めでたいが、悲しい出来事
天文18年(1549年)の米沢、伊達家の城下。
「父上、それはあまりです。」
喜多は父、鬼庭良直を真っ直ぐにらみ、よく通るはっきりとした口調で良直を強く責めた。
それと同時に喜多は、父、良直が開き直って、怒り、激しく反論するのではと予想した。
だが、予想に反して、良直は喜多を苦渋に満ちた眼で悲しく見つめ返すだけであった。
『父上も苦しんでいる・・・』その表情を見て、喜多は感じた。
喜多は心を落ち着かせ、「母上にはもうお話されたのですか。」と尋ねた。
良直は、ただ一言、「二人で決めたことだ。」と答えた。
「母上は、なんと言われたのですか。」
良直は喜多の顔を見て、戦国時代の猛者とも思えぬ小さな声で「二人で決めたのだ。」と繰り返した。
「フー」と喜多の口からため息が漏れた。
天文7年(1538年)、喜多は伊達家の重臣である父鬼庭良直と母直子の間に産まれた。
母、直子は眉目麗しい女性であった。夫、鬼庭良直に愛され、夫婦仲は睦まじかった。
喜多もその母親の容貌を色濃く受け継いだ。愛くるしい喜多は、当然、父からの愛情も、強く受けた。
喜多が成長するにつれて、母親から美しさを受け継いだだけでなく、父親からもいろいろな素質を受け継いでいることを示すようになった。
父、鬼庭良直は伊達家を支えるの重臣の一人である。
父良直は喜多の素質を見込んで、戦国の女性として必要とされる教養や武芸を自ら熱心に伝授した。
喜多は生来の利発さもあり、その父親の期待に応え、見事にその教えを吸収し会得していった。
こうして、十歳を超え、髪結いの儀式を意識するようになったころには、立派な大人の女性となる準備が整っていると自他共に認めてよいほどになっていた。
鬼庭良直と直子の間には大きな悩みがあった。
それは、男子が授からないことであった。
男子どころか、喜多のあと、第二子さえも授かっていなかった。
武家の世では、家の名を代々継がせることが、今生を生きる世代の最優先課題である。
喜多が生まれて10年を超えて、鬼庭良直も齢35歳に近づき、立場的に世継ぎのことを考えなければならなくなってきた。
周りの勧めもあって、牧野刑部の娘を側室に迎えることになった。
直子にとってもつらいことであったが、武家の世では受け入れなければならないと教わり続けてきたことでもあった。
運命とは皮肉なもの。
直子には全く授からなかったのに、その側室は間もなく懐妊した。
しかも、産まれてきたのは男子だった。
直子の心中は別として、鬼庭家の一員としては、祝わなければならないことであった。
直子は男子の誕生をめでたきこととして祝った。
この時、良直はすでに37歳となっていた。人間五十年と考えられていたころの37歳である。現代で75歳を基準とすれば、55歳の感覚である。
正室直子との間に男子が産まれる見込みがもはや少ないと考えたのであろう、良直は産まれてきた男子を世継ぎとすることにした。
これも致し方ないことであった。
だが、この決断が思わぬ波紋を生んでしまったのである。
側室との間に生まれた男子を跡取りと決めたことにより、実家の牧野刑部より、跡取りとする以上は、その母親、つまりは牧野刑部の娘を、正室とするのが筋ではないかと訴えられたのである。
牧野氏はこのころ家勢は衰えていたが、もともとは伊達家の守護代の家柄、名家である。
女系とは言え、その名家の血を引く男子を嫡男としながら、その母親を側室のままにしておくというのは、確かに中途半端なことであった。
とはいえ、良直には10年以上連れ添ってきた正室の直子がいた。
まさか、牧野刑部の訴えを受け入れて、正室の座を側室に譲り、直子が側室になるなどということは考えられないことであった。
二人の出した結論は、離縁であった。
それは二人にとって、特に直子にとって、苦渋の決断であったが、良直と直子は離縁することを決意した。
離縁はもう決まったことであり、くつがえることはなかった。
良直は、それを娘の喜多に告げたのである。
「もう、決まったことなのですね。」喜多は改めて父、良直に尋ねた。
良直は喜多に向かって、大きく、こくっと頷いた。
母の直子は実家の本沢家に帰る。
「そこでだが、喜多、お前のことだ。」
喜多はこの言葉を聞いて、良直が、父母が離縁することを告げに来ただけではないことを理解した。
「母上もわしも同じ意見だが、お前には、この鬼庭家に残ってもらう。」
喜多は良直の話の本当の目的が、この話であることを理解した。
良直は喜多が母親について本沢家に一緒に行くと言い出すことを危惧していたのである。
鬼庭良直は、この前年、6年に渡り続いた天文の乱の集結により伊達家の家督を受け継いだ当主伊達晴宗に、父元実の代より仕える信頼厚き譜代の家臣であり、その天文の乱でも、晴宗派としての活躍は著しく、間もなく大幅に加増されるであろうと噂されるほであった。
喜多はその良直の薫陶を直接に受けてきた長女である。
あと5年も経って髪を結い、成人したならば、伊達家中のどこぞの名門の子弟と縁組みして、鬼庭家、ひいては伊達家の発展に寄与する将来が約束されているようなものだった。
「鬼庭家、そして伊達家のためにも、鬼庭家に残ってくれ。」父良直は娘の幸せを願う利己的な感情はもちろんであったが、お家繁栄の意義からも喜多に重々、因果を含めた。
「父上のおっしゃることはわかりました。」喜多はきっぱりと言った。
「そうか、では、鬼庭家に残ってくれるか」良直の顔が輝いた。
「それは、もう少し、考えさせてください。」
良直の顔が曇った。「なにゆえだ。」
「母上とも、よく話してから決めたいのです。」
「そうか。」良直の顔も引き締まった。「わかった。それがよかろう。」
そして、時が経ち、
母、直子が鬼庭家を出て、実家の本沢家に戻る日が来た。
母、直子の横には、娘の喜多が寄り添っていた。
二人を見送る良直に、直子と喜多が礼をした。
「お達者に過ごしください。」直子が言った。
良直は何も言えなかった。
「父上、今まで育ててくださって、ありがとうございました。」喜多が良直に感謝の言葉をかけた。
良直はそれにも何もこたえられず、ただ、首を左右に振るだけだった。
「では、参ります。」
直子と喜多が出立した。
良直がようやく、二人の後ろから、声を出すことができた。
「すまぬ。」良直はがくっと膝を地面につけた。
それは、天文18年、くれないの落ち葉が舞う秋のことであった。
喜多は、父に付いて鬼庭家に残るべきか、母に付いて本沢家に行くべきかを、母、直子に尋ねた。
直子の答えは、迷いなく「鬼庭家に残りなさい。」というものだった。
父も母も、喜多には鬼庭家に残ることを意見した。
喜多はその父と母の同意見にも関わらず、一人でそのことをよく考えてみた。
そして、出した結論が、母直子について行くというものだった。
喜多は自分の利害やお家の将来のことではなく、今の自分がついていなけらばならないのが、父なのか、母なのか、どちらなのかを考えた。
答えは明白だった。
母、直子だった。
父は新たな正室を迎え、嫡男にも恵まれ、幸せに暮らしていくだろう。
だが、母は、夫を失い、生家に戻り、肩身の狭い思いをして暮らすことになる。
その上、娘までそんな母を見捨てたなら、
『わたしは、そんな女ではない。』喜多は心に強く思った。
「父上、母上、わたしは母上について行きます。鬼庭家には残りません。」
喜多の眼に迷いはなく、とても澄んだ眼をして、透きとおった声で、はっきりと意志を表明した。
その態度、姿勢に良直も直子も、娘の意志を覆すことはできないと悟った。
そして、良直は知っていた。
自分が娘に教えた、「人の道」とは、この場合、母についていくことであったことを。
だから、何も言えなかった。
それこそは、鬼庭良直の娘であり、
そして、それは父と娘の、別れでもあったのである。