オリジナルスマイル 2
突然現れた天空に驚きを隠せない明斗は今の状況を把握できずにいた。誰にも知らせないといったはずなのに、そう思う明斗はふとさっきの左右千の言葉を思い出した。今の今まで左右千は明斗をプロト・ワンだと認識していなかった。つまり、これらは全て偶然なのだろう。
「生きてたのは意外だよ、兄弟・・・てっきり左右千に殺されたと思ってた」
自分を見つめる明斗にそう言う天空はフラフラと立ち上がる進の方に目をやった。
「今の事態を説明してやりたいが、時間が無い」
なんとか身を起こそうとする天音を一瞥し、ため息をついた。
「下村明斗もまた木戸百零のクローンだよ。もっとも、ヤツの細胞から生み出された精子と、研究員の女の卵子とを組み合わせているから息子に近い感じかな」
一番知られたくない内容を一番知られたくない人に暴露された。歯がゆさだけが残るが、身体が動こうとしない。無気力に近い状態になっていたからだ。驚いた目を向ける天音を見れず、明斗はうなだれたまま身を震わせていた。
「俺はその試作品だ。欠陥品でね、そいつや左右千とは違って寿命も短い。だから、やるべきことはさっさとするさ」
そう言って天音の首に手を伸ばした時だった。その手を下から蹴りあげる者がいる。咄嗟に手を引いてそれをやり過ごした天空は息も荒い進へと顔を向け、うんざりした表情を浮かべた。
「『気』も使えない凡人が俺に敵うわけないよ」
薄ら笑いを浮かべた天空がわざとらしく構えを取る。進も立ち上がって構えを取るも、大きく肩で息をしていた。左右千から受けたダメージが残りすぎている。それでも進は前に出て天空のシャツを掴みにかかるが軽く避けられてしまった。そのまま反撃の蹴りをなんとか受け止めるが、掴むことができない。満足に体が動かせないため、掴んでからの投げ技に賭けていることを見抜かれていたのだ。
「木戸天音と間に子供を作って血を1つにする・・・お前の中にもそんな欲望があるんだろうけど、それ、なくなるよ・・・この女は殺す。木戸の血なんか滅びればいい」
明斗に向かってそう言い、天空は天音を見やった。天音はそんな視線を受けている自覚もなくただ呆然と明斗を見つめていた。ショックが大きいのか、お互いに動かない。そんな2人を見てやれやれと思う天空は再びタックルしてきた進の顎を蹴りあげた。血と唾を吐きながら倒れこむ進の背中を踏みつける天空はグリグリと靴で背中を踏みにじる。痛みで叫びそうになるがそれを堪え、自分の中の『気』を込めるがやはり全く反応しなかった。死に瀕しているというのにこのざまだ。死を意識しろといった兄の言葉を思い出し、その言葉を呪う。結局、自分にはそういう才能がなかったのだ。童顔といい、母親に似たのだろう。絶望が全身を覆ったその時だった。悲壮な声がこだまする。
「進っ!」
その声に天音が、明斗が、そして天空がそっちを見やる。そこにいたのは心だ。顔を真っ青にし、足がガクガクと震えながら絶叫していた。
「せ、センセ・・・・」
「進!」
名前で呼んでいることなど気にならない。天音はなんとか上体を起こすが、立ち上がることまでは出来ない。
「教師か」
半笑いで呟く天空が怯える心をねめつける。その気迫に押されたせいか、心はよろめきながら校門横の壁にもたれかかるようにした。天空は進の背中を踏んでいた足を前に踏み出して心に向かった。進はその足首を掴もうとするがすり抜けられてしまい空を切る。
「とりあえず、ここにいる全員は死んでもらう。まずはあんたからだ、楽しめそうもないしな」
ゆっくり近づく天空に失禁しそうになる心がヘナヘナと崩れ落ちるが、天音ももう動けずにどうすることも出来ない。
「さよなら」
にっこり笑って心の首を掴もうと手を伸ばした時だった。その手首が掴まれる。ぎょっとした顔をそっちに向ければ、鬼の形相をした進がそこにいた。
「あれ?意外に動ける?」
余裕の軽口を吐く天空は自分の腕を掴んでいる進の手首を掴むとそこに力を込めた。木戸無双流だけのオリジナル技『穿』で進の手首を粉砕しようとしたのだが、どう力を込めてもそれが出来ない。驚く天空が暴れるように進の腕から流れようとするがビクともしない。ありえない、そう思った時だった。
「心は殺させない・・・たとえ俺が死のうとも」
「じゃぁ死ねよ」
そう言い、手首は諦めて首を掴みに行った時だった。不意に体が空中に舞う。一瞬で投げ技を放つ進に驚愕しながらも空中で身を捻って着地を決め、そのまま進の腹部に蹴りを見舞った。だが、その感触はおかしい。まるで鉄板でも蹴りつけたような衝撃に戸惑い、大きく後ずさった。そのまますっと構えを取る。
「死なねぇよ、物の例えだ」
そう呟いて構えを取る進の両手が淡く金色に輝いている。驚くのは天音もであり、それは翔が『気』を全開にした時に現れる現象と同じであったからだ。『気』が使えないはずの進がそれを行っている。奇跡としか言いようがなかった。
「死をイメージした。俺じゃなく、心の、俺の大切な人の・・・・これが足りなかったんだ」
進は理解した。強くなること、『気』を使おうとすることだけを追い詰めていた。しかしそれでは『気』は発動しない。『気』は体内に宿る命の力。『気』は自分以外の生命の息吹を取り込む力。その教えの意味を今ようやく理解できた。心の死をイメージした時、生きる力が糧となった。『気』は目覚めたのではない。その使い方をようやく理解しただけのことだ。内部に働く強大な『気』が進のダメージを緩和している。そして外部に働く『気』を自分の拳に込めて力に変える。それはあの翔でさえ出来ない2つの力を同時に具現化した使い方である。
「なるほど」
そう言い、天空から笑みが消えた。進を強いと認識したからだ。
「お前を倒して左右千を追う!」
「出来るか?小僧がっ!」
吠える天空が間合いを詰めた。そのまま空中に躍り出て回り蹴りを見舞う。だが、進は木戸の技は知り尽くしている。天音や天都と何度となく戦った経験が生きていた。だからそれを掴む。『気』を込めたその手は硬度も反応も常人を超える。だから、掴んだ瞬間に自分の方に引き寄せた。天空は連続の空中回し蹴り技である『螺旋』を封じられ、舌打ちしてもう片方の足で蹴りを放つ。だがバランスが崩れきった蹴りは難なく避けられてしまい、逆にその足まで掴まれてしまった。進は強引に両脚を持ったまま投げを放ちにかかった。上半身のバネだけでどうにか体を叩きつけられるのを回避した天空は両手を地面について足をバタつかせて進の手から逃れると、一旦間合いを置いてすぐにそれを詰める。蹴りと拳を織り交ぜた猛攻を見せるものの、『気』に目覚めた進はそれを気硬化させた四肢でブロックしていくのみ。蹴った方が痛みを感じるほどのその防御に天空は一気に勝負を賭ける。長引くと不利だ、そう本能的に悟った結果だった。ぐっと両足を踏ん張り、両手を進の脇腹に添えた時だった。強烈な頭突きによろめき、手に力を込めるのが一瞬遅れる。その一瞬が命取りとなった。瞬時のその両手を取られた後、それを交差させながら進が背中を向けて自分の体をその背中に乗せた。投げられる、そう感じた天空が自ら地面を蹴って投げられるタイミングをずらした時だった。進もまた地面を蹴りつけて空中で真っ逆さまの態勢になり、その状態で天空の足に自分の足を絡めて見せたのだ。完全に動きを封じられた天空の背中が地面に接触する。腕と足を絡められているために受け身も取れない状態だが、それは進も同じだ。自分の上に乗っているとはいえ衝撃はかなりのものになる。だが進は全身に『気』を込めた。同時に天空の手を掴んでいる腕を折り曲げてその肋骨辺りにそれを置く。驚愕する天空は進が笑ったような気配を感じたのを最後に意識を失った。背中からの強烈な衝撃と同時に進の肘が肋骨を砕いたからだ。血反吐を吐き、ピクピクと痙攣する天空を見ずにのっそりと立ち上がった進は大きく肩で息をしながらここでようやく白目を剥いた天空を侮蔑の目で見やった。
「無抵抗の女を殺そうなんざ、男のすることじゃねぇよ」
ポカーンとしたままの天音へと顔を向け、苦笑した進はそのまま心の方に歩いて行く。結局、自分は佐々木進だった。木戸の全てを知り尽くし、木戸を倒すために技を磨いてきた一族の血を改めて意識する。天空もまた木戸だったのだから。腰を抜かしていた心はボロボロと泣きながら自分を抱きしめる進を抱きしめ返した。天音はよろめきながらも立ち上がって明斗を見つめるが、明斗はうなだれたまま動こうともしなかった。
「大丈夫か?」
進は顔だけを動かして天音にそう言う。胸の中で泣きじゃくる心を見て苦笑した天音はガクガクしている足をそのままに腕組みをしてみせた。
「それ、そっくりそのまま言葉返すよ」
「ん?」
意味がわからないとばかりの顔をする。『気』の力のおかげか、天空や左右千から受けたダメージはかなり回復していた。痛みももうほとんどない。ただ、戦闘能力はかなり失われていたが。
「大崎先生と付き合ってたんだ?」
「・・・・・・ああ、そっち、ね」
確かに大丈夫ではないと思う。だが、それでもかまわない。今は。
「ま、黙っててあげるよ・・・・それよりもあいつを追わないと」
「だな。先生は警察に連絡を」
そう言い、立ち上がった時だった。がっしりと自分を掴んだ心はふるふると怯えた顔を横に振った。以前のこともあるせいか、心の精神状態はかなり危険な状態だと推測される。拉致されかけた際の記憶が鮮明に蘇ったこともあっての恐怖心が心の体を蝕んでいるのだ。
「傍にいて・・・」
「・・・・しゃーねぇか」
やはりこうなったかと思いながらそう言い、スマホを取り出そうとポケットに手をやったときだった。
「俺が通報しておく・・・だから行ってくれ」
顔を上げた明斗を心配そうに見る天音に頷き、明斗はのそのそした動きでスマホを取り出す。言いたいこと、聞きたいことは山ほどあるが、今は緊急事態なのだ。天音は決意をした。
「ごめん、任せた」
「ああ」
そうとだけ言い、心を抱きかかえた進と共に天音は左右千を追って校門をくぐった。それを見届け、明斗はまず父親の燐に電話をして事情を説明し、すぐにウラヌスとコンタクトを取るように告げた。その後で警察に連絡を入れる。事情は説明したが、どうも反応が鈍い警察がどこまで当てにできるかと思う明斗はそのまま壁にもたれるようにする。自分のことを天音に知られたショックは大きい。そして左右千を見てはっきりと自覚した。自分もあいつと同じなのだと、人殺しの冷酷な血が流れているのだということを。だから明斗は泣いた。右手で顔を覆い、声を殺して泣いた。いつか自分も殺意を抱くのだろう。いや抱いていた自分を思い出す。いつか自分は天音を殺すのだろう。だからもう傍にはいられない。だから泣いた、今度は声を出して。
*
心が天都たちを見かけて校舎内を走っていた時にそれに気づいた。不審者がそっちに近づている。焦った心はまず進に知らせようと校門に向かった。その不審者である左右千はグラウンド脇の舗装された通路に立っている集団の中に天都を見つけて笑った。まずは叩きのめし、そこにいる人間を順番に殺して絶望させてから殺せばいい。そしてその死体を天音に見せつけながら進と明斗を抹殺すればいいのだ。そう、木戸の継承者を抹殺する、それを無意識的に優先していた。それもまた血のせいなのだろう。それはまた天都も同じだ。殺気をまとう気配を感じた、それだけではない何かを感じてそっちを向いた。嫌な予感が膨れ上がり、全員にグラウンドに入るよう告げた。不審者を見た面々が怯えながらもその指示に従ったのは、その不審者から溢れ出る圧倒的な恐怖からだろう。グラウンドならば逃げやすい、そう思う天都が全員をかばうようにして立つ。不審者はゆっくりとグラウンドに侵入し、そして天都の数メートル手前で立ち止まった。殺気、闘気、鬼気を合わせたような『気』を放つその長髪の男が不敵な笑みを浮かべている。強い、それだけでそれが理解できるほどに。
「木戸天都、木戸無明流の継承者、か」
男はそう言い、品定めするように天都を見据えた。凡人、それが評価であり、データの中の評価とも一致する。確かに何かを感じるが、それでも自分よりはかなり劣るだろう。
「まだ継承していないけどね」
全身に立つ鳥肌を我慢しながらそう言う天都は自分の後ろで身を寄せ合っている女子をかばうようにした。
「木戸天音はお前が俺よりも強いと言ったが・・・はったりか?」
自分に対して明らかに怯えている天都を見つつそう質問を投げた左右千は少しがっかりしている自分を嗤った。何をどう期待していたのだろうか。この凡人が強いと本気で思っていたのか。
「で、あんたは?」
勇気を振りしぼってそう聞いたが、震えが止まらない。
「木戸無双流の継承者」
その言葉に驚愕する。木戸無双流はもう何年も前に途絶えたはずだ。驚く天都の顔を見た左右千は醜悪な笑みを浮かべて腕組みをした。同じようだった天音の言葉と反応を思い出し、それから自己紹介を行う。
「俺は木戸百零であり、木戸左右千でもある・・・木戸無双流の怨念の塊といったところか」
「怨念?それに百零って・・・・」
無双流が途絶える元になった継承者の名前に驚愕が濃くなる。行方不明だとは聞いていたが、生きていたのだろうか。それにしても木戸左右千とはどういう意味だろう。
「政府の関係者は『ゴッド』と呼んでいるがね」
「『ゴッド』?」
まるで話に聞かされた『キング』のようだと思う天都はここでようやく理解できた。この男は政府の手の者なのだと。つまり、かつて『ゼロ』と呼ばれた人間なのだろう。
「お前を殺し、そこにいる者どもも殺す。お前の父も弟も、友人も・・・・妹だけは生かしてやる。あれには俺の子を産んでもらわねばならんからな」
「子供?」
「2つに分かれた木戸の血は、250年以上の年月を超えて1つになる」
「1つに?」
「残るのは木戸無双流・・・俺だけでいい」
そう言い、左右千が腕組みを解いて2、3歩進んだ。天都は構えを取るものの、その実力の差に逃げ出したくなるのを堪えるのに必死だった。そんな天都を見て笑みを消し、失望した表情を浮かべた左右千が瞬時に間合いを詰めた。繰り出される蹴りが腹部を狙うが、天都はそれを半身になって交わしながら肘打ちを放つ。思った以上の動きに舌打ちした左右千もまた体を回転させてそれをよけながら大きく一歩を踏み出した。そのまま回転を利用して背中から前に、横殴りの拳を天都目がけて繰り出した。絶妙のタイミングで繰り出した宗家を倒すための裏の奥義、『豪天龍昇・稲綱』が決まったと思った矢先、その拳が空を切り裂く。音を鳴らして空振りしたその手首を掴んだ天都がぐっと自分の方に引き寄せようとしたが、踏ん張った左右千は動かない。常人ならば引き寄せられ、その反動を利用した肘打ちを喰らっていただろう。だが左右千は超人である。その力も、反射神経も人の3倍なのだ。天都はすぐに手を離して間合いを取った。その攻防を見ていた七星たちは普段の天都にはないその動きに驚愕するしかない。
「先輩・・・・あんなこと出来たんだ?」
震える声を出すメロディとは違い、三葉は冷静に頷く。自分を助けてくれた時よりも早い動きに驚いていたものの、メロディたちの驚きよりはかなり少ないものだった。だが、それ以上に驚いているのは左右千だ。すぐに勝負を決めようと繰り出したのは通常の技から連携して放てる奥義『豪龍天昇・稲綱』であった。破壊力も最大級であり、避けることなどできない絶妙のタイミングだったはずのそれを躱した。それは驚愕に値する。天音の言うとおり、こいつの中の何かが目覚めれば少しは楽しめるかもしれない、そう思う左右千が笑う。天都は緊張を解かずに構えを取り、その動きに注目していた。動きも早く、もはや勘と反射神経に頼ってさっきの技は回避できた。だが、2度出来るかと言えばそうではない。実力差は明白なのだから。その時、左右千が動く、タックルするように猛スピードで迫るその両手を無視してタイミングを合わせた肘を脳天に叩き込む、はずだった。寸前で左右千が自分の肩に手を置いてそのまま空中に舞い上がる。しまったと思う天都が即座にオーバーヘッドキックを放つが左右千はもうそこにはいなかった。反撃もない。あわてて振り向いた天都が見たものは右腕で七星の首を絞めつけている左右千の姿だった。体を密着させて右腕で喉を締め付け、不敵に笑う左右千に詰め寄ることも出来ない。殺気が濃くなっており、近づけば七星の首を簡単にへし折りそうだったからだ。時雄や野乃花たちはそんな左右千から離れながらも怯えきっていた。里奈は泣きだし、紅葉は全身を震わせている。比較的近くにいる三葉の顔も真っ青だった。
「七星ちゃんを離せ!」
「どうせ殺す気なんだ、遅かれ早かれ、だろ?」
人を殺すことなど何とも思っていない人間の目だ。それに木戸無双流の技は人を殺すことにしか使わない。特にこの男は人を殺すことに、それこそ女子供だろうがためらいもないだろう。そういう目をしている。
「本気を出せば、助けられるかもしれんぞ?」
その言葉にピクリと反応する。本気を出す、いや、今も本気だ。
「本気だよ」
「あれで本気とは、宗家の血も薄いのか?」
「離せ!」
その言葉に左右千から笑みが消えた。そして右腕に力が入るのがわかり、七星が苦しそうにもがきながらじたばたし始めた。
「やめろっ!」
「本気を出せばいい」
そう言った左右千に向かって拳を繰り出すが。瞬時にその拳は蹴られて軌道を逸れ、それと同時に飛んできた逆の足が側頭部を蹴りつけた。ぐらりと揺れる意識を保ちつつ踏ん張った天都だが、自分の『亀岩砕』とは比べ物にならない速度と重さに舌を巻くしかない。バランス能力も常人を遥かに超えているし、全てが歴代最強の父である周人すら超えているだろう。七星を拘束した状態でこれだけの蹴りを放てるという恐怖に体が動かなかった。本気を出す、その意味は理解している。だが怖いのだ。みんなの前で自分の本性を曝け出すことが。左右千と同じになることが。そのためか、泣きそうになる天都に心底失望し、左右千が右腕に力を込めた時だった。
「結城先輩を離せ!」
そう言い、飛び掛かったのは三葉だった。予想外の行動に左右千すら驚く中、三葉は左右千から七星を引き離そうその右腕にしがみつく。ふりほどうこうとする左右千だが、迫る動きを見せた天都を見た瞬間、七星の体を拘束したままで体を回転させ、その反動で離れた三葉を左手の甲で殴りつけた。
「瀬尾さんっ!」
吹き飛ぶ三葉が倒れこみ、砂ぼこりにまみれるのをただ見ているしかない。三葉は赤く腫らした頬に震える手を当てつつ、地面に流れ落ちる鼻血を見てそっと鼻に触れた。瞬時に指先が血で染まる。それを見た天都の中で何かが弾けた。それは恐怖だ。本当の恐怖が心の底から湧いて出てきた。
「なにが・・・・・怖いだ・・・・・・・・こっちの方が、怖いじゃないか・・・・」
声と体が震えていた。天都は顔を伏せ、強く拳を握りしめる。自分は何を恐れていたのだろう。天音を怪我させたあの時に覚えた恐怖はこれではない。恐れたのは自分の本性だ。妹に大怪我をさせられる自分の本性に恐怖した。いや、違う。こんな自分を曝け出すこと、そしてそれを誰かに見られて離れて行かれることが怖かったのだ。それはただの我が儘だ。ようやくそれに気が付いた。自分を好きでいてくれている子に怪我をさせ、振られたとはいえ好きだった子に怖い思いをさせてようやく気付いたその間違いに腹が立つ。今、自分が感じている恐怖は誰かが傷つけられる恐怖。それは絶対にあってはならない恐怖なのだ。
「ドン引きされるのが怖い?笑わせる・・・・逃げていたんだ、その結果がこれだ・・・瀬尾さんに怪我をさせた・・・七星ちゃんを危ない目に遭わせた・・・」
逃げた結果に自分で笑いが起こる。愚かな自分への笑いは軽蔑の裏返しだ。いつか大切な誰かを守るために、そういう願いを込めて技を教えてくれた周人に申し訳がない。由衣に申し訳がない。逃げて逃げて、そして気付いた時にはこれだ。いや、傷ついた三葉を見てようやく気付かされたのだ。自分の間抜けさ、無力さ、そして、真なる恐怖を。
「こんな怖さに比べたら、ドン引きされるのなんて、友達を失うことなんて気にもならないや」
『自分の中の全部を受け入れた時、お前は本当の強さの意味を知る』
周人の言葉を思い出す。
『でも、時には自分の心を自由に解き放つことも大切。だから、そうすべき時が来たら、迷わず自分の心を解放しなさい。決して怯えずに』
祖母である静佳の言葉を思い出す。怯えない。もう絶対に怯えない。そして逃げない。誰に嫌われてもいい、大事な人を守れるのなら。天都は大きく息を吸い、そして吐き出した。全身の力を抜いて、そして気を込めた。充実していく。全身に立つ鳥肌は歓喜のせいだろう。もう怖くはない。自分の全てを出せばいいのだ。そう、目の前のこの男を倒せればなんでもいい、結果、殺してしまっても、それはそれで後悔しない。後悔するのは、大事な人に自分の非力さで怪我をさせた時だ。
「本気に、なったよ」
そう言い、顔を上げた天都の顔が笑っていた。恐怖はない。あるのは全力を出せる歓喜、こいつを叩きのめせるという歓喜。そして、自分への憤怒、三葉を傷つけた左右千への憤怒。それは七星を恐怖させ、時雄や紅葉たちも怯えるほどの笑み、そして殺気というべき鬼気。左右千のそれとも違うその鬼気は全身を刺し貫くほどの鋭さを持っていた。左右千の全身を駆け抜ける圧倒的な恐怖は鳥肌と共にやってきた。思わず後ずさる自分を自覚してキッと天都を睨んだ。そして無意識的に七星を解放した。こいつがいては満足に戦えないと本能が命じたせいだった。
「七星ちゃんは下がってて・・・瀬尾さん、大丈夫?」
その言葉に頷く三葉は腫れた頬に手を添えながら流れる鼻血のせいか息苦しそうな顔を天都に向けた。その顔がかすかに微笑むのを見た天都は小さく頷き、そして左右千を睨む。
「直に終わらせるから」
構えも取らずに左右千を見据える天都に首を鳴らし、左右千も構えを取らない。
「直に終わらせる?」
「ああ」
「本気か?」
「しゃべってないでかかってこいって・・・・時間稼ぎか?」
「何の時間を稼ぐ?」
「増援、とか」
その言葉に大笑いをした後、殺気立った目を天都に向けた。怒りが宿ったその目に、もう恐怖はない。
「すぐに殺してやるよ」
「無理だ」
そう言い、すっと構えを取る。そして同時に左右千も構えを取った。両者から笑みが消える。風に砂ぼこりが舞う中、天都の鬼気は濃さを増し、左右千の鬼気もまた鋭さを増すのだった。




