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別離

 景重と直子の間に生まれた男の子は「小十郎」と名付けられた。

 片倉家の嫡男に、つけられる名である。

 生まれてきた男の子は、やはり、片倉家の跡取りなのであった。


 嫡男小十郎も産まれ、その小十郎が生長すれば、いずれ片倉家の跡を継ぐ。

 それに向けて、片倉景重は、片倉家を盛り上げるため、これから張り切らねばならない。

 

 そのはずであった。

 

 だが、そうはならなかった。

 

 小十郎が誕生してから、景重は逆に体調を崩しがちになった。

 病に伏せることがたびたび続くようになったのである。


「父上、大丈夫ですか。」そんな父親を見て、喜多はとても気がかりに感じていた。

「大丈夫だ。少し休めば、すぐ戻る。すまない、心配かけて。」

 景重は無理に笑顔を喜多に見せた。


 喜多には見えているような気がしていた。


 その景重の姿に、体調の悪化よりもっと悪いものが見えているような気がしていたのである。


 妻の直子はどうなのか。

 直子もそれを感じ取っていたのかどうかはわからない。ただ、そんな景重を見て、喜多よりもはっきりと、心配と動揺を態度に表していた。


 妻と娘にとっては、それは不気味な兆候であることに違いなかった。

 できれば、直視したくない、目を背けたくなる兆候であった。

 少しでもその兆候を否定するようなことが起きれば、心はすぐその事実に飛びつき、自分の不安が根拠のない、取り越し苦労であったと言い聞かせて安心するのであった。

 だが、その安心は長くは続かない。

 すぐさま、その悪い兆候が以前よりも強く、姿を現せるのであった。


 誰も、のがれられることはできない。


 片倉景重に最期の時が訪れたのである。


「あなた」直子が枕元で景重にそっと声をかけた。

「うむ」景重が力なく眼を開いた。

 そして、重々しく手を上げて、直子の手を取ろうとした。

 直子は夫の心を察し、自ら景重の手を握った。

「先立つ、この俺を許してくれ。」景重が最後の力を振り絞り、声を出した。

 直子は何も答えられず、ただ涙を流した。

 喜多はその後ろで、何も知らずに眠る小十郎を抱きながら、二人の様子を見守っていた。

「直子、」景重は呼びかけた。

「はい。」直子の眼は涙であふれていた。

「お前が俺に嫁いでくれたあの日、あの日の俺は本当に幸せだったぞ。

 今でも思い出す。直子がこの家に来た日。

 あの日のお前は美しかった。

 そして、その日からずっと俺は幸せだったのだ。

 気立てのいい、よく気が利く。本当に幸せだった。」

 景重は直子の眼を見て「今日まで、ありがとう。」と言った。

「わたしの方こそ、幸せでした。」直子は更に涙を流した。

 景重は顔を傾け、喜多の方を見た。

「喜多。」

「父上。」

「喜多、俺が浅はかであった。もっと違うやり方があった。本当に済まなかった。許してくれ。」景重も眼に涙をためた。

「何をおっしゃるのです。」喜多はやさしく反論した。

「お前には、父親らしいことをしてやれなかった。」景重は悔いていた。「愚かな父を許してくれ。」

「いいえ、父上は、わたくしをとても大切にしてくれました。わたくしは父上に感謝しております。」

 景重は喜多の眼をみて、しっかりと頷いた。

「ありがとう。喜多。」

 そして、直子も喜多も涙した。

「二人とも、どうか頼む。小十郎を。小十郎を頼んだぞ。」景重は小十郎の方へ起き上がろうとしながら、最後の言葉を発し、そして力尽きた。

「あなた。」

「父上。」


 片倉景重は亡くなった。愛する妻、美しい娘、そしてまだ幼い息子を残して。


 景重の葬儀も終わって、しばらくして兄の片倉景親が訪れた。


 片倉家は景重の兄、片倉景親が本家であり、弟景重は分家である。

 当然であるが、この時代は長子の家督相続制であるため、分家の景重に家禄と言えるものは与えられていなかった。

 形ばかりの扶持が分け与えられていただけであった。

 それゆえ、景重は役につかなければならかった。禄を得る必要があったのである。

 景重は永井荘八幡宮の神職の役を仰せつかっていた。

 分家の片倉家はその役による俸禄によって、生活が成り立ってしたのである。

 景重が亡くなって、幼い小十郎がその神職の役を世襲することはできない。

 つまりは、片倉家は収入を得るすべが途絶えてしまったことになる。


「本家としても、話をせぬわけにはいかぬのでな。」景親は神妙に切り出した。

「跡取りがいるとは申せ、幼子では、家を保つことも(かな)うまい。ただ、このまま家が別れている状況では、こちらも援助はできない。」

「そこでだが、悪いようにせぬから、こちらの本家に戻ってはどうだ。」


 景親の提案は、景重の分家を景親の本家に戻して、直子、喜多、小十郎を景親が引き取ろうというものであった。

 景親には嫡男頼久がいるため、そうなると、当然であるが、小十郎は片倉家を継ぐことはできない。

「だが、成長した行く末は、独り立ちするなり、どこぞの家の養子となってそこの家督を継げるよう図るなり、何とか力になろう。」と景親は訴えた。

喜多についても「藤田家とのことは、こちらの耳にも入っている。あれでケチがついてしまったが、あの時、話があった藤田家以外の家にわしがもう一度かけ合ってもよい。なんなら別の話を見つけもしよう。」と景親は説いた。

 景親はひとかどの人物である。米沢六将と呼ばれ、戦場での功績は弟の景重より優れていた。

 その景親が説得している。その景親に手を差し伸べられているのである。


 だが、直子の覚悟は決まっていた。

 直子はそれでも「景重の片倉家」を支えていく覚悟でいた。


「そうか、わかった。」景親は怒らなかった。

「だが、何も力にはなれぬぞ。」

「承知の上です。」直子は答えた。

 帰り際に景親はこう言った。

「もし、気が変わることがあれば、いつでもこちらを訪ねるが良い。」


 景親にしてみれば、嫌がる直子達を強引に引き取る必要などなかった。

 その説得は経済的困窮が時間をかけてしてくれるのであり、遅かれ早かれ直子母子は景親が引き取ることになるのである。


 それを待てばよいだけだった。


 それより寧ろ、直子が(かたく)なに分家の片倉家を守ろうとすることに「我が弟、景重もいい嫁をもらったものだ。」と密かに感心さえもしてしまう景親なのであった。

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