ビハインドヴァイス10
間に合わなかった。結果的に残り30秒という数字はあてになってなくて、私の感覚では20秒もないくらいだったと思っているが、言い訳をしたいわけじゃない。私は、間に合わなかっただけだ。
何らかの干渉を受けたのだろうか、その詳しいところはわからないが。狂気に走った新田くんは、助けが間に合わなかった新田くんは、ダメージを受け続けた新田くんは、唸り、叫び、喚き、嘆いた。音にならない音で、意味があるかさえわからない咆哮が新田くんの口から発せられる。もはや、狂気。新田くんの周り全てが狂っていて、新田くんだけが狂っている。理不尽なまでな不幸が、新田くんを狂わしている。
「これは、成功なのか?」
と堺が呆然としながら言うが、
「んなわけねぇだろ!押さえつけるぞ!」
左の男とタクトが新田くんに向かって走り出す。新田くんは二人を一瞥して、そして私と目を合わせた。その顔に表情は。無い。
間に合わなかった私に見せつけるかのように。新田くんは私を見ていた。
「ウラァア!」
新田くんの4歩前まで走った二人は同時に警棒を取り出した。そして、左の男が左腕で警棒を横に振るう。新田くんは左腕で受け止めた。鈍い音が響くが、新田くんの表情に変化はない。その反対側からタクトが警棒を左側から(新田くんからしたら右側ということになるが)おなかの横を狙って打った。
「ヴッ」
新田くんの口から声が漏れる。体制が崩れて左腕のガードが外れたのを見計らい、左の男がもう一度警棒を振り下ろす。これは頭ではなく肩と首の中間に直撃した。左腕の時とは違う、痛々しい音が鳴る。
しかし、新田くんは当たった直後に左の男の警棒を右腕でつかみ、そのまま回転して左拳を二人の顔面に叩きつける。右手はすぐに離し、代わりに右足で左側の男を突き飛ばした。2メートルくらいふっとび、痛みに悶えている。
タクトは一歩下がり、重心を低くして構えている。私は武道とは無縁だったのでそれが何を意味するかはよく分からない。新田くんがそれを追って、突っ込む。
ガン!
新田くんの左腕と、タクトの警棒が衝突した音だ。深追いした新田くんをタクトが警棒で攻撃しようとしたのを、新田くんは左腕でかばったのだ。そしてそのまま二人とも動かない。
「なんなんだよ、その腕はっ」
タクトが口をこぼす。無理もない。
要は、新田くんの左腕と警棒で競り合いになっているのだ。生身の腕では、到底できない芸当だろう。
「新田くん!」
私は、思わず叫んでしまった、というわけじゃない。
「後ろ!」
後ろから堺が追い打ちをかけようと走ってきていたのだ。しかし、時すでに遅し。堺は新田くんのすぐ後ろまで近づいていた。
「ああああああああああああああ!」
上から下へ、勢いよく振り下ろす。狙いが定まってないようにも思える。
新田くんは、右足の爪先でタクトの太ももを蹴り上げた。腿かんというやつだ。
「アァッ」
タクトが崩れ落ちる。そして新田くんは右に転がって後ろからの追撃を逃れようとしたけれど、背中に直撃を食らってしまった。膝をつく体勢、デップ風に言うならヒーロー着地のポーズ、をとって回転のスピードを強引に抑える。堺がそれを追って駆ける。
堺は、2歩助走をとって、飛んだ。右手に警棒を持ち、空中から思いっきり新田くんめがけて振るう。新田くんは再度転がり、反対側に移ってかわした。
「中村ああああ!」
そこに復活した左の男が突っ込む。腕を顔の前に構えた、強烈なタックルだ。立ち上がろうとしていた新田くんは不意を突かれたのか、防御すらせずにまともに受けてしまった。さっきと同様、その体は2メートルほど飛ばされた。
「ヴッ」
壁に激突して、肺の空気を吐き出した。そこに畳みかけるように、瞬時に詰め寄った堺が警棒を振り下ろす。
ガン!
しかし、その状態からでも、新田くんの左腕は動いた。新田くん自身を庇うように左腕をあて、そして呼吸を取り戻すと同時に堺の懐に入り、右腕のアッパーを決めた。
「堺!」
左の男が堺に駆け寄るところを、新田くんが追う。追撃をするつもりなのか。
しかし。
「新田くん、右から来てる!」
気を付けろ!
早くも復活したタクトが追撃を防ぐように走ってきたのだ。警棒を右手に、もうすでに殴りかかる体勢になっている。新田くんは立ち止まり、タクトの警棒を左腕で受け止めようと構える。
しかし、タクトは警棒を新田くんの目の前に投げ、半歩離れた位置から回し蹴りをした。足技を初めて使ったのだ。警棒にばかり警戒し続けた新田くんは虚をつかれたのか、直撃を受けた。
「佐久間、先にこっちだ!堺の面倒見てる間にやられるぞ!」
「お、おう!」
左の男、佐久間が戻る。
新田くんは半歩下がり構えをとるが、受けに回っている。いや、カウンターを狙っているのか。
「行くぞ!」
タクトが先に拳をつき出し、新田くんがそれを右手で受け、そのままタクトの腕を上にあげる。簡単な拘束技だ。女性でも簡単に扱える護身術で、痴漢対策といって母に教えてもらった覚えがある。タクトが右に回転してそれを逃れようとしたのを、新田くんはあっさりと見逃して手を離した。
手を離したと同時に、右足を上げた。
「うおおおおおお!」
しかし佐久間がそこに走ってきて、警棒を右手で振った。
新田くんが左腕で受け止めるが、直後にタクトの拳が顔面にめり込んだ。新田くんは横に倒れる。
「ハァ、ハァ」
両者とも、そこで一度止まった。一瞬の静寂。
新田くんは立ち上がるとすぐに駆けだし、左拳を右手で握らせて佐久間のほうへ飛び掛かった。
「佐久間!」
タクトは叫んで、一歩下がった。
佐久間は警棒を捨て、両手で受け止めた。
「ああああああああああああああああああ!」
大声を上げて叫び、苦悶の表情を浮かべたが。
「やれ、タクト!」
佐久間が再度叫んだ。
その後ろから、佐久間の体の周りを半周して反対側に回ってきたタクトが現れた。佐久間が捨てた警棒を拾い両手で持ち、そのまま体重のかかる体勢で、新田くんの左腕に、
「ヤメテ―――――!」
振るった。
「なんだ、これ」
呟いたのはタクトだ。
見ているのは、新田くんの左腕の方。
新田くんの左腕の付け根のあたりから、血がだらだらと流れ落ちている。その斜め後ろには、新田くんの左腕が包帯も一緒に落ちていた。左腕からも赤い血が流れ出て、土の上で広がっている。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
叫んだのは誰かわからない。みんな叫んでいたかもしれないし、私も叫んでいたのかもしれない。
見ると、タクトも佐久間も、その場にへたり込んでいた。
「にった、くん?」
声が出て、新田くんのもとに歩こうとしてはじめて私も尻餅をついていたのだと気が付いた。立ち上がろうとするけれど、力がうまく入らない。
「にったくん」
新田くんは、その場から立ったまま動かない。
「にったくん?」
「は、はは」
だめだ、このままにしたら、もう!
新田くんが呟く。
「もうだめだ。もう無理だ。限界だ」
そして、右足を上げて。
「やめて!」
私は新田くんに抱き着いた。立てないから新田くんの腰に捕まるのが限界だが、それでも止められたようだ。
その背中に、私は言葉を投げた。涙声で、自分でも何を言ったかわからないくらいに混乱していたが、その手は離さない。
「もう、いいから
「新田くんがこれ以上傷つく必要はないから
「私が守るから
「今までの理不尽はもう二度と起きないから
「ちゃんと立ち向かうから
「恩返しするから
「これからはもう辛くなんてないから
「きっと楽しいはずだから
「夢だってかなえられるから
「明日はこうじゃないから
「みんな味方だから
「私は味方だから
「
「
言葉を紡ぎ、心を見せる。私にできることはこれだけ。何もできそうにないけど、言うことくらいなら上手くいくはず。新田くんを助けられるはず。
言い続けて、言い続けて、気がつけば新田くんが右足を下げていた。
「中村、お前」
タクトが口を出してきた。
「誰だよ中村って」
訊く。ぶっきらぼうになってしまった。
「そいつだ」
違う
「違う!この人は新田くんだ!」
「それは偽物の名前で!」
「新田くんは偽物なんかじゃない!」
「お前も見ただろ!」
「見てない!新田くんが偽物だなんてものは何一つ見ていない」
「なんでこいつを庇うんだ」
「なんであんたたちが新田くんを襲うの?勝手に私たちに土足で踏み込んできて、偉そうな顔しないでよ!」
「僕らはただ、助けようと」
「ふざけるな!」
助けようと?助けようとだと?
「アンタたちこそ何を見てんのよ!いきなり襲い掛かってきて、いたぶるだけいたぶって、何が助けるよ!」
「それは」
「アンタたちが偽物よ!偽物の正義感によって暴れるだけのクズ!それが新田くんをここまで追い詰めたのが何でわからないの!?」
「お前に何がわかる!」
「アンタに何がわかる!追い詰められる新田くんの気持ちが!私たちの間に二度と入ってくるな!」
言いたいだけのことじゃない。言うべきことも多少は言った。
私は新田くんの味方だ。
そう、信じたい。