フォックスフォール03
翌日、土曜日。僕の通う学校は進学校故、土曜日の午前中も授業がある鬼畜仕様だ。
「病院でまったく異常はありませんとの診断を受けました」
「僕も付き添いました」
その放課後。僕と立川は長崎先輩に正座させられていた。
「まったく、新田君。あなたがついていながらどうしてこんなことになったのよ」
「すみません」
「立川さんも!あそこから落ちるほど跳ねるってなんあの?バカなの?死ぬの?」
説教から暴言へ移行する長崎先輩。
「はい、バカです」
すげぇ、認めたよコイツ。
と、説教を受けること10分。正座の恐ろしさを体感した僕と立川さんは、解放されてすぐに雑用の命を受けた。雑用しながらやること覚えろ、ということである。
その5分後。長崎先輩に再度呼び出された。
「さて、詳しい話をしましょうか」
「・・・と、言いますと」
「立川さんの件よ。放置していい案件じゃないでしょ」
「そうでしょうか」
「当然よ。悪い予感がするもの」
こんなとき。大抵はあてにならないことがお約束というものだろう。
しかし、長崎先輩は、長崎結望は違う。望みを結ぶ女の子。その名の通り、幸運の化身のような人なのだ。予感、勘の類の的中率は7,8割を叩き出し、自身の高スペックも相まってその知名度を上げている。幸運をすぎない程度の実力なのも特徴的だ。
「先輩がそう言うなら・・・何か考えがあってのことですか?」
「ない」
「ないのかよ!」
「正直、まともな考えはないのだけれど」
「まともじゃない考えならあると。先輩、呪いなんてありませんよ。何度言わせるんですか」
「呪いというかなんというか」
「懲りてください」
この人がまじないに手を出していいことはない。幸運がない。つまり、凶だ。矛先がどこに向くかわからないのだ。
「話を最後まで聞きなさい」
強引だなオイ。
「例えば、猫がとり憑いていたりとか。そういう可能性とか、ありそうじゃない」
図書館。現代的な方法で証明できなきゃ昔の知恵に頼ろうというなんとも強引な方法である。
そうそう怪異なんてお目にかかれるものではないと思ってたが、どうだろうか。
「あった、この本でいいんじゃないかな」
日本の伝説について薄く広く述べられている本、だそうだ。
図書館での調べもの、特にこの場合は、まず探しているものの種類や、どういった本に詳しく書かれているかを特定する必要がある。
ネットを使うにしても、検索ワードが曖昧だと正確な情報にたどり着けない。
こうしたとき、百科事典や、その種類に関して広く薄く述べているような本がとても役に立つ。
図書館を舞台とした小説だとこの辺はよく記されているものだろう。
「ふむ。猫みたいね」
と、本を読みながら語る。長崎先輩は自信満々のようだ。
猫の怪異はとても多種多様だが、猫の幽霊がとり憑いたというのが長崎先輩の論だ。
確かに、ここに書かれているページは今回の状況に即していると言えよう。
しかし、何か違和感を感じる。
「もう少し調べましょう」