君に届け 4
なるべく誰にも会わないようにと速足で駅へと向かう天音は出鼻をくじかれて立ち止まる。変な汗が出るのを感じつつ、そそくさとその人物の脇をすり抜けようとしたときだった。
「あれ?天音ちゃん?」
その声にビクッと体を震わせ、そのままぺこりと頭を下げた。ちょうど門のところに差しかかったところでうまい具合に出てきた翔に声を掛けられたのは最悪のタイミングでしかない。翔は横向きのままの天音をまじまじ見ながらも優しい笑みを浮かべて見せた。
「珍しい格好だね、可愛いよ」
その言葉に真っ赤になる。羞恥と、そして後ろめたさで。好きな人ではない人とのデート、しかも人生の初デートであり、その好きな人に待ち合わせ場所に行くところを見られたのだから。しかも、この気合の入り様を。一番見られたくない人に見られた動揺はかなり大きい。
「もしかして、デート?」
「そんなんじゃありませんっ!」
語尾を聞かずに大声でそう否定した天音は驚く翔の顔を見てますます顔を赤くした。肩からかけたトートバッグの柄をぎゅっと握りしめそれから伏せがちの顔を上げた。
「と、友達と遊びに行くだけです!で、デートなんかじゃないし・・・」
徐々に勢いを失くしたのは必死すぎる自分に気付いたからだ。そのせいでさらに羞恥が増し、今や天音の赤みは全身に及んでいた。
「そっか。暑いけど、楽しんでおいで」
「はい」
笑顔もなくそそくさとその場を離れる天音。すべてが最悪だと心の中で連呼しつつ速足で駅へと向かった。
「さっきの、天音?」
遅れて門から出てきた進にそうだよと言い、翔は苦笑を浮かべていた。あの否定の仕方からしてまず間違いなくデートだろう、そういう苦笑だ。
「なんか、デートみたいな服装だったな」
進もそう言い、腕組みをした。ショートパンツがわからないほど、まるでワンピースのような服だった。それに靴ではなくサンダルだったのも見えていただけに、お洒落な格好も出来るんだと思う進もまた小さく微笑んでいた。
「あれはデートだな」
そう言って門の中に戻る兄を見つつ、驚いた顔をした進がもう角を曲がって見えなくなった天音の後ろ姿を追った。
「あいつがデート、ね」
そう言う自分の心にモヤモヤがないことに気付く。嫉妬心もなく、ただ珍しいと思うだけ。
「そっか、俺、もう、あいつのこと・・・・」
小学生の頃から好きだったはずなのに、もうそう言う気持ちが消えているのかと思う。恋人同士になりたいとあれほど願っていながら、今はもうそんな気持ちが欠片もないのだ。つまりは、自分はもう既に心を好きでいる、そういうことなのだ。
「あっけないってのか、それともその程度の気持ちだったのか」
小さくそう呟くが、どちらでもないと思う。元々天音が翔を好いているのを知っていたからだ。自分の恋は実らない、そう理解していたせいだと思う進は微笑んだ。どこの誰かは知らないけれど、あの天音に翔以外の存在を刻み込んだのは快挙と言えるだろう。
「俺は明日、か」
明日は心とデートの日である。少し離れた山間の避暑地に行くことにしていた。それがもう今から楽しみで仕方がなかった。好きだと自覚したこともあって、早く会いたいと思う。今日は仕事で学校にいる上に、同僚の女性教師軍団でビアガーデンに行くらしい。なので、連絡は夜遅くにラインだけになるだろう。寂しくもあるが、明日はずっと一緒にいられる、そんな浮かれた間抜け面をしていた時だった。
「アホ面してるぞ」
そう言われて我に返った進があわてて振り返ると、そこに立っていたのは天都だ。
「後ろから顔が見えるのかよ?」
「雰囲気でわかるよ」
そう言って微笑む天都に頭を掻いて困った顔をした進は天音のデートの相手が誰か、天都なら知っているのではないかと思って質問を投げた。
「さっき天音に会ったけど、えらい可愛い格好してた。デートか?」
「さぁ、知らない」
そう言う天都をじっと見やるが、動揺も何もない。それもそうかと頷き、進は腕組みをしてにやりと微笑んだ。
「あいつに限ってそれはないか」
「そうなるね」
兄の優しさか、友達を思ってか、天都は嘘をついたことを悪く思わない。それよりもデートのことを聞いてきた進がいやに落ち着いていたことが気になってしまった。
「天音がデートだったら、ショックだろ?」
「いや、別に」
こちらにも動揺も嘘もない。不思議に思う天都を見た進は天都にだけはちゃんと話をしておこうと決め、その肩にぽんと手を置いた。暑いせいか、手を置かれただけで熱が伝わってくる。
「天音以上に好きな人が出来た。だから、もう・・・」
「そうなんだ」
驚く天都はそう言うのが精一杯だった。あれだけ天音を好きだった進の心変わりに不信感を覚えるが、それはそれでそっとしておこうと思った。何より、今は自分のことだ。
「じゃぁ」
「おう」
天都がデートだとは露ほども思わず、進はにこやかにそう言って天都見送る。その天都が数歩進んだところで立ち止まり、それから進を振り返った。
「上手くいくといいな、今度は」
にこやかにそう言う天都を見て、進もまたさわやかで素直な笑みを浮かべて見せた。
「ああ」
そんな進に微笑み、天都は去って行った。今日も暑い夏の空を見上げ、進は少しだけ表情を曇らせる。教師と生徒という障害、何より、恐怖から救ってくれたという依存で今の関係が成り立っている。そうなら、もしそうならば心が自分を必要にならない日が遅かれ早かれ来るのかもしれない。それが無性に怖かった。かといって告白などできない。障害があるほどに燃えるというが、今の状態で結ばれても、いろんなしがらみの中での関係にしかならないのだから。だから冷静にいこうと思う。告白は卒業式の時でもいい、そんな風に思う進は道場で一汗掻こうと門をくぐり、そこを閉めるのだった。
*
待ち合わせの時間5分前にその場所に来たが、すでに相手はそこにいた。電車の方向が同じなのに現地集合にしたのは気恥ずかしいからであり、天音からの提案だった。だからこそ少し早めに、もしくは同じ電車でと思っていたのにこれだ。小さなため息をつき、無意識的に前髪を直すようにしてから大きな柱の前に立っている明斗に近づいた。整った顔の明斗は周囲の注目を集めている。普段どころか、この間プールに来ていた格好でもない、お洒落な格好をしていた。膝丈のジーンズに水色のスニーカーなど、想像もしていなかったほどだ。髪形は普段通りだが、袖のない黒いTシャツから伸びる二の腕の筋肉がまぶしく見える。自分の格好が相手と釣り合っているかなと不安になりつつ、天音は明斗に近づいて行く。何故こうもドキドキするのだろう。こんなデートなど意識しないでいいのにと思うが、どうにも止まる気配がなかった。そんな天音に気付いた明斗が驚いた顔をしている。そんな顔さえまともに見れず、赤面した顔を背けつつ明斗の前に立った。
「お、おはよう」
「ああ、おはよう」
そう言いながら明斗はまじまじと天音を見ていた。女の子らしい格好で来るのは想定外だったこともあってかなり驚いている反面、嬉しく思っている自分もいた。ドキドキしているがそれを上手く隠し通している。
「可愛い服だね」
イケメン特有の慣れた台詞と思われがちだが、自然に出た言葉だった。天音はまあねと言うのが精いっぱいでそっぽを向いている。そんな天音を可愛いと思いつつ、明斗は駅の時計を確認した。ちょうど午前10時半である。
「じゃぁ、行こう」
「あ、うん」
歩き出す明斗の横に並ぶ天音は少し顔を伏せがちだ。自分でも何故こんなになっているのかがわからない。だが、普段通りでいようと思っても出来ないのだから仕方がなかった。そんな天音を横目で見た明斗が小さく苦笑した。
「手でもつなぐか?」
「なっ!なんであんたなんかとっ!」
そう言って睨む天音に優しい笑みを浮かべて見せた。
「いつもの調子が戻って来たな」
そう言い、無表情で前を見やった。そんな明斗を見て、天音は薄く微笑む。顔はまだ赤い状態であったが、心臓の鼓動は幾分かましになっていた。
「手つなぎは1分500円ね」
「ボロ儲けだな」
そう言って微笑みあう2人はここでようやくいつもの調子に戻って行く。そのまま会話はなくなったが、それはそれで悪くはないと思えるのだった。そのまま10分ほど歩けばプラネタリウムの施設が見えてくる。科学に関する様々な要素を持ったこの科学館の中にプラネタリウムがあった。科学館の入場料は500円と安いが、プラネタリムもまた別途500取られてしまう。それでも2人はそれを支払い、11時からの上映を見るためにロビーになっている広場の椅子に腰かけた。
「しかしあんたがプラネタリウムなんて、驚いた」
ここを提案したのは明斗だ。てっきりプールだ海だ、もしくは映画かと思っていたのに、意外なチョイスに驚きつつも興味が湧いたものだ。子供の頃に1度来たきりだけに、面白そうだと思った天音はすぐにOKしていたのだった。
「星が好きなんだよ、実は」
「へぇ、意外」
「よく言われる」
「でも、なんで星?」
「なんでだろう・・・子供の頃から好きだった。夏は夜空が霞むけど、冬ははっきり見えるから好きだ。寒いけどな」
そう言いながら子供のように笑う明斗にまたもドキドキしてしまうが、悪い気はしない。嫌悪感を持っていた頃にはない温かみを明斗から感じている。惹かれている、そう自覚することもなく今はその心地良さに浸っているのだった。
*
「あ」
「あれ?」
改札の前でばったりと出くわした。路線が違う電車に乗ったが、どうやら七星も同じ電車だったようだ。これなら同じ電車に乗るような待ち合わせにすればよかったと思う天都だが、七星は気にしていないようだった。
「おはよう」
「うん、おはよう」
そう言いながらもまじまじと七星を見やる。フリルのついた薄いピンクのワンピース姿はいつもにも増して可愛く見えた。胸元にはリボンを象ったネックレスもしており、袖のないそこからはしなやかで、それでいて程よく健康的に日焼けした細い腕がまぶしく見えている。今日は帽子を被っていないのは室内がメインだからだろう。
「可愛い服だね」
「うん、お気に入りなの」
そう言って笑う七星にメロメロになる。本当に可愛いと思う天都はそんな七星が周囲の注目を集めていることを知ってどこか優越感に浸ってしまった。こんな美少女とこれからデートなのだ、それだけで勝ったと思えるほどに単純な思考をしていた。
「行こっ!」
そう言われ、天都は我に返って頷いた。目指す目的地は水族園だ。去年、海の近くにない街の中の水族館として注目されつつオープンしたそこはかなりの規模を持った施設になっていた。もちろん定番のイルカショーもあって、子供たちにも飽きさせない工夫が数多くされていることでも有名だった。
「イルカさん、楽しみなんだぁ」
「僕も」
イルカに『さん』を付ける七星を可愛いと思いつつ、やっぱり自分は七星が好きだと思う。明斗に振られた今はもう七星に好きな人はいないはず、ならばここで一気に距離を詰めようと考えているが、実際にそういう行動力は天都にはない。ただ仲良く過ごせればいい、そんな思考になっていた。恋にも臆病な自分を呪いたいが、失恋して間もない七星に告白するのもどうかと思うだけに今日はそれでいいと思う。やがて混雑したエントランスに到着し、少し並んでチケットを買う。そのまま備え付けのパンフレットを見つつショーの時間などを確認していった。
「イルカショーは11時からだね」
「そっちへ向かいながら見て行こうよ」
「そうだね」
そう言いながらまずは入ってすぐ正面にある巨大な水槽の前に立った。人が多くて下の方は見えないが、3階までの高さを誇る大水槽は十分に見ることができた。横幅もかなりあってその迫力に圧倒されてしまう程だ。
「すごいね、凄く素敵」
「この中で泳いでみたい?」
「んんー、なんか怖いから、パスかな」
そう言って笑う七星に笑顔を返す。ジンベエザメやらウミガメ、そのほかにも大きな魚が泳ぐ大水槽の中は確かに怖そうに見える。だが、外から見る限りは幻想的で雄大だ。そうして2人は熱帯魚のエリアに移動し、サンゴ礁の中で泳ぐ魚たちを見て回った。時々手が触れ合うが繋ぐことはしない。繋ぎたいという欲求はあれど、その勇気は出なかった。
「あそこだね」
やがて一旦外に出た2人はイルカのショーをする施設を見やった。これまた大きな規模を持っており、2人は陽光の中、雨避けと日陰を作るようにして作られた小さなアーケードの中を進んでいく。既にそこは人であふれていたが、中に入れば端の方の席は空いているようだ。本当は正面で見たかったが、仕方なく右端の方に移動していった。床が濡れているせいか、滑りやすくなっている。だからか、七星は無意識的に天都の手を握った。一瞬ドキッとした天都だが、不安そうな七星を見て握った手に力を入れつつ滑らないように気を付けて下へと降りていく。そうして席についたところで手を離した。名残惜しいが、その柔らかくすべすべした感触は一生忘れることはないだろう。
「ありがとう」
「ううん」
座ってから礼を言った七星に笑顔を返す。七星は何とも思っていないらしいが、天都にとっては大収穫だ。出来るならずっと繋いで1日を過ごしたいと思うが、それは無理だろう。
「私、こういう、男の人と2人で出かけるのって、デートって初めてで・・・緊張してる」
とてもそうは見えないが、はにかんでそう言う七星が愛おしく、そして初デートの相手が自分であることに有頂天になっていた。一生思い出に残るものにしたいと思うし、気が早い話だが将来結婚した時などに思い出して語り合いたいとも思う。
「天都君は、なんか慣れてる感じがするね」
その言葉に一気に現実に引き戻された。何を思ってそう言ったのかはわからないが、勘違いも甚だしい。自分にとってもこれは初デートなのだ。微笑む七星を見て首を横に振った天都はあまり必死にならないようにしつつ言葉を選んで口を開いた。
「慣れてるかなぁ?僕も初めてなんだけどね、デート」
わざとデートを強調してみる。
「そうなんだ?なんか慣れてる風に思えたから・・・でも、リードしてね?」
「もちろん」
何を思って慣れていると感じたかは分からないままだったが、リードして男らしいところを見せようと思う。まずはそういう出来る男という印象を与えることが大事なのだから。
「でも不思議だね?初デートの相手が天都君だなんて」
「そうだね」
モテる七星のこれが初デートという方が驚きだが、そういうことに関して鈍感というか天然というか、消極的な部分もあってのことだろう。これまで告白されて断った理由も、知らない人だからとか、なんとなく嫌だから、とかさまざまな理由で撃沈してきた無敵の戦艦だ。それに七星にとってまともな恋は明斗に対するものだったこともあり、男の子と2人でこうして遊ぶことなど考えたこともなかった。そうなる相手は明斗だと勝手に思い込んでいたのもある。なのに天都の提案を受け入れたのは相手が天都だからだ。気が許せるただ1人の男子、そういう存在だからこそのデートなのだ。だから七星にしても悪い印象はない。ただ楽しもう、それだけだった。
「私は、最初は下村君と・・・・・」
そこでハッとなって言葉を止めて俯いてしまう。その理由を感じ取った天都は何も言わず、ただ優しい笑みを浮かべてキラキラと光る水面へと目をやった。そんな天都の横顔を見つつ罰の悪そうな顔をした七星を見ず、天都は微笑をそのままにゆっくりと口を開いた。
「誰でもそうだよ。好きな人とのデートを夢見るから」
だからに気にするな、気にしない、そんな風な言い方だった。七星は消えない罪悪感を胸に顔を上げ、そして小さく微笑んでそっと天都の手に自分の手を重ねた。けれど今度はドキッとしない。その理由もわかっていたから、天都はそのまま七星の手の温もりだけを感じていた。
「ありがとう」
「ううん」
そう言って自分を見た天都の笑顔にドキッとする。優しい、なんとも言えない淡い微笑に思わず見とれてしまったほどに。




