揺れる想い 1
通学は徒歩と電車となっていた。家から近い高校もあったのだが、どうしてもこの学校に入りたくて勉強も頑張った。その結果、無事に入学できたのが1年前のことだ。元々勉強は得意ではなく、体を動かす方が得意な活発的美少女だと自負しているせいか、そこそこ難易度の高いこの桜ヶ丘高校に入学できたことは素直に嬉しくもあり、それでいて納得できないこともあった。それは双子の兄の存在のせいだ。運動はさておき、ゲームだ漫画だアニメだとオタクなくせに勉強は出来る優等生なためか、必死に受験勉強してきた自分と違い、彼はランクを落として合格を確実にするためにこの学校を選んでいたのだ。双子なのにこうまで学力に差が出ることが納得いかない。小学生の頃から鍛錬の一環で始めた空手を中学まで続けてきたせいだとも思うが、だからといって毎日ゲームだアニメだと遊んでいた兄がどうして頭がいいのか理解できないでいた。一卵性でなく二卵性の双子だからかと思ったが、元々の出来が違うのだろう。活発的な自分と内向的な兄、それだけでもう双子だからという理由など存在しなかった。朝も早い時間に家を出て、空いている電車に揺られている。座って通えるという点では陸上部の朝練も悪くはないと思えていた。各駅停車の電車が少し小さめの駅に止まる。そういう駅のせいか、乗り降りする人の数は片手で足りるほどでしかない。そんな人の中に1人の男性が目に入り、少女は少し顔を背けるようにしてみせた。
「おはよう」
低めの声に抑揚はない。
「おはよう」
こちらも機械的な挨拶を返すのみだ。男は少女と同じ高校の制服を着ている。見た目もイケメンで、少し前髪が長いだけで適度な長さの髪は真っ黒だ。対する少女はかなりのショートカットをしており、かなり可愛い顔をしていながらもその髪形のせいか、私服の際には後ろ姿で少年と間違えられることもあった。こちらも今時の女子高生ながら髪は黒かった。男は少女から2人分ほど空けて右側に座り、正面を見据えたままだった。校内でも人気の高いイケメンであり、またどんな告白も必ず振るという伝説を持つ美男子でもある。女に興味などなく、もっぱらゲイだという噂もあるのだが、陸上においては1年生の時点で全国3位になる短距離走の実力者だった。来年開催のオリンピック候補との声も上がるその実力はいまだに発展途上である。
「あんた、来月の大会、辞退するんだって?」
前を見たまま感情のない声でそう言い、美少女は目だけを一瞬男へと向けた。そんな少女をかすかに頭を動かして見た男は小さく頷くだけで返事をしない。
「下村が辞退するって言ってるって、監督が嘆いてたけど」
「夏の大会に全力を注ぎたいだけだよ。今は実力の底上げをしたい。それに大会っていっても新人戦みたいなものだから、出る必要性を感じない」
下村明斗はいつもと変わらぬクールな口調でそう言うのみだ。見た目のイメージ通りのクールガイ。そして成績は優秀で運動神経は人間離れをしている。中学時代の部活は美術部に所属し、それはそれで結構な賞を取っていたほどの腕前だった。それが高校入学と同時に陸上部に入部、いきなり高校記録タイを打ち出して鮮烈なデビューを飾って以来は常に全国レベルの実力を発揮している。しかもまだまだ発展途上中なのだ。
「やっぱ天才は言うこと違うね」
苦笑交じりにそう言い、少女はふぅとため息をついた。かっこつけた言葉ではない。明斗はそういうことを一切言うことのない人間だった。それはもう重々理解している。
「木戸さんも、大会出ないって聞いたけど?」
「まぁね・・・私の目指す場所は一番だけ。インターハイ優勝のためにいらないものは切り捨てる」
そう言い、木戸天音は微笑んだ。それはどんな男もメロメロにするほどの破壊力をもった可愛さを持っている。だが、明斗はその例外にあたるだろう。苦笑し、前だけを見据えているのがその証拠だ。
「空手を続けていれば、一番で居続けられただろうに」
「なったしね、中学で一番に。それに空手は鍛錬の一環でしかないし、空手をやっても勝ちたい人には勝てないしさ」
つまらなさそうにそう言い、天音はぼりぼりと頭を掻いた。まるで女の子らしさのない仕草に明斗は苦笑を濃くし、顔を天音に向けた。
「君でも勝てない人がいるんだね」
「4人いるよ・・・絶対に勝てない人がね」
「中学の空手で圧倒的実力で3年間君臨した女王の言葉とは思えないね」
無敗の女帝、そう呼ばれていた天音の強さはそれこそ13歳にして世界レベルだと称されていた。結局、去年も圧倒的な実力をもって体格差をものともせずに国内で勝ち続けた天音は世界大会でも優勝したほどの腕前を持つ。彼女が最も得意とした左右同時の蹴りは世界でも称賛され、『世界一華麗なる空手をする少女』と呼ばれるほどになっていた。そんな天音が高校進学と同時に陸上部に入部したことは世間を驚かせていた。だが、それ以上に驚かせたのが彼女の才能だ。空手のみならず陸上の短距離でもその実力は全国レベルであり、昨年のインターハイでは4位入賞を果たしていた。そんな運動の才能の塊が勝てない相手に興味はあれど、それを問うことはしない明斗は顔を正面へと向けた。以後はまったく会話のないまま電車は目的地に到着するのだった。
*
優男と言われ続けてきた。女顔だと自分でもそう思う。かといってイケメンではない、そう自負しているせいか、恋愛面でも消極的な部分があった。付き合った女性は過去に1人だけ、それも浮気されて別れたせいかそれ以来、恋には奥手になっていた。その反動もあって、熱血教師として自分を奮い立たせてきた。竹刀こそ持っていないが、言葉は厳しく、それでいて暑苦しいほどに真剣に指導に取り組んでいた。テレビによく出ている元熱血テニスプレーヤーに似ている、生徒たちにはそう言われているがそれは褒め言葉だ。何故ならば、彼のようになりたいと思っていたからだった。
「品川先生、今日も朝練だったのですか?」
その愛らしい声にとろけた顔をしたのは一瞬で、品川恭治はきりっとした顔をその女性、大崎心に向けた。
「ええ、新人戦もありますし、新入生を早めから鍛えておかないと」
「大変ですね」
そう言い、隣の席に座る心から流れるいい香りに顔がゆるんでいく。1つ年下ながら大人の色香を持ち、何よりその大きな胸に目がいってしまう。大学時代はミスキャンパスになったこともあるその容姿はこの学校の独身男性教師たちからは羨望のまなざしを向けられ、また彼女にしたい候補ナンバーワンでもあった。そんな心に彼氏がいないのは調査済みな恭治だが、だからといって行動に移せない自分が歯がゆい。席も隣同士で仲もいいが、本当に『ただ仲のいい同僚』の立場でしかなかった。
「大崎先生はテニスが得意、でしたよね?」
これまたリサーチ済みである。
「ええ、よく御存じですね」
「まぁ・・・自分も学生時代に少ししてたんですけどね」
女性教師の集まりでテニスをしているという話を別の女性教師から聞いていた恭治だが、そこはさらりと流して顔を強張らせた。ここまでは予定通りに会話が進んでいる。ならばと意を決した。緊張が顔にありありと出ている恭治だが、そんなことはお構いなしにずいっと椅子ごと心の方に体を寄せた。
「よかったら、今度一緒にテニスしませんか?」
その言葉に心がにこやかにほほ笑んだ。勝った、そう思った恭治が心の中でガッツポーズをする。
「いいですね、やりましょう!」
今度は両手で拳を握った。これを一歩に親密な関係に、そう思考し始めた時だった。
「じゃぁ、他のメンバーにもそう伝えておきますね。一応、明後日の夜なんですけど、大丈夫ですか?」
「・・・・あ、はい」
反射的というか無意識的にそう返事をするが、恭治はもう抜け殻になってしまっていた。だからか、予鈴が鳴っても呆けたままであり、1時間目の体育の授業に少々遅れてしまったのだった。
*
今日も春の陽気で天気は良かった。気温も申し分なく、暑くもなく寒くもない。そんな屋上へやってきたのは2人の男子生徒である。そこに誰もいないのを確認した坊主頭の少年が今出てきた出入り口の反対側に移動し、着いてきていたもう1人もそれに続く。幼さが残る容姿をしているが、それでも年相応の雰囲気はちゃんと持っていた。そんな少年の肩を抱くようにした坊主頭の少年が顔を寄せ、目だけをせわしなく動かして誰も上がって来ないかと気配を探るようにしてみせる。
「で、なんなの?」
うんざりしたような顔と声を一致させ、少年がそう問いかけると坊主頭の少年がそこに座り込んだ。鼻でため息をつき、少年も隣に座る。
「天都、いまから重大な秘密をお前に打ち明ける。そして重要な任務を君に与えようと思う」
坊主頭の少年は真剣な顔つきと真剣な声で木戸天都にそう告げた。天都はうんざりした顔のまま軽くだけ頷くが、坊主頭の少年である天都の中学時代からの親友の陣内時雄はそんな天都の両肩に両手を乗せるのみ。
「俺はお前の妹が好きだ。だから、今、この瞬間から俺を義弟と呼んでくれていい」
「お前が天音を好きなのは知ってる。でもね、義弟と呼ぶのは遠慮しとくよ・・・・」
「そうか、さすがにまだ早いよな」
告白する前から結婚する気満々かと思う天都だが、それは顔に出さない。
「で、だ・・・天音の気持ちを知りたい」
「なら、告白しちゃえばいいんじゃない?」
「・・・・あいつが誰を好きなのかを調査してほしい。告白は万全のタイミング、最高のセリフをもって実行したいからな。だから、お前の任務は重要だ」
天都の意見を完全無視し、時雄は持論を展開しつつ熱い目を天都に向けた。その暑苦しい視線を避け、天都は深々とため息をつくしかない。時雄が中学の時から天音を好きでいることは知っているし、天音が時雄のことを友達としてしか思っていないことも知っている。それに調査をせずとも天音が誰を好いているかも知っている。つまり、調査など最初から不必要なのだ。
「もちろん、ただでとは言わない」
すぐに断ろうとしていた天都の口がその言葉を聞いて動きを止めた。我ながら現金だと思うが、調査せずとも報酬が手に入るのであれば条件次第で乗ってやろうと思ったのだ。
「新作ゲームで、どうだ?」
「新作って?」
声が上ずりそうなのを堪えてそう質問を投げた。まさかこんな高額報酬とは思ってもみなかったからだ。言い換えればそれだけ本気ということだろう。だが悲しいかな、彼の期待する答えは用意できない。それでも神妙な顔つきになった天都を見て満足そうに笑った時雄がさらに顔を寄せてきた。
「モンスターブレイカー4」
「マジでっ!?」
思わず大声を張り上げたせいか、時雄に口を塞がれてしまった。だがその報酬は調査に見合うものではない。はっきりいって報酬の素晴らしさに時雄の本気度が見えたと言っても過言ではないだろう。時雄は本気で天音を好きで、しかも結婚したいと思っているようだ。何度も悪態をついては蹴りを入れられ、冗談で胸を触りにいっては投げ飛ばされていた時雄だが、それもまた愛情表現だったのだろうか。とにかく、その大きな報酬に、天都はがっちりと時雄の手を握りしめていた。
「やってくれるかね?」
「お任せを、閣下!」
「うむ」
恭しく頭を下げる天都、満足げな時雄。ここに取引は成立した。ただ一方的に天都が得するだけの取引であったが。
*
木戸兄妹は対照的な双子、それが周囲の見方だった。内向的でオタクな兄の天都、活発的で男勝りな天音。勉強は天都の方が上だが、運動神経は群を抜いて天音の方が上である。美少女であるにも関わらず男っぽい天音は男子や女子からも人気があり、バレンタインデーに女子からチョコをもらうほどだ。対する天都は女子からの人気はない。しかし、自分はオタクであり、女子を少し苦手としていることもあってか、本人はそれを何とも思っていないようだった。それに天音と比較されてもどこ吹く風だ。天才天音と凡才天都。二卵性の双子だからそうなのだという認識の中、ただ1人の例外といえる女子生徒がそこにいた。
「先輩、今帰りですか?」
可愛らしい声とその容姿はぴったり一致している。天音よりは長めのショートカットも似合っていると思う。天都はそんな瀬尾三葉ににこやかな笑みを見せ、それを見た三葉はほんのりと頬を染めた。
「うん。瀬尾さんも?」
「はい」
屈託のない笑顔が眩しいと思う。1つ年下の1年生だが、彼女もまた人気のある女子生徒だった。裏表のない性格が受けているのだろう。家の都合で家事手伝いを兼ねたアルバイトをしているため、部活には所属していない。だからか、いつも決まった時間に下校しているのだ。対する天都は部活をしていないのは同じだが、いつもは教室で友達とダベったりしているので下校時間は変則的だった。野球部所属ながら時間まで話し込むことが多い時雄や、幼馴染である佐々木進と遊んだりしていたからだ。今日は時雄がすぐに部活に向かい、進は用があるとかでさっさと帰っていた。
「あの・・・」
靴を履きかえたところで三葉がそう声をかけた時だった。
「天都くん」
不意にそう声をかけられた天都は振り返り、三葉は思わず黙り込む。長い髪を揺らしながらやって来たのはこの学校でナンバーワンの美少女だと名高い結城七星である。天都とは同じ中学であり、その頃から同じ塾に通っていたこともあってかなり親しい友達でもあった。つまり、天都にとって数少ない親しい女子であり、そして密かに憧れている存在でもあった。だからか、自然と表情が緩む天都を見つめる三葉は複雑な表情になっていった。
「七星ちゃん、今日は早いんだね」
「うん。今日は部活がお休みだからね」
「そうなんだ」
「一緒に帰ろっか?」
意外な言葉に天にも昇りそうな気持ちを抑え、大きく頷いた天都はさっさと靴を履きかえた。と、そこで三葉の存在を思い出して振り返るものの、そこにはもう三葉の姿はなかった。
「瀬尾さんなら、さっき出て行ったよ?」
「あ、そうなんだ」
「よかったの?」
「あ、うん」
これといって話し込んだわけでもなく、ただ出会っただけの話だ。それよりも七星と一緒に下校できることが天都にとっては嬉しかった。
「じゃ、行こ」
にこやかにそう言われてとろけそうな顔をした天都は周囲の男子から羨望と嫉妬の視線を集めながら七星と一緒に学校を出た。こうして2人だけで帰るなんてことは初めてだ。大抵は時雄が一緒だったり、天音が一緒だったりするからだ。今日は色々とついている、そう思う天都が七星との会話を弾ませる。中学の時からの友達であるためか、それが好きな子であっても自然な会話ができていた。内向的な天都が積極的になれる数少ない女子であるためか、楽しい時間が過ぎていく。駅を目の前にし、日常のことでいろいろな話題となっていた。
「そういえば、瀬尾さんって、天都くんに助けられたって言ってたよね?」
「あ、うん」
途端にトーンダウンしてしまう天都だが、それを見ても気にしないのが七星だ。
「でも、瀬尾さんの言うとおりなの?」
七星は天然だ。思ったことをすぐに口にしてしまう。だがそれもまた彼女の個性だった。社長令嬢でありお嬢様、だからそういう部分もまた魅力の1つになっているのだ。現に天都もそういう部分を可愛いと思っている。
「どうだろう・・・」
否定も肯定もしない、それがこの件に関する天都の一貫した態度だった。だからか、実際はそうではないのに、否定しないことで事実にしようとしているとの声もあるほどに。
「中学の時に不良に絡まれているところを助けたんでしょ?それも一瞬で何人も倒して。まるで天音ちゃんだよね、それって」
そう言って笑う七星に笑いを返したものの、天都は何も話さなかった。天音の強さは有名だ。それは七星や時雄といった彼女のことをよく知る人間にとっては常識なのだから。それに、天音の強さの本質は空手ではない。幼い頃から父親に叩き込まれた一族に伝わる武術が本流なのだ。
「天都くんも、天音ちゃんと同じ技は使えるんでしょ?」
「一応はね・・・でも、使わない」
「天都くんは優しいから」
そう笑う七星に笑顔を返すが、それは先ほどまでと同じ笑顔ではない。それに気づかない七星は天都が技を使わない理由を勝手に決めつけていた。天都は弱い、と。天音は常に上を見て、鍛錬として空手を習っていた。だが本筋は伝授された武術であり、空手はその応用だ。左右同時に出す蹴りなど空手にはなく、そして、だからこそ彼女は空手のチャンピオンなのだ。対する天都は技を見せたことすらない。喧嘩は嫌いだ、それを天都が口にした際に七星は天都の実力を勝手に見極めていた。
「天音ちゃん、強すぎるよね」
「そうだね」
ここでようやく元の天都に戻った。確かに天音は強い。だが、世の中上には上がいる。天音が本気になっても勝てない相手は多い。それも身近に多くいる。
「天都くんも少しは強くならなくちゃ、ね?」
「僕は・・・今のままでいいよ」
苦笑する天都に可愛らしい笑みを見せ、七星は上品に微笑んだ。鼻をくすぐる髪のいい香りにクラクラしつつ、天都は七星と結ばれる未来を想像できなくて少し落ち込んでしまったのだった。
*
爽快な汗を流す美形に周囲の女子から黄色い声が上がる。彼を目当てに入部した不純な動機の1年生はさておき、2年生のレギュラーは大会への追い込みをかけていた。それを傍目に柔軟運動をする天音のそばに近づいてきたのは腕で額の汗を拭う明斗であった。
「上々のタイムなら、今からでも大会出れば?」
感情のない声でそう言い、両足を大きく左右に開いたままで上半身をペタリと地面につける。
「その気はないよ」
こちらもフェンスにもたれるようにしつつトラックを走る長距離選手の先輩たちを見やる。ずば抜けた運動神経、そして人間離れした体力、下村明斗は改造人間だ、マスコミが称したその謳い文句が的外れでないことは天音にもわかっている。百メートルで10秒を切ったその走りは日本中を驚かせている。それでいて平然とするその姿勢、そうアピールもしていない筋肉もまた超人だといわれる所以でもあった。武術を扱う天音にすれば、明斗のそれは格闘家の筋肉に近いと感じている。鍛えれば自分以上の強さを持つだろうと思うほどに。2人の間に不穏な空気が流れる中、陽気な声がフェンスの向こうから聞こえてきた。
「おうおう、ガンバっとるね、美男子美少女よ」
だらしのない制服の着方に長髪がちゃらい感じを出している。だが、チャラ男を演じているのは服装と口調だけだ。何故ならば、その容姿があまりに幼いからだ。高校生に見えず、中学生、下手をすれば小学生に見えるその容姿は美形であるものの幼すぎた。
「ボク、ここは高校だよ?小学生は入っちゃダメなのよ?」
天音から優しい口調でそう言われ、途端に表情を曇らせた。
「ブン殴るぞ」
「やり返すし」
「それをやり返す!」
「いいねぇ・・・やろうか?」
立ち上がった天音とフェンス越しで睨み合い、そのチャラ男こと佐々木進は気迫のこもった目を向ける。だが、天音は肩でため息をつき、腕組みをして目を細めた。
「『気』も使えないあんたがすごんだところで怖くもないね。それにさ、翔さんには無理でも、あんたには余裕で勝てるから」
進はそう言われて黙り込んだ。たしかに実力は五分だろう。だが、木戸の技を全て使いこなし、身体の内部にある気も多少扱える天音に対し、体内外の気を扱う上で合気道と柔術を混ぜ合わせた佐々木流合気柔術を使う身でありながら気功の類を全く使えない進との差は大きかった。兄である翔は超天才であり、『気』も自在に操る継承者だ。だが自分は技は使えても『気』が使えない。これは佐々木流においては落ちこぼれ以外の何物でもなかった。男女を掛け合わせた中世的な顔立ちを持ち、『気』も技も天才的に扱う兄は父親に似たのだろう。だが自分はそうではない。見た目は小学生である顔立ちに気も使えない。50間近でありながら高校生と間違われてナンパされる母親に似たことが呪わしかった。そんな悲しい目をする進をチラッと見やり、それでも何も言わずに立ち去るのは明斗だ。そんな明斗の背中を見ていた進のすぐ近くに来た天音はフェンスにもたれるようにしてみせた。
「モテる男は無口だねぇ」
「軽快な口調がモテる秘訣だって、親父は言ってたけどな」
「ああ、おじさんらしいね」
苦笑するのは天音であり、進だった。だが、ここでふとあることに思い当たった天音が進の方に振り返る。汗に濡れた前髪が天音の可愛さをより引き出しているように見え、進は思わず顔を背けてしまった。頬が少し赤いものの、それは夕焼けがフォローしてくれている。
「あんた、そういえば用事があるって速攻で帰ってなかったっけ?」
思い出したようにそう言われた進が顔色を悪くする。同じクラスであるせいか、帰り際に天音の耳に息を吹きかけて教室を出ていた。その際に用があるからと天音の反撃の手から逃れていたのだ。実際、学校も出ている。なのに、何故その進がここにいるのだろうか。
「どうせ忘れ物でもしたんでしょうけどね・・・そういうの得意だもんね?」
さすがは幼馴染だと思う。生まれた時から近所であり、そしてお互いの両親が親友ということで今でも親交が深かった。何より木戸家と佐々木家には祖父の代からの因縁もあり、父親同士が親友で幼馴染、そしてライバルの関係にあった。それもあって、互いに腕を磨きあってきた仲でもある。
「ゲーム買いに行ったら財布を忘れたんだ」
「サザエさんかよ・・・」
「うっさいなぁ・・・予約してっから、もう後でもいいやって。帰ってすぐする気が失せた」
「馬鹿だな、お前。ホント昔から忘れ物ばっかしてさぁ」
頭をぼりぼり掻くその仕草、今の口調はとても容姿と似通っていない。もっと女の子らしくすればそこいらのアイドルなど足元にも及ばない美貌を誇るだろうに。そう思う進だが、それはもう無理だと理解している。今更どうにかできる性格ではないからだ。
「まぁ、練習がんばりたまえよ。せいぜい木戸の技にも磨きをかけてな」
「あんたもな。少なくともあんたよりも強いし、磨きをかけたらますますあんたは勝てなくなるよ?」
「俺は道場を継ぐわけじゃない、兄貴が継ぐ。だから、お前に勝とうが負けようがどうでもいい」
そう言い、微笑んだ進の瞳の奥に輝くほんの僅かな寂しさを見て取ったせいか、天音はもう何も言えずにその背中を見送ることしか出来ないのだった。