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梵天丸と不動明王

 喜多は梵天丸と共に過ごして、当然のことではあるが、梵天丸が自分の顔貌がんぼうに対して抱く強い劣等感を認識せずにはいられなかった。

 そして、それは、誰にも触れることのできない心の領域であった。

 梵天丸がそのことに極めて繊細であることは、様子を見るだけでわかり、そのことに関して、心では危険なほど過敏に反応していることも見てとれた。

 尤も、梵天丸の実母、義姫は、そこを容赦なく攻撃したのであって、そのことがその劣等感に更なる拍車をかけたのかもしれなかった。


 ただ、劣等感とは得てしてそういうものだが、誇り高き王子、梵天丸は、その劣等感を人に悟られることを極力嫌っていた。

 自分では気にしない素振りを見せていたのである。

 

 だから、周囲の者は、触れるに触れられぬ、見て見ぬ振りをする以外、対応の方法がなかった。


 喜多としては、梵天丸にはその劣等感を何としても克服してほしかった。


 では、どうすればよいか。


 その答えのわからぬまま、時間はゆっくりと、確実に過ぎていった。


 だが、時の経過が何ももたらさなかったわけではない。

 梵天丸は、喜多に対し、徐々に心を開くようになってきていた。

 それはある意味、梵天丸が喜多を信頼できる人物と認めていることの現れであり、喜多も梵天丸のその期待に応えようと日々臨んでいた。


 喜多は梵天丸と過ごすうちに、梵天丸のその劣等感がそれとはわからない程度に、現れている事柄が存在することに気付いた。


 梵天丸は伊達家の嫡男である立場上、必ず、城の外に出なければいけないことがしばしばあった。

 ところが、梵天丸はそれを分からない程度にではあるが、嫌がっていたのである。

 それは、あまり自分の容姿を見知らぬ人に見せたくないという気持ちからだと推測された。

 ただ、嫌がってはいるのだが、自分が容姿のことに劣等感を持っているということを気付かれたくなかったため、できれば外に出たくないということを、分からない程度にしか表現していなかったのである。


 喜多は、直感的にここに活路があるような気がした。

『往訪を重ねていくことで、少しでもお心の克服につながるのでは。』


 ただ、遠出にしろ、近くにしろ、場所の選定ややり方には細心の注意を払わなければならない。


 そこで、喜多は虎哉宗乙に相談してみた。


「よき案でござる。」宗乙は賛同した。

「では、寺に参るのはどうですかな。米沢周辺の僧ならば、拙僧の顔見知りの者ばかり故、配慮を手配できますぞ。」


 喜多は宗乙の案を取り入れることにした。


「梵天丸様、城下にあります輪王寺は伊達家九代の政宗公(初代の政宗)が建立された伊達家の菩提寺です。梵天丸様はまだ、参詣されたことがないと伺いました。伊達家の嫡男として、一度参詣なされてはいかがでしょう。秋の花も美しい頃で、時柄もよろしいですし、わたくしも一度参りたいと思っておりました。」と喜多は提案した。

 梵天丸は何も言わず、喜多を見た。

「手配してよろしいですか。」

 梵天丸はしばらくじっと構え、ゆっくりと頷いた。

「喜多に任す。」と一言だけ添えた。

「では、早速手配をいたします。」喜多は笑顔でこたえた。


 まず、当主、輝宗にその旨の許可を願い出た。

「宗乙から聞いておる。」輝宗は即座に答えた。「宗乙も、梵天丸が外に出るのは、よいことと思っているそうだ。何か望みの儀があるなら何なりと申せ。」

「それでは、お言葉に甘えて、」と喜多は申し出た。

 梵天丸が参詣をするにおいて、当然であるが、警護が必要となる。

 そこで、できることなら、気心の知れている弟、小姓の片倉景綱をその警護役に指名したい。

「構わぬ。景綱なら首尾よく役目を果たせるだろう。」

 ということで、輝宗の許しも得て、片倉景綱が警護の担当をすることになった。


 姉の喜多から見ても、景綱は目端めはしの利くところは誰にも負けない。

 輝宗に命じられてから、てきぱきと喜多の意図も理解しながら、参詣の準備を進めていってくれた。


 そして、当日、秋晴れの空が美しい日だった。


 景綱がいのいちばんに挨拶をした。

「本日、警備を仰せつかりました片倉景綱でございます。どうぞお見知りおきを。」

「大儀である。」梵天丸が型どおりの返事を返した。

「はは。」景綱は下がった。


「片倉ですか。」景綱が離れてから、梵天丸が喜多に尋ねた。

「はい、お察しの通り、喜多の愚弟でございます。」喜多は答えた。

 梵天丸は「そうですか。」とだけ返した。

 喜多は梵天丸の保母なので、それなら、景綱は梵天丸の保叔父となるのだが、そんなたわむれを口に出すような梵天丸ではなかった。


 一行は米沢城内から駕籠かごに乗って城外へと出た。

 景綱は、駕籠を用いることについて、「弓矢で狙われることを警戒せねばなりませぬ。また、馬や牛を用いても馬や牛を矢で射られることにより馬や牛を暴れさせられる危険もあります。」と警備上の理由を説明した。

 ただ、これも、景綱が喜多の意図を汲んで、梵天丸が人目を避けたいと思っていることを配慮してのことであった。


 ほどなく、輪王寺に到着した。

 梵天丸と喜多はそれぞれ駕籠から降り立った。


 寺では読経どきょうの声が大きく響いていた。


「あちらが本堂でございます。」景綱が、二人を促した。

「ようこそ、お越し頂きました。梵天丸様。」

 本堂の前で住職が梵天丸と喜多の二人に応対した。

「本日は誦経会どきょうえとなっておりまして、寺の者はみなこのように誦経ずきょうを行っております。」

 本堂の中では、僧侶達が全員、本尊に向かってお経を読み上げていた。

「半時ほどで読経が終わりますゆえ、そのあと、梵天丸様には本堂の方で礼拝を頂きたく思っております。」

 梵天丸と喜多は承知した。

「それまで、院内をご見物ください。秋の花なども美しく咲き誇っておりますゆえ。」と住職は勧めた。


 院内の僧侶達はすべて本堂での誦経に従事していたため、敷地内には梵天丸一行と護衛の者達を除いて、ほかに誰もいなかった。

「お言葉通り、院内を見て回りましょう。」喜多は梵天丸に言った。

 梵天丸は院内の周囲を見渡すように空を見上げながら、「はい。」とだけ応えた。


 景綱が手配した警備の者はそれぞれが定位置についていた。

 梵天丸と喜多、その後ろに景綱が控えるという形で、三人でゆっくりと院内を巡ることになった。


 手入れの行き届いた庭園は、その庭園自体がそれに従事する者の心のあり様を示すものである。

 梵天丸も喜多も輪王寺の庭に接して、そこから感じられる心のあり様に感銘を受けずにはいられなかった。

「美しいとだけでは、言い表せない庭園ですね。」喜多は感想を述べた。

「真に、その通りです。」梵天丸も素直に認めた。


 宗乙の勧めもあったのだが、梵天丸の心のなごみを感じ、喜多はこの輪王寺にしてよかったと内心喜んだ。


「あちらにありますのは別院でございます。」景綱が二人の行き手を説明した。


 僧侶達の宿坊ではなく、別院と聞いて「では、行ってみましょう。」と喜多は提案した。

「はい。」梵天丸の足も自然とそちらへ向かった。


 秋の太陽が中天にさしかかって、梵天丸と喜多を照らした。外の明るさの分、それとは対照的に別院の中が、外からはいっそう暗く見えた。

 二人はやや歩みを落として、ゆっくりと別院の中へ入っていった。

 別院の中は真っ暗というわけではもちろんなかった。それは相対的な感覚に過ぎなかった。外の昼間の明るさにくらべれば中は暗いというだけで、中に入ってみると高窓から入る太陽の光が、外ほど強くはなかったが、別院の中を見渡すには充分な明るさだった。

 ただ、日の光が少ない分、別院の中の空気は外の暖かさと比べてひんやりとしていて、それが別院の中の雰囲気をいっそう厳かに感じさせた。

 別院の中では、大きな不動明王の像がまつられていた。

 横に喜多、後ろに控える景綱、それ以外は誰もいない別院の中で、梵天丸は、不動明王と相対した。

 しばらく、戸惑った様子で不動明王を見ていた。

「これも仏なのか。」あがめ祀られているしつらえを確かめながら梵天丸はぽそっと呟いた。

 喜多は梵天丸の言葉から不動明王を見るのが初めてなのだということを知った。

「はい、明王様にございます。」

 梵天丸は、惹きつけられるように不動明王を見つめながら、「仏なのに、どうしてこのような恐ろしい姿をしておるのだ。」と呟いて尋ねた。

「それは、、、」喜多はどう答えようか、少し迷った。

「おそれながら、」後ろに控えたままの景綱が声をかけた。

 梵天丸と喜多が後ろの景綱を見た。

「は、おそれながら、拙者が、その昔、我が屋敷にございました寺院の縁起を説いた書籍によりますと、不動明王様は、慈悲の心を持ちながらも、この世の悪しき鬼や、よこしまな者達から、か弱き正しき者達を守るため、またその鬼どもを恐れさせ、懲らしめ、そして、改心させるために、敢えてこのような恐ろしき姿をされていると書かれておりました。」

 梵天丸は頷き、再び不動明王を見上げた。

「そうか。」

 梵天丸は不動明王を眺めながらしばしたたずんでいた。

 喜多は梵天丸の様子をうかがった。


 別院の外では、太陽が空の中天に差しかかろうとしている。

 梵天丸と喜多のいる別院の高窓から、空をあがる太陽の光が上からの角度で差し込み始めていた。

 太陽の動きとともに、高窓から入った一筋の光が、梵天丸の顔を照らし出した。

 梵天丸の顔が輝いた。

 

 梵天丸は、言葉を発した。

「恐ろしき顔も、そのように役に立つこともあるのだな。」梵天丸は独り言いながら喜多を見た。

「この俺の、、、」梵天丸はそのあとの言葉は声に出さなかった。


 だが、喜多にはすぐにわかった。

 ずっと、ずっと、待ちに待った瞬間が訪れようとしているということを。

 この瞬間を、喜多は待ち焦がれていたのである。


「俺も、こうありたい。」梵天丸が続けた。


 喜多は梵天丸に向かって、ゆっくり大きく頷いた。


 恐ろしい、醜い顔をしているからといって、自分を卑下し、ひねくれ、他人の顔色をうかがう必要など、まったくない。

 まっすぐな心。

 恐ろしい顔をしていても、弱き正直な民、哀れな民を、悪鬼から守る。

 やさしき心。

 そして、その恐ろしい顔をもって、悪鬼を恐れさせ、追い払い、退治する。

 強き心。


 喜多は強く信じていた。

『梵天丸様は、きっとそれができるはず。』


「喜多、梵天丸もこの不動明王のようになれるだろうか。」梵天丸が喜多を直視して尋ねた。


 喜多も梵天丸をまっすぐ見て答えた。

「なれます。きっとなれます。」喜多は自分の胸にぽんと手を当て「この喜多が請け合います。梵天丸様はきっとこの不動明王様のようになれます。きっとです。」

 喜多の眼から涙がこぼれ落ちた。


「どうしたのだ。泣いておるのか。」梵天丸は聞いた。


 喜多は頷きながら笑顔を見せて答えた。

「ええ、うれしくて泣いているのです。喜多は本当にうれしいのです。」


 梵天丸は微笑んだ。

 喜多の涙の意味をわかっていたのである。


 景綱は、後ろにじっと控えながら二人の様子を仰ぎ見た。

 そして、心の中で喜多に『姉上』と呼びかけた。


 高窓から入る太陽の光が、そんな三人をスポットライトのように照らし出していた。

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