Love so sweet 5
そのケーキのお店の外観はヨーロッパをイメージしたメルヘンチックなものだった。尖った三角の屋根をしているが店の規模は三葉の母親の店の3倍はあるだろう。フルーツを盛り合わせたケーキがかなりの数を占め、チョコレートのものは少ない印象を受ける。ケーキの他にクッキーやプリンもあってその品数は豊富だった。2階はカフェになっていて買ったケーキを食べることができるようになっている。2人は各々ケーキをオーダーしてそれを皿に乗せ、2階へと向かった。飲み物は2階で注文する形式のために天都はアイスコーヒーを、三葉はアイスレモンティーを注文する。さっきお昼ご飯を食べたところだが、あっさりしたケーキのおかげか問題なく食べられる。甘さも程よく、バランスが絶妙だった。三葉は一口一口を噛み締めるようにし、目を閉じてその味を舌で堪能する。
「んー、甘さ加減が絶妙ですね。フルーツとのバランスも相性もいい」
「どっさりのっている割に、甘さが控えられてるね」
「これは人気が出るはずです」
ケーキ屋の娘らしいコメントをし、三葉は嬉しそうに笑った。だが何故かその笑みは瞬時に消えてしまう。それを見た天都はケーキを食べながら難しい顔をしている三葉に声をかけた。
「どうしたの?」
その言葉にじっとケーキを見つめていた三葉が困ったような顔を天都に向け、少し身を乗り出すようにしつつ口元に手を添えた。他の人に聞こえないように。
「強敵です。私が将来店を持ったら、ここはもう最強のライバルです」
真顔でそう言う三葉に目が点になった。いつどうやってその思考に辿り着いたのだろう。母親の店を継ぐのではなく、この軽井沢で店を出そうと夢見ていたのだろうか。
「軽井沢でお店出したかったの?」
だから素直にそう聞けば、三葉はハッとなった。見る間に顔を真っ赤にして俯いてしまった。そんな三葉を可愛いと思う反面、やはり天然だと確信した。
「でも、いいかもね。軽井沢にお店とか夢があるじゃん」
「そう、ですかね・・・」
思いっきりヘコんでいる三葉を見て、結構本気だったのかと悟った天都は優しい笑みを浮かべて見せた。
「そういう目標があった方がやりがいあるし、それにここに勝つ味を見つけるってことはいいことだと思う」
「本当ですか?」
「うん」
「じゃぁ、いつかその夢が叶ったら・・・・」
そこで天都の心臓がドクンと大きくうなった。油断していたと思う。話の流れ上、これを予測していなかった自分を馬鹿だと思ったほどに。だが、続きを口にした三葉の言葉は意外なものだった。
「絶対にお店に来て、自慢のケーキを食べてくださいね?」
にっこり笑ってそう言う三葉に頷くしかなかった。てっきりその夢を一緒に見て欲しいと、そういう風なことを言うものだとばかり思っていた。だが実際は違う。天都はただひたすら混乱するばかりだった。三葉は自分に好意を寄せている。それなのに七星との仲を応援しようとしたり、将来の夢に自分を入れなかったり。どうしてそんな思考になるのかが謎だ。天然だけでは済まされないものがある。自分だったら一緒に店をやろうとか、そんな風に言っていただろう。現に天都の将来設計の中には常に七星がいたほどだ。いや、それが普通だろう。恋をしている人を将来のパートナーの位置に置く、それはごく当たり前で自然なことなのだから。その後店を出て、軽井沢を散策した。暑い日差しもそう気にならず歩けるのはさすが避暑地だが、それでも暑いのには変わりはなかった。だから2人は有名らしいアイスの店に向かった。そこは確かに有名らしく、既に観光客で結構な列が出来ていたほどだ。
「やっぱり凄い人気ですね」
「楽しみだよ」
「先輩は何味ですか?」
「レモン、かな」
「いいですねぇ・・・私は・・・・巨峰かなぁ」
その言葉に思わず胸元に目が行く自分を最低だと思いつつ、周囲を見やった。人で賑わいながらもどこか田舎の香りを漂わせている。確かにこういう場所に住めたらいいなと思うが、それは旅行に来ているという幻想がそうさせているのだろう。そうしていると順番が来て各々注文をしてそれを受け取る。カップに入ったアイスは冷たそうであり、美味しそうだ。
「最初の一口、どうぞ」
天都がそう言い、既に一口パクついていた三葉に差し出す。三葉は困ったような顔をしつつ、スプーンを黄色い色したアイスに持って行った。
「私はもう食べてるのにぃ」
そう言いながらも小さくアイスをすくう。
「ガツッといきなって」
「じゃ、じゃぁ・・・」
そう言い、ガツッとすくってそれをジッと見た。酸っぱそうな色合いだが、口の中に入れれば程よい酸っぱさと甘さが絶妙にミックスされていた。
「美味しい!」
目を輝かせる三葉に向かって微笑む天都に、今度は三葉がカップを差し出す。そうして天都が三葉がすくっていない箇所からアイスをすくうと、紫色したそれを口に入れた。甘いが、確かにブドウの味がした。
「美味しいね」
「はい!最高です!」
そう言い、笑い合った2人はそのまますぐ傍の高台に向かう。そこから見える景色は最高で、緑の深い山や田舎の風景を一望できる場所になっていた。アイスを食べつつ木の柵にもたれる2人。傍からみれば、それはきっとカップルなのだろう。横目でチラッと三葉を見れば、風に短い髪を揺らせながら遠くの山を見つめている。可愛い、素直にそう思う顔がそこにある。こんないい子が何故自分を好きで、それでいて攻めてこずに下がって見守るようにしているのだろう。七星がいるからかと思う天都は、だからこそ真実を告げる気になっていた。七星に振られたと知った三葉がどうするのかを見てみたい。最低だとわかっていても、それで告白されれば付き合ってもいいとさえ思えていた。開放的になったせいか、それとも三葉なら彼女にしてもいいと思っているのか。いや、どちらでもない。ただ事実は告げようと思う、それだけだ。
「祭の日の夜ね・・・僕は、七星ちゃんに告白をしたんだ」
「・・・そうですか」
そんな気がしていた。あの夜、急にいなくなった七星といつもと同じようでどこか違った天都を見ればその結論に辿り着くのはたやすい。アイスを食べる手を止めた三葉の表情が憂いに満ちたものに変化する。それを見た天都はドキドキする自分を不思議に思いながら、それは今からその結果を話すための緊張だと思い込んだ。
「振られたけどね」
「そうですか」
表情を変えずそう言い、三葉は少しだけアイスをすくってそれをペロッと舐める。困ったような表情は何を思うのか。
「タイミングが最悪だったのもあるけど、ま、これが現実だよね」
そう言って笑う天都に表情を変えず、三葉は一歩だけ天都の方に歩み寄った。
「もうあきらめるんですか?」
「諦めるも何も、もう終わったんだし」
「でも、まだ好きなんですよね?」
「そりゃぁ、まぁ」
振られて3日で諦められるような恋ではなかった。叶わぬ恋でも、チャンスがあるならまだ好きでいたいし、友達に戻りたい。
「だったら、何度でも告白すればいいじゃないですか」
何を言っているのかわからない。何故そんなことが言えるのだろう。自分が好きな人の恋を応援する馬鹿がどこにる。これはチャンスなのに、自らそれを放棄するのだろうか。
「好きなら、そうすべきです」
「君はそれでいいの?」
「何がですか?」
「だって君は僕のことが好きなんじゃないの?」
思わずそう口走り、天都はハッとなって黙り込んだ。三葉を見れず、俯き加減になる。流れる血が熱いのか体中が熱かった。自分が何を言っているのか理解しつつ、その言葉を恥じた。
「そうですね。でも、それ以上に先輩には幸せになって欲しい」
三葉はまっすぐに天都を見ていた。だから天都も恐る恐る顔を上げる。三葉は困ったような表情を浮かべながらもただじっと天都から視線を外さない。
「助けてもらったから、それが私の恩返しです。自分の気持ちより先輩の気持ちを大切にしたい。そりゃ、私の事を好きになってくれたら、それは最高です。でもそうじゃない。私が先輩を好きになったときにはもう先輩は結城先輩に恋してた。そんな先輩も好きだから。だから、私は先輩を応援します」
どうしてそんなことが言えるのか、そんな気持ちになれるのか理解できない。救った恩をそうやって返す馬鹿はいない。好きな相手の恋を応援することが恩返しになるなんて間違っている。そんな恩返しならいらないと思う。だが、三葉の強さは知れた。この子は強いのだ。自分なんかよりもずっと、ずっと。
「馬鹿だね」
「みんなそう言います」
そう言って笑う顔は無邪気な子供に見えた。もう何も言えず、天都は黙って三葉を見つめることしかできなかった。三葉は微笑みをそのままに残り少なくなったアイスを食べる。そんな三葉にドキドキする自分がいた。何故だろうか、涙が込み上げてくる。天都はその涙をぐっとこらえてアイスを食べた。
「甘酸っぱいや」
そう呟く。
「恋と同じですね」
そう笑う三葉を見て、天都も微笑んだ。そして決意をする。瀬尾三葉という子を知りたい、だから自分は三葉を見よう。七星ではなく、この子をもっと知りたいと決めた。何故そう思ったかはわからない。ここが軽井沢で普段来ない場所だったからか。それとも、自分は三葉に恋をしたからか。どちらでもないと否定し、天都は空になったカップをすぐ近くのゴミ箱に捨て、三葉のすぐ横に並んで柵に手を置いた。
「恋は甘酸っぱいのか」
「甘いだけだと上手くいかないんでしょう」
「なるほど」
そう言い、笑い合った。恋を上手くいかせる気が無い変な片思いの少女、そんな変な少女をもっと知りたいと思う少年が微笑み合う。多分、これで正解だと思う天都はそれでも恐怖が心の奥にくすぶっているのを感じている。自分の本性を知った時、三葉はどうなるのだろう。何も変わらないのか、それとも一気に冷めてしまうのか。どっちでもいいと思いながらも、そうなって自分から離れていく三葉を想像してさらに怖くなる。
「喉、乾きますね」
そう言って微笑む三葉に笑みを返しながらその恐怖を掻き消し、とりあえず何か飲み物を買いに移動を開始するのだった。
*
夕日がようやく赤みを増してきた。冬であればとっくに闇に包まれている空を見つつ、遅い盆休みが始まった父親と歩く明斗はふと足を止めた。いや、隣を歩く父親の麟が立ち止まったからだ。その原因は分かっている。目の前の自動販売機の前に立っている男、こいつがその原因だ。怯えたような目をする燐を横目で見つつ警戒をする明斗を見たその男、天空はニヤニヤしたままボロボロのジーンズのポケットに両手を入れたままゆっくりと近づいてきた。
「よぉ、兄弟、初めましてかな?」
「兄弟?」
天空の言葉に眉をひそめる明斗、怯えて震える麟。対照的な2人を見つつニヤニヤを濃くした天空は無造作に明斗の腹部に右の拳をめり込ませた。一瞬のことで防御も出来ず膝から崩れ落ちる明斗は今まで味わったことのないその凄まじい衝撃に苦悶の表情を浮かべながら半開きの口から涎をこぼす。
「お前は俺の弟、ってとこか。木戸百零のクローンでありながら、息子でもある存在。プロト・ワン。生み出したのはここにいる下村麟博士だ。遺伝子研究において世界でも1、2を争う頭脳の持ち主」
「よせっ!」
そう叫ぶ父の言葉と表情からそれが真実だと知る。この男の言うことが嘘ではないとその動揺が証明していたからだ。
「完全な人間であり、それでいて常人の能力を上回るよう遺伝子的に改良された個体。もっとも、俺という失敗例があってこその存在だがな」
「失敗?」
「俺も生殖機能を持つクローンだ。でもな、細胞が不安定なんだよ。まぁ、色々注文を付けられての結果だ、博士としてもこの結果は心苦しかった。だから破棄される俺をなんとか残すよう施し、同じく破棄される運命にあったお前の死を偽装して連れ出し、養子とした」
天空は明斗の首を強引に掴むと片手でそれを持ち上げた。息苦しさと痛みが意識を奪うようにしていく。
「お前、木戸天音に惚れてるのか?嘘の、遺伝子の情報に翻弄されて・・・血の宿縁ってやつか?」
どういうことだと声も出せないが、天空はその意志を目の輝きから読み取る。
「俺もそうだ。木戸宗家の血は根絶やしにしたい。そしてその宗家の女に自分の子供を産ませたいという欲求。2つに分かれた木戸を1つにしたいという願望。それでいて女でも宗家の血は根絶やしにしたいと思う殺意」
ハッとなった。言い知れない殺意は確かにあった。天音に恋をしてからはそれもなくなったが、それでもそれは確かに感じていた。天音に自分の子供を産んでほしいと願う自分もいる。それは全て遺伝子が仕組んだ感情だというのか。理解できず、ただうめくことしかできない。そもそも木戸百零とは何者なのか。
「お前の中にある木戸無双流の血が、遺伝子がそれを望んでいる。下村明斗の意志じゃない」
そう言い、天空は掴んでいた手を解放して地面に明斗を落とした。むせ返る明斗を見下ろし、小さく微笑むと全身を震わせている燐へと顔を向ける。
「真実を教えてやれよ博士・・・そして自分の運命を受け入れさせろ」
「何が目的なんだ?こんな・・・・・・」
「復讐だ」
震える燐の声とは裏腹に、天空の声に力がこもっていた。
「復讐?私にか?明斗にか?」
完全なるクローンである明斗に対する復讐か。それとも不完全なクローンを作り上げた自分への復讐か。だが天空は笑みを浮かべて空を見上げた。まだまだ青い空に薄い雲がかかっている。
「政府の、いつまでもこんなことを続けている馬鹿共への復讐だよ」
そう前置きをし、天空は語った。『キング』以来、日本の裏社会を統制すべく作られた組織、集められた特殊な能力を持った変異種たち。だが『ゼロ』のクーデターで全ては無駄になり、『キング』の再生もとん挫した。それでもあきらめきれず、今度は『ゼロ』のクローンを作ろうとした。変異種たちも人工的に生み出し、それらに裏社会の統制をさせている現状。馬鹿かと思う。何度繰り返せば理解できるのだろう。その行動こそ自分たちが無能だと証明していると何故気づかない。何をしても『キング』の代わりなど生み出せないというのに。結果、中途半端に命を弄んだ。だから自分は復讐する。生み出した機関に、間抜けな政治家たちに。そして、木戸百零に。お前ができなかったことを俺が成し遂げてやる。明斗にそれをさせてやろう。木戸の技も知らないただのクローンに、木戸宗家との子供を作らせてやる。その後、天音は殺せばいい。無意味な悲願を達成させて左右千の遺伝子にもあろうその願望を砕いてやろう。だから明斗に自覚させたのだ。お前もまた木戸の血を流す人間なのだと。遺伝子の意志のままに行動しろと。それもまた復讐だ。完成された弟への、兄からの復讐だ。高らかにそう言い、笑い、天空は麟を見やった。
「俺もこいつも、左右千と違って母親と言える存在がいる。卵子を提供したあんたのかつての恋人であり助手である女。その女の遺伝子もまたこう叫んでいるよ・・・生きろってな」
燐はもう何も言えず、明斗は地面に這いつくばることしか出来なかった。そんな明斗の脇腹を蹴りあげ、そして天空は麟に詰め寄った。
「あんたは俺を生かしてくれた、だから、あんたにはこういう形で復讐した。息子に真実を告げるという復讐を。ああ、これで終わりじゃないぞ。あんたにも協力してもらう。木戸天音とこいつの子供の遺伝子をいじくってもらうから、楽しみにしてろ」
そう言い、天空は麟に背を向けた。
「待ってくれ!」
そう叫ぶ声もむなしく、天空は大笑いして去っていった。燐は這いつくばったまま動かない明斗を見下ろし、どうしていいか思考も働かない。
「うそ・・・だよな?」
かすれた声がそう呻いている。見下ろす息子の背中を見つつ、燐は苦々しい顔をすることしかできなかった。
「嘘だよな?俺は・・・・俺は下村明斗だ・・・クローンなんかじゃ・・・」
よろよろと立ち上がった明斗が麟を見てそう言う。全てがでたらめだと思いたいが、思い当たる節もあって混乱している。事実ではないと否定する自分とそうかもしれないと肯定する自分がせめぎあっていた。だからはっきりとした答えが聞きたかったのだろう。燐の口からはっきりと、お前は俺の息子だと、クローンなどではないと。
「お前は・・・・」
そう言いかけたその言葉を遮る言葉が頭上から落ちてきた。
「あいつの言ったことは事実だ」
2人が上を見上げると、空中からゆっくりと舞い降りてくる人間がいた。金色の髪を揺らめかせた女性である。袖のない白いシャツにジーンズといった出で立ちをしたその女性に見覚えがあるせいか、明斗はただ呆然としながらゆっくりと着地を決めたその女性、ウラヌスを見つめていた。どうやったら人間が空中から舞い降りることが出来るのだろう。そんなことを考える余裕がありながら、明斗はじっとウラヌスを見つめる。
「あいつの言ったことは本当だろう。全てに対する復讐・・・気持ちはわかる」
少し片言な日本語だが、ウラヌスははっきりとそう言った。燐は動揺しつつもこの目の前に現れた女性が普通の人間でないと理解しているせいか頷いてみせる。
「君は・・・変異種のクローンか」
こくりと頷くウラヌスから真横に立つ燐に顔を向けた明斗はもう話について行けず呆然とするだけだ。クローンだなんだとわけのわからないことだらけに混乱は最高潮に達している。
「能力を移植された。博士の研究を引き継ぎ、研究を重ねた結果の存在」
「・・・ではお前も私たちに復讐を?」
そう言われたウラヌスは眉1つ動かさずに明斗を見つめる。明斗は思考の働かない頭のまま顔だけをウラヌス向けている状態だった。
「あいつの思い通りにもさせないし、『ゴッド』の思い通りにも動きたくない。私は人間になりたい」
「どういう意味だね?」
「天空の野望は阻止する。そして機関は壊滅させる」
「それが私たちとどう関係があるのかね?」
実に冷静な麟はウラヌスの思考を読み取りにかかっていた。しかし感情が無い分、難しい。だが本心かどうか、その意図ぐらいはどうにか欠片でも把握しなくてはいけない。明斗を守るために。
「交換条件を提示する」
「条件次第、だが・・・・人間になりたいとは?」
「キド・アマトと出会い、ミントたちと出会って思った。私もそうなりたい、と」
感情のない目、口調だがどこか信じることができる。罠かもしれないという細心の注意は必要とはいえ話を聞く必要はありそうだと判断した燐は現状を打破するためにあらゆる情報を仕入れる覚悟を決めたのだった。
「話を聞こう」
ウラヌスが頷いた矢先ふわっと親子共々空中に舞う。不思議な感覚に意識を覚醒させた明斗が暴れるが、お構いなしにウラヌスはその能力を解放して急速に空高くへと舞い上がった。
「監視が来ない場所、絶対に察知されない場所を知っている。そこへ行くぞ」
声と同時に体が加速した。だが風の抵抗もなく、ただ空を飛んでいるのみ。まるで風を受けないジェットコースターに乗っているような感覚に感動しつつ、燐は動揺して声を上げている明斗を見ながら息子のために自分の全てを賭ける決意を固めた。その先に死が待っていたとしても。
*
帰りの電車の中で寝息を立てている三葉が自分の肩に頭を置いている、それがこそばよく、そして嬉しい感じがしていた。無防備に眠る三葉を見ずに、正面の窓に映っている自分たちを見た。どうみても恋人同士だろう。それも悪くはないのかもしれない。でも自分の中にはまだ七星がいるのも確かであり、また三葉という人間をもっと知りたいと思っている自分もいて、この先がどうなるかなどまったく不明瞭なのだ。恩返しのために好きな人の幸せを優先する、そんな三葉の真意が知りたいと思うし、そんな思考をする三葉という人を知りたい。今日一日一緒にいてわかったとこは、三葉は無色透明のような存在であるということだ。自分にとって無害であり、そして自然でいられる。意識しないと気付かないほどごく自然に自分の中に溶け込んでいる、そんな感じだ。七星といる時とは正反対だと苦笑が漏れる。もし七星にこんな風にされていたら緊張でガチガチだったはずだ。好きだからだけではなく、こういう行動を取られたことを意識してしまうだろう。三葉は自分を好いている。はっきりそう言われたわけではないが、それはお互いによく分かっていた。なのにこうして自然にいられる。それは凄くありがたくて、少し困惑してしまう状態でもあった。
「何度でも告白すれば、か」
小さく小さくそう呟く天都はあの時の三葉の表情を思い出していた。強がりでも虚言でもない、まっすぐに素直な言葉だった。本心、そう思えるものだった。自分と七星が上手くいけばいい、そう思っている表情だった。
「僕には君はもったいないよ」
言葉にせずに心で呟く天都のそれは本心だ。こんなに純粋でまっすぐな子など、自分にはふさわしくない。自分の本性から逃げ、好きな子を守る戦いすら放棄した。最悪のタイミングで勝手に告白しておきながら後悔の念にがんじがらめにされている女々しい男。そんな自分に似合う女の子などどこにもいないだろと思う。恋は甘酸っぱい、そう言った三葉の言葉を思い返しながら恋はただ苦いとしか感じない天都は窓に映った自分を睨むようにすることしか出来ないのだった。