悲しき王子
疱瘡とは天然痘のことで、この戦国期においては死にいたることも少なくない恐ろしい病気であった。
病気からなんとか快復したとしても、あばたが残る。
あばたで済めばよいが、疱瘡の毒がもっと重大な痕を残すこともある。
いつの世にも人の弱みにつけこみ、揶揄する者はいる。
特に幼少期においては、である。
「やーい、あばたづら、あばた、あばた。」と嘲笑される。
反発心の強い子供なら、そんな相手を殴り飛ばして、喧嘩になってしまう。
気のやさしい子供なら、そんな言葉に傷つき、くやしくて涙を流す。
どちらにしろ、本人にとっては、よくない思い出である。
だが、いつしか、気付くようになる。
自分のあばたを揶揄しているのが、すべての人ではないことを。
あばたのことを気にせずに自分を受け入れてくれる人が存在することを、いずれは知ることになる。
家族だったり、友人だったり、恋人だったり。
そのとき、人は、信頼や友情や愛を学ぶことになる。
そして、人として成長する。
他人の傷みの理解できる人間へと成長するのである。
だが、その子が最高権力者の子供であったら、どうだろう。
もちろん、「あばた、あばた。」などと揶揄する者はいない。
すれば、処罰される。
だから、周りの人間は、その子に対して、あばたのことなど気にしないかのように笑顔を見せる。
だが、その子の疱瘡のあとは、あばたどころではなかった。
疱瘡の毒が右目に入ったため、右目が失明していた。
失明しているだけではない。
膿で腫れあがったため、白目をむいた眼球が右目から飛び出ていた。
だから、眼帯で隠すこともできない。眼帯が眼球にあたって痛い。
その子は右目の眼球が白目で飛び出た状態をさらしたまま日常生活を送らなければならなかった。
それでも周りの大人は笑顔でその子に接した。
その子が最高権力者の子供だったからである。
その子が愚かな子供だったり、お人好しの正直者であったなら、そんな周りに人間の態度をそのまま受け止めたことだろう。
だが、その子は、繊細で聡明だった。
そして、自分の容貌が醜いどころではないことも自覚していた。
初対面の大人が自分の顔を見て、一瞬ではあるが、たじろぐことに気付いていた。
そのあとすぐに、その嫌悪感に似たものを隠すことも気付いていた。
そして、そのあとは自分に笑顔を向け続ける。
それは、その子にとって、悲劇でもあった。
自分のことを揶揄する者がいた方が、まだ幸せだったかもしれない。
まことの信頼や愛を知るきっかけになるのかもしれなかったのだから。
だが、その子にとっては、周りはすべて、偽りの善意でしかなかった。
自分の父親が最高権力者だったからである。
まことの信頼や愛が、本当は存在していたのかもしれない。だが、それは偽りの善意と見分けがつかなかった。とても、見つけられる状況ではなかったのである。
それでも、唯一、真実の愛を示すことのできる存在がいる。
その子の母親である。
だが、その子の場合、母親が悲劇に拍車をかけていた。
その母親だけが、あからさまにその子を忌み嫌っていたのである。
その子を自分に近づけようとしなかった。
「おお、おそろしい、おそろしい、なんて醜い顔なのでしょう。」と遠くからその子に聞こえるように、侍女達とさげすんでいた。
そして、母親はその子の弟を溺愛していた。
その子はひとりぼっちだった。
その子に救いはなかった。
それが、梵天丸。
伊達家の当主、伊達輝宗の嫡男、後の伊達政宗である。
ある日、梵天丸の教育係、禅師、虎哉宗乙が当主輝宗のもとに相談に来た。
「改まって、なんだ。和尚。」と輝宗。
「梵天丸様のことでござる。」
「なんだ。何か粗相でもしたか。」
「いいえ、そのようなことはございません。寧ろ、とても優秀でござる。」と宗乙。
「ならば、よいではないか。では、なんだ。」
「輝宗様はご存じでしょうか。」宗乙は話し始めた。
「近ごろ、梵天丸様は、お付きの者に、寝ている姿を見せないそうでございます。
朝、お付きの者が、起床を告げに参るときには、もう起き上がっているとのこと。
夜も、お付きの者の姿が見えている間は、ずっと起きているそうでございます。」
「そうか。」輝宗が少し笑顔になった。「それは、和尚にも心当たりがあるのではないか。」
「左様。」宗乙は認めた。「拙僧も小耳に挟みました。」
「うむ。」輝宗は答えた。「少し前、」輝宗は続けた。
「梵天丸に、当主たる者、他人に寝ている姿を見せてはならぬ、と訓示した。
だが、それは和尚の説法ではないか。
わしが和尚から聞いた説法を、そのまま梵天丸に言って聴かせたのだ。」
「拙僧もそのように伺いました。」
輝宗は笑顔を見せた。
「では、よいことではないか。梵天丸が和尚、そしてこの父の言いつけを守って、他人に寝姿を見せまいと努力しているのだ。感心ではないか。違うか、和尚。」
宗乙の顔が深刻な表情となり、輝宗を凝視した。
輝宗はその宗乙の様子に反応した。
「違うのか。」と静かに尋ねた。
「拙僧の眼にはそのように見えておりませぬ。」
「どういうことだ。」輝宗が宗乙のただならぬ様子に身を乗り出した。
「今、この時」宗乙が話し始めた。「梵天丸様のお心を支えておるもの、それが何だかおわかりですか。」
「心を支えているもの?何だそれは。」輝宗には皆目わからなかった。
「は、それは、梵天丸様が伊達家の嫡男、つまり、伊達家の跡取りであるということでございます。」
「嫡男であるということが心を支えている?」輝宗は繰り返した。
「その『誇り』のようなもの、でございます。」宗乙は自尊心のことを言っていた。
梵天丸は容貌の醜さゆえに、自分が、周りの人間に疎まれていると感じている。
そんな自分が周りの人間から認められているのは、自分が次の伊達家当主だからである。
伊達家の当主であれば、周りの人間が自分を認める、認めざるを得ない。
だから、必ずや、伊達家の当主にならなければならない。
そのためには、子供にとっては厳しいと思われるような課題も必死にやりとげようとする。
眠くても、寝ている姿は絶対に他人に見せない。
父や師匠がそれを求めているからである。
剣術、学問もずば抜けてできる。
それらは、まっすぐな素直な心から、達成されているものではない。不安と恐れから、実現されていることなのである。
容貌の醜さゆえ、言われた通りにしないと、見捨てられ、排除されてしまう。
その隙を必死に見せまいとしているのである。
隙を見せてしまうとどうなるのか。
弟を愛している母親は、あきらかに自分を嫌っている。
家督は弟の小次郎に譲られてしまうかもしれない。
母親はそれを願っている、少なくともそのように見える。
父である輝宗、そして宗乙和尚は信頼できるかもしれないが、周りの人間すべてが梵天丸を疎んじれば、父、師匠でさえどうなるかはわからない。
だから、油断してはならない。
伊達家の当主になんとしてでもなるのだ。
そして。
「このまま梵天丸様が伊達家の当主になられたら、どのような当主になられるか、予想がつきますか。」
誰よりも聡明、いや狡猾、誰よりも屈強、そして、誰も信じることのできない当主。
父親を殺し、弟を殺し、母親を追放する。
奥州を支配し、力と恐怖をもって、王として君臨する。
「われわれは怪物を育てているのかもしれませぬ。」
輝宗も宗乙の言おうとしていることが理解できてきた。
『確かに、梵天丸は子供のわりには、雰囲気が重く、暗いものがある。』
「どうすればよい。和尚。」
「今なら、まだ間に合いましょう。」宗乙は答えた。
「なぜなら、梵天丸様本人が気付いておりませぬ。
心の奥に潜む闇に、気づき、そして、その闇に飲み込まれる前に、何とかせねばなりませぬ。」
「では、どうすればよいのだ。和尚。」
「は、それが、拙僧の口から申すのも奇妙なことになりますが、梵天丸様に必要なものがございます。」
「必要なもの?なんだそれは?」
「は、『愛』でござる。」
「愛?」
「はい、『慈愛』でござる。言うなれば、母の愛。」
「駄目だ。」輝宗は宗乙に手を振って取り合おうとしなかった。
「和尚も知っておろう。」
梵天丸の母、輝宗の正室、義姫は梵天丸を忌み嫌っていた。
最上家から輿入れした義姫は、輝宗には制御不能であった。
梵天丸に対する母の愛を義姫に求めるのは不可能であった。
「それゆえでござる。『慈愛』の心を持つおなごを見つけ出し、いわば『保母』として、梵天丸様をお預けなさるべきです。」
「『保母』・・・か。」
「それしか、方法はございませぬ。」
輝宗は一人になって、宗乙の説いたことを、もう一度考えてみた。
確かに、自分が宗乙から聴いた説法を、梵天丸に話した。
寝姿を他人に見せないというのは、子供にしては、なかなか難しい課題である。
自分も感じていた、梵天丸に漂う悲壮感、焦燥感のようなもの。
輝宗は、その悲壮感、焦燥感のようなものをあおることによって、更なる成長を梵天丸にもたらそうと目論んだのである。
だが、輝宗としても、それは残酷な、無慈悲なことであったような気がする。
梵天丸をただ追い詰めるだけになってしまう。
更なる努力を課すよりは、
『もう少し、ねぎらいの言葉をかけてやるべきであったかもしれない。』
父親としての反省の念に今更ながらとらわれる輝宗であった。
「慈愛の心を持つおなごか・・・」輝宗は独り呟いた。
そう言われて、思いつく女性は、なかなかいるものではない。
唯一、ただ一人だけいる。
近頃、小姓衆の中でもめきめきと頭角を現してきた片倉景綱。
その片倉景綱の母代わりとなって、景綱を女手ひとつで育てたという、その姉。
片倉景綱をあそこまで育てたとあれば、さぞかし才女なのであろう。
しかも、あとになって知ったことであるが、それが重臣、鬼庭良直の実の娘であるという。
鬼庭良直の娘とあれば、家柄も申し分ない。
「確か、喜多とかいう名であったな。」
数日後、当主伊達輝宗のもとに、虎哉宗乙、鬼庭良直、片倉景綱が呼び出された。
宗乙が説明した。
良直、景綱は宗乙の話を理解した。
輝宗が意見を求めた。
良直と景綱の二人は、お互いの顔を見合わせながら、しばらく相談した。
だが、二人の意見は一致していた。
輝宗の案に、二人に異議はなかった。
その頃、喜多は、永井荘の片倉家の屋敷に残り、一人、暮らしていた。
弟の景綱は米沢城での仕官となったので、米沢に屋敷を与えられていた。
景綱は喜多も一緒に米沢に来てくれるように頼んだのだが、喜多は強く断った。
「父上母上が、暮らしていたこの屋敷を廃れさせたくない。」というのが表面上の理由だった。
喜多の心の中では、弟景綱の次の課題は、縁組、結婚であった。
小姓衆となったので、きっといい縁談が持ち上がってくるだろうという予想があった。
そんなときに、うるさい小姑になりそうな姉がいるとなると、いい縁談が遠ざかってしまう。
寧ろ、景綱が独り身で、妻となるおなごの舅とのつながりで、片倉家が盛りあがるくらいがいいのかもしれない。
自分の役割は、目立たないように長井荘に引っ込んでいることだと、考えていた。
ところが、弟の景綱は、嫁探しをするどころか、米沢に商人が来ていたと言っては、喜多に反物を届けてきたり、頼まれて買わされたと言っては、喜多に飾り物を持ってきたりしていた。
「わたしのことは構わないで、もっと自分のために使いなさい。」と喜多は諭した。
「そうは言っても姉上、エヘヘヘ。」と変な笑い方をして、いっこうに取り合わなかった。
景綱が喜多に気兼ねしていることは充分承知していたので、景綱の出世の妨げにならないためにも、「いっそ、自分は出家した方がいいのではないか。」と思い始めていたころだった。
そんなとき、永井荘、片倉の屋敷に、鬼庭良直と片倉景綱がそろって訪問した。
喜多に会うためである。
「まぁ、めずらしいこと、二人が一緒に来るなんて。」喜多は素直に驚いた。
『もしかしたら、景綱の縁談話かもしれない。父上が一緒に来ているということは、とてもいい縁組みなのだろうか。』と喜多は期待した。
客間にて、良直と喜多が向かい合って座り、景綱は二人の横に立会人のように座った。
「今日は喜多に重大な話があって、景綱とこうしてやって来た。」良直が切り出した。
「はい。」喜多は姿勢を正した。
良直が語り始めた。
「我らが当主、伊達輝宗様の嫡男、梵天丸様は・・・」
それは、喜多が期待した、景綱の縁談ではなかった。
悲しみの王子、梵天丸の物語。
良直の話に、景綱が補足した。
二人とも宗乙の意図をよく理解していた。
喜多は、梵天丸の心を察して、涙した。
「喜多、お前に頼みたいことがある。」良直が本題に入った。
「はい。」喜多は眼に浮かんでいた涙を手ですくった。
「誰かが、梵天丸様のお心を支える必要がある。
宗乙和尚が言うには『保母』となるべき、母親代わりとなるおなごがそれにふさわしいということだ。」
喜多には話の展開が容易に理解できた。
「まさか。その役目に、私を、ということですか。」
「そうだ。」良直は強く応えた。
「そんな大それたお役目、輝宗様が、わたくしを認めるはずが、」
「いや。」良直はすぐ反応した。「その輝宗様、直々の命令だ。」
「まことですか。」
「まことです。」景綱が口を開いた。「実のところ、われわれは使者にしか過ぎませぬ。」
輝宗が喜多に白羽の矢を立てたのであった。
喜多が梵天丸の『保母』となって、若き王子の心の支えとなる。
「そのような重き責務、わたしに果たせましょうか?」喜多は恐ろしく感じた。
良直は、そんな喜多にそっと話しかけた。
「違うぞ、喜多。」
おろらく・・・」
そして、続けた。
「お前にしかできぬのだ。」良直の眼は真剣だった。
「わたくしも、そう思います。」景綱もゆっくりと言った。
「頼む、喜多、引き受けてくれ。」良直は頭を下げた。
「姉上、わたくしからもお願い申し上げます。」景綱も頭を下げた。
喜多は眼を閉じて思いを巡らせた。
まだ、会ったこともない、伊達家の王子、梵天丸、悲しき王子。
喜多は眼を開いた。
「父上、景綱、お顔をお上げください。」
良直はゆっくりと顔を上げた。
景綱も顔を上げた。
「わかりました。」喜多は覚悟を決めた。
それは、梵天丸の未来、ひいては、伊達家の未来が、喜多に託された、瞬間だった。