面々に会うことなく改札をくぐり、学校への道を進んだ。部活のメンバーと会い、話をする天音を前に見つつ、天都がぼんやりとしながら歩いている時だった。
「おはようございます!」
横に並んで元気にそう挨拶をしてきた三葉に微笑みを返した。
「おはよう。久しぶり」
「たった3日ですけどね」
そう言って微笑む三葉の頬を見てしまう。もう腫れもなく、可愛い顔はそのままだった。
「大丈夫ですよ、もう」
三葉は天都の視線を受けてそう笑う。天都は苦笑し、それから前を向いた。今日も暑い日差しがじりじりと照りつけている。
「メイたちと色々やり取りしたんですけど・・・なんか、いろいろ変でした」
「ああ、なんか催眠療法とかで記憶を改ざんしたそうだね・・・ショックが大きすぎたのもあるし」
「そんなこと、出来るんですね」
「人が空に浮かぶんだ、なんでもありだよ」
「そうですね」
笑う三葉に癒される。全てを受け入れているのは三葉も同じらしい。自分に気を遣っているわけでもない、まさに天然なのかもしれなかった。そのまま2人は話をしながら登校をした。昇降口で別れはしたものの、楽しい時間だったと思う。だから尚のことちゃんとしたいと思う。今の自分の気持ちを、三葉の想いを。
「おっす!」
既に教室にいた進が教室に入るなりすぐに近づいてきた。
「おはよう。早いね」
「まぁ、ちょっと、な」
歯切れの悪い言葉に何かを感じつつ、天都は自分の席に鞄を置いた。時雄はいつもの通りまだ来ていない。椅子に座る天都を見つつ、進は天都の机の上に座り込んだ。
「何があったのさ?」
そう尋ねる天都に苦笑を漏らし、進は困った顔をしながら教室を見渡した。女子たちが何かを話している程度で、自分たちに興味を向けていないのがわかる。あの事件があったわりにあっさりしている、そう感じる天都がこれもまた何かの能力の結果かと勘繰った。
「携帯を使った暗示、みたいなのを使ったらしい・・・そうまでして隠ぺいしたいんだろうな」
そんな天都の思考を読んだかのようにそう言う進の言葉に納得できた。
「だろうね・・・」
これが2度目、だからだろう。政府は今も対応に追われているはずだ。2度に渡る木戸百零の反乱は政府にとっても汚点であり、そして公には決してできない事柄なのだから。少しでも情報が漏れることは阻止するべき、だからなりふり構っていられないのだろう。
「で、そっちはどうなの?」
不意に天都がそう言い、進はますます困った顔をする。勿論、それが大崎心のことだと理解しているからだ。
「それはまぁ、後でな」
言い難いことなのは分かる天都は黙ったまま頷いた。その後も小声で事件のこと話していると、ここでようやく時雄が登校してきた。いつもと変わりのない様子で。
「よぉ、お二人さん!」
「おはよう、元気そうだね」
そう言って笑う天都を見た時雄が一瞬体をビクつかせる。なんでもない笑顔なのに、それが怖いと感じるのは何故か。だが天都は笑みをそのままに、進だけが怪訝な顔をしていた。
「どうした?」
「え?別に?」
そう言う時雄はいつも通りの時雄だ。不審に思う進だが、天都には理解できていた。いかに記憶を改ざんしようとも、心の奥に根付いた恐怖はそう簡単に払拭できるものではない。あの日、時雄は天都に恐怖した。その恐怖が今の笑みを見て一瞬だけ呼び覚まされたのだろう。だが、天都は気にしない。
「山下さんとは仲良くやってんの?」
普段通りの自分でいられる。時雄に恐怖を与えた自分もまた確かに自分なのだから。記憶が呼び覚まされて自分から離れても構わない、そういう決意があるからこその態度なのだった。
「あったりまえ!」
ケラケラ笑ってそう言う時雄を見て、顔を見合わせた2人が苦笑した。相変わらずで何よりだと思う。そうしていると始業式のために体育館に集まるよう放送が流れる。3人は揃って体育館に向かい、そうして中に入ってクラスごとに区分けされて並ぶ椅子に腰かけた。由衣の言うとおり中は保護者会の時のままで、椅子の配置を少しいじっただけのようだ。クラスさえまとまっていれば席は自由なようで、天都と進が前後に座る。位置的に天音や七星は見えないものの、明斗がいないことに気付いた。そういえばここ最近はメールも返事が無い。自分のことばかりで精一杯だったのもあるが、今更ながらにそれに気づいた自分が情けなかった。
「明斗、来てないよね?」
「ああ、そういえば、そうだなぁ」
進も気付いていなかったようで、きょろきょろしながらそう言った。一方で、天音もまた明斗がいないことに気付いていた。てっきり来ていると思っていただけにこれはショックだった。やはり何かあったのではないかと思い、今日、家に押しかける決意を固めていた。会って直接話がしたい。その結果がどうであれ、自分の気持ちや想いをぶつけたかった。そうしていると教壇の前に教頭先生が立った。全員が起立し、礼をする。そして、まずは先日の事件のことが説明されていった。メールやSNSで詳細は知れ渡っているはずなのに、みんながみんなその説明を受け入れている様はどこか滑稽だ。教頭の説明はこうだった。何者かが学校に管理されている生徒のアドレスの一部をハッキングして学校に呼び出し、犯罪行為を行おうとしたものの、ちょうど宿直だった自分がそれに気づいて警察に通報し、生徒たちは無事だったというものだ。そこには何の事実もない。あるのは、アカウントを乗っ取られて天都たちを呼び出すメールを送信して犯罪行為を行おうとしたという点だけだった。そして当事者である七星や時雄もまたその説明に納得している。ここにいて真実を知っているのは天都と天音、進、そして三葉だけのようだった。里奈もメロディも、みんなギリギリで危なったんだからと話して笑っていたその異常さに三葉は背筋が冷たくなるのを感じていた。メールや電話でそういう話はしていたものの、今日、実際に会ってそう聞けば違和感しか残らない。あの時の恐怖を覚えていないなど、それはそれで恐ろしいものがあった。そして説明を終えた教頭に替わって今度は校長先生が教壇の前に立った。全員が起立して礼をし、着席するのを見た校長は咳払いを1つしてから生徒たちの方を向いた。挨拶としては事件のことを遺憾に思うということ、そしていつもの新学期の挨拶だ。だが、驚きはその挨拶の後でやってきた。
「新学期という節目なのですが、誠に残念ながら2人の先生が諸事情により学校を去ることになりした」
そう説明した校長の言葉を聞いた天都が振り返れば、進が肩をすくめてみせる。その仕草で心の事を悟った天都は前を向き、そんな2人を見ていた天音も全てを察したようだった。
「まず、品川先生が今回のアカウント流出の責任を取って辞職されました」
その言葉に騒然となる。何も聞かされていなかった天都たちもただ困惑し、天音もまた驚きを隠せなかった。事件以来部活は中止となっていたものの、そんな事になっていたとは思ってもみなかったからだ。
「勿論、故意ではなく、管理者だったということで責任を感じて辞職願を届け出、こちらとしても留意したのですがその意志は固く、誠に残念ながらそれを受理しました」
苦々しい顔をする天都とは違い、進はそこにきな臭さを感じずにはいられない。あの避暑地で会った品川の様子は進の心のどこかに引っかかりを与えていたからだ。もしかしたら天空か左右千が絡んでいたのかもしれないと睨み、独自に調査しようかと思ったが相手が相手だけに思い留まるしかない。それに、自分にはまだやるべきことが多々残っているのだから。
「そして、もう1人、大崎先生もまた、健康上の問題から退職されました」
立て続けのことにまたも騒然となり、周囲にいた教師たちが静かにしろと大声を上げるが動揺は大きく、なかなか静まらなかった。何度も怒鳴られ、ようやく静かになったのを確認してから、校長はその詳細について口を開く。
「実は夏休み前から体調不良を訴えておったのですが、主治医と相談した結果、病気の原因として精神的な要因が大きいと診断され、退職となりました」
嘘だ、そう思う天音は生徒と恋愛関係にあることを知った学校側が事件をきっかけに心を切り捨てに掛かったのだ判断した。どのみち、あの時の心の精神状態はかなり危険な状態であったのは間違いない。だからといってこれはどうかと進を見れば、何気なしに目が合った。その進がかすかに微笑む。大丈夫だと言わんばかりの目に疑問を表情で作るが、進は笑みを濃くするだけだ。これまた後で詳しく聞こうと前を向き、事件をきっかけに色々波紋を呼んでいる現実に困惑するしかなかった。
「非常に残念であり、病床にある大崎先生もお別れの挨拶すら出来ないことを申し訳なく思いますとの言葉を残されています」
「よく言う」
本当に小さくそう呟いた進の言葉を聞き、何となしに真相を掴んだ天都もまた苦笑を漏らした。おそらくは学校側の隠ぺい工作の1つなのだと。
「品川先生の後任は、当面、田中先生が代行し、陸上部の顧問は後日発表します。それと、大崎先生の後任ですが、本日発表したいと思います。夏休みを挟んだことが幸運でした」
「え?」
その進の言葉に天都が思わず振り返る。さすがの進もこれは寝耳に水だ。心が辞職するよう勧告されたのは一昨日なのだ。事件に関わっていたとされる品川が逮捕拘束された際に、生徒に恋愛感情を抱いていた上に精神不安定となった心も切り捨てようと動いたのは事件の翌日なのだ。そう簡単に次の教師が決まるものなのだろうか。品川のように誰か代理を立てるはずだと思っていた矢先の出来事に、進はもう訳がわからなくなっていた。もしかしたらもうずっと前から学校側は自分たちのことに気付いていたのかと思う。だが、そうではないと気付いたのは新任の先生が紹介された時だった。舞台の裏側にいたのか、壇上に上がるその人物を見てどよめきが巻き起こった。大半の生徒はその容姿に見とれたからだろう。だが、一部の生徒たちの反応はただ驚いているだけだ。金色の髪にすらっとした鼻立ち。ぴちっとしたスーツの上から自己主張をする大きな胸。何より美しい顔をした美女が教壇の横に立った。
「嘘だろ・・・」
「なんで?」
進と天都がそう呟き、天音はただ呆然としている。七星も三葉もただ驚くばかりであり、メロディや野乃花たちと視線を交わしていた。
「2年生の英語を担当するウラヌス・キッド先生です。見ての通りの美人であり、またアメリカ人とのクォーターです。ではウラヌス先生、挨拶を・・・」
そう言い、校長とウラヌスが入れ替わった。
「ウラヌス・キッドです。本日からこの学校で英語を教えることになりました。既に一部の生徒さんとは顔馴染みになっていますが、今後ともよろしくお願いします」
流暢とはいえないものの、まともな日本語だ。それは確かにあのウラヌスであり、天都たち祭に行ったグループはただただ困惑するしかない。勿論、事件の際に空中から出現した記憶は七星たちの中からは消えているものの、天都や三葉の記憶にはちゃんと残っている。だからか、ウラヌスは天都を見て小さく微笑んだ。それは初めて見るウラヌスの笑顔でもある。
「どうなってんだ?」
「僕が知るわけないよ」
肩を揺さぶる進にそう返し、ただただ呆然とするしかない天都はこれはこれで大変だと思うしかないのだった。
*
波乱の全校集会が終了し、簡単なホームルームで今日は終了した。帰り支度をする天都はそそくさと帰る時雄に苦笑しつつ、これまた帰り支度をしている進に近づいて行った。
「一緒に帰ろう」
「ああ、話もあるし」
「寄り道してくか?」
「そうだなぁ・・・・・・どうせなら、天音と、あと三葉ちゃんも全部知ってるんだっけか?」
その言葉に頷き、天都は三葉にラインを飛ばした。
「ちょっとぉ!進、あれ、どういうわけよ!」
教室に入って来るなりそう言う天音にみんなが注目するが、その理由は様々だ。男子がざわつく中、進はここで大声を出すなという目をし、天音は腕組みをしてふくれっ面を見せた。天都は三葉からの返事を見て、それを進に告げる。
「瀬尾さんはOKだってさ」
「瀬尾さん?なんなの?」
「まぁ、いろいろ、話をってことになってる・・・全部知ってる者だけ集まって」
小声でそう言う進に納得した顔をし、それから天音は腕組みを解いた。そんな天音を見た進が天音に顔を寄せる。避けるように少々背中を反る天音がいつでも蹴りを放てる準備をした時だった。
「なんか今日、感じが違うなぁ」
しみじみとそういうものの、何が違うのかまではよくわからない。そんな進の傍にやって来たのは七星だった。教室をきょろきょろとし、それから3人の横に立った。
「下村君は休みなの?」
「そうみたいね」
素っ気なくそう言う天音はどこか不機嫌そうだ。そんな天音を見て苦笑し、それから天都は七星を見やった。思っていたよりも元気そうだ。
「あれから連絡つかないんだよ」
そう言う天都を見る七星は普通だ。変なところもなく、記憶の改ざんによってあの日の天都のことも知らないでいる。だが、そんな天都が笑みを浮かべた時だった。机を揺らすほど後ずさった七星が怯えた目を見せた。
「ど、どうしたのよ?」
驚く天音に我に返ったのか、七星はハッとなって周囲を見渡す。進も天都もびっくりしたような顔をして自分を見ていたせいか、顔を赤くして俯く感じになった。
「な、なんでもないよ・・・なんか急に、びっくりした感じで・・・」
自分でも何が何だかわからない風な七星を見た進と天音が顔を見合わせた。天都は普通にそんな2人を見ているのみ。どうやら深層心理にある天都への恐怖が一瞬蘇ったのだろう。いくら記憶を改ざんして精神を安定させたとはいえ、人質に取られた恐怖や天都への恐怖は心の奥底に滞留しているのだから。
「あ、そうそう。あとで下村の家教えて」
「なんで?」
「・・・・部活の事で、ちょっとね」
嘘だとわかるその言葉だが、天都も進も納得した顔を見せた。
「下村君、部活辞めたのに?」
「まぁ、色々ね・・・顧問がああなったわけだしさ」
「あぁ、そっか」
その理由に納得した七星にホッとしつつ、天音はジロジロと自分を見やる男子たちを威嚇するように見渡す。今日に限って何なんだと思うが、いつもと違う髪形のせいか、その美少女っぷりが鮮明になったためだとは思わない。元々美少女の部類に入る天音だが、その短めの髪やおしゃれの類を全くしないことから七星などに比べて見劣りしていた。それなのに今日はふんわりした髪に前髪もいつもと違う。それにピンクのリップまで塗っているために印象ががらりと変わったのだ。欠席していたとはいえ今日は明斗に会うから、そんな理由を知らない男子たちが騒ぐ中で天音は大きくため息をついた。
「そろそろ行かないと」
時計を見て進がそう言い、天都も頷く。
「どこかに行くの?」
あの祭の日以来の気まずさがあるはずなのにそれを見せない七星にどこかホッとしつつ、天都は精神を落ち着ける処置による意外な副作用に感謝をしていた。どうやら精神を安定させたことによって七星の中で整理がついてしまっているようだった。実際に七星にとって天都を振ったという事実はあれど、もうお互いに吹っ切れているといった印象を持っているのだ。
「ああ。この後、瀬尾さんと一緒に帰るんだよ」
「あ・・・・そう、なんだ・・・」
何故か心に何かが引っかかるが、それが何かまではわからない。一瞬だけグラウンドで抱きしめあう天都と三葉を思い出した気がしたが、それはすぐに泡となって消える。記憶の処置は完璧だった。
「じゃぁ、七星、また明日ね」
「うん、ばいばい」
素直にそう言い、七星は廊下に出たところで中原南と笠松紅葉に出会う。3人はウラヌスのことを話しながら昇降口へと向かい、それを前に見ながら天都たちも階段を下りて行く。既に待っていた三葉と合流した3人は一緒に駅まで向かった。
「腫れ、引いてよかったね」
「はい」
元気にそう返事をする三葉をしげしげと見つめる天音だが、逆に三葉が天音の顔に自分の顔を近づけた。
「髪形、違いますよね?リップも?」
「あー、うん・・・・夏も終わって、気分転換」
さすがに気づいたかと思う天音の横では驚いた顔をしている進がいる。そんな進をじろっと見やり、天音は大きくため息をついた。
「気づかないなんて・・・鈍い男は嫌われるぞ」
「・・・意外すぎる」
以前の進であればドキドキしたし、すぐに気づいただろう。だが今の進にそんな余裕もない。
「似合ってます。やっぱり天音先輩は美人ですね」
「まぁね!」
得意げにそう言う天音に閉口する進、苦笑する天都、そしてにこやかに笑う三葉。そんな三葉も何か今日は少し違う印象を受けたが、天音は会った時からそれに気づいている。だからこそ天都にそれを質問して見せた。
「瀬尾さんも今日は感じが違うよね?天都はそれに気づいてる?」
その言葉に三葉もまた興味深げに天都を見やった。
「髪止めだろ?前髪っていうか、横の髪を止めてる」
驚く顔をする天音を疲れた顔で見やる天都、それを照れた顔をして見つめる三葉。進はそんな3人を見て小さな笑みを浮かべた。そのままわいわいと話をしながら駅に向かう。だが電車には乗らずに駅を通り過ぎて10分ほど歩いたところにあるケーキ屋に入った。ここは進が以前に心と来た店で、三葉もよく知る隠れた名店でもあった。ケーキを前に瞳を輝かす天音と三葉を見つつ天都と進は先に席を確保してから注文に戻ってきた。各々がケーキと飲み物を注文し、席に着く。話よりも食い気な女子2人が早速ケーキにぱくつき、そして感想を言い合った。
「甘味がちょっと濃いかな」
「でもフルーツがそれを緩和してるような感じですね」
「美味しい・・・けど、瀬尾店の方が私は好みかな」
「光栄です」
なんだかんだ言いながらケーキがあっという間に半分になった。男子2人はまだ一口目だというのに。
「あのさ、話いいか?」
そう切り出す進を見た2人が頷き、天都もまた目で同じように告げる。
「大崎先生のことだ」
そう前置きし、進はあれからのことを話し始めた。ショックが大きすぎた心に精神安定の処置はかなり難しく、それこそ脳に障害が残る恐れがあるとしてそれは見送られた。進にかなり依存していることもあって、進が近くにいる限り心の精神はまだ安定していると思えた医者はそのまま進に依存させる方法を取ったのだ。学校からの聴取も進が付き添い、付き合っている事実も正直に述べた上でその処分を待つことになったそうだ。その後は佐々木家に居候し、天然でのほほんとしたミカと一緒に家事にいそしんでいた心はかなり回復しているという。ただ、夜になると不安になるせいか時々泣き叫ぶこともあったものの、そこは哲生と翔の『気』の力ですぐさま落ち着かせているのだった。結局、精神不安定という理由で辞表を出し、生徒と付き合っていたという事実を隠ぺいするにも絶好の機会だとして学校側もそれを受理していたのだ。もっとも、その後任がウラヌスだとは思いもよらなかったが。
「じゃぁ、しばらくは進の家に?」
「あと半年ほどはそうしたほうがいいって医者がな。うちは広いし、まぁ、ケアも出来る。親父は喜んでるし、母さんもなんだかんだで嬉しそうだ」
「そっか」
「でも、先生と付き合っていたなんてビックリです」
「まぁ、いろいろあったんだよ」
三葉にそう言い、進はそうなった馴れ初めを話して聞かせた。見知らぬ連中に拉致されそうになったところを助けたこと。そしてそのトラウマを拭い去ろうとしたことでお互いにそういう意識を持った。だから付き合い始め、今に至っている。
「で、先生、これからどうするの?」
「働きたいって言ってるけど、無理はさせられないからなぁ・・・でも、由衣のおばさんが当てがあるって言ってたみたいだな」
「母さんが?」
そう言い、顔を見合すが何も聞かされていない。そういう面では口が堅い由衣を思い出し、2人は同時に渋い顔をしてみせた。
「そのまま結婚かな、こりゃ」
ストローを咥えたままそう言う天音に苦笑し、進はそうだなと口にする。そこまで考えているのかと驚く三葉と天都が顔を見合わせるが、天音は進を少し見直していた。
「で、お前らはどうすんの?」
ごく自然に並んで座っている天都と三葉を見た進の言葉に顔を見合わせるが、お互いに苦笑しか出なかった。あの戦いで見せた2人の行動、気持ちは周囲の者にも伝わっている。もっとも、ここにいる天音と進以外の記憶は改ざんされて消えてしまっているが。
「別にどうも・・・」
「友達ですよ?」
「あ、そう」
ごく当たり前のようにそう言われればそう返事をするしかない。そんな2人を見つめる天音は小さいながらも嬉しそうな笑みを浮かべていた。今はそれでいいと思う。けれど、きっとこの2人にはお互いが必要だと思う。天都には三葉が、三葉には天都が。
「しかし学生結婚かぁ・・・・10代でパパとはねぇ」
しみじみとそう言う天音に目を細めた進が睨むようにする。
「いやいや、ないわ、さすがに」
「えー、先生かわいそー」
「いや、10代でって話だよ!」
「なんだ遊びかぁ・・・・マジかわいそー」
「話聞いてんのか?」
いつもの言い合いが始まる。天都と三葉は顔を見合わせて笑った。この関係が心地いい、そう思う。そう、ただそれだけだ。この週末に2人で出かける予定になっているが、そこで2人はちゃんと向き合おうとお互いに思っていた。そう、それぞれが違う答えを出す、そうとは知らずに。




