揺れる想い 2
七星との夢のような時間を終えた天都は1人で電車に揺られて、そしてそれを降りる。七星は3駅手前で降りてしまうために、寂しさが余計に込み上げてきた。一目惚れをしたのは中学1年の時に塾で出会った時だった。清楚なお嬢様を体現したような七星は天都の理想そのものだったからだ。やがて仲良くなり、その恋心を大きくしてもなお告白に至らなかった理由は今でも分かっていない。好きな気持ちが溢れていたのに、他の男子と話しているのを見ているだけで苦しかったのに自分の気持ちを、想いを伝えられずに今に至っている。そう、今となっては告白などできるはずもない。何故ならば、自分は七星が好きな人を知っているからだ。片思いをしている七星を応援する、そう告げたのは半年前。つまり、自分は気持ちを伝えることなく失恋したのだ。情けないと思うが、内向的な天都にとって告白は大きな勇気を必要とした。それが足りなかっただけ。ため息をつき、改札を出た時に不意に声をかけられ、間抜け面をそちらに向ける。そこにいたのは美形で長身の男性だった。いや、本当に男性なのだろうか。女性にも見える綺麗な顔立ちは実に中世的だ。芸能人として活動しているニューハーフとは違った綺麗な顔、男性的な部分と女性的な部分を併せ持ったまさにザ・イケメンがそこにいる。さわやかなその笑顔の主は佐々木翔。同級生である進の兄であり、幼馴染だ。
「今帰り?」
声は見事に男だ。
「うん」
ため口なのは幼馴染だから、である。小さい頃はよく遊んでくれたお兄さんであり、そして今でも面倒見のいいお兄さんでもある。
「翔さんは今日はもう仕事終わったの?」
歩きながらそう言う天都の耳に周囲の女性の黄色い声が聞こえていた。翔はそんな女性を無視して歩いている。いちいち対応していられないのだろう。何故ならば、翔は有名なモデルだからだ。テレビの仕事もするいわゆる芸能人なのだから。CMなどでもおなじみであるが、それが本業というわけではない。確かに雑誌のモデルやCMなどは仕事だ。だが翔自身は本業としての自分は自身が扱う佐々木流合気柔術の師範であると自負していた。道場を継ぐため、門下生の相手をしている時が一番自分らしいと思っている。特に少し前にスキャンダルになった熱愛関連のゴシップのせいか、最近は道場での仕事の方に比率を置いていた。
「天都もたまには道場においでよ」
「そうだね、また、その時は・・・」
歯切れが悪い理由も理解しているせいか、翔はポンポンと天都の肩をたたいて頷いていた。
「天音ちゃん、頑張ってるんだね」
「インターハイで優勝するって意気込んでた。だから春の大会は出ないんだってさ」
「相変わらずストイックだな、天音ちゃんは」
「脳みそ筋肉なんだよ、あいつは」
その言い方、言葉に思わず笑ってしまった。強さを求めるその姿勢は見習いたいと思う翔だが、天都にとってはただのバカにしか見えないのだろう。
「君にはわからないのかもしれないな」
「どうして?」
「天才って言葉、その意味からして、かな」
「よくわからない」
「天才だからだよ」
天都はそう言われて首を捻るしかない。そんな天都を見てますます笑う翔だが、そんな翔に嫌悪感を抱くことはなかった。そうしていると大きな屋敷の門のようなものが見えてきた。ここが佐々木流合気柔術の道場であり、本部だ。この桜本町に本部があり、繁華街のある桜ノ宮に支部があった。そこにいる最高師範は翔と実力を二分するほどの強さを誇っている。道場の運営自体は翔の父親である哲生が仕切っているためか、翔は師範として小学生から大人までを指導していた。その道場の横にある大きな家が佐々木家である。進を妊娠した際に翔の両親がここに引っ越してきたのだ。先にこの町に住んでいた天都の両親と親交が深いこともあり、また天都の母親が自分たち双子を妊娠していることもあって、タイミングを合わせる形で引っ越してきたのだった。
「じゃ、また」
「うん。さよなら」
にこやかにそう言い、天都は手を振って歩き出した。その背中を見つつ、翔は自分の中で今は満たされている闘争本能が少しざわめくのを抑えにかかった。佐々木と木戸の流派の決着。父親が望むその結果を頭の中に浮かべて苦笑した翔は大きな門をくぐるのだった。
*
「お歌、新しいの習ったよぉ~」
「へぇ、なんての?」
「わすれたぁ」
「なんだよそりゃ」
そんな会話が風呂場から聞こえてきたせいか、母親の由衣は小さく微笑んでいた。バスタオルを用意し、5歳の息子の着替えを準備する。父親が定時で帰宅した際は一緒に風呂に入るのが常の次男だが、それ以外ではもっぱら兄である天都か自分と入ることが多かった。次男の天海にしてみれば、大好きなお姉ちゃんと一緒に入りたいのだが、部活で遅くなるために週末ぐらいにしかそれは叶わない状態になっていた。それでも入れるときは一緒に入ってくれる天音に感謝している。12歳も歳が離れた弟を我が子のように面倒を見てくれているのだ。天音にしても天都にしても、天海は可愛くて仕方がない弟だった。
「かげろー」
頭を洗い終えた天都が湯船に浸かった矢先、先に全てを洗い終えていた天海が天都の二の腕を殴りつけ、そのまま肘を折りたたんで肘打ちを体にぶつけてくる。木戸無明流の技、陽炎だ。
「もっと速く」
「かげおー!」
舌足らずな声でそう言い、さっきよりも早い動きで技を繰り出した。去年から父親に技を仕込まれてきているせいか、得意な技のキレ味は増している。天都は天海に効率のいい動きをレクチャーしつつ天海を温めていった。顔が赤くなるのを見て湯船からあげれば、外では由衣が待っている。由衣は嬉しそうに近づいてくる天海に微笑んでバスタオルで体を拭いてやりつつ、年ごろの天都のことを考えて素早く風呂場に続くドアを閉めた。
「かげろー、強くなったよ!」
「そうなの?すごいねー」
「おねーちゃんに勝てるかな?」
「おねーちゃんは強いからねー、どうだろうねー。でもお友達に使っちゃダメだよ?」
「うん。おやくそく、だからね」
「えらいねー」
そう言い、由衣はガシガシと天海の頭を拭いた。父親に鍛えられる時に約束したことを、天海はきちんと守っている。それは天都も天音もそうであり、自分の子供たちが素直ないい子だと再認識できる嬉しい事柄でもあった。決して許可がないと技は使っていない。天都も天音も高校生になってからは自己判断で使用は許可されているが、身を守るため以外に使うつもりはない。そういう風に教育され、そしてまたそれが当然だと思っているからだ。木戸無明流は人を殺す技なのだから。その殺人技をもって人を活かす。矛盾した思想ながらもそれが真理だと天都も天音も理解していた。本能がそうさせているのかもしれない。だからか、天音は空手を習ったのだ。木戸の技だけでは真の強さを誇れない、身に着けられないとして。結果的に空手の範囲内でも使える技は多用していたものの、あくまで主流は空手だ。そのため、月に数度は父親と組み手をして木戸の技を存分に振るっている。50歳を前にした中年のサラリーマンである父親に中学で3年間ずっと全日本女王だった天音が挑む、それは勝敗の見えた戦いのはずだったが、それでも天音は父親に1度も勝っていない。歴代最強の実力を持つ父親は鍛錬をせずとも最小限の動きで最大の成果を得る術に長けていた。歳を取ってそういう動きを身に着けたということも大きいが、何よりくぐった修羅場、戦績の数が圧倒的に天音とは違うのだ。勘が働く、それだけで大きなアドバンテージを持っている。そういう面を鍛えたくて空手を習った天音だったが、結局それは身につかなかった。彼女の強さが圧倒的すぎたからだ。だから天音も天都も技をひけらかすことをしない。大きな壁としての父親の存在があるから、それが心の中にあった。そしてそれは幼い天海に伝わっている。兄や姉がそうだから、それが理由であり、本能的に理解している。強さの意味を、たった5歳の子供が認識していることが母親としてはこの上なく幸せだと思う。着替えを終えた天海がおもちゃで遊びだし、同時に風呂場から天都が出てきた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「ん」
天都はそうとだけ言うと天海の髪を乾かした後のドライヤーを使った。愛想のない返事の中に愛情が見えている。由衣はぽんと天都の背中を優しく叩いてキッチンへと戻って行った。そんな母親の背中を見つつ髪を乾かしていく。友達にも、近所でも評判の美人ママ、それが由衣だ。歳よりも若く見られるのはこの夫婦の特徴なのだろうが、由衣は年相応の綺麗さに加えていまだに少女の可愛さを残している。エステもフィットネスも、何もしていないものの抜群のスタイルを維持し、それでいて若作りはしていない。はきはきした性格も好評であり、天都の同級生の中には由衣に本気で恋する者までいる始末だ。だが、由衣は怖い。怒ると誰よりも怖い存在だ。圧倒的に強い父親が恐怖するその負のオーラは天音ですら怯えて震えるほど。それに父親の仲間たち、その奥さん連中の中でも由衣は最恐のレベルといっていいだろう。
「にーちゃん」
ドライヤーを終えた天都に天海が這うようにして近づいてくる。
「ん?」
「みーくん、強くなれる?」
「なれるよ、ちゃんと父さんの言うとおりにしていればね」
「ホント?にーちゃんやおねーちゃんみたいになれる?」
「ああ」
天都の言葉に嬉しそうな顔をした天海の頭を優しく撫でてやる。嬉しそうにした天海に手を引かれて電車のおもちゃの所に連れて行かれた天都はしばらくの間、天海と一緒に遊んだのだった。
*
「あ」
その背中に気付いたせいか、天音は駆け足となった。電車の改札を出たところでその人物の腕に手を絡ませる。びっくりした顔をしたその人物も、それは一瞬のことですぐに顔をほころばせた。
「天音か・・・おかえり」
「父さんも、おかえり」
「ああ」
笑う顔に優しさが溢れていた。40代も半ばを越えた年齢ながら、中年によくあるメタボなお腹はしていない。そして服の下は衰えたといえどもまだ筋肉質を保っている。歳よりも若く見える容姿もあって、天音は年頃の少女が見せる父親への嫌悪感を持っていなかった。父は尊敬できる人間であり、越えられない壁であり、そして理解者でもあるのだから。だから、天音は父親が大好きだった。
「部活、大変なのか?」
「んー・・・今はそうでもない。大会には出ないしね」
「出ないのか?」
「勝っても地域で一番だもん」
「日本で一番にしか興味ないか?」
「ない」
「そうか」
そう言って笑う父親に微笑み返した。慢心だ驕りだとは決して言わない。子供の意志を尊重するのがこの父、木戸周人の教育方針だった。かといって子供たちは道を踏み外さない。いい子に恵まれたと心底思う。
「陸上で一番になったら、次は?」
「空手は鍛錬、陸上は瞬発力と下半身強化。だから今でも私の目標は父さんに勝つこと、かな」
「翔君や十夜君にも、だろ?」
その言葉ににんまりと笑う天音に苦笑が漏れた。天音にとって超えるべき壁は周人なのだから。
「でも、一番勝ちたいヤツには絶対に勝てないしね・・・それに翔さんとか十夜とか、あの人たちは体の中に棲んでるモノが私とは違うから・・・だから努力するしかないよ」
拗ねたような口調だが、表情は明るい。努力だけではどうしようもないことは分かっている。幼馴染である佐々木翔と柳生十夜の強さは身に染みている。絶対に勝てないともわかっている。それでも勝ちたいという気持ちは捨てていなかった。周人に翔、十夜は明斗に語った絶対に勝てない4人の中の3人なのだから。
「心の強さは負けたくないからね」
「それに関しちゃ、天音が一番強いな」
「ホント?」
嬉しそうなその笑顔が我が子ながら可愛いと思う。あの頃の由衣にそっくりな天音は自慢の娘でもある。
「テツも十牙も、みんなそう言ってる」
「嬉しいなぁ」
「だから、天音はまだまだ強くなれる」
「なるよ、強く」
「でも女の子なんだから、その辺は考慮してほしいなぁ」
「まぁ、本気だせば芸能界デビューできる可愛さだけどね」
「だな」
身内のひいき目なしでそう思う。天音は黙って女の子らしくしていれば超絶な美人だ。由衣に似て可愛いと思う。だがその性格、口調がそれを掻き消していた。何よりその腕っ節の強さは男以上なのだから。天音は嬉しそうに笑い、周人もまた微笑んだ。そのまま二人は近くのコンビニに入るとお土産のアイスを買って帰宅した。いつも玄関まで走って出迎えてくれる天海が今日もあわててやってくる。手を広げる周人無視し、天音に飛びついた天海を見て涙が出そうになる周人がうなだれたままリビングへと向かった。そんな周人を見た由衣は苦笑するしかない。そうしていると天海と天音が会話を弾ませながらリビングへとやってくる。
「でね、ともき君が鉄棒にぶら下がったの」
「そうなの?危ないよねぇ」
部活で疲れていても、天音は天海のことを邪険に扱わない。天音にとって天海は可愛い弟なのだ。
「あとね、にーちゃんにかげろーを強くしてもらった」
「そっか!じゃぁ、日曜日はお姉ちゃんが教えてあげるね」
「やったー!」
嬉しそうにそう叫んで小躍りする天海を見つつ、天音は由衣にただいまと言ってから部屋に向かった。
「一緒だったんだ?」
「改札出たところでバッタリ、な」
そう言い、スーツの上を脱いで部屋着に着替えた。そうしていると天音がパジャマを持って降りてきて、そのまま風呂場に向かう。子供たちを先に入れてから親が入るのが2人が中学生になってからの決まりみたいになっていた。
「来週、本社に出張だよ、2泊3日になる」
「そう」
本社は東京なので通えないことはないものの、朝からずっと缶詰めになるためにわざわざ近くのビジネスホテルに泊まるのだ。日本が世界に誇る自動車メーカーのカムイモータース、その池谷工場長の周人にしてみれば本社での会議ほど憂鬱なものはない。
「夜な夜な遠藤常務に付き合わされるわけ、ね?」
悪戯な笑みを浮かべる由衣に疲れた顔を見せ、周人はテーブルの上の夕刊を手にするとソファに腰かけた。同期の遠藤修治は見事に出世して、3年後をめどに社長になると言われている。周人は何度も本社への栄転を勧められていたが、現場の声や本人の意向もあってそれらは全て無しになっていた。それは元社長であり、つい最近までアドバイザーとして残っていた菅生要の意志でもある。要と公私に渡って懇意にしている周人はそんな要に感謝し、今でもずっと尊敬して止まない状態にあった。
「どうせ家庭の愚痴、だろうがな」
その心底嫌そうな言葉に夕食を食卓テーブルに並べていた由衣が声を出して笑った。そんな由衣を不思議そうに見た天海にお手伝いを指示した由衣がキッチンに消えたのと同時に天都がリビングにやってきた。
「おかえり」
「ただいま」
ソファではなくカーペットの上に座り込んだ天都が大きな欠伸をする。周人は新聞を見つつテレビのニュースも見ていた。食事中の新聞とテレビに見入ることが禁止されているため、今のうちにしているのだ。
「みーくんに陽炎を教えたって?」
「教えたってか、アドバイスしただけ」
「そうか」
そう言う周人の口元が緩んだが、天都からは新聞が邪魔してそれが見えない。天都はバラエティ番組に顔を向け、再度欠伸をしてみせた。そこでハッとなる。そういえば時雄からの依頼をすっかり忘れていた。とにかく答えが出ているものの、一応天音に確認はしておかないとまずい。どういう報告であれ時雄が天音に告白をして、調査のことを暴露されては報酬が没収となるからだ。どうしようかと悩むものの、簡単に確認を取ればいいかと楽観的になった。ホッとした顔でテレビを見やる天都をチラッと見た周人は新聞を脇に置くとテレビへと視線を向けた。
「夏休みはいつもの事だがお爺ちゃん家に行くから」
「わかってる」
「十夜が手合せしてほしいそうだぞ」
「ヤだよ・・・・千輝なら考える」
「そうか」
嬉しそうにそう言った周人を見ることなく、天都はテレビの方に体を向けたままだった。
「まぁ、確かに柳生十夜の強さはとんでもないからな。でも千輝だって強いぞ」
「だね」
それ以上なにも言わず、周人ももうその話題を口にしなかった。天音と違って天都は木戸の技を封印している。誰かを守る時以外には決して使わないという信念があるからだ。だから組み手も滅多に行わないし、日々の鍛錬も必要以上にしていない。それでも、帰宅部の天都の体は実に引き締まっている。日々の鍛練はそこいらの部活の筋トレを遥かに上回っているからだ。かといって体育の成績がいいわけではなかった。勉強は学年でもトップクラスだが、それ以外の体育音楽といった副教科は平凡なものだった。
「あふふー・・・・気持ちよかった。父さん、どうぞ」
「俺は夕飯食べてからにするよ、もう出来そうだし」
「あ、みたいね」
しっかりお手伝いをしている天海に近づき、その頭を撫でてやる。大好きなお姉ちゃんにそうされて天海は嬉しそうにしてますますお手伝いを頑張り始める。天音はそのまま洗面所に向かうと髪の毛を乾かしにかかった。ショートカットのせいか時間はかなり短い。そのままテーブルにつくと大皿に乗ったから揚げを見ながら涎を垂らしそうになっている。そんな天音を見て苦笑し、由衣は周人と天都に席に着くよう指示しつつ、天海を専用の椅子に乗せていった。そして全員が食卓につくと周人のいただきますを合図に全員がいただきますと言うのだった。




