天使のウィンク 4
何故か不機嫌そうに腕組みをして階段に並ぶ列に立っている天音の背中を見ているのは明斗だった。じゃんけんの結果とはいえ、この男と組むのはどうにも抵抗がある。普段もそうだ。好感を得ることもあるが嫌悪感もまた確かに持っている。自分の気分に左右されているのかはわからないが、そういう気持ちが日や時間によって異なっていた。ただ、密着することになる今は嫌悪感しかなかった。触れられたくない、そうとしか思えない。そんな天音とは裏腹に、明斗は柄にもなくドキドキしている自分を自覚していた。最近、天音に感じていた嫌悪感や殺意などといった負の感情は身を潜めている。逆に時折、天音に自分の子供を産んでほしいとまで思うほどになっていた。天音に恋をしている、というわけでもないのに。だが、今の明斗はそれに近い感情を持っていた。水着姿の天音と密着できる、それが嬉しかったのだ。目の前の少女の健康的な肉体は鍛え上げられている。そのせいか、控えめな胸よりもややボリュームを持っているお尻の方へと意識が向いた。背中を見ただけで何故か分かる。そのやや筋肉質な体は陸上選手のものではなく、あくまで武術家のものなのだということを。
「いい体だな」
その言葉に素早く振り向いた天音の顔は赤い。
「へ、変態っ!」
「あ、いや・・・・そういう意味じゃ・・・・」
明らかに動揺している明斗が珍しいせいか、真っ赤だった天音の顔が少しましになっていく。それでも恥ずかしいのか、胸を隠すようにしつつ少しだけ前のめりの態勢になった。
「鍛えあげられた、という意味なんだが」
しどろもどろになる明斗に小さな声でどうもとだけ言い、天音はすぐに背中を向けた。何故、明斗相手にこんな気持ちになるのか自分で自分が理解できない。あれほど嫌だと思っていたのに、今はそう言われて何故か嬉しく思うからだ。情緒不安定なのかなと思う反面、自分は明斗のことを本当はどう思っているのかと考えた。同じ部活でそれなりには親しい方だと思う。現にこうして成り行き上とはいえ一緒に遊んでいるのだから悪い気持ちは持っていないといえるだろう。なのに消せない嫌悪感があった。理由などない、ただ単に嫌悪しているだけだ。理由もないのにこれはどうかと思う天音はチラッと明斗の方を振り向く。階段の中腹辺りに来ているせいか、明斗はプールをなめつつ遠くの景色へと顔を向けていた。その横顔は綺麗だと思う。イケメンとはこういうものだという見本のような顔がそこにあるのだ。翔とはまた違った綺麗な顔立ちに天音は惹きつけられていた。心がざわめく、そんな感じである。
「前、詰めないと」
不意に前を向いた明斗にそう言われ、天音は黙ったまま2段上がる。その一段下にいる明斗を見ることができない天音は自分自身の気持ちに困惑していた。これではまるで明斗に恋をしているようなものだ。自分は翔が好きなのに、イケメンなら誰でもいいのかと自己嫌悪に陥った。翔に恋心を抱いてからは他の男子に目が行くことなどなかった。常に翔がいて、翔は最高の男性だと思っている。なのに、似た感情を明斗に抱きつつある現状に戸惑っているのだ。錯覚だと思う。一時の、今だけの気持ちだと分かっている。なのに、動機が収まる気配がないのはどういうことだろう。そうして滑り台の順番がやってきた。考え事をしていたせいかすぐに順番が来た感覚だった。
「俺が前でいいか?」
「私が前」
「わかった」
何故かお互いに感情のない言い合いをしたせいか、係員が苦笑している。そんな係員にすら気づかず、天音が前に座って明斗がその後ろにつく。体を密着するせいか、天音はまた顔を赤くしてしまった。
「ではブザーが鳴ったら行ってください」
「はい」
明斗が返事をし、天音の腹の前で腕を組んだ。その感触にさらに動機が激しくなるが、同時にブザーが鳴ったたために足で勢いをつけた2人はそのまま一気に滑り降りていく。見ている範囲ではそう速そうになかったものの、実際に体感するスピードは結構なものだ。そのまま勢いよくプールに突入し、すぐさま水面に顔を出した。顔の水滴を手で払いのけ、天音は同じようにしている明斗を見て笑った。明斗もまた笑っている。
「ね、もう一回行こうよ!」
「同じ面子でいいのかな?」
他の面々を気にしているのかそう言う明斗の手を引っ張る天音の動悸はもう収まっている。それよりももう一度滑りたいという気持ちの方が勝っている感じだった。
「天都たちはまだなのかな?」
きょろきょろする明斗の顔が少し赤いように見えるが、天音は気にしない。手を引っ張ったまま、そんな明斗を振り返った。
「いいからいいから!ね?」
そう言って可愛くウィンクした天音にますます照れた顔をする明斗は、自分が天音を好いていると自覚をした。それほどまでに魅力的なウィンクは明斗の中でこの夏一番の思い出になったのだった。
*
自分のじゃんけんの運は全て使い切った、そう思えた。じゃんけんで勝った者から順にペアになるその勝負に勝ったのだから。最初に天音が勝ち、次いで明斗が勝利した。この時点で天音と明斗のペアが決まり、落胆する七星を横目にチャンスの芽が残っていることに内心でガッツポーズを作っていたほどだ。そして次に七星が勝利した。一気に燃え上がる天都の中の勝利への執念。気合一閃、天都は勝負に出て、そして勝ったのは天都と三葉だった。あとは天都と三葉がじゃんけんをし、勝った方が七星と滑ることになる。さっさと滑り台へと向かう天音と明斗を見つつ、チラッと七星を見れば七星もまた同じように明斗の方を見つめていた。その複雑な心情を察した天都の中で勝利への執念が薄れた時だった。やる気満々の目をした三葉が近づいてくるや、そのまま少し睨むように顔を近づけてきた。
「先輩はグーを出してください。いいですね?」
早口な上に小声でそう言い、三葉がじゃんけんの態勢に入った。あわてて同じようにした天都は、ウィンクをする三葉を見て、そのままグーを出した。勿論三葉はチョキを出して勝利を掴む結果になったものの、天都はじっと自分の拳を見つめるしかない。そうして三葉を見れば、負けちゃいましたと舌を出している。
「瀬尾さん・・・」
「先輩、強いです」
そう言う三葉に何も言えず、メロディの傍に行く三葉を見る事しかできない。
「天都君、行く?」
七星がそう言いながら近づいてきたことで我に返った天都はうんと頷きつつ三葉へと視線を送る。三葉は次に勝ったメロディと談笑しており、天都の方は見ていない。
「瀬尾さん、どうかしたの?」
じっと三葉を見つめていたせいか、七星にそう言われた天都は何でもないと言いながら並んで歩き出す。それを見た三葉は複雑そうな笑顔を浮かべるのが精いっぱいだ。そんな三葉の気持ちも知らず、天都は滑り台へ向けて歩いていた。隣を歩く七星は今日も可愛い。胸についたリボンも可愛いピンクのビキニ姿を目に焼き付けつつ、夏休みに入ってからの近況などを話していた。三葉には悪いがやはり自分は七星が好きなんだと思う。そんな七星は時折既に滑り口へと続く階段に並んでいる明斗の方へと顔を向けていた。
「明斗と滑りたかったよね?」
七星の気持ちを知る唯1人の存在であるせいか、七星は困った笑顔を見せつつ歩みは止めなかった。そんな笑顔も可愛いと思う反面、この子を好きでいるメリットも感じられない。いっそのこと三葉を好きになれればと思うものの、それは卑怯だと分かっているだけにその行動は絶対に取らないと決めていた。本当に三葉を好きになれれば、その時は素直に感情に従おうとも。
「でも、結局これが現実なんだよね」
その言い方にズキンと心が痛んだ。自分と滑ることが嫌だ不本意だと言われたようなものだからだ。だからか、思わず黙り込んで空気の変わった天都を見た七星はあわてた様子でさっきの言葉の真意を説明し始めた。
「そうじゃなくって!あの、結局どんなに好きでも報われないってこと・・・友達だとも思われていないんだなって、そう思ったの。これが現実だって、それはそう言う意味」
その説明に納得し、ホッとする。だが、同時に七星の気持ちを考えて沈んだ気持ちは維持してしまう。七星の恋を応援すると言っておきながら何も出来ていない。そう、さっきの三葉のような行動もとれていないのだ。
「僕、何の役にも立てなくて、ゴメンね?」
素直な言葉だった。好きだからこそ幸せになって欲しいと願っていた。相手は自分よりも人が出来ている明斗だけにそう思っていた。だが結局は自分の気持ちの前に明斗との仲を取り持つこともできなかったことを詫びたのだ。
「結局何の役にも立てずでさ・・・ホント、ゴメンね?」
「ううん、天都君は頑張ってくれてるよ。1年生の時なんか、3人で帰ろうと言ってくれたり」
「2人に出来なかったから、それは悪かったなって・・・明斗がああだから、なんか2人に出来なくて」
「会話にならないものね」
その言葉に微笑み、七星も笑顔になった。そうして階段の下に出来ている列に並んだ。日陰になるせいか多少は暑さを凌げるのがありがたい。
「今日、はっきりさせようかなって、そう思ってるんだ」
七星が小声でそう呟く。前に並んでいるカップルが大きな声で会話をしているせいか、気付かれないようにしたのだろう。
「告白するの?」
天都も小声になり、七星は頷いた。だが勝算ははっきりいって、ないに等しい。明斗が七星を好いている確率はゼロで、フラれるのが目に見えている状態で告白などありえない。
「まだ早いと思う。この間は勉強会、んで、今日。こうやって一緒にいる時間を多くしてからの方がいいよ」
「でも、そうしても、きっと今よりほんの少しだけ仲良くなれるだけだと思う」
「そんなことは・・・」
「だって・・・」
天都の言葉を遮るようにそう言い、七星は少し悲しげな表情になって天都を見やった。
「下村君は天音ちゃんを好きだから」
その言葉に衝撃を受ける。そんな素振りもなかったはずだ。天音は明斗を嫌っているようだったし、明斗も天音を意識している風ではなかった。どちらかといえば険悪な部類に入るだろう。
「そんな風には見えないけどなぁ」
「ううん、そうだよ」
何故か自信満々にそう言う七星にどう言っていいかわからない天都は黙るしかなかった。七星が告白して振られればチャンスが回ってくる。落ち込む七星をケアしていけば、自分に振り向いてもらえるだろうと思えた。だが、そんな気が起きない。
「だから、けじめかなぁ?」
「けじめ?」
「うん」
そう言う七星が微笑んだ。自分の気持ちへのけじめ、そう受け取った天都はそれ以上何も言えずに黙り込んだ。
「天都君は、瀬尾さんのこと、どう思ってるの?」
何故ここでその話題なのかとびっくりした顔を向ければ、くすくすと七星が笑っている。困った顔をするしかない天都は頭を掻きながら階段を上がった。
「どうって・・・・ただの仲のいい後輩だよ」
「2人きりで勉強会しておいて?」
「・・・・・うぅ・・・まぁ、でも、実際そうだし」
「助けられた人に勉強を教わる、それって、最高のシチュエーションだよね?」
「かもね」
苦笑するしかない。けれど、七星の表情は何か達観したようなものになっていた。
「今度は私と勉強会してね?2人で」
嫌味のような、そうでないような微妙な言い方に返事が出来ない。だが七星の微笑みは素直な感じが出ていた。その真意がわからず、天都はただじっと七星を見つめることしかできない。保険をかけているのかとも思う。明斗との仲が絶望的になった際の保険。
「みんなでしようよ」
「そうだね」
その思いから逃げた天都の言葉に、七星は少しさみしそうに微笑んだ。その表情が意味するところが理解できず、天都はただ愛想笑いをするしかない。そして七星にとっても、さっきの提案に自分でも驚いていた。明斗への恋は失恋で終わると分かっているからこそ、天都への保険をかけたのかと。天都を好きなのかもしれないと思うものの、その実感はなかった。なのに三葉と一緒に仲良くしている天都を見るのは嫌だ。そんなわがままで自己中心的な気持ちにけじめをつけたかった。そう、七星の言ったけじめとは明斗への想いと天都への気持ちに対してだ。明斗に振られた自分がどんな気持ちになるかはまだわからない。そして、だからこそ天都への気持ちも見えてくるはずだ。友達なのか、それ以上の存在なのか。ずるい自分を嫌悪しつつも、そうすることしか出来ない不器用な自分を自覚する。そして2人が黙り込んだまま列は進み、いよいよ2人が滑る番となった。どちらが前に行くかという話になるが、高さ的に怖いということで天都が前、その天都にしがみつく七星という態勢になる。可愛い七星に抱き着かれる天都に周囲の男性の嫉妬の目が注がれる中で、七星がぎゅっと天都に密着する。豊かな胸が背中に押し付けられるのを意識した天都だが、さっきの告白の件を聞いたせいか邪な気持ちは生まれなかった。
「行くよ?」
「うん!」
そう告げて天都は足で勢いをつけた。結構なスピードで滑るせいか、背中の七星から悲鳴が上がった。その七星の体温を感じていた時間もあっという間に終了し、2人はプールに飛び込んでいた。冷たい水から上半身を出して顔の水を手で拭う。ポニーテールの髪が胸元に来た七星が笑っていた。天都も笑い、そのままプールを出た。
「結構すごかったね?」
「うん、びっくりしたよ」
そう言って微笑み合う。そうしてそのプールサイドに腰を下ろした2人は順番に滑ってくる面々を見つつ、終わった連中とワイワイ騒いだ。そして何故か一番最初に滑ったはずの天音と明斗が最後にやって来たのを見た七星は複雑そうな笑顔を浮かべている。そんな七星を見つつ、天都は天音と仲良さそうにしている明斗を見て少なからず驚くのだった。
*
滑り台を終えてひとしきり遊んだ明斗はトイレへと向かった。すると流れるプール側のトイレは結構混んでいたこともあって、通常のプール側に移動をする。こちら側のプールは来たときほど混雑しておらず、今は空いているように見えた。水泳の練習をする親子連れを見つつ歩いていた明斗の足が止まる。知った顔がそこにいたからだ。それもありえない組み合わせに自分の目を疑ったほどに。そんな不穏な空気を出していたせいか、男女ペアのうち男が明斗に気付いて固まってしまった。お互いに固まる中、明斗に気付いた女の方もまた固まってしまった。
「ウソだろ?」
自然とそう呟く明斗と同時に、その視線の先にいた進もまた同じ言葉をつぶやいていた。その横には英語教師の心がいるのだ、意外というか、ありえないと思う。
「え・・・と」
言葉も出ない進に近づく明斗は冷ややかな目をしつつプールの縁に腰かけた。ここは深さ120センチのプールであり、今の時間はカップルが多いようだ。
「意外な組み合わせに驚いてる」
「まぁ、そうだろうな・・・」
そう言うしかない進は腕組みをしつつ困った顔をするしかない。この状況ではどんな言い訳も通用しないだろう。明斗には本当のことを言うべきか悩むものの、答えは出ない。
「あのね、私が我が儘言ったのよ」
こちらも困った顔をしつつ、その大きなバストの下で腕を組みつつ明斗に近づいてきた。そんな心を見やった明斗は何も言わず、ただ言葉の続きを待っている。そんな明斗を見つめ、心はただ事実だけを述べることにしたのだった。
「私が、プールに行きたいって言ったのよ。佐々木君は、以前に私を暴漢から救ってくれてね・・・それから、ダメだと分かってるのに甘えてる」
「ほぅ」
そう言い、進を見れば黙ったままじっと明斗を見据えていた。どうやら心の言い分に嘘はないらしい。それを知ったからか、明斗はさっさと2人に背を向けたために進があわててプールから上がる。
「下村っ!」
「流れるプールには木戸さんや結城さんたちもいる。俺は天都と時雄と一緒に来て、たまたま木戸さんたちや1年の女子と会った」
事務的にそう言い、それから進の方を振り向いた。
「だからあっちには近づかない方がいい・・・あと早めに帰るといいぞ」
「あ、うん」
「あと、2人のことを誰かに言うつもりもないから」
「え?あ、はぁ」
「恋愛は自由だからな」
「いや、恋愛って・・・」
「違うのか?」
その静かな質問に進は黙り込み、心はただ進の返事を待つ。教師としてはいけないことだと知りつつも、自分は進に恋をしている。だからか、期待半分不安半分の気持ちでただ次の言葉を待つ。それがどんなに現実的な言葉であってもちゃんと受け止める覚悟だ。
「正直わからない・・・・そうかもしれないし、違うかもしれない。でも、多分・・・」
「わかった。それで十分だよ」
進の言葉を遮り、明斗は微笑んだ。その顔がどういう意味を表すのかはわからないが、少なくとも納得はしてくれたようだ。
「ありがとう」
その言葉に片手を挙げて去って行く明斗の背中を見つつ、心は進の横に立った。正直、ちゃんとした言葉を最後まで聞きたかったと思う。しかしその反面、聞くのが怖いと思っている自分もいた。
「じゃ、あとひと泳ぎしたら出ましょう」
「オーケー」
心の提案にそう言い、ざぶんと沈んで首だけを出す心を見て微笑む。自分でも思いがけないほど素直に言葉にしていたと思えた。だからか、その続きを心の中で呟いてみせた。
「多分、俺は先生が好きなんだと思う」
そういう風に。




