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保母

 時を置かず、喜多は米沢城へと移り、保母として、梵天丸の側で暮らすことになった。

 当主輝宗自身が梵天丸に喜多を紹介した。

「梵天丸、これから、この喜多が梵天丸の『保母』となる。よいな。」

「はい。」梵天丸はためらいも見せず、返事をした。

 梵天丸にもこの方針は前もって知らされていたし、もとより梵天丸は輝宗に反対したりはしないからである。

「二人がどのように過ごすかは、わしからとやかくは言わぬ。二人で相談して決めるが良い。二人とも、それでよいな。」

「はい。」と梵天丸。

「かしこまりました。」と喜多。

 梵天丸は喜多をかえりみて「喜多殿、よろしくお頼み申します。」と礼をした。

「こちらこそ、よろしくお頼み申します。」喜多も頭を下げた。


 会見の間に入って、初めて梵天丸と眼が合った瞬間の、喜多を見た梵天丸の眼光の鋭さ、それは、喜多が前もって予想していた以上のものであった。

 喜多はその冷徹さに驚いた。


 また、前もって聞いていたとおり、梵天丸の容貌は、お世辞にもよいとは言えなかった。

 たが、梵天丸のその冷徹な視線にさえも感知できないくらい、喜多はそのように感じたことを一切表情に出さなかった。


 喜多と梵天丸の二人だけになって喜多が話しかけた。


「これから、この喜多が梵天丸様の『保母』となりますが、梵天丸様にお約束頂きたいことがございます。」

「は、なんなりと、母上殿。」と梵天丸は神妙に応えた。


 喜多と梵天丸は二つの約束事をした。

 まずは、朝食(あさげ)夕食(ゆうげ)の時は必ず二人が、顔を合わせ、一緒に食事をすること。

 そして、朝食には、その日行うことの予定を話し、夕食にはその日あったことの話をすること。

 これらのことは、喜多としてみれば、景綱と暮らしていた頃も、当然のことなのであったが、梵天丸にとっては、当たり前どころか経験したことがないかもしれないと予想されたため、喜多としては、改めて確認し合う必要があると判断したのである。


「わかり申した。」と梵天丸。


「それと、梵天丸様。」

「は、」

「梵天丸様は、伊達家の嫡男であらせられます。」

 梵天丸は喜多の言葉に黙って頷いた。

「いずれ、伊達家の当主、大名となられるお方にございます。」

 梵天丸は再び黙って頷いた。

「いくらわたくしが保母だからと言っても、わたくしはあくまで梵天丸様の家臣です。家臣のわたくしのことを梵天丸様が『喜多殿』などと呼んではいけませぬ。」喜多は厳しい顔で梵天丸を見た。「梵天丸様には将来に渡り、『殿』などと呼ばねばならぬ家臣など家中にいてはならぬのです。わたくしのことは『喜多』と呼び捨てにしなければなりませぬ。」

 喜多はまっすぐ梵天丸を見た。

 梵天丸は少し戸惑った様子で喜多を見つめていた。

「お分かりいただけましたか。」喜多はやさしく尋ねた。

 梵天丸は深く頷いた。そして、「では、これからは『喜多』と呼ばせていただきます。」と落ちついた様子で言った。

「はい。梵天丸様、よろしくお願いいたします。」

「こちらこそ、喜多、よろしくお頼み申す。」


 梵天丸は前評判通り、幼き少年としては大人びていた。

 いや、大人び過ぎていた。


 それが初日だった。


 ある日のこと。

 梵天丸と喜多が朝食を供にしていた。

 話題はその日の予定であり、この日の梵天丸は剣術の稽古の日だった。

「今日はわたくしも稽古の様子を、見させていただこうかしら。」

 この日は喜多の予定が先方の都合で空いてしまった日だった。喜多にも剣術の素養があったので、単純に梵天丸の剣術の腕前を見ておこうと思いついてのことだった。

 梵天丸は喜多の顔をわずかな間見て、「お望みであれば、どうぞ。」と答えた。


 稽古は米沢城内の庭で行われ、兵法の指南役が梵天丸を指導していた。

 梵天丸の母代わりの喜多が見学するということで、指南役の指導にも力が入っていた。

 今まで習った剣の型を一通り復讐するという趣旨で、喜多に習得している型をすべて披露していった。


 評判で聴いていた通り、梵天丸の腕前は際立っていた。

 剣の筋が違った。

 喜多は梵天丸の技量に惚れ惚れした。


 稽古が実践形式になり、梵天丸と指南役とで取り組みが始まった。

 何番か二人で対戦している様子を、喜多が観戦して、少し思うところがあった。

 取り組みが一段落して、喜多が声をかけた。


「いつも、このように手合わせを行っているのですか?」

「は、その通りでございます。」指南役が答えた。

 喜多は梵天丸を見た。

 梵天丸も喜多を見て頷いた。

「では、申し上げますが、」喜多が言った。

「梵天丸様の剣術の稽古は、主に、刺客対策ですね。」

 梵天丸は伊達家の嫡男の立場から、いくさ場や警護などで剣を使うことはまずない。

 剣を使わざるを得ないのは、刺客に狙われたときか、謀殺などの手段を自らが選択した場合である。

「その通りでございます。」指南役は認めた。

「されば申し上げますが、梵天丸様は右目が見えませぬ。」

 喜多は梵天丸の右目を見た。

 梵天丸は喜多の単刀直入さに一瞬ひるんだように見えた。

 一方、指南役の方は瞬間、梵天丸に気遣う気配を見せた。

「真の敵は、梵天丸様の右目の見えないことを利用して、必ずや右の死角から攻撃してくるでしょう。

 そうでは、ありませぬか。」

「は、い、いかにも。」指南役はたじろいだ。

「それなのに、敵が右から攻撃してくる練習をしていませんね。」

 喜多ははっきり断言した。手合わせの癖を見て、梵天丸が右を警戒せずに対戦していることがすぐにわかったからである。

「それでは、実践では役に立ちません。敵が右をつく稽古をしなければなりませぬ。」喜多は指南役をまっすぐ見た。

 指南役が顔色を窺うように、梵天丸の顔を見た。

 喜多もその視線の先、梵天丸の顔を見た。

「喜多の言う通りだ。」

 梵天丸が顔を能面のように無表情にして、言葉を発した。

「はは」指南役は梵天丸に平伏した。

『怒っている?』喜多は梵天丸の顔を見ながら心の中で問うた。

『違う、耐えているんだ。』と喜多は感じた。

「では、梵天丸様の右を狙って手合わせをしてください。」喜多は余計なことは言わずに、梵天丸の言葉を引き継いで指南役に指示した。


 指南役は言い出した喜多が見ている前なので、手加減するわけにもいかず、梵天丸の弱点を遠慮なく攻撃した。

 筋のよい梵天丸といえども、初めてのこともあって、その攻撃には手も足も出なかった。


「本日はここまでと致しましょう。」

 日も暮れかけて、指南役が稽古を切り上げた。


 喜多と梵天丸は並んで歩いて、館に戻ることになった。

 喜多がそっと梵天丸の表情を窺うと、また能面のような顔をしていた。


『これは、怒っているのではなくて、つらく感じて、それを耐えているときの顔・・・。』と喜多は理解した。

 そして、なぜか微笑んだ。


「梵天丸様。」喜多は声をかけた。

 梵天丸は声を出さず、喜多をじっと見た。

「これから、私が梵天丸様といるときは、必ず梵天丸様の右に立つことに致します。」喜多は微笑んだ。「刺客が来たときは、この喜多が梵天丸様の盾となりますね。」

 梵天丸はやや驚いた様子で、喜多を見た。

「そうならずに済むように、早く敵が右からくる対策を修得なさってください。」


 梵天丸は少し考えて、答えた。

「うむ。わかった。そうしよう。必ず・・・」


 梵天丸の能面のような表情が少し和らいだように、喜多には見えた。


 このようにして、日々が過ぎていった。

 時折、喜多は独自に思いついた課題を梵天丸に課することがあった。

 その多くは、野良仕事、牛馬の世話、掃除など生活に密着したものであった。


 しばらくして、当主伊達輝宗が梵天丸に喜多との生活の様子を尋ねた。


「父上、喜多はいろいろなことを学ばせてくれます。」珍しく梵天丸が笑顔を見せた。


「そうか。」輝宗は答えた。

 そして、『よき保母を見いだせたようだ。』と思った。


 梵天丸の言葉ではなく、その笑顔にこそ、梵天丸の答えがあると輝宗は気づいたからである。

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